ゼミ三昧の一日であった
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2限、4回生ゼミ。
卒論のテーマについて検討を重ねつつ、目次案指導。先行研究からテーマの中にある問題点を見つけ出そうとしている。が、時には過去の実践の具体例を並べただけのものもある。レポートとしてはいいものになるが、論文としては足りない。問いがない。具体例を比較検討して、その中の共通項やユニークネスを見つける。また、一定の条件の中で新たに比較する等の切り口が、論文の問いになるのではないかと指導。
物差しと、その妥当性と信頼性乃話も繰り返ししている。
例えば、学級担任と児童の相互信頼関係をテーマにして卒論を書きたいという学生が居る。大きなテーマだが、絞れば掛けると思う。ただ、
『相互信頼関係が成立しているかどうかを測る「ものさし」は何?』
と聞くと、答えに詰まる。ドラえもんのポケットを捜して
「相互信頼関係測定そーちー!」
と出してもらえればいいのだが、そんなもの流石に無い。
無ければ作らなければならない。
その時に、その相互信頼関係測定装置は、本当に測れるのかが証明されていなければならない。それは妥当性と信頼性の二つの規準が満たされなければならない。ということを話す。http://www.u-gakugei.ac.jp/~kishilab/validity-reliability.htm
大変だが、ここを考えなければならないのである。
◆
3限、2回生ゼミ。
子どもの詩の読解。
チューターを決めて、90分のうち60分を与えて、発表させる。今日の詩は小学校1位年生の書いた10行の詩。
これを60分間かけて発表し、議論を組み立て、討論を展開させるファシリテートをしなければならない。結構大変なこと。
案の定だが、学生達は印象読みで解釈しようとする。
発問も印象をベースにした読みから作られている。議論も同じ。
ああ、どうしてこうなってしまうのだろう。
書いてあることから読み取る。
この基本中の基本ができない。
書いてないけど、なんとなくこんな気がするは、ダメ。
『君は、それを詩のどの部分から読み取ったの?』
と聞くと答えられない。
少なくとも、
「ここにこう書いてあるから、〜の可能性が高いです」
としてほしい。
『君が小学生の時に、書いてないことを根拠に、「君はこういうことを思っているんじゃないの」と先生に言われても、子どもの時の君は(いい加減なことを言うなよ)って思わなかった?』
と訊くと、そうだという。
にもかかわらず、同じことを子どもたちにしようとしている。それじゃ、困る。
半年間掛けて、文章に即して読むということを指導したい。
◆
4限、3回生ゼミ。スペシャル。
開発している問題の検討。
3回生ゼミ13人の作って来た問題を90分のゼミで検討するのは難しく、本日スペシャルでこの時間に検討。しかし、まだ3人の検討が出来なかった。次週に回すことになった。
良い面と残念な面がある。
良い面は、新しい発想で作ってくる学生がいる。必要なものを言っておくと、考えてくる学生がいるということだ。私が想定している範囲を超えて、そうくるかねというものを作ってくる学生がいて、これが盛り上がる。だから時間が伸びる。
残念な面は、指定した問題作成の条件を見落としたり、無視したりしているところだ。これをそのままにすると、書式がズレてしまうし、そもそも問題のクオリティが安定しなくなる。だから、細かい部分も含めて検討を加える。
だが、この時間が楽しい。90分が本当にあっという間だ。
新しいものを作り出すという楽しみ。さらに、自分たちの教員採用試験のための勉強にもなるので、気合いが入る。また、次のプロジェクトのアイディアも出たりして、楽しかった。
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