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2012/02/17

なぜ、人生は旅行と言わないで旅と言うのだろうか

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人生は旅である。これ は良く言われる。でも、この意味を考えた事のある人はどのぐらいいるのだろうか。こういう時、私は反対語や類義語を考える。人生は旅とは言うが、人生は旅 行とは言わない。また、新婚旅行、修学旅行とは言うが新婚旅、修学旅とも言わない。では、なぜ、人生は旅行と言わないで旅と言うのだろうか。旅と旅行の違いは何だろか。

一言で言ってしまえば、旅行は移動があって、目的地での活動がメイン。旅はその道筋そのものを味わうものと言えるだろう。だから、新婚旅行は南の楽園で楽しむのがポイントで、その途中の移動は何事も無く予定通りに過ぎなければならない。修学旅行も同じである。

もし、新婚旅や修学旅であったら、成田や関空で離婚する人は劇的に増え、学校の教員は今以上に離職するであろう(^^)。して、人生は旅である。もし、人生が旅行であればその過程はスケジュール通りに短時間で進むのが望ましい。

では、人生のゴールは 何か? 死である。死に短時間で辿り着くことがもくてきであるとすれば、人生は旅行で良い。死に臨んで死を楽しむのであれば、旅行であろう。しかし、ここ も圧倒的に違うことがある。旅行は帰路がある。しかして、人生が旅行だとしてゴールに辿り着いたら、帰路は無い。

だから、人生は旅行で はなく、旅なのである。そしてもし、人生が旅だとしたら、その人生の多くを占めている仕事というものも旅ではないかと思うのだ。自分が行きたい方向、生き たい方向とは違うところから降ってくる仕事。上手く行ったり行かなかったり。だけど、それをなんとか乗り越えていく。

その乗り越えの連続が、いつの間にやらなんやらの形をなし、人に業績と呼ばれたり、キャリアと呼ばれたりするようになる。確かに、「この二年間はこうして行こう」と旅行のように計画を立て、その二年後の人生のために今を生きられる人もいる。それはそれで否定しない。

ただ、私はそうじゃなかったなあと思うし、これからもそうじゃないだろうなあと思うのだ。一日に8時間移動し、その中にちょっと旅の要素があったのを思いながら、考えたのでした。

移動の一日でした

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家を出たのは11時過ぎ。
そして、宿に到着したのが20時30分。
8時間以上移動に費やしていたことになるか。

予定通りに行けば6時間位だったのだけど、まずは伊丹で躓いた。
予定していた福島空港行きの飛行機が欠航。
決行だったら結構だったのだが、欠航。
飛行機の機材がおかしいとのこと。
急遽仙台空港に行くことになった。

ま、いいんだけど、空港内で指示された通りに動いていたら、飛行機に乗るところで持ち物検査が上手く行かない。しかも時間は来ている。機内に持ち込めないものがあると言う。しかし、私は指示通りに動いているだけでそれを言われても困る。そしたら、廃棄してくれとのこと。そんな馬鹿な。そしたら、着払いで送るからその手続きをしてくれと言う。それもおかしい。そっちの都合でそっちの指示でやったのに、なんで私がお金を払わなければならないのだ。結局、空港で帰りの便まで預かってもらうことになった。釈然としないがまあいいか。

飛行機に乗るためのバスは私が最後。
私が悪いんじゃないのに。ま、我慢我慢。

離陸後、電子機器の資料が可能になったのでMacBook Airで原稿を書こうと思って、窓の外をふと見る。ありゃ、琵琶湖だ。

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福島行きの飛行機は随分前から予約をして窓側をとっておいたのに、仙台行きになったら通路側。窓側の席が空いているにもかかわらず。まったく頭に来るなあと思いつつ、我慢して通路側に乗ったのだが、琵琶湖が見えたのはもう溜まらない。

窓側にいる人に一言いって写真を撮らせてもらった。
私の家も見える。
いやあ、眼福。

仙台空港。
広い空だ。
とても一年前にここに津波が押し寄せたとは思えない。
ただ、着陸に向かうその海岸線は、その傷跡がしっかりと残っていた。

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仙台空港から仙台駅までは連絡列車。
そして仙台駅から郡山まで新幹線。
さらに郡山から会津若松、そこから喜多方駅へと乗り継ぐ。
乗っているだけであれば、

京都駅へ15分
伊丹空港に55分
飛行機50分。
仙台駅へ25分

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郡山駅へ30分
会津若松駅へ55分

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喜多方駅へ25分

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ということで4時間ちょっとなのだが、兎に角待ち合わせが長かった。
湖西線が都会の列車に思えてしまうほどf(^^;。

しかし、8時間以上の移動と言うことは、まあ、関空からタイまで移動できてしまう時間なわけです。日本の中でこんな風に移動できるってのもある意味凄いなあと思う。

宿について直ぐにお風呂と思ったら食事を先にしてくださいとのこと。
はあ。
私は飲んで食べてとしたら、風呂に入らないので、今日はもう諦めて寝る。
移動の一日でした。

明日は朝風呂でリセットです。

2012/02/15

バレンタインデーである

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バレンタインデーである。

男と言うのは、自分でできる事をやってもらうのが、嬉しいものである。
男と言うのは、要らないという顔をしていながら、欲しいのである。

朝、娘(4)からチョコを貰った。
もうこれでいい。
バレンタインデーは十分である。

ではあるが、   
男と言うのは、我がままで強欲であり、いくつ貰っても嬉しいのである。

写真は娘がチョコレートと一緒にくれた、ハート。

チョコを頬張りながら、週末に福島は喜多方で行う講演会の資料を作る。90分間の講演である。片道6時間ぐらい掛かる。それでも来て欲しいというのである。行きます。チョコを食べながら、喜多方ラーメンの味を思い浮かべながら資料を作る。

やったあああ。
完成。
送る。

原稿を書き進める。
終わらない。
終わらないけど、書き進めないとやっぱり終わらない。

子どもは、指導をして暫くほっておくと、ビックリする位に自分で成長することがある。本当にある。しかし、原稿は書き進めて暫く置いておいても、ビックリする位に完成しているということは全くない。何回ややっているのだが、一回も無い。一回書き終わって寝かせておいて、見なすと成長するということはあるが、書きかけで成長すると言う事は無い。

そこで書き進める。

午後からは京都の大学の教職課程の担当者の打ち合わせで、発表。昨日のブログに書いたGPの事に関わって。30分。なんとか終える。本学の実践が認められたようで嬉しかったなあ。ただ、良い評価だったようで、次の仕事が降ってきそうな予感f(^^;。

これで明日は倒れる事が出来る。
熱が出て来ている。インフルエンザではないと思うが、身体がだるい。
過労がたたって風邪が治らない。

明後日に備えて、明日は倒れていよう。

2012/02/14

明日の教室が終わった翌日は、研究室にこもる

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(水墨画のような琵琶湖)

明日の教室が終わった翌日は、研究室にこもる。

文部科学省のGP大学教育推進プログラム【テーマA】についてのまとめの原稿を書かねばならない。三年間「オリターが養成する学習コミュニティの形成」をテーマにして、文学部と人間発達学部で取り組んで来たのだが、その三年間のまとめを書くのが私の役割なのだ。

教師になるということは、いろいろな段階がある。

指導内容を理解する。
指導技術を身につける。
採用試験に合格する。
授業をする。
担任をする。
管理職になる。

様々な立場や、レヴェルがあると思う。
あると思うが、私が考えている事は何かと言えば、
子どもの成長に関われたとき、教師になれたということなのではないかと思っている。どんなに説明が上手く出来たと思えても、それが子どもの成長につながっていなければ、殆ど意味は無いと思うのである。

このGPでは、先輩が後輩をサポートする。ここに焦点を当てている。二回生が一回生の新入生キャンプで面倒見る。三回生が二回生の面倒を見る。四回生が三回生の面倒を見る。一年間経験して来た先輩達が、その生々しい体験を語る。そして支える。例えば、大学の一年間であり、教育実習であり、インターンシップであり、就職活動である。

本学には、教員を目指す学生を支援する部署として、教職保育職支援室があり、一般企業を目指す学生を支援する部署としてはキャリアセンターがある。ここでの指導は専門の教職員がその専門性の下に支援を行う。それはそれでかなり重要である。しかし、その一方で身近な先輩たちからの支援というのも大事なのではないかと考えているのである。

あなたの体験は、あなたの体験で終わらせるのではなく、誰かの役に立ったときに価値が生まれる。そして実は、誰かのために力を出そうとしているとき、その人自身が成長するという構造になっていることに学生達は気がつくのである。

教師になるということは、この構造に気がつく事である。
勿論、これは教師になるということだけではなく、大人になるということの一つの側面でもある。

そんなことを考えながら、教職員で三年間を続けて来た。
なんとかみなさんの御陰でまとめの原稿も書けたと思う。

学生達がこのGPを通して、少しでも人間的な成長を遂げていたら、嬉しい。

ディスレクシア(識字障害)とは

ディスレクシア(識字障害)とは、どんなものなのでしょうか。
私は学生が卒論で扱ったためある程度は知識がありましたが、このように動画でご自身の体験を語られる先生の姿を見る事はありませんでした。

勉強ができないのではなく、文字を読むことがむずかしい子どもがいるということです。

教育関係者は必見です。

http://www.youtube.com/watch?v=YISIvygN08I&feature=youtu.be

あるといいんだけどねえf(^^;。

あるといいんだけどねえf(^^;。

2012/02/13

3/3 明日の教室 野中信行先生 四月からの学級作り

お待ちどうさまでした。
3/3の野中信行先生の講座の受付を開始します。

多くの説明は要らないかと思います。
四月から担任をする先生。
久し振りに担任をする先生。
最近どうも学級作りがうまく行かない先生。
若手に学級作りを指導する立場にある先生。

どうぞ、お越し下さい。
四月からの一年間を素晴らしいものにする、その一歩目を一緒に考えてみませんか。

http://kokucheese.com/event/index/28124/

ご飯の最後になると「あーんして」と言って甘えてくる娘

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ご飯の最後になると「あーんして」と言って甘えてくる娘(4)。

今朝も
「お父さん、あーんして」
と。そこで
『あーん』
と口を開けてみた。

「ちゃうでしょ!」
と鋭い突っ込み。

ありがとうございます。

2012/02/12

明日の教室に杉渕先生にご登壇を御願いした

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明日の教室に杉渕先生にご登壇を御願いした。

私が大学に来て6年が過ぎるが、その最初の一年目に、「京都橘大学 文学部児童教育学科 開設記念特別シンポジューム」というものを私が企画し、四人の最先端の小学校の先生方に来ていていただき「15分の可能性」ということで、15分の授業を4本見せていただいた。

そのメンバは、赤坂真二、土作彰、佐藤正寿の三先生方、そして杉渕鉄良先生である。その当時も贅沢だとは思ったが、今見ても贅沢である。それぞれの先生方が、ご自分の得意な分野で授業をしてくださった。すばらしかった。

そのとき以来の杉渕先生である。
当たり前なのだが、凄いのだ。

15分でやるためには、あれこれ削り取ってエッセンスを出さなければならない。しかし、今回の明日の教室は3時間30分。自分の時間で講座をコントロールできる。講座の空気を完全にコントロールしながらでの、模擬授業をされていた。

端的に言えば、間。くだらない呟きの連続。緩急。
これらが、力強い語りではない中に見事に活かされて、教室の空気を支配していく。

明日の教室。
「教室」なのだ。

会の運営は、沢山の人に来てもらった方が楽になる。しかし、実はこの研究会は贅沢が基本なので、少人数で本当は回したいのだ。40人以下でやりたい。あの教室の空気感を身体にしみ込ませて欲しいと思うのだ。だから、今回は40人から増員をしなかった。あの場にいた方はあの空気を感じてくれた事と思う。

この会はDVDになる。
杉渕先生の語り、音読の指導など、まさにDVDでなければ伝えられないものが、納められるはずだ。是非、ご覧頂きたい。

Basashi

懇親会は美味しい魚とお酒で終電過ぎまで。
久しぶりに参加してくれた先生などと延々と語る。
教育の事をあれこれ延々と。
そして、ひょっとしたら凄い事になるかもしれない話題までが出る。
やっぱり、研究会は懇親会まで出てなんぼである。

ああ、幸せ。

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