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2013/05/09

『先生は、どうしてそのドアノブを見つけられるのですか?』

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2限。

4回生ゼミ。
卒論目次案指導。二回目のその3。
全員が春合宿の目次案と違うものを提出して来た。テーマそのものを大きく変えたのが一人。後の二人は、テー
マを絞って来た。

私は論文執筆は、ラリーレースのようなものだと思っている。目的地に向けて、安全で快適な道を進む。制限時間内にゴールするである。しかし、この安全で快適な道を時間通りに進むのは、一人では厳しい。そこで、ゼミの仲間と意見を交わし合い、指導教官のアドヴァイスを受けるのだと考えている。

言ってみれば、私はドライバーの学生の運転するラリーカーの助手席に座るナビゲーターのようなものだ。しょっちゅう乗っているわけではないが、彼らにその卒論指導の旅の途中で様々な場所に連れて行き、いい景色を見せ、時にはマディな場所からの脱出に挑戦させということをさせながら執筆の力を付ける、そんなナビゲーターだ。

私が答えを持っているわけではない。私は彼らが目指したい方向に向かってナビをする。そのための、卒論指導の時間がいまのゼミの時間だ。



3限。

2回生ゼミ。
子どもの詩の読解。今日の発表者は揺れる指導言が多くて、私は頭が混乱してしまった。授業を受けている学生達は、その指導言を深読み、先回り読みして真意を探り出し、授業として成立させようとしている。

(ああ、この学生達はやっぱり学校適応過剰な面があるな)
と思ったのだ。大学で教師を目指そうという学生達は、基本的にまじめである。そして、先生の言うことを素直に聞こうとする学生達である。だから、こういう授業でも成立してしまう。

しかし、実際の現場はそんなことはない。
いまの指導言のどこがどのようにおかしいのかを解説することになる。

詩の読解である。
子どもの書いた詩を元にして、子どもが表現しているものと、表出しているものの差を読み取り、子どもの真意に辿り着く。そのレッスンをしているのだが、これがなかなか難しい。

子どもの表現した作品には、子どもの真意に辿り着く為の扉が隠れている。それは表出してしまった部分である。つまり、真意に辿り着く扉のノブの部分が、表出した部分である。

この表出した部分は、実はなんでも無い形でそこに現れている。それがドアノブだと気がつけるようになるには、実は相当のレッスンが必要になる。私も学生時代になかなか読めなかった。しかし、恩師竹内常一先生は、そのドアノブをいとも簡単に見つけ
「ほら、ここにある。これを開けてみよう」
という感じでそのドアを開き、その向こうの世界を見せてくれた。愕然としたものだ。

『先生は、どうしてそのドアノブを見つけられるのですか?』
卒業して教師になってしばらくして、先生に伺うチャンスがあった。先生は
「ん、みんなで何回も読んだからだな」
と素っ気なく。そして、
「本当だ。それだけだ」
と話されていた。

今は、それが本当のことだと分かる。みんなで何回も読む。テキストリーディングは、これが大事。仕事のためには速読も大事だが、じっくり読む経験をしておくことも大事。

じっくりと、60分かけて一つの詩を読む授業が続く。

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