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2013/04/26

いつも以上にアイディア体質になって来ている

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興味があるということ、好きということはずーっと思っていると言うこと、考えていると言うこと。風呂に入っていても、風呂で本を読んでいても、頭の隅っこと言うか根っこと言うか、そこでそのことを気にしているのだろう、考えているのだろう。

だから、風呂で本を読むのをやめ、着替えの所に本をおいて、体を洗っているときに突然、アイディアが浮かんで来たりする。慌てて石けんを流し、本を手にして、そこの余白に浮かんで来たアイディアをダーーーーーーーーーッと書く。一安心。

野口芳宏先生のご著書であったが、申し訳ないと思ったが、もう一瞬を争うのでこれは許して頂くしか無いf(^^;。

いま、いつも以上にアイディア体質になって来ているのを感じている。

ヴァージョンアップって、ワクワクする

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朝は5時過ぎから起きて、出来上がって来たプラットホームのβ版ver.1について確認作業を重ねる。併せて、改良点を書き出しver.2に向けてを模索し始める。昨日寝たのは1時過ぎだったらから、4時間程度しか寝ていないが、興奮していて頭がパキパキ回っている感じ。
この開発は3回生ゼミも巻き込んでいるので、私の改善に向けてのメモを、共同開発者と同時に、学生たちにもメールする。学生たちには、確認とデータ打ち込みの作業を指示し、月曜日のゼミに間に合わせるように伝える。
昨日から今日の午前中まででの時間にも関わらず、どんどん進む。
なんだか、理系のゼミのような様相を呈して来た(^^)。
ヴァージョンアップと言う思想は、いつ頃から日本に浸透したのであろうか。私が教師になった頃には、このヴァージョンアップと言う思想は、少なくとも職員室には無かったかのように思える。
職員室の提案は、
1)去年と同じです。
2)ゼロから作りました。
の二つで、1)が最も尊重されていた。2)をやるとき、必ず
「前例がない」とか、「時期尚早だ」とか、「ベテランになるまで待て」とか言われて、無かったことにしようとされてきた。私はめげずに2)でやるのだが、すると、「まだ改良の余地がある」と言われて却下しようとされてきた。
つまり、「提案するなら完璧なものを出せ」というのが根っこにあったかのように思うのだ。
私は、
(いや、やってみないと完全なものは分からないだろうに。いややったって完璧には分かるもんじゃないから、去年のものをベースにして修正するんだと思うんだけど、違うの? そもそも去年と同じですっていったって、今年は生徒は違うし、職員も違うんだから、同じわけないのになんでこれは通るの? )
と思っていた。
ところが、Wordが世に広まり、Windows95が出た辺りから様子が変わって来た感じがする。つまり、ヴァージョンアップが前提で製品が作られると言う思想が、広がって来たと感じたのだ。
「これは、完璧ではないけど、いまの段階ではこれがまあ、ベストね。んでもって、おかしな所は指摘してもらって、欲しい機能も言ってもらって、次のときに改良するけんね」
という感じでアプリケーションが提供されるに従って、完成品しか世に問うてはならないという部分が弱まって来たように感じたのだ。
勿論、子どもたち全体を動かす企画などは、時程の設定等に間違いが合ってはならないし、栞に記載する緊急連絡先の電話番号も間違えてはならない。だけども、企画自体を完成度が低いからダメだというようなことは、寧ろあってはならないのではないかと私は考えていた。
『本当におかしいなら直します。そのおかしいと言う意見を下さい。私自身も見直します。おかしかったら直します。ヴァージョンアップします』
教育の世界は、なんとなく「免許皆伝」の認定を受けたものだけが企画するものでもないし、最初から完璧なものを出さなければならないと言うものでもないはずだ。目の前の子どもの実態、設定した目標、教師、教師集団の指導力に合わせて、ヴァージョンアップして行くものだと考えている。
このヴァージョンアップは、本来は中央教育審議会が言っているからとか、学習指導要領が改訂されたからとかいうことでされることではないと思っている。日々の現場の実践の中で省察を通して行われることが主でありたい。
ヴァージョンアップって、ワクワクする。

2013/04/25

授業も本格的になっていくのである

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2限の四回生ゼミは、卒論の目次案の検討第二ラウンドのパート2。本日は4名であった。春合宿の時に出したものから大幅に変更した学生が2名。
教員採用試験の勉強をしつつ、卒論を書くってのはなかなか大変で、だったら、もっと前から書かせれば良いと思うのだが、その前には教育実習があって、その指導、本番、反省と色々あるので、どうしてもこのスケジュールになってしまう。
先週の先行研究の説明が良かったのか、今日は先行研究を手稲にやってこようとする学生が多く、一安心。また、私が突っ込む前に仲間の発表に鋭く突っ込むゼミ生たちが多く居て、これも良い。
今年は、今の段階では大きなテーマで書こうとする学生達が多いので、先行研究も大変だとは思うが、それをやり続ける中で、本当に自分が問いにしたいことが見えてくるので、いまはただ読み続けるしか無い。期待したい。
3限の二回生ゼミは、実践記録の講読。はじめにの部分を私がチューターをしつつ読み進める。先週課題として出した「なぜ、この部分には単語に点がつけられているだろうか?」というものについての検討。19人のゼミを3〜4人に分けて、ワールドカフェスタイルで検討する。
『私は、〜と考える。というのは、本文の〜に〜と書いてあるから、というスタイルで説明すること』
というと学生達は慌てて、本文を読み返す。
そうである。本文に根拠を求めること無く、なんとなくで答えを出して来ているのである。それではテキスト講読にはならない。ここにこう書いてあるを読まなければならないのだ。そうでなければ、単なる思いつきを述べ合うだけになる。
ワールドカフェの後、学生達に発表させる。
テキストを意識しながらの発表に挑戦しようとしているがまだまだの部分もあった。
『私の読みを示す前に、君たちはこのテキストの中に、同じ言葉でありながら、違う書かれ方をしている言葉に注目できたか? 一つは、点の振ってある場所が短い所、一つはその言葉を鍵括弧でくくってある所、もう一つは、点の振ってある場所が長くなっているところだ』
残念ながら学生達はこれに気がついていない。
ま、そうだろう。そういう読み方の指導を受けることはあまりない。彼らの責任ではない。読解には、ミクロとマクロの読みが必要。蟻の目と鳥の目の両方が必要になる。同時に見られることが大事。そして、それぞれの人物のあれこれの動きを同時に見る視点が学級経営には必要。これを「神の視点」ということもある。が、これを指導されることはあまりない。
教育の営みは、瞬間と文脈と両方ともを押さえて行う必要がある。その子どものその瞬間の行為は何を示しているのか。また、その行為はその子どもの文脈の中で何を意味しているのか。これを瞬時に読み取る必要がある。
さらに面倒くさいのは、子どもたちはその意味を表出はするが、表現はしない。寧ろ隠す。だから、その表出された瞬間から情報を読み取り、指導に生かさなければならないのだ。そのレッスンは、フィールドワークはおろか、教育実習でもなかなか出来ないだろう。教師になって日々の実践の中で鍛えられて行くというのが、実際の所であろう。
だが、もしそのレッスンの可能性があるとすれば、実践記録や物語文を読み込み、読み解き、読み開くことだと思われる。文字に書かれている情報は、表情や音声や匂いや触感はない。その文字と意味と文脈の中にそれを求める。ここでレッスンを行うことで、表情や音声や匂いや触感もある子どもたちとの実践の中で、実践を作り出してくことがやりやすくなるだろう。そう考えて、二回生ゼミの前期は、実践記録を読み込んで行く。そのガイドを私がする。
キャンパスの里桜ももう終わり。
アメリカハナミズキの花が晩春の青空をバックに映えている。
授業も本格的になっていくのである。

2013/04/24

『弱くても勝てます 開成高校野球部のセオリー』(高橋秀美 新潮社)読了

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『弱くても勝てます 開成高校野球部のセオリー』(高橋秀美 新潮社)読了。

実に面白かった。一日で読んでしまった。仕事があるというのにf(^^;。

開成高校といえば、開成高校である。ディベート甲子園にも参加している、東大合格者数一位である開成高校である。そこの硬式野球部の記録である。野球にあまり詳しくない人でも、いや、詳しくない人の方が面白いかもしれない。

頭が良くて運動がさほどでもない生徒たちは、野球なら勝てる可能性があるということを論理的に説明し、指導して行く高橋監督の指導を受け入れて、野球そのものを哲学的に見直し、自分たちの野球を作って行こうとする。そのドキュメントである。

通常、新人はプレーヤーであることを求められる。野球の野村監督は、選手の晩年時代に、キャッチャーをしながら監督もしていたことがある。これからも分かるように、選手が先で、時々選手をしながら監督。最後は、選手を引退してコーチをやり、監督になる。

ところが、教師は、一年目から授業をするプレーヤーでありつつ、同時に学級担任という監督もしなければならない。これは極めて特殊な仕事である。にも関わらず、学級担任という監督の仕事、経営の在り方を殆ど学ぶことなく、一年目から担任になる。恐ろしいことである。

この本は、野球の監督と選手の話であるが、その監督も選手も特殊である。尋常ではない。ピッチャーに「ピッチャーになろうとするな!」とかの指示が試合中に入る。ヒットを打っても怒られる。思い切り振り切って三振したら褒められる。通常の野球では考えられない。

しかし、開成高校の「野球」では、実に理にかなっているのだ。

この自分の子どもたちにとって理にかなっている指導、経営、監督をすることが、担任には大事。他のクラス、他の学校を参考にすることも大事ではあるが、目の前の子どもたちをどう捉えて、そこに適切な指導を行うことの方が、さらに重要。本書を読むとそのことがよく分かるだろう。

学級担任論の授業の参考図書に指定したい本である。

2013/04/23

4月は、NHK教育テレビに2回出演します。

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四月は二回、五月も二回、出演することになっています。
良かったらご覧下さい。
伝える極意 4/26(金)10:00〜10:15 Eテレ
      5/10(金)10:00〜10:15 Eテレ
http://www.nhk.or.jp/sougou/gokui/index_2013_002.html

エデュカチオ! 4/27(土) 21:00〜21:29 Eテレ 

 5/03(土) 10:30〜10:59 Eテレ
http://www4.nhk.or.jp/educatio/x/2013-04-27/31/31197/

明日の教室 5月のご案内

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明日の教室の5月は、久し振りに糸井池田で行います。

5/25(土)です。

糸井先生のタイトルは、

「大学でやってみたい社会科授業」

です。今年度立命館大学で担当する授業の一部をここでやります。

池田のタイトルは、

「板書。チョークの使い方を中心に。自分の名前を書けるようになろう」

です。

http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2013/04/post-0da5.html

にある内容をベースにして行います。実際に黒板に自分の名前を書いたものを池田が直接レッスンします。

ということで、今回は40名が限界です。ベストは20名です。チョークの個別指導が入りますので。興味や必要性のある方は、お早めに御申し込みください。

お申し込みは、こちら。

http://kokucheese.com/event/index/87510/

講師紹介

糸井登 立命館大学付属小学校教諭 明日の教室 代表

http://susumu.exblog.jp/

池田修 京都橘大学准教授     明日の教室 事務局

http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/

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2013/04/21

若手のクロースアップマジシャン、山下翔吾さん

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明日の教室はシークレットで行った。正確に言うと二人に御願いして、前半がシークレットだったので、後半は書いても良い。

マジックショーであった。

いや、マジックの学習会であった。

若手のクロースアップマジシャン、山下翔吾さんである。

http://news.walkerplus.com/article/33506/

彼とは昨年、京都は先斗町界隈のあるパーティで偶然出会った。

そのときに、直ぐに私は講座を依頼した。

彼は、私が酔っぱらっているので勢いや冗談で御願いしているのかと思ったそうだ。

私は本気であった。

昨日の講座は実に見事なものであった。

とても24歳とは思えない。

手品がなぜ手品になりうるのかという理論もきちんと講座の中に組み込んであり、

それをベースにして実際の手品、さらには実技指導が組み込まれていたのである。

参加者は驚嘆。

そして、納得。

この繰り返しであった。

手品は、子どもたちを喜ばせるだけでなく、教師の修行としてとても意味があると思っている。指示、説明、リード、論理的思考などは手品をやることで具体的に身につけることが出来ると思う。そう仮説を持っていたのだが、それは昨日実証されたと言っていいのではないかと思う。

今日はそこのレッスンで身に付けたいくつかのマジックを、娘にバレないように復習し、ある程度で来た所で、実際にやってみた。

娘、大喜び。

幼稚園の先生がマジックをやってくれるので

「お父さんもやって」

と良く言われているのだが、ちょこちょこっとやると

「それ、マジックちゃうわ」

と言われ続けていたのだが、今日のは大満足。

「すご!!!!」

と。

ふふふ。

参ったか。

昨日の参加者は、懇親会で彼の最新マジックも見せてもらい、阿鼻叫喚。

あー、面白すぎる。

懇親会までが明日の教室だが、まさに昨日はそうだった。

クリスマス会、忘年会に向けてもう一度講座を御願いしたいと考えている。

次回は、DVDを作ろうという話になっている。

今回来られなかった方は、是非である。

2013/04/20

『小山薫堂 幸せの仕事術―つまらない日常を特別な記念日に変える発想法』(NHK出版)読了

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『小山薫堂 幸せの仕事術―つまらない日常を特別な記念日に変える発想法』(NHK出版)読了。重たい本を読み続けているので、一方で一日で読める本も同時に読んでいる。小山薫堂さんの本はこのごろ読みあさっている。

小山薫堂さんと言えば、私にとっては「カノッサの屈辱」。夢中になってみた。そして、彼が私よりも年下と言うことを知った時は、
(はあ、才能って凄いのね)
と思った。

この本では、本でも、彼の仕事に関する考え方。「企画とはサービスである。サービスとは思いやりである」のあれこれについて書かれている。心のエンジンにターボが掛かる。今までの本に書かれていることもあるが、この中での圧巻は「ランディ」との出会いからの展開。ネタバレになるので書かないが、人生にはこういうことがあるんだよなあと思う。

いや、こういうことを生み出す為に毎日、自分をその方向にブラッシュアップしている、それも楽しくやっている小山薫堂さんの姿がある。これを今彼は、大学で教えているのだが、その様子も分かる。いいなあ。

もう一つは、あの傑作「カノッサの屈辱」の裏話。この作品を書いているとき超楽天家の彼が死を考えたと言う。苦しみの中で書き続けていたという。
私が思ったことは、以下のことだ。
どんな才能でも、磨かなければならない。才能は、どこかで磨かれる機会を待っているということだ。

仕事をして行く中では、理不尽や過密スケジュール、上手く行かないことが沢山ある。ただ、そこをなんとか乗り越えて行くことでしか身に付かないものがある。そのまっただ中にいるときには、このことに気がつかないのだが、通り抜けてしばらくしてからやっとわかるというものだ。小山薫堂さんにとっては、「カノッサの屈辱」だったんだなあと思ったのだ。

週末にお薦めの一冊である。

2013/04/19

『本屋さんで本当にあった心温まる物語』(川上徹也 あさ出版)読了

『本屋さんで本当にあった心温まる物語』(川上徹也 あさ出版)読了。
あさ出版は、こういう感じの本を出していて、私は好きで買ってしまう。『日本でいちばん大切にしたい会社』とかもそうだ。今回の本も良かった。特に第一話が良かった。泣けて笑える。
一冊の『ジャンプ』
この話を読むだけで、この本一冊を買った意味がある。
だからと言って、他のものが悪い話と言う訳ではなく、ここだけ立ち読みしてねということでもない。30分ぐらいであっという間に読めて、いいなあと思える本だ。
お薦め。

イメージの花火

4/27(金)10:00−10:15、5/11(金)10:00−10:15のNHK教育テレビ「伝える極意」に再放送で出演します。ここでで使用する「イメージの花火」ですが、本体のHPが現在リニューアル中で、資料に辿り着けません。

こちらに、載せておきます。

ご活用ください。

で、四限はスペシャル。 私のサービス講座。 板書。

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で、四限はスペシャル。
私のサービス講座。
板書。字がダメだと思う諸君への個人レッスンである。

板書の字は、本当に大変である。
だいたいからして、腕を前に出して文字を書くということは、通常の生活ではあり得ない。文字を書かなくても動かすだけでも、それを専門とするのは教師と指揮者位なものであろう。

字がうまく書けるとことと、板書がうまいことは別である。
三つの要素が大事である。

1)字がうまい
2)板書の字がうまい
3)板書の構成がうまい

この三つが揃って板書がうまいとなる。
で、多くの場合三つともダメなのが学生たちである。でも、これは学生たちをせめてはならない。1)については、義務教育段階で指導を受けていないことが原因で、彼らは被害者である。で、2)、3)は大学で指導することだと考えている。ところが、やっている大学は殆どないだろう。問題だ。



学生たちに言っているのは、
『あ、これはダメだ。この先生には従わなければダメだ、と思わせなければ指導は通らないということだ』
ということである。殴る蹴るの暴力はあり得ない。これが成立するには、

1)知識が凄い
2)オーラが凄い
3)技術が凄い

の三つのうちのどれかが大事になる。王道は1)だが、教育実習のレベルでは1)はなかなか厳しい。勿論2)も。となると3)になる。3)のうちで学生で対応できるのが、板書の字であり、声の大きさである。この二つのうち一つを手に入れれば何とかなる。子どもたちは、野中先生の言葉で言えば、「生徒になる」である。それを目指して授業をする。



教室での自己紹介のときに、黒板に自分の名前を書く。
この瞬間だけは、子どもたちはシーンとして聞いている。見ている。
このタイミングに、完璧な自分の名前の字を書く。教室の後ろからは
「すげー」
「なんか、字がうまくない?」
と言う声が漏れる。こうなれば、主導権を握ったのも同じ。少なくとも一ヶ月の実習のうちの2週間位はうまくいく。それを目指して、学生たちを指導してく。



学生たちに自分が自己紹介のときに書くであろう名前を板書させる。そして、板書の基礎の三つを教え、私が見本を書き、一人一人の名前の文字にダメ出しをし、改善点を示しながら進める。私の見本の字をなぞり書きさせて、感覚を掴ませる。

はあああああ。我ながら丁寧だと思う。
しかし、これをやると、確実にうまくなる。
学生は
「先生。見てください。最初に書いた私の字です。それが指導受けたら、こんなにきれいになりました!!」
とノートを見せるのである。
私はとてもうれしい。そしていう。
『良かったな。うれしいだろ。教師になったら、その喜びを子どもたちにプレゼントできるような先生になるんだぞ。字がうまいねと言われて過ごす一生と、字がダメだと思い込んで過ごす一生とどちらの一生を子どもたちにプラゼントするんだ? どうせ先生になるなら、前者をプレゼント出来る先生になれ』
と話す。

「ほんまやー」
と学生たち。
このレッスン、もう少し続きます。



で、これ、明日の教室でのニーズはありますか?
あればどこかでやりますが(^^)。

二回生ゼミは、詩を中心とした小学校の実践記録を読みすすめる

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二回生ゼミは、詩を中心とした小学校の実践記録を読みすすめることになる。
ベテランの先生の実践記録である。とても良い実践。
だけど、私はこれは危険だと思っている。

四月に小学校五年生に出会った先生は
「今思っていることを何でもいいから書いて下さい」
と指示する。

『さて、これはどう思う。良いと思う。ダメだと思う?』
と学生たちに問う。すると8割強の割合で良いという評価。うむ、これはいい。ただし、この先生にとってはだ。子どもとの人間関係が出来ていない時期、どんな子どもだかが分からないときに、この発問は怖い。

「今思っていることを何でもいいから書いて下さい」
と指示した以上、子どもが「〇〇は大嫌い」とか「うんこぶりぶり」と書こうが良いことになる。ベテランの先生はそれでも対応できるが、新人にはこれは厳しい。

『さて、ではどういう指示が良いのでしょうか? 考えてみなさい』
と指示を出して考えさせる。発表させる。
そう、一読総合法でやっている。一読総合法のスローリーディングで実践記録を読む。いくつもの?を入れ、
『では、君ならどうする?』
と発問を入れ、90分の授業で読めたのは3p。もう少しゆっくりでも良かったかなとは思うが、私が担当するのは8p分。ま、こんなもんだろ。

テキストリーディング。面白いんだよな。

先行研究の考え方

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四回生ゼミは、卒論指導。目次案の検討の第二弾。さらに、先行研究とは何かなのかが上手く理解できていないので、実物で指導。

研究室にあった本を30冊位持って来くる。ゼミ室の机を四つあわせた所に無造作において置いて行く。テーブルは、そのテーマの領域という設定。ドンドン置かれて行く。本が重なって行く。全部置いた後で、

『ほら、ここ。穴がある。ここがまだ論証されていない場所だ。この穴を見つけるのが先行研究だ』

また、
『穴が見つからないとあきらめるではない。実は、本の中に穴がある場合がある。それを見つけることがある』
さらに、
『本の重なっている所に注目せよ。これが重要キーワード、重要概念だ。同じ言葉を使っているにもかかわらず、実は少しずつ微妙にズレていることがある。このずれを整理して分類する。そして、新しい概念を提出するのだ』

と。

レポート、小論文はテーマを与えられる。論文は自分でテーマとそこにある問いの設定が自由に行える。この自由に行える心地よさと、難しさが論文なのだ。そして、いま四回生はここに苦しんでいるというわけである。

『要は読む本、論文の数が少ないということである。ま、頑張れ』

なのであった。

2013/04/18

「先行研究」がわかりません

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四回生には、卒論指導をしている。四回生が口を揃えて言うのは、「先行研究」がわかりませんということだ。自分の思いつきを書けば良い、感想。先生からテーマを与えられて書くレポート、小論文。これとは全く違って、自分で問いを発見する論文。ここが分からないのだろう。

自分が対象にしたいテーマがある。そのテーマに付いてどこまで解明されているのかが分からなければ問いは立てようがない。もう既に解明されている問いは、論文にする必要がない。

私は
『兎に角、自分がテーマにしたいと言う分野の本を10冊読みなさい』
と指示を出している。ところが、これをきちんとすることなしに、「良くわからない」と言い始めるのだ。これは毎年のこと。

効率よくと言えば格好いいが、実は手抜きだ。
読んで書いて、読んで書いてをしていれば、何かが見えてくる。
それを手がかりにして前に進むしか無いのだが、なんとなくだが、学生たちは先生が答えを知っていて、その答えを私から引き出そうとしている感じがある。

私が答えを知っているのであれば、それはその段階で「問い」ではない。ここの感覚が中々理解されないようだ。

そこで、私は私が書いた論文を持って来て、具体的に先行研究とは何かを説明する。私の論文の該当箇所を読ませ、その論文がどういう構造になっているのかを理解させる。で、彼らの結論。
「読書量が足りませんでした」
その通り。だから、最初から言っているじゃん(^^)。There is no ... って知っている?と聞きたくなるこのごろです。

2013/04/17

正確に言うと半分幸せで、半分はそんなに幸せでないかもね

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日本語コミュニケーションの授業。ディベート。本日は二回目。

ここは、去年までと大きく変えた。
「ディベートで大事なこと」という項目の5番目に「準備無くして対戦無し。準備がディベートの7割を占める」という文言があるのだが、ここを手がかりにして話を進めた




この授業を受けるのは、基本的に児童教育学科の一回生である。彼らには、ディベートの基本的なスキルを身につけさせる。理論を理解する。小学校でディベートの授業が指導できる力を身につける。この三つを主な目標として授業を行っている。

私がこのディベートの授業で行っているのは、シナリオ方式のマイクロディベートである。学生達は、これを、当たり前だが、なんの疑問もなく取り組んで行く。ま、それで良いのだが今年はここをもう少し膨らませようと思った。このシナリオ方式のマイクロディベートがどのように生まれて来たのかを話そうと思ったのだ。

この部分の学術的な検討は、私の修士論文、または、この修士論文を元にした『中等教育におけるディベートの研究』(大学図書)にある。そして、これを教科書にしているのだが、そこをじっくりと読むのはまあ大変なことだ。折角著者が授業をしているのだから、そこをかいつまんでエピソード的に話してみようと思ったのだ。



この授業を受ける学生達は、将来教職に就く。
授業は、教科書を教えればいいと思っている一回生が殆どだ。
その彼等に、ディベート指導を通して授業を作る、教材を作るというのはどういうことなのかを具体的に説明する機会を持ちたいと思ったのだ。

私はディベートを学生時代に学んだ者ではない。教師になって二年目位に、ある教科書教材を使って授業をしていたら、非常に議論が盛り上がって
「先生、こういうのもっとやりたい」
と生徒にいわれ
『たしか、デなんとかというのがあったはずだ』
というところから独学を行って指導を始めた。まだ、パソコン通信すら無かった頃だ。
そこからシナリオ方式のマイクロディベートの指導方法に至までを60分ぐらいを掛けながら話した。
そして、
『で、まあ、ここまで60分掛けて話したんだけど、実際の時間は14年間ね』
と付けくわえた。
『君たちは、お得だねえ。14年間を60分で聞けるんだから。ま、学生さんの良い所だよね。幸せだよねえ』
と言っておいて、さらに付けたした。
『でも、正確に言うと半分幸せで、半分はそんなに幸せでないかもね。効率よく学べるという点では幸せだけど、ゼロの状態からどこに問題が隠れているのかを発見し、自分と自分の研究仲間と少しずつその問題を課題に変えて、作り上げて行く喜びは得られないから、半分ということだな
と。

この授業では上記にあるように、三つの目標を示している。その「小学校でディベートの授業が指導できる力を身につける」を膨らませて、大学一回生の彼らに、教師がどうやって授業を作って行くのかということを知らせたい。

14年掛かったというと、彼らは驚いている。そりゃあ、そうだ。彼らはまだ18歳だ。そんなに長い時間を掛けるのか?と思うのも当然だろう。だが、14年で一定の決着がつけられて良かったと私は思っている。いきているうちに答えが出せない研究なんていくらでもある。で、私が彼らに伝えたかったのは、中学校3年、高校3年、大学4年と短く区切られた時間の中で答えを出す勉強を続けて行くことではなくて、仕事をするというのは長い時間を掛けて取り組むことがあるということを知ってほしいということだ。

振り返れば私の14年間なんて、あっという間だった。だが実に豊かな時間だったと思っている。
『君たちは、今までは問5の問題を解けのように、問題が提示されているものを一定の時間で解くという訓練をしてきた。だが、これからは、または社会に出てからは、問題は隠れていて、その隠れている問題を発見し、根本的な解決に向けて時間を掛けてやっていくということも大事になって行くんだな。で、これはとても大変だけど、実はとっても面白くて豊かなことなんだな』
なんてことを話していた。

さて、学生諸君にどのぐらい届いたであろうか(^^)。

2013/04/16

実に、実に面倒くさくて、大変で、面白い

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『子どもの興味関心を勉強することは大事だ』
と先週の教科教育法(国語)で話した。たとえば、今で言えばパズドラをやってみるとかである。嘗てで言えばムシキングをやってみるとかである。

ゲームセンターに行くと、子どもたちは100円玉を握りしめて、ムシキングの前に列を作っていた。小学校に入る前の子どもたちが、親から100円を貰って並ぶのである。
『それを見て私は単純に悔しかった。諸君は悔しくないか?』
と訪ねた。すると、学生たちは良くわからない顔をしている。

『あのね。君がいま授業をするとして、その授業を受けたいと小学生が100円握って教室の外に並ぶと思う?』
と話した。答えは全員がNOである。しかし、ムシキングはそうなっていた。



『子どもの興味関心を勉強することは大事だ』
と話したら、学生たちはそれを勉強することだけを考えていた。素直な学生たちはパズドラをダウンロードして、やっている。それはそれでいい。やらないよりは、全然良い。だが、誤解している。

パズドラやムシキングは、教師にとってそれをやるのが目的ではない。
子どもの文化、世界、興味を知り、そこからどうやって勉強の世界に導いて行くかが大事なのである。その為に、まずは子どもの興味を教師が勉強するのである。

教科書に載っているから勉強しなさい。
そう、これは正しい。
しかし、これで子どもたちが勉強するかといえば、それは一部の子どもたちのことである。多くの子どもたちは、
「だから、なに?」
であろう。

これだけ面白いが世の中に反乱している。その中で、勉強はしなければなりません。しなさいというだけで、子どもたちが動くとは思えない。教師が高い所にいて、こっちに来なさいという指導ではダメなのだ。教師が子どもの興味の世界の中に入って行き、そこから
『実は、こっちにも面白いものがあって、それは君の興味の世界と繋がっているんだよ』
とガイドして行く必要がある。そのために、まず子どもの興味の世界を教師は勉強するのだ。

「じゃあ、それはどんな授業なの?」
となるでしょうが、それは今書いている本に載せる予定ですので、暫く雄町を、いや、お待ちをf(^^;。



授業を作るって、実に面倒くさくて、大変で、面白い作業だと思う。
いま、教科教育法(国語)は、国語って何? 授業って何?の話をしている。
つまり、私は毎年このテーマを考え直すきっかけを得ていることになる。

実に、実に面倒くさくて、大変で、面白い。
幸せなことである。

三回生ゼミは一つのプロジェクトを前期にやることにしている

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三回生ゼミが面白くなりそうだ。

去年の三回生ゼミから、三回生ゼミは一つのプロジェクトを前期にやることにしている。去年のプロジェクトは、いま評価を待っている段階。これも楽しみ。
(今年の三回生ゼミもこの延長線上でやろうか)
と考えていたが、朝日新聞に取材を受けたことをきっかけとして、大きく動き出して、今年のプロジェクトのテーマがわき出して来て、それについて本日三回生ゼミにきちんと説明した。

私のゼミはいわゆる文科系のゼミなので、卒論は学生達が各自持ったテーマにそって執筆して行く。理科系のゼミのように、先生の研究のテーマの一部を貰ってそれを研究して行くというものではない。

ま、それはそれでいいのだが、ゼミ全体で同じテーマについて研究を進めて行くということも、折角同じゼミなのだからやらせてみたい、やってみたい。これを進めるのがゼミのプロジェクトと考えている。

今年は、大きくいうと学習環境の整備、新たなプラットフォームの提案ということになるだろうか。大学に移った時からあちこちに声をかけて挑戦して来たことだが、さまざまな壁があってうまく行かなかったものだ。これが今回は見事に繋がって形になりそうになって来た。

ここに三回生ゼミを巻き込んでプロジェクトとした。
このプロジェクトは5月の末には、β版の完成を目指している。
β版が出来上がった暁には、みなさんにご批判を頂ければと思っている。
その時は、よろしくお願いします(^^)。

2013/04/15

リカちゃん記念日

4/15


娘(5)は、前から欲しかったリカちゃん人形を、進級お祝いに買ってもらって大満足。早速着せ替えを楽しんでいる。

ところが、まさかその着替えを手伝わされることになるとは。
人生には何が待っているか分からない。

今日はリカちゃん記念日である。

久し振りの家族サービスの一日でした

4/12
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朝、トイレで人生初の緊急地震速報を受け取った。
(娘の側にはおかあさんがいるな)
と判断した私は、トイレからでないことを選択。
トイレは狭い所を柱や壁が囲んでいるので構造上は強固だ。出ない方がいい。
で、トイレで横揺れを感じて
(あ、これなら大丈夫だ)
と判断。娘も奥さんも大丈夫。
ところが、娘(5)は初めての地震に驚きつつも、次々に対応。玄関の扉を開け、自分の机の上にある落ちそうなものをおろして
「お父さん、あれ、固定してある?」
と部屋の中を確認。幼稚園の指導は凄いなあ。
元々この日は、永源寺ダムの桜を見に行こう思っていた。結果的に早く出掛けて行けた。
高速を使えば、1時間ちょっとで到着する。
着いてみたら、
(あれ?)
であった。
散っているのでもないのだが、これから満開になると言う感じでもない。
カメラに収める意欲もわかない。
そのまま、ランチをとりに店に入る。
ここは、いい。
日登美山荘。
予約をしていなかったので、1時間ほど待つことに。
それでも十分に良かった。
イワナの刺身とワンプレート。ご飯、味噌汁で1500円。
東京だったら3000円でも出てくるかどうか。
店の人に桜のことを聞いてみた。
すると、先日の嵐で花芽が散ってしまったとのことでありました。
なるほど、そういう桜でしたか。
こういう年もあるのでしょう。
日登美ワイナリーで無添加ワインと天然醗酵パン(ハードタイプ)を買って移動する。
日登美山荘に、割引券がおいてあったので、久し振りに
MIHO MUSEUMに立ち寄ってみた。
「古代ガラス ー色彩の饗宴ー」だ。
http://kyotocf.com/content/newshop/art/春季特別展・古代ガラス-色彩の饗宴--miho-museum/
ポスターに使われているスパイラルガラス。
圧巻であった。
これを現代のガラス職人が再現しているビデオや、作品も陳列されていた。
また、水晶の塊を掘り出したグラス。いまだにこの製法は解明されていないそうだ。
また、作られて2000年地中に埋蔵されていた結果、化学変化を起こして想像を超えた色になっているもの等を間近に見ることが出来た。
(うわああ。今朝の地震で壊れなくて良かった)
と思ったのは私だけではないだろう。
こういう展覧会には、音声ガイドがつきもの。500円位で貸し出ししている。これは借りないと損だと思う。勿論、自分の目で見ながらというのも大事だが、見ても分からないもの。知識が無いと見ることが出来ないものを、この音声ガイドはサポートしてくれる。
上記の水晶の塊を掘り出したグラスも、ガラスで作ったものと勘違いしやすいし、その製法についての記述は一切無い。500円は、安い。
しかも、この美術館。一つをレンタルしたら、ヘッドセットをもう一つ付けてくれた。サービス溢れるなあ。
娘は、流石に良くわからない。食べたり動いたりするのは楽しいが、ガラス細工を見てもなんだかわからないだろう。でも、本物は見せてあげたいしなあと思う。
そこで、考え出されたのが、音声ガイドのマークの付いている作品を探すという「ゲーム」ヘッドセットのマークに数字があるものを、美術館の中から探してくるというもの。
これが娘に取っての適度な課題になって、美術館が新しいダンジョンになったのであった。
帰宅してからは、なんと、映画鑑賞。「ルパン三世カリオストロの城」である。
先日たまたまyou tubeを見ていたら、なんとこの作品が上がっているのだ。娘に少し見せたらお気に入りに。ということで、見せることに。
MacBook Airで受信して、それをAppleTVで自宅の大型テレビに送る。
いいんかなあと思いながらも、いいんだろうと思ってみる。
実に幸せ。
娘も大興奮で大笑い。
良い映画だよなあ。
今ごろ、ルパンととっつぁんは、天国で仲良くやっているんだろうなあと思う。
人生初「ルパン三世カリオストロの城」を娘に見せて、一日を終える。
久し振りの家族サービスの一日でした。

2013/04/12

2013年度の池田ゼミも、始まりました。

4/12

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昨日は3、4回生ゼミで花見をした。

総勢26人。

自己紹介で一人30秒程度ということで、

名前、使っている携帯、あと何か

というフレームを提示してやらせた。

面白かった。

一人だけガラケーで、あとはスマホ。

iPhoneの方が多いのが分かった。また、今後iPhoneにしたいというのも多かった。

やっぱり、そういうのが集まるのかなあ(^^)。

あと何かという部分で、顔の話が繋がった。

「え~、顔の流れが来ているので、顔つながりで」

と言いながら学生たちが話す。

(へー、流れという言い方をするのね)

と思いながら聞く。

「このおでこを見て下さい。広いんです。冷えピタが足りません」

と男子学生が言う。男子禁断のネタである。

しかし、

「どうせ笑われるのであれば、大人数に笑われたい!」

というのだ。関西人の血が騒ぐのだそうだ。

それを受けて

「僕は逆に、冷えピタは、0.7倍の大きさのが欲しいです。おでこは狭いんです」

という学生もあり。

二人で額を交換し合いたいという話になる。

面白い。

出て来た話題を繋げながら、幼く見える顔ですとか、睨んでいるんじゃないです目が弱いだけですとか、最近老けた顔になってきましたとか、あれこれを話す学生たちを見ているのは面白い。勝手に連句をやっているようだった。

ゼミの面白さは、こういう所にあると思う。

同じテーマを自分に引き寄せてあれこれ語り合う。

そこに何かが生まれる。

それがいい。

2013年度の池田ゼミも、始まりました。

2013/04/11

今週はこのチューニングの精度をいつも以上に求められる

4/10

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本日の授業は、日本語コミュニケーションの技術1(ディベート)である。
私はディベート教育の専門家と思われているが、正確には、自分で言うのもなんだが、ディベートの入門期指導の専門だと思っている。

中学校の教員のとき、異動してはゼロからディベート指導を行っていた。その経験がこういうところに生きてくるとはその時は思わなんだ。その経験を大学院で修士論文として学術的に纏め、大学教員の道が開けるのだから、人生は面白い。

で、その入門期指導の最初の授業が今日の1限であった。
今日の受講生は34人。なぜか四回生が二人。折角京都橘大学にいるので受講したいということだそうだ。その他は一回生。適切な人数だ。

ディベートとは?
ディベートで大事なことは?

などについて90分で講じる。
私が厳しいと言うことを知らされた上で参加している一回生ということもあってか、授業は和やかに進む。ちゃんと授業が受けられるのであれば、何もこちらが必要以上に厳しくする必要は無い。通常、一回目の授業では笑いは入れないのだが、今日は一回生の授業にも関わらず、一回目から笑いを入れてしまった。

児童、生徒、学生との適切な距離を取る。
ここは、小中高大とどの校種においても大事なことだ。
特に、最初の授業で大事なことだ。

また、去年と同じにやればいいということでもない。
そこにいる学生たちの様子を見ながらその場でチューニングして行く。
その場でのいろいろなチューニング。
これは授業の醍醐味の一つだ。

今週はこのチューニングの精度をいつも以上に求められる。
ま、疲れて当然だね。
心地よい疲れだが。

2013/04/10

上賀茂神社には、娘(5)が生まれたときに植えた桜がある

4/10

Sakuara

上賀茂神社には、娘(5)が生まれたときに植えた桜があ

る。
今年も見て来た。
順調に育っている。

今年初めてその桜を娘に見せた。
照れるように笑っていた。
お前の人生と一緒に成長し、一緒に花を咲かせ、一緒に愛され、
一緒に人に幸せを与えてくれるようになったらいいなと、心から思った。

春爛漫である。

2013/04/08

始まったぞ

4/8

Dr

今日から前期の授業が始まった。
しかし、この日を迎える一週間はかなり忙しかった。

半世会を終えてからの一週間。

4/1は入学式。学科の会議、夜は学科の歓送会。
4/2は学科、新入生の全体写真撮影と授業の準備。
4/3は、全学懇談会。夜は東京からの客人との打ち合わせ。この打ち合わせが凄かった。新しい展開あり! ところが残念なことにGR4を盗まれる。
4/4は授業の準備と背割り堤の桜観賞。
4/5、6と新入生キャンプ。快晴と大荒れのキャンプ。この日に、半世会で行った連句が萬尾。感動。
4/6の夜は新幹線に飛び乗り東京に宿泊。そこで、新幹線の車掌をしている教え子に再会。Dr.イエローにも遭遇。
4/7は打ち合わせ。早く終わったので食事をしてから、湖西線の最終の一本前に間に合うように新幹線を選んで、戻ってくる。名古屋まで爆睡。寝ないようにしながらも京都まで爆睡。京都駅で止まった瞬間に目が覚めて慌てて鞄に荷物を詰め込んで飛び出して、なんとかその日の内に帰宅。

で、今日を迎えた。
今朝は、疲労で免疫が低下しているのか、夜中に気持ちが悪くなる。体中が痒くなる。そして、4時に目覚めてしまう。蕁麻疹のようだ。気分が収まるのを待って大学に出勤。なかなか劇的である。この間、娘と奥さんは東京に春の里帰りをしているので、自分で掃除洗濯皿洗いをしているのだから、なかなかであろう。

んで、本日の教科教育法(国語)の授業は、授業開きについて。
この教科教育法(国語)の授業開きをしつつ、授業開きとは何をすることなのかを説明し、実際にやってみる。今日は、以下の所まで。

授業開きを始めるにあたって、メモを取ることの意味とは?
この授業をうけるたのルール この授業で扱う内容
授業開きの実際
   小学校一年生に向けての例
   中学生に向けての例

小学校一年生に飛び込みで授業をさせてもらった時の導入の所を、私が実際に再現した。それと中学生のものとを比較させて、何がどう違っていて、何が同じなのかを考えさせた。

授業は作るもので、種も仕掛けもある。
授業では、この種と仕掛けを見せる。

もちろん、授業づくりに必要な基礎基本の考え方や、指導の技術も教える。今日は指導言(指示、説明、発問)の説明と、ごんぎつねを使って発問の具体的な提示などもした。理解しなければならないこと、身につけなければならないこと、指導できるようにならなければならないことが、たーーーーーっくさんあることを理解させた授業開きであった。

よっし、15回のうち1回が終わった。
始まったぞ。

2013/04/04

背割堤の桜

時間を作って、桜を見に行った。

京都市内ではない。京都府八幡市である。

背割堤の桜。

去年は、その終わりの頃に初めて行った。

終わりの頃であってもその見事さは凄かった。

(来年は盛りに行くぞ)

と決めて行って来た。

息を呑むのである。

船で最先端まで行く。

無風、無音。時々うぐいすの鳴き声。

そして、帰りは歩いてである。

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1.4km。

249本の染井吉野である。

染井吉野の寿命は60年程度。

あと10年は楽しめる。

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東京駅からであっても3時間30分で来られる。

これは見ておきたい桜だ。

2013/04/01

半世会

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二日間で600キロ以上の運転をし、一升瓶を飲み干し、ビールも1リットル位飲んで、温泉には合計で3時間以上は入っていたにもかかわらず、歌仙を表六句、裏の十二句は読んでしまうと言う楽しい半生会でした。

元々、私の思いつきの我侭でやることになったこの半世会。
50年を生きて来た今年、同い年の教員仲間と振り返りたいなあと思っていた訳です。半世紀を半生として、反省しようというものです。
で、FBで繋がっている仲間を中心にして、半世紀を生きて来たのだから半生会をしないか?と声をかけた所、なんだか分からないけど面白そうだからと乗って来てくれた仲間たちとやりました。

思えば遠くに来たもので、そして、これからももう少し頑張ろうという思いで集まりました。50年も生きてくれば、いや、あっという間ですが、でも50年も生 きてくれば色々なことがありました。でも、それはそのまま語り合うのではなく、違う形で振り返りたい。そこで連句会を行いました。これが大成功。

今回は、目の前で句会を開催しつつ、全員がMacBook Air11を開いてFBに書き込みをしつつ、東京にいる仲間とはFaceTimeで繋がってもらいながら参加という、なんともアナログとデジタルの融合の連句会でした。

これはかなり面白い可能性があると感じました。
それこそ、違う学校同士でも連句はできると実感しました。
また、この様子をUstreamで流したら、相当面白い連句会になるんじゃないかなあと思った次第です。

ただ、酒を飲んでわいわいがやがややりつつ、しかも、当時の歌をyou tubeで流して思わず歌ったりしてしまうなどがあるため、この形式だとカラオケボックスを会場にするのがいいかなあと思ったりもしました。

いやあ楽しかった。
あとは、歌仙を巻き終えて、解説書を書くところまで楽しみたいと思います。

さ、新学期が始まります。

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