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2013/01/05

教師は長生きしなければならない

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(富士山に沈んでいく多摩の夕陽)

で、卒業生と会うたびに思うのだが、教師は長生きしなければならないなということだ。

20年ぶりに会った卒業生。
私は彼女にどうしても言って上げたかったことがあった。
だけど、まあ会うことも無いだろうなあと思っていたのだが、偶然二次会の会場で会えた。
そこで話した。

『お前さんは覚えていないと思うけどね。家庭訪問の時に水をくれたのを先生は覚えているよ』
「?」
『家庭訪問のときな、前の家が少し伸びてしまったので急いで君の家に行ったんだよ。そうして喉がカラカラになってしまった状態のまま、お母さんと話を始めたんだな。そしたら、暫くしてその様子を見て、コップに冷たい水を入れて来てくれたんだよ、君は』
「え〜? 覚えていません」
『そんなこと覚えているわけが無いよな(^^)。だけど、これは本当だ。とても嬉しかったなあ。だけど、忙しくてそれを褒めてあげることができないまま、家庭訪問を終えてしまって、次に向かって、翌日も褒めてあげようと思いながら、何かあってできなくて、そのまま卒業して、ふう、やっと卒業して20年目に褒めることが出来たな(^^)。ありがと』
「えー、先生、そんなこと覚えていません(^^)!」

あの時、私が感じたその子どもの良さを伝えて上げられなかったことが沢山ある。
それをこうして伝えられて、ホッとしている。長生きしていけばまたこういう場面に出会えるだろう。

生徒の時代にダメだった奴が、成長して立派になったとき
『お前はよく頑張ったなあ』
と褒めて上げることが出来るのも、長生きをした先生だからできる。

勿論
『お前はダメだったけど、今でもダメだなあ』
とダメ出しすることができるのも、長生きした先生だからできること。

『去年はいい顔していたけど、今年はさらにいい顔しているな』
「はい、実はこういうことになりまして」
と自分が載った新聞を見せてくれて、会社で結構いい評価を得ていることを話してくれる。これも幸せなことだ。

成長する人間の側にいられる。
教師の最大の喜びはここにあると思っている。
その成長手助けをすることを仕事にし、さらに、それが卒業してからもこうしてその良さを伝えてくれる彼らがいる。

もっと伝えてもらいたいので、長生きしよう(^^)。

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