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2013/04/26

ヴァージョンアップって、ワクワクする

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朝は5時過ぎから起きて、出来上がって来たプラットホームのβ版ver.1について確認作業を重ねる。併せて、改良点を書き出しver.2に向けてを模索し始める。昨日寝たのは1時過ぎだったらから、4時間程度しか寝ていないが、興奮していて頭がパキパキ回っている感じ。
この開発は3回生ゼミも巻き込んでいるので、私の改善に向けてのメモを、共同開発者と同時に、学生たちにもメールする。学生たちには、確認とデータ打ち込みの作業を指示し、月曜日のゼミに間に合わせるように伝える。
昨日から今日の午前中まででの時間にも関わらず、どんどん進む。
なんだか、理系のゼミのような様相を呈して来た(^^)。
ヴァージョンアップと言う思想は、いつ頃から日本に浸透したのであろうか。私が教師になった頃には、このヴァージョンアップと言う思想は、少なくとも職員室には無かったかのように思える。
職員室の提案は、
1)去年と同じです。
2)ゼロから作りました。
の二つで、1)が最も尊重されていた。2)をやるとき、必ず
「前例がない」とか、「時期尚早だ」とか、「ベテランになるまで待て」とか言われて、無かったことにしようとされてきた。私はめげずに2)でやるのだが、すると、「まだ改良の余地がある」と言われて却下しようとされてきた。
つまり、「提案するなら完璧なものを出せ」というのが根っこにあったかのように思うのだ。
私は、
(いや、やってみないと完全なものは分からないだろうに。いややったって完璧には分かるもんじゃないから、去年のものをベースにして修正するんだと思うんだけど、違うの? そもそも去年と同じですっていったって、今年は生徒は違うし、職員も違うんだから、同じわけないのになんでこれは通るの? )
と思っていた。
ところが、Wordが世に広まり、Windows95が出た辺りから様子が変わって来た感じがする。つまり、ヴァージョンアップが前提で製品が作られると言う思想が、広がって来たと感じたのだ。
「これは、完璧ではないけど、いまの段階ではこれがまあ、ベストね。んでもって、おかしな所は指摘してもらって、欲しい機能も言ってもらって、次のときに改良するけんね」
という感じでアプリケーションが提供されるに従って、完成品しか世に問うてはならないという部分が弱まって来たように感じたのだ。
勿論、子どもたち全体を動かす企画などは、時程の設定等に間違いが合ってはならないし、栞に記載する緊急連絡先の電話番号も間違えてはならない。だけども、企画自体を完成度が低いからダメだというようなことは、寧ろあってはならないのではないかと私は考えていた。
『本当におかしいなら直します。そのおかしいと言う意見を下さい。私自身も見直します。おかしかったら直します。ヴァージョンアップします』
教育の世界は、なんとなく「免許皆伝」の認定を受けたものだけが企画するものでもないし、最初から完璧なものを出さなければならないと言うものでもないはずだ。目の前の子どもの実態、設定した目標、教師、教師集団の指導力に合わせて、ヴァージョンアップして行くものだと考えている。
このヴァージョンアップは、本来は中央教育審議会が言っているからとか、学習指導要領が改訂されたからとかいうことでされることではないと思っている。日々の現場の実践の中で省察を通して行われることが主でありたい。
ヴァージョンアップって、ワクワクする。

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