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2013/05/31

子どものを理解する為の「扉」と「鍵」

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(長文注意。ま、いつものことですがf(^^;)

今日の二回生ゼミは、下記の小学校一年生の子どもの書いた詩を読解した。
発表者は三番手。三人でこの詩を読み込んで、ゼミ生相手に読解の授業に挑戦であった。



ともだちってすごい 
          一馬

1. きょう ともだちから でんわがあった
2. 「しゅくだいしてから いくし まっててや」
3. とゆわはった。
4. 「ふん。」
5. とゆった。
6. ともだちって すごいなあ。
7. ぼくはダメダメ、
8. ぼくはぜったいダメダメです。
9. ぼくは
10. おかあさんがしゅくだいしいやとゆったけど
11. ぼくは しなかった。
12. ともだちはえらいねえ、
13. ぼくも がんばろっと。
14. おかあさんが
15. 「ぜったいダメな人間なんていない。」
16. とゆった。
17. ぼくもがんばる。



目的は、「この詩を通し、一馬くんの変化や成長を意識し考えるように指示する」である。勿論、これは授業の後に指導。「この詩を通し、一馬くんの変化や成長を理解し、説明できるようになる」に変更。そうでなければ、授業が成功したのかどうなのかが判断できない。

発表者たちの最初の発問は、4.行目にある「ふん」である。

「一馬くんの「ふん」と言う言葉の裏について、そのままの位置でまずは自分の意見を考える」その後グループディスカッションへとというものであった。ここでいう「裏」とは、真意のことであろう。ファシリテーションの本を紹介してあげたのだが、自分たちで買って勉強をして挑戦していた。それはよし。

だが、発問の後、ゼミ生の発表を聞き取りながら説明するその言葉が、自分の考えの巧妙な押しつけであり、本文そのものに根拠を求めた言い方ではなかった。私はそこでストップを掛けて、

『で、本文のどこにその根拠があるの? 言ってないでしょ? 敢えて言えば、根拠は私でしょ。それだったら、子どもが、「ぼくはこう思う」と言われたら、どっちも根拠が本文に求められていないと言うことで、同一の次元になってしまう。そう言うとき、多くの先生は「ま、◯◯くんの考えもいいと思うけど、これは先生の考えが良くない?」と他のクラスの子どもたちに同意を求めて、根拠なしのままで先生の意見を押し付けるという授業になってしまいがちなのだよ。本文に根拠を求めよ』

何回もこれを言う。

『私が授業者なら、この「ふん」は次の4つのうちのどれでしょうか? 1)怒り 2)驚き 3)ねたみ 4)尊敬として、選ばせたな。先ほどの君たちの発問は、どうでしょうか?というもので、これはオープンエンドと言う質問の仕方。簡単に言えばどうでも答えられてしまう。私のはクローズドエンド。ま、ハイとイイエで答えられるもの、答えが限定されるものだ。こうすると、議論がしやすくなるでしょ』

と解説を加える。



発表者による二つ目の発問は「13.「がんばろっと」が、17.「がんばる」の気持ちの変化について、自分の意見を考える」であった。これも発問になっていないf(^^;。「なぜ、このように変化したのか?」とすべきであると指摘。また、発表者が考えたこたえは、ややどうなのよ?というものであった。

でもまあ、いい所に目がいき始めている。
ファシリテートを意識しているので、一時一事の原則が守られている。その結果、ゼミでの議論も活発になり、発表者の解釈に対して、異論が唱えられるなど面白くなってきた。



全部が終わって残りの13分で私の解説の時間となる。
私の最初の発問は、
『この詩が連絡帳に書いてありました。あなたは担任の先生です。赤ペンでコメントをします。さて、なんて書きますか?』
である。学生たちに書かせて、私ならこう書くという例を示す。私なら、

『いいところがみっつあるね。いいともだちだね。いいおかあさんだね。がんばるってきめた一馬くんもいいね、だ。さて、ではどうしてそういえるのか。この詩の中に入って行く。私の読みがおかしければ、質問や反論は多いに受け付ける。ただ、10分しかないので、時間切れになったら、掲示板に書くこと。いくぞ』

と言って始める。

『この詩に描かれている一馬君の真意、つまり「裏」に入って行くのに「ふん」というところに着目したのは、いい。では、君たちは1)怒り 2)驚き 3)ねたみ 4)尊敬のうちのどれだと思うか? (全員に手を挙げさせる)。私は4)があると読んだ。なぜか?』
「3.にゆわはったとあります」
『そうだ。これは尊敬の表現では?』
「でも先生、京都では普通にいいませんか?」
『それもある。しかし、saidの意味で使われている言葉をこの詩の中に見ると、5.ゆった 10.ゆった 16.ゆったとあり、ゆわはったは他には無い。だとすれば、ここは尊敬の意味を込めて行っていると考えることが出来るだろう』
「なるほど」

『その作品の中に入って行くには、その作品の中に入って行く扉を見つけ、その扉を開ける鍵を手に入れることが大事だ』
「……」
『この作品はその扉と鍵がはっきりと書かれている作品である。分かるか?』
「……」
『扉は、何回も繰り返される言葉であることが多い。また、鍵はその繰り返される言葉で一部分が違っている言葉であることが多い。今の例でもそうだ。ゆったが繰り返されているが、ゆわはっただけ違っている。ゆったが扉で、ゆわはったが鍵だ』

『さ、そうだとしたら、他にある扉と、鍵はなんだ? 捜せ』
と指示を出す。
もちろん、ぼくが扉で、ぼくは、と、ぼくも の違い鍵として読むのである。
また、7.ダメダメ 8.ダメダメですを扉として、15.の「ダメな人間なんていない」を鍵として読むのである。

12.でともだちはえらいねえ、と思えたから、13.でぼく「も」がんばろっと。となれた。そして、15.でおかあさんから「ダメな人間なんていない」言われたことで、ダメダメのぼくは、17.で「ぼくも がんばる」と決意できたと読める』

と私の分析を紹介した。
『そう読んだので、「いいところがみっつあるね。いいともだちだね。いいおかあさんだね。がんばるってきめた一馬くんもいいね」とコメントするだろうと言ったのだ』



子どものを理解する為の「扉」と「鍵」。
二回生ゼミは、子どもの詩を使ってこの「扉」と「鍵」を発見するレッスンを行っている。
勿論、話し言葉、身振り、癖、服装、表情などさまざまなところに、この「扉」と「鍵」があり、それを見つけ出し、使えるようになることが大事になってくる。

その為にフィールドワークを行い、経験を積むのだし、
こうしてレッスンを行うのである。
身につけなければならないことは、たっっっくさんある。
勉強しましょう。

◆ 

因に、扉と言うメタファは、私の恩師竹内常一先生がおっしゃっているものです。鍵というのは、そこから発展させ、ドラクエのテイストを入れた池田のメタファです。できれば「アバカム」の呪文を手に入れたいものです(^^)。

2013/05/29

やるでしょ。万葉人(^^)

5/28

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本日は、オムニバス授業。「多文化の理解と言語」という人間発達学部の三回生全員が受ける授業。私の担当は「日本語の魅力」。これを90分で講じるのだから大変。

授業の構成は、

話し言葉の特色、書き言葉の特色、日本語としての特色。この三つに分けて具体例、問題演習を交えながらの授業であった。

例えば、話し言葉の特色では、オノマトペを取り上げた。
『うんこ、うんち、うんにょでは、どれが一番固い?』
と下品ではあるが分かりやすい質問。
183人の学生のうち99%がうんこが一番固いと答える。
『では、うんちとうんにょでは?』
と聞くと、うんちが99%柔らかいという。
『なるほど。では、その理由を説明できる人? 隣近所で話してごらん。1分待つから』
と指示。
これは発言はでにくい。
まー、これは難しいよねえ。

『じゃあ次の問題。うとうとと、うつらうつらの違いを述べよ』
同じように話し合わせたら、今度は手が上がった。
『を、どう違うんだ?』
「はい。うとうとは左右に揺れて、うつらうつらは前後に揺れます」
教室爆笑(^^)。
『ま、違いを表現しようとする挑戦は良し。拍手!』
という感じで進む。

書き言葉では、表意文字を使っていることの凄さや、漢字にいろいろな読み方があることの面倒臭さと魅力について気がつかせたかった。

『太郎って書いて、なんて読む?』
「たろう」
『だよね。普通は。だけど、これはじろうと読んでも、いいのだよ。命名的にはもんだいない。ま、読みにくいけどね。天使と書いて、アンジュとかね。なんでこんなことが起るのだろうねえ』
「......」
『本気って書いて、なんて読む?』
「マジ」
『そう。そう読むマンガとかあるよね。これはok?』
「ok」
『じゃあ、これはなんて読む。恋水。どうぞ話し合って』
「ガヤガヤガヤガヤガヤ.....」
『これは、今から約1500年前に作られた我が国最古の歌集、万葉集にあるんだよ』
「ガヤガヤガヤガヤガヤ.....」
『そう。そこのあなたが言った言葉です。なみだって読むんだね』
「ええええええ!」
『やるでしょ。万葉人(^^)』
『だから、本気でマジも、太郎でじろうも、まあ、万葉集の流れを汲んでいるといえばいえるのかねえ。あ、でも、太郎はたろうがいいけどね』

ってな感じで進める。

日本語の魅力というが、私は
(ああ、日本語って面白いんだなあ)
と思ってほしい。
人間発達学部の卒業生は、教育に仕事を得るものが多い。また、外国人と触れる仕事に就くものも多い。だから、子どもたちには日本語の面白さを語れる教師になってほしいし、日本語の類義語、オノマトペにある微妙な違いをしっかりと説明できるスピーカーになってほしいと思うのです。

90分があっという間の授業。
もっともっと話してやりたいというとこで、今年もおしまい。

参考図書
『クイズ にほん語の大冒険〈1〉文字』(池田修監修 教育画劇)
『クイズ にほん語の大冒険〈2〉言葉』(池田修監修 教育画劇)
『クイズ にほん語の大冒険〈3〉表現』(池田修監修 教育画劇)

http://www.amazon.co.jp/クイズ-にほん語の大冒険〈1〉文字-池田-修/dp/4774610410

http://www.amazon.co.jp/クイズ-にほん語の大冒険〈2〉言葉-池田-修/dp/4774610429

http://www.amazon.co.jp/クイズ-にほん語の大冒険〈3〉表現-池田-修/dp/4774610437

2013/05/27

ダガ、国語の授業だ

5/27


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ゼミは、6/1のゲームのβ版公開に向けての準備と確認の作業を進める。β版の完成が5/30ということなので、テストの時間が二日間となったが、それを見据えてスケジュールの調整をした。なんだか、理科系の研究室のようだ(^^)。

授業の方は、学習ゲーム。たほいやを反転授業で行う。また他の学習ゲームも紹介。私が考えている「国語科を実技教科にしたい」という思いの中心の一つになる学習ゲームだ。

「うあああ」
「やられた」
「やった」
「うそ〜〜〜」
「でへへへ」

まるで国語の授業場面ではない(^^)。
ダガ、国語の授業だ。
面白く国語の授業に生徒がのめり込んでいく仕掛けを用意するのが、教師の仕事。

授業が終わってから、学生たちがまだ授業の続きの話を続けている。
授業が授業の中ではおわれないで、まだまだ彼ら同士でその話を続けている。
授業の余韻を楽しんでいるようだ。

その姿を見るのが私の喜びだ(^^)。

2013/05/26

ちょっと前なら図鑑に載っていた写真

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自分でいうのものなんだが、これ、ちょっと前なら図鑑に載っていた写真じゃないかと思うのだ。

蜜を吸うのに熱中していたのもあるが、28mmでギリギリまで近づいて撮影。F 2.8で、接写。トリミングなし。加工なし。そのままパシャリとした三枚です。
新型GR。
素晴らしい。

2013/05/25

GRが来た

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GRが来た。
届いたというより、来たである。

早速撮影した。

思い起こせば。
4月3日である。京都の木屋町の某ラーメン屋で「盗まれ」てしま

ってから私のGR4の生活は無くなっていた。状況からしてどう考えても盗まれたとしか思えないのだが、まさかそこにいるお客さんたちに鞄の中を見せて下さいとは言えず、残念ながら涙をのんだ。

(ああ、デジカメにシリアル番号に応じたパスワードの設定が出来ればなあ)
と思ったものだ。盗んだって使えなければ意味が無い。そんなに難しい設定ではないと思うのだがどうだろうか。

で、この日は私にとってとても意味のある日で、新しい出会いがあり幸せな時間を過ごしていただけにショックは大きかった。出端を挫かれた感じがしてしまったのだ。



家に帰ってすぐにネットで調べた。GR4の中古の価格は? 新品の価格は?と。
毎年10月に新型が出る感じだったので、GR5が出るとすれば10月。それまでは流石に待てない。中古と新型の値段がほぼ同じなので、もう一台GR4を買うことになるかなあと思っていたのだ。

ところが、なんと夏前に新型が出ると言う噂が流れて来た
じぇじぇじぇじぇ!
なんてこったい。
調べてみると確かにそう。
そして、直ぐにネットで予約をしたのであった。



発売日に届く。
昨日、発送したというメールが届いていた。
だから、届くでいいのだろうが、私としては、いわゆる
キタ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
である。

早速取り出して簡単に設定して、試写に出掛ける。



良ーく分かった。なんで、これがGR5ではないのかが。
これ、別物です。
掌の中に一眼レフが収まりました。
なんてこったです。

見たままの色を再現するレンズ、ボケの美しさ、ダイナミックレンジの広さ、反応の早さ。
素晴らしすぎます。値下がりするまで待つなんてせずに、直ぐに手に入れて良かった。

禍福は糾える縄の如し。
災い転じて福となす。
転んでも只では起きない。

他に何かあったかな。
ま、いい。
素晴らしいパートナーがやって来ました。

2013/05/24

『坪内稔典の俳句の授業』(坪内稔典 黎明書房)読了

5/24

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『坪内稔典の俳句の授業』(坪内稔典 黎明書房)読了。
いやあ、面白い。

坪内稔典といえば、例の

三月の甘納豆のうふふふふ

である。また、

たんぽぽのぽぽの

あたりが火事ですよ

であり、

水中の河馬が燃えます牡丹雪

の俳人である。
ちょっと見には何がなんだか分からない俳句である(^^)。
しかし、これが実に面白い。

俳句は創作であり、作者の感動を表すものではないということを中心に述べている。ご案内のように、俳句は連句から独立させたものである。にも関わらず、俳句は句会にその楽しみの極みを見いだす。

俳句が個人のもの、または個人の感動を表すものになったのは、正岡子規と近代という時代が要求したものだと言う。自立した個人が必要だった時代に、集団の言葉遊びの世界から切り離されたのだと論じる。この辺りのことを実際に子どもたちに授業をした記録、また授業を下敷きにした架空の授業の形式を通して論じて行く。

兎に角第一章と、第二章だけでも読むといい。
俳句の授業に幅が出る。句会をやりたくなるだろう。

この『こんな時どう言い返す』のレッスンは本当に大事だなあと思う。

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四回生ゼミ。
卒論目次案指導。3巡目の二回目。
細かいミスは随分と減った。
が、根っこの部分を上手く言語化できないでいる学生も。

『あなたの問いは何です

か?』
『その問いはどのような先行研究によって見いだされましたか?』
『その問いに関するあなたの仮説はなに?』
『その仮説を証明する為の研究の方法はなに?』
『その仮説が証明されたとして、この研究の価値はなに?』

この辺りを確認して行くのだが、うまく言葉にならない学生もいる。
レポートは上手い。
だが、そもそもの問いが出てこない。

いや、私が目次案を読めば問いは見える。
しかし、自分が問いを自覚していなければ、目次案を構成し直すことはできない。
だから、ヒントはいうものの私に見えているその学生の問いは言わない。

優しさのつもりだ。



二回生ゼミ
先週に引き続いて、フィールドワークで困っていることについてゼミで意見を交換する。

その前に、先週課題としてみるように指定していた"Did you know"
http://www.youtube.com/watch?v=kj9pR_b3u4E
について私のコメントを話す。
彼らの感想は、基本的に反省ばかり。曰く、パソコンが嫌いとか言ってられない。情報に振り回されないようにしなければならないなどばかり。悲しい。何人か「情報を振り回す子どもを育てたい」とか「世の中を改良するプログラムを組める子どもを育てたい」のようなものが出てこない。

念のために彼らのパソコンスキルを確認してみると、これがかなり残念な結果ということが分かる。なんとかせねばと思う。

で、フィールドワークで困っていること。
小学生に卑猥な言葉を投げかけられる。質問をされるというもの。これにどう対応したら良いのかということについてレッスン。

勿論、これは『こんな時どう言い返す』の流れである。
卑猥なことにどう言い返すかの前に、定番である
「先生、なんで先生は職員室でケーキを食べてるの? 私も食べたい」
という子どもの質問にどう言い返すのかということをケーススタディにして理論的なことを教える。

その後、その理論に従って実際にやってみる。
最後は、
「ふん、子どもも生んだことが無いのに」
という言葉を若い女の先生が、母親から投げかけられたらどうするかというケーススタディも。
勿論、男子学生はぼーっと見ているだけではなく、
『というように同僚の若い女の先生が、口撃を受けていたらどうフォローするか?』
というケーススタディもやらせる。

学生達にやらせて、私だったらどう言い返すかについても例を示す。
ちなみに、私が同僚の男性教諭だったら、
『あのー、お母さん。私も生んだことは無いんですが、お陰さまで立派に教師をやっております、と答えるな』
と学生達に話す。
「あ、そんなことを言われたら惚れてしまう」
と女子学生(^^)。

この『こんな時どう言い返す』のレッスンは本当に大事だなあと思う。

2013/05/21

板書指導。漢字指導。

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2限。三回生ゼミ。
開発中の作品についての指示。

なぜ、細部にこだわるのかということについて話し、確認。
その後、実際に動かして
みてバグをチェック。
6/1の教材教具祭りにきちんと間に合わるスケージュールの確認。



3限。教科教育法(国)
漢字指導について。

漢字指導の実態を確認する所から始まる。学生達に確認すると、99%「書け!」という指導。それもほとんどが、「10回書け」という指導だということが確認される。

私は学生に問う。
『では、その10回書けという指導の根拠は何?』
と。答えるものはいない。私は生徒の時に教師にこのことを質問したことがある。答えは
「いいから、書きなさい」
であった。漢字指導を聞いているのに、生意気な子どもだと思われて、生徒指導をされてしまった。私は(あ、この先生はダメだ)と思うようになった。中2の時である。

因に、私は中学生の時は13回書くと、漢字は覚えていた。
高校生の時は7、8回で、大学受験の時は5回。教員採用試験の時は見ればだいたい覚えられていた。このように人それぞれ覚える回数というものがある。そして、それは成長とともに変わる。「いいから10回書け」というのは、指導ではない。単なる命令だ。

その後、『教師になるということ』にあるN君の話を中心に、いいから10回書けではない指導の在り方について、実際にやってみる。私は学校教育現場に19年間居たが、その19年で辿り着いた漢字の指導方法を60分で伝えた。自分でいうのもなんだが、お得な授業であるf(^^;。



4限。国語科教育法1。
板書指導。漢字指導。

板書の字がなかなか上手くならない。それは、運筆と結構の両方ともができないとダメだからという話をする。運筆とは筆記用具の動かし方だ。腕を前に出して文字を書くという動作は、通常しない。するのは、教師と左官と画家ぐらいなものだ。だから、そのための筋肉が鍛えられていない。練習で付けるしか無い。

一方結構の法は、理解が先に必要である。結構とは、簡単に言えば文字のバランスのことである。これは、明の時代に李淳という人が84通りに分類してある。例えばこの字は上を揃えますよとか(ex,明)、この字は上は揃えないで下を揃えますよとか(ex,朝 月の上に少し空間を作り、下は揃える)があるのだ。これを理解すれば、きちんと書ける。因に、これは5/25の明日の教室でやるところでもあります。
http://kokucheese.com/event/index/87510/

漢字指導で、N君が最初の国語の授業で漢字テストをやろうとしたら、突然立ち上がって、廊下に出て壁を叩きながら「騙された!」と言いながらどこかに走り去って行った話をした。
そして、

『こういう時どうする?』
と聞いてみた。学生達はよく分からない感じである。
『正解はね、学級委員か誰かを職員室に派遣し、N君が授業中飛び出してしまったので、捜して下さいと池田先生が言っていますと言って来てね、と指示を出すことなのだよ』
「.......」
『先生が捜しに行った方が良いと思う? 金八先生みたいに(^^)? おそらく若い先生はそうしてしまうだろうね。だけどそれはダメ。いや、N君を見捨てるということではないんだな。授業を受けようとしている生徒を大事にすることなのだよ』
『もし、仮に先生が直接Nくんを捜しに行ったらどうなると思う? 授業は中断だよね。すると、生徒の中には(あ、そうなんだ。授業中飛び出せば、この先生は授業をしないんだ)と理解して、交代で飛び出すようになるでしょう。だから、ダメ』
『N君は、捜してもらい、後から指導する。授業は授業。学習しようとする集団を無視してはダメなのだよ。ここを過つと簡単にその授業は崩壊するよ』

と話す。
中学の場合、授業の運営は、生徒指導と一体化していることが多い。授業の中で生徒指導をすると言っても良い。こう言う部分を教えることは、実はとても大事だと思うのだ。



あー、疲れた。
今日はなぜか足首がパンパンに張っている。

2013/05/17

上條さんによる、たほいやの再評価

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「たほいや」を上條晴夫さんに、再評価して頂きました。

嬉しいこってす。

フィールドワーク先での児童に対する呼称はどうあるべきか?

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二限、卒論ゼミ。目次案指導3巡目スタート。ゼミでの議論が私が指導すべき点だと考える所を、ゼミ生同士でやりあえるようになってきた。嬉しい。私は別の観点や、さらに鳥瞰的な視点で話すことができる。

三巡目が終わったら、一旦四回生ゼミは休講。採用試験モードに入る。
三限、二回生ゼミ。
フィールドワークの一回目の報告。A4一枚程度に纏めて来た報告を、書き込み回覧方式で回覧する。その後、取り上げたいテーマを確認し、議論を行う。
今日取り上げたいとなったテーマは、フィールドワーク先での児童に対する呼称はどうあるべきか?というもの。これは何気なく見えて結構重要なテーマ。
1) フルネーム
2) フルネーム(くん、さん、ちゃn)
3) 苗字
4) 苗字(くん、さん、ちゃn)
5) 名前
6) 名前(くん、さん、ちゃn)
7) あだな
8)ニックネーム
先ず、このうちのどれで呼んでいるのかの確認を行う。
次に、なぜその呼称で呼んでいるのか、その理由を考える。
最後に、4月の段階で、フィールドワークに行く大学生が使うのに適しているのはなにか。
また、やってはいけないことはなにかなどについて議論を進める。
児童を指導する時に考えなければならない、距離感の問題である。
来週も、今週やりきれなかった課題について議論を進める。

2013/05/14

関西授業づくり研究会だん

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関西授業づくり研究会だん。
母の日。東京にいる母親に感謝をしつつ参加。
参加して良かった。

いやあ、Google執行役員の藤井さんの話は凄かった。
これ、そ
のまま本にして欲しい。
そして、毎年ヴァージョンアップして欲しいと思う内容でした。
詳しくは、Twitterの #kjk09 にありますので、見て下さい。

社会の急激な変化に対して、教育は効果があるのか、それとはっきりと無力と宣言した方が良いのか、その辺りのことを突きつけられ、考える内容であった。私の答えは、効果があるというものだ。しかし、そのための条件整備などは、はっきり言って日本は全く不十分であることも改めて分かった。

私に、私たちに何が出来るのか。

そのことを考えた。
そして、私は一つの答えを用意できそうだと思った。
開発しているものが答えの一つになるのではないかと思った。
このことに自分でも震えていた。



懇親会で、その開発中のベータ版の一歩手前のものを数人の仲間に見てもらった。
感想は
「これはすごい!」
であった。
専門家の目から見てもそういう意見が出るというのは、実に嬉しい。
さらに、これをサポートしてくれる人が見つかったのも嬉しい。

アンテナは高くあげる。
そして、行動する。
これが、当たり前だけど、大事なのだと思う。
藻掻いて藻掻いて、そして藻掻いて。
潮の流れを見極めて、進む。

潮目が変わるのに、20年掛かったが、変わったことを喜び漕ぎ出でよう。



さらに、私のことだけでなく、嬉しい話も聞いた。
まだ話せないが、そういうことになったのね、という話を聞かせてもらった。
前から気になってはいたけど、どうなったかな?
と思っていたら、ご本人から報告をしてもらった。

『ほえー、そりゃあ、すごい。ええ、私で良ければ勿論協力しますよ』

と。
キャリア形成って良く言うけれど、少なくとも私の周りにいる人で計画的にキャリア形成をしてその通りになっている人は、いまの40歳よりも下の人には、ほとんどいないんじゃないかなあと思う。

なんというか、リスクをとってやっている人はいる。だけど、計画通りの人は殆どいないと思う。寧ろ、こんなはずじゃなかったというものが襲ってくる中でそれに振り回されつつ、最後は振り回して、次のキャリアに行くという人の方が圧倒的に多いような気がする。

修業の時代というか、振り回される時代というか、仕事人としての自分が作られる時代というか。そういうのが5年とか10年とかあって、その後花開く人が私の周りにはたくさんいる。今日の彼もそうだと思う。その彼からの協力依頼。これは嬉しい。そして、出来る限りのことはしようとおもう。



大阪の地下鉄に乗る前に、やっと母親に電話をすることが出来た。

『いやあ、遅くなってごめん。母の日おめでとう、というかありがとう』
「ありがと。修、どこにいるの?」
『ん、大阪だけど』
「土曜日、東京にいたんでしょ」
『あ、居たよ』
「忙しいねえ。体、大丈夫?」
『あ、まあ、大丈夫だよ』

こんなエキサイティングな人生をプレゼントしてくれたのは、お母さんではありませんか。
ありがとうございます。

2013/05/09

子どもの抱えている「問題」がある

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学生たちの卒論指導をしていて、気になることがある。
それは、先行研究をして問題を発見して、その問題を解決するというストーリーを作るのだが、それだけに固執している感じがある。私の指導が悪いのかなあ。

問題点がある。これはこう解決すべきだ。

というストーリーは、まあいいだろう。
しかし、もう一つのストーリーを描けない。
つまり、

問題点がある。いや、これは問題点ではない。特徴である。この特徴を生かすことが大事だ。

というストーリーだ。



三者面談で親に相談されたことがある。
「先生、うちの子どもは落ち着かないんです。どうしたらいいでしょうか?」
と。
『落ち着かせる為には、〜』
と話すことも大事かもしれないが、これはむなしくないか。
そういう子どもは落ち着かないものだ。
そうだとすれば、
『落ち着いたらやれないことをやらせてみませんか?』
とターンすることを考えることも必要だと思うのだ。



子どもの抱えている「問題」がある。
よく見れば、それは問題ではなく、その子どもの特徴だという可能性もある。
そうだとすれば、その特徴を生かす指導を考える。

その仕事をするのが教師じゃないかのかなあ。

『先生は、どうしてそのドアノブを見つけられるのですか?』

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2限。

4回生ゼミ。
卒論目次案指導。二回目のその3。
全員が春合宿の目次案と違うものを提出して来た。テーマそのものを大きく変えたのが一人。後の二人は、テー
マを絞って来た。

私は論文執筆は、ラリーレースのようなものだと思っている。目的地に向けて、安全で快適な道を進む。制限時間内にゴールするである。しかし、この安全で快適な道を時間通りに進むのは、一人では厳しい。そこで、ゼミの仲間と意見を交わし合い、指導教官のアドヴァイスを受けるのだと考えている。

言ってみれば、私はドライバーの学生の運転するラリーカーの助手席に座るナビゲーターのようなものだ。しょっちゅう乗っているわけではないが、彼らにその卒論指導の旅の途中で様々な場所に連れて行き、いい景色を見せ、時にはマディな場所からの脱出に挑戦させということをさせながら執筆の力を付ける、そんなナビゲーターだ。

私が答えを持っているわけではない。私は彼らが目指したい方向に向かってナビをする。そのための、卒論指導の時間がいまのゼミの時間だ。



3限。

2回生ゼミ。
子どもの詩の読解。今日の発表者は揺れる指導言が多くて、私は頭が混乱してしまった。授業を受けている学生達は、その指導言を深読み、先回り読みして真意を探り出し、授業として成立させようとしている。

(ああ、この学生達はやっぱり学校適応過剰な面があるな)
と思ったのだ。大学で教師を目指そうという学生達は、基本的にまじめである。そして、先生の言うことを素直に聞こうとする学生達である。だから、こういう授業でも成立してしまう。

しかし、実際の現場はそんなことはない。
いまの指導言のどこがどのようにおかしいのかを解説することになる。

詩の読解である。
子どもの書いた詩を元にして、子どもが表現しているものと、表出しているものの差を読み取り、子どもの真意に辿り着く。そのレッスンをしているのだが、これがなかなか難しい。

子どもの表現した作品には、子どもの真意に辿り着く為の扉が隠れている。それは表出してしまった部分である。つまり、真意に辿り着く扉のノブの部分が、表出した部分である。

この表出した部分は、実はなんでも無い形でそこに現れている。それがドアノブだと気がつけるようになるには、実は相当のレッスンが必要になる。私も学生時代になかなか読めなかった。しかし、恩師竹内常一先生は、そのドアノブをいとも簡単に見つけ
「ほら、ここにある。これを開けてみよう」
という感じでそのドアを開き、その向こうの世界を見せてくれた。愕然としたものだ。

『先生は、どうしてそのドアノブを見つけられるのですか?』
卒業して教師になってしばらくして、先生に伺うチャンスがあった。先生は
「ん、みんなで何回も読んだからだな」
と素っ気なく。そして、
「本当だ。それだけだ」
と話されていた。

今は、それが本当のことだと分かる。みんなで何回も読む。テキストリーディングは、これが大事。仕事のためには速読も大事だが、じっくり読む経験をしておくことも大事。

じっくりと、60分かけて一つの詩を読む授業が続く。

私は一番勝った人がジャッジと決めている

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ディベートの試合では、三人一組のグループを作って肯定側、否定側、ジャッジの役割を分担して行うことになる。じゃん拳で決めることが多い。その時、どの順番で決めるか? 私は一番勝った人がジャッジと決めている。理由は特に初心者の場合、ジャッジが難しいからである。

一番難しいものを、じゃん拳で勝った人がやる。これは小さなことだが、私が大事にしてきたことだ。掃除の分担を決める時も、給食の分担を決める時も、係を決める時も、じゃん拳で決めるとなったら、勝った人が一番大変なのをやるである。

なぜか。
勝った人は強い。
強いと言うことは、力があると言うこと。
力がある人は、その力をうことができる。きちんと使うべきである。
きちんと使うということは、自分のこと以外に使うということである。
それが出来たとき、その人は本当に力があると私は考えている。

力を自分のためだけに使うのは、エゴになる可能性がある。

また、勝った人が自分の都合のいいものを選び、負けた人に押し付けるということを繰り返えすことは、力のある人は、嫌なことを他人に押し付けても良いという雰囲気を醸し出すことになると考えている。

些細なことだ。
だが、こういう些細なことを大事にすることが、集団を作って行く為には大事なことだと考えている。

2013/05/07

昼前から琵琶湖の畔でリラックスTime

5/6

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昨日の名古屋往復の間に読み終えようと思っていた本が読み終えられず、今朝は4時半に起きて6時前に読み終える。

それから、風呂に入りながら新しい本に取りかかる。

これがまた良い本。100pちょっとの本なのだが、1ページを堪能するのに時間のかかること、かかること。山を登りながらというか、雪道をラッセルしながらと言うか、そんな感じで読み進める。

昼前から琵琶湖の畔でリラックスTime。
本を読みながら、時間を過ごす。

時々、目をつむる。寝る。アイディアが浮かぶ。本に書き込む。目をつむる。琵琶湖の日差しを感じ、風を感じ、波の音を感じ、気がついたら4時間であった。

気がついたら、体中真っ赤。
ああ、今年もやってしまった。つい、心地よくて日焼けのことを忘れてしまうんだよね。夏は始まっているんだよな。

だけど、本当にリラックスできたし、
研究の本丸が見えて来たし、
実に良い時間でした。

朝から名古屋に出向き、NADE東海支部の入門講座、観戦講座

5/6

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昨日は朝から名古屋に出向き、NADE東海支部の入門講座、観戦講座の講師をして来た。
入門講座には100人が集まり、108人収容の教室はもう満員というより、まんぱん。頑張りました。

午前中が3時間の入門講座。
ディベートの基礎理論の説明と、シナリオ方式のディベートでの体験。さらにその解説と盛りだくさん。東海を強くしてどうする、オレ?と思いながらも、そこは全国教室ディベート連盟の理事。全国のレベルアップを考えてガンガンやる。

午後は、高校の試合を観戦し、その試合の解説を行いながらの講座。試合後さらに質問を受け付けて答える形で進める。

んでもって、閉会式で挨拶をと言われたので、手短に挨拶。手短だが、言いたいことはきちんと伝えて来た。私は連盟の議論の文化を日本に広げると言うミッションは大事にしつつ、と同時にこのディベートを通して彼ら彼女らが人間的な成長を遂げてくれることを切に願っている。そのことをきちんと伝えて来た。



流石に疲れた一日だった。
東海支部のメンバーと中華料理屋さんで軽く食事をして、新幹線で帰宅。
たった40分の新幹線だったが、軽く熟睡。
そして、京都駅で下車。

湖西線の乗り継ぎがいいので、気持ちよく歩いてたら、ガーン。
お土産を新幹線に忘れて来てしまった。
慌てて確認をしたが、出てこない。
掃除の後にもう一度確認ということなので、それを待ちましょう。



疲れてはやっぱりミスが出るね。
ま、でも、充実した一日でした。

2013/05/04

プリキュアショーだん

5/4


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プリキュアショーだん。まあ、一回位は連れて行ってやろうと思って京都駅まで行った。
いろいろなことが分かる。

近所の子供達の話し方、変な動きは、全部この真似だったのか。
京都駅の大階段の天井が変な形で区切れているのは、ステージにスポットライトの効果を出すためか。
日本人は律儀だということ。

でも、一番気になったのは、暴力シーンがほぼ全編を貫いていたということ。歌と踊りと暴力。2:2:4ぐらいの比率に思えた。

ステージという性格上、大きな動きが必要なのだろうが、この影響は結構あるのではないかと思う。

確かに悪を倒すというストーリーではある。が、だからこそ暴力を使わないで悪を倒すというストーリーでやって欲しいなあ。

娘⑸は、予想と違ったのか、ぼーっと見ていた。
何だか嬉しかった。

2013/05/03

ゼミ三昧の一日であった

5/2

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2限、4回生ゼミ。
卒論のテーマについて検討を重ねつつ、目次案指導。先行研究からテーマの中にある問題点を見つけ出そうとしている。が、時には過去の実践の具体例を並べただけのものもある。レポートとしてはいいものになるが、論文としては足りない。問いがない。具体例を比較検討して、その中の共通項やユニークネスを見つける。また、一定の条件の中で新たに比較する等の切り口が、論文の問いになるのではないかと指導。

物差しと、その妥当性と信頼性乃話も繰り返ししている。
例えば、学級担任と児童の相互信頼関係をテーマにして卒論を書きたいという学生が居る。大きなテーマだが、絞れば掛けると思う。ただ、
『相互信頼関係が成立しているかどうかを測る「ものさし」は何?』
と聞くと、答えに詰まる。ドラえもんのポケットを捜して
「相互信頼関係測定そーちー!」
と出してもらえればいいのだが、そんなもの流石に無い。

無ければ作らなければならない。
その時に、その相互信頼関係測定装置は、本当に測れるのかが証明されていなければならない。それは妥当性と信頼性の二つの規準が満たされなければならない。ということを話す。http://www.u-gakugei.ac.jp/~kishilab/validity-reliability.htm

大変だが、ここを考えなければならないのである。



3限、2回生ゼミ。
子どもの詩の読解。
チューターを決めて、90分のうち60分を与えて、発表させる。今日の詩は小学校1位年生の書いた10行の詩。
これを60分間かけて発表し、議論を組み立て、討論を展開させるファシリテートをしなければならない。結構大変なこと。

案の定だが、学生達は印象読みで解釈しようとする。
発問も印象をベースにした読みから作られている。議論も同じ。
ああ、どうしてこうなってしまうのだろう。

書いてあることから読み取る。
この基本中の基本ができない。
書いてないけど、なんとなくこんな気がするは、ダメ。
『君は、それを詩のどの部分から読み取ったの?』
と聞くと答えられない。
少なくとも、
「ここにこう書いてあるから、〜の可能性が高いです」
としてほしい。

『君が小学生の時に、書いてないことを根拠に、「君はこういうことを思っているんじゃないの」と先生に言われても、子どもの時の君は(いい加減なことを言うなよ)って思わなかった?』
と訊くと、そうだという。
にもかかわらず、同じことを子どもたちにしようとしている。それじゃ、困る。
半年間掛けて、文章に即して読むということを指導したい。



4限、3回生ゼミ。スペシャル。
開発している問題の検討。
3回生ゼミ13人の作って来た問題を90分のゼミで検討するのは難しく、本日スペシャルでこの時間に検討。しかし、まだ3人の検討が出来なかった。次週に回すことになった。

良い面と残念な面がある。
良い面は、新しい発想で作ってくる学生がいる。必要なものを言っておくと、考えてくる学生がいるということだ。私が想定している範囲を超えて、そうくるかねというものを作ってくる学生がいて、これが盛り上がる。だから時間が伸びる。

残念な面は、指定した問題作成の条件を見落としたり、無視したりしているところだ。これをそのままにすると、書式がズレてしまうし、そもそも問題のクオリティが安定しなくなる。だから、細かい部分も含めて検討を加える。

だが、この時間が楽しい。90分が本当にあっという間だ。
新しいものを作り出すという楽しみ。さらに、自分たちの教員採用試験のための勉強にもなるので、気合いが入る。また、次のプロジェクトのアイディアも出たりして、楽しかった。



ゼミ三昧の一日であった。



2013/05/02

本日は、忌野清志郎さんの命日

5/2

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本日は、忌野清志郎さんの命日。

ゼミで、忌野清志郎さんのこと、名曲の紹介もした。

大きなお世話だが、今の学生達のエバーグリーンミュージックはなんだろうか。

私たちの世代にたっっっくさんある。いまはあるのか?と老婆心が発動しつつの説明であった。

夜、一人で聞くのが良い。

許される限りの大音量で。

トランジスタ・ラジオ

http://www.youtube.com/watch?v=UlIgAkP-0yk

スローバラード。

http://www.youtube.com/watch?v=TUVD5bUE5T4

IMAGINE

http://www.youtube.com/watch?v=QnKykvIp4Yg

LOVE ME TENDER 【放射能はいらねぇ!】

http://www.youtube.com/watch?v=kLyEg-eXf1g

サマータイム・ブルース_原発.

http://www.youtube.com/watch?v=9QimzLaP6Lw

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