変人で良かったなあ
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今日は父親の誕生日なのだが、東京に居たにも関わらず諸事情で顔も見せずに滋賀に戻る。親不孝な私。
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それにしても昨日の会議は久し振りに長かったなあ。12時間弱やっていたからなあ。
子どもの会議は、時間が来たら終わる。しかし、大人の会議、それも企画会議は形ができるまで、見通しが立つまで終わらない。答えが出るまで終わらないというものだ。そういう席にもうかれこれ3年以上居られると言うのは、私の人生にとっていい経験だ。
なんというのか、良いものをつくろうとしてあれこれ作業をして、知恵を絞り込んで、チームとして格闘する。凄いなあと思うのだ。教育の仕事もこれに近い所もあるが、これだけきちんと分業して結果を残し続けて行くというのは、実に凄い仕事だと思う。
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で、しみじみ思うのが、変人で良かったなあと言うことだ。
人生の最初の方、特に生徒の時代はこの変人であることが辛かった。変人なのに変態のように思われるのである。
(いや、そんなにおかしなことをしているという心算は無いけどなあ)
と思うことも、日本の教育の世界では、
「ま、池田君だからね」
とされる。
(え、間違っているのはそっちのほうでしょ。私は正しいよ)
と思っても、伝えても、まあ、多くの人には相手にされることはなかったなあ。
数人、特に年の離れた先輩や、大人には可愛がってもらったこともあったが、基本的にはスルーされていたなあ。
ところが、こうして半世紀生きてみて思うのは、やっぱり変人で良かったなあと言うことなのだ。
全て私が正しかったとは思わないが、結構正しかったでしょということが割とある。
そして、いま、私の周りには変人が多い。生き生きと変人をしている。
周りからのあれこれは、大事なものだけをしっかり聞いて、どうでもいいあれこれは笑顔で聞き流し、真剣に自分がやりたことをやっている。昨日の会議でもそれを強く感じる。
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(おかしいなあ、オレそんなに間違っていないぜ)
と思いながら、周りから変人扱いされながらやってきたけど、良かったんだと思う。
残されている時間は少なくなって来た。
自分の好きなことをもっとやる。
それで行こう。
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