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2013/06/26

全国中学・高校ディベート選手権近畿・北陸大会の初日が終わりました

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6/23(日)に、第18回 全国中学・高校ディベート選手権(通称ディベート甲子園) 近畿・北陸大会の初日が終わりました。

この日は、京都橘大学を会場として使って頂きました。
日曜日の本学は、バスは止まります。停まるではなく、止まります。
生協も、生協の食堂も休業です。

その中での開催と言う事で参加校の生徒、先生、スタッフ、ジャッジの方々にはいろいろと大変な思いをさせてしまったと思うのですが、御陰さまで無事に大会初日を終える事が出来ました。

事務方と言うのは、何もなくて当たり前。何か問題が起きたら責任になるという状況で準備と運営を行います。全国教室ディベート連盟近畿支部の若き事務局スタッフは、これらの重圧をものともせず、的確に準備をし、正確な試合、大会運営をしてくれました。

自分で言うのもなんですが、近畿支部の大会運営のスタッフは最強です。

当日は14校の高校の中から6校の全国大会出場校が決まりました。
残念ながら敗退してしまった学校のみなさん、その辛さは分かるつもりです。私も指導者として経験してきました。まして選手です。それはわかります。でも、存分に戦って頂く事が出来たのではないかと思っています。

勝ち残って選手として参加するみなさんは、どうぞ、二日目も思う存分ディベートに没入して下さい。その為に、私たちスタッフがいます。みなさんが、いい試合をしてくれればしてくれるほど、私たちは幸せになります。

負けてしまったみなさん、悔しいかと思います。ですが、大会スタッフの中には全国大会に出場する事が出来ないまま、スタッフをしている先輩もいます。ディベートなんて嫌い!ってなことにはならないでくれる事を希望します。現役を終えたら、是非、全国教室ディベート連盟近畿支部のスタッフになってくださいね。また、別のディベートの楽しみに出会えますから。

若者を育てる。
抽象的に、理念的にあれこれも大事だ。
だが、私たちはこのディベートを通じて育てていこうと考えている。

彼ら彼女らが、ディベートを通じてこの2013年も、
人間的な成長を遂げてくれる事を期待する。

2013/06/22

ちなみに

(さなぎ、から、おけというのは、蛹から桶だなあ。旁は一緒だなあ)と思ったが、これは流石に5歳の娘には話しても仕方の無い事だから、やめた(^^)。

ということで実験

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さなぎの話の後、娘に聞かれた。

「ね、お父さん。なんで桶にお湯を入れたところに手を入れると溢れるの?」

と。
を、これは面白い。

『なんでだと思う?』
「えーと、力を入れるからだと思う」
『そうか。じゃあ、そおっとやったらどう? 一番溢れない。二番溢れる。三番変わらない。どれ?』
「えー、一番?」
『じゃあ、実験しようか?』
「やったー、実験!」

ということで実験が続いた。

1)桶の上に、また桶を重ねて溢れるかどうか?
2)桶の上に、ペットボトルを半分に切ったものを入れて溢れるかどうか?
3)桶の上に、ペットボトルを半分に切ったものを蓋をして入れて溢れるかどうか?

それぞれ、仮説を考えさせて、一番溢れない、二番溢れる、三番変わらないと選択肢を出して、娘に実験をさせた。というか、「やりたい!」というのでやらせた。

ちょっとした仮説実験授業のようなものだ。
とってもおもしろがってやっていた。
そして、浮力とか大気圧とか空気の圧力とかの実験を楽しんだ。

娘は、空気に力があるということを理解したようだ。
面白かった。



写真は6/22の朝の琵琶湖

恥ずかしがり屋のさなぎ

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揚羽蝶のさなぎを手に入れて娘に手渡した。
幼稚園で羽化の瞬間を子どもたちと一緒に見てもらえればと思ってのこと。

ところが、このさなぎ、なかなか羽化しない。
通常10日前後で羽化するのだがもう2週間以上羽化していない。
ひょっとすると、さなぎのままお亡くなりになったかもしれない。
どうやって伝えようかと考えながら、一緒にお風呂に入っていた。

『あのね、今年のさなぎさんはね、ひょっとしたら』

と言って、思いついた。

『ひょっとしたら、恥ずかしがりやさんじゃないかな』
「え?」
『みんなが見ていると出てこないんじゃないかな』
「じゃ、見ないでおく」
『でも、ほら、明るいと見られていると思うんじゃないかな』
「消したら?」
『うーん、それは大変でしょ』
「うーん。でも◯◯ちゃんも生まれるとき恥ずかしかったかかもしれないけど、生まれて来たよ」
『それは恥ずかしくなかったんじゃないの?』
「うーん」
『だからね、日曜日まで待って羽化しなかったら、ガーデンに離して来てあげない?』
「えー」
『そしたら羽化できると思うんだよ』
「でも、そしたら次の卵探して来てくれる?」
『うーん、もう卵は無いかもね』
「揚羽蝶じゃなくて、モンシロチョウ」
『あ。そうなの。それならひょっとしたらまだあるかもしれないね。それを探して上げようか?』
「うん」

ということで、目出度く「方便」が成立。
ファンタジーは大切にしてあげたいからなあ。

2013/06/21

ワープロがなかなか凄い教育観を持っています

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先日の「全部正解!」の授業の後に書かれた学生の授業感想より。転載については了解を得ています。「超問題児」について、ワープロがなかなか凄い教育観を持っています。

今日の授業を聞いて、小学校の頃の先生の話をふと思い出しました。先生が教師をしていてなかなか手ごわい問題児を受け持ったときの話で、先生も10年以上は教師をやってきたベテランではありましたが、それでも思うようにいかなかったようでした。

そしてある日先生がパソコンかなにかで「超問題児」と打とうとした
ところ誤変換して「聴聞大事」となってしまいました。そのとき先生はこの誤変換をみてしハッとしたそうです。

問題児としてどう対処することを考えるよりも、子供一人ひとりがどんな事情を持ち、行動に至ったかを理解し歩みよることがまず必要なのだ。
そう思ったそうです。

このことは今日まさに授業で触れた子供の考えを聞くということ同じだなと思いました。
生徒一人ひとりの事情を大切にしてくれた私の先生はよい先生だったなぁとしみじみ感じます。



ワープロ、なかなかやるでしょ。
そして、いい先生ですよねえ。

2013/06/19

『全部正解!』

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今日のディベートの授業で、学生たちに発問した。

『さて、この女子小学生はどうしてこういうことを考えた

のでしょうか?』

というものである。
少し時間を取って考えさせた。グループでも考えさせた。そして、発表させた。彼ら彼女からは12種類の答えが出て来た。私の答えは、

『全部正解!』

である。
そう、全部正解なのだ。
仮説を多く出せるということが正解なのだ。
実際、この12種類の答えの中の1つがその女子小学生の答えなのだが、ここで言いたいのはそういうことではない

12の可能性を学生たちが出せた事が正解なのだ。



子どもと接しているとき、彼ら彼女らの意見や行動を目の前にして、
(これ、なんで?)
(あほか?)
と思うことがある。
しかし、本当はここからが勝負なのだ。

教師の発問に関して彼らはそのような意見や行動を出して来た。
その意見や行動に至る論理的整合性を提示するのが、教師の仕事なのだ。
いや、勝負なのだ。
どういう道筋でこの答えを子どもたちが出して来たのかを考えるのが仕事なのだ。
教師自身の理解の及ばない答えを無視する、蔑む、馬鹿にする、放っておく。
そういう対応もある。しかし、これは教師の敗北だ。

子どもたちは、感じ、発言し、行動する。
ただ、それを言語化する力が弱い。
だから、それを言語化するのが教師の仕事の一つ目。
そして、子どもが自分で言語化できるようにするのがその次の仕事。



教師が、答えを一つに示したいという思いは分かる。
だが、それが、3つの可能性から1つなのか、10の可能性の中から1つなのかということは、実はとても大きな問題である。

教師になるためには4つの選択肢の中から1つの正解を選ぶ試験に合格しなければならない。しかし、教師として子どもたちを指導する為には、4つの選択肢、いや、できれば、10、20の選択肢を自らが作り出して、子どもに選ばせる力量が欲しい。

だから、仮説としての選択肢を多く出せる先生が「正解」の先生なのだと私は考えている。



答えが一つという受験勉強の世界から、
答える為のより多くの選択肢を自らが作り出す。この教育の世界へとパラダイムシフトさせていくのが、今の私の仕事。

2013/06/10

笹舟を作った

6/10

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笹舟を作った。
数十年ぶりじゃないかあ。
作ってあげて公園の小川や琵琶湖に浮かべて娘(5)と遊んだ。

沢山の笹を取って来て、家で作らせた。
作り方を教えてあげたら、なんとか作れた。
それを風呂に浮かべて遊んだ。

遊んでいるうちに、笹舟は開いてしまって沈んでしまった。
「お父さん、なんで開いちゃうの?」
と娘に聞かれる。
『ああ、それはねお湯に浸けると笹の中の葉脈にお湯が入って葉っぱが生き生きしてしまうからだと思うよ。ほら、お花を生ける時も水切りすると元気になるでしょ? あれと同じ』
「あ、そうか」

と娘は納得したが、娘に聞かれるまでそんなこと考えてもいなかった。
そして、水切りと同じことをしているのだろうと言うことを思ってもいなかった。
質問されて、賢くなる。
ありがたいことだ。

2013/06/09

体の左半分が叩き付けられた

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娘(5)と公園に行って、一緒に遊んだ。
あり地獄の砂場があって、その斜面を娘が走れるようになって来たので喜んでいた。
ただ、一部角度が急な所があるので、一周走りきれないでいた。

『お父さんがやってみようか?』
と言って走り出した。
GRを置いてから走り出した。これは良かった。

一周できると思っていた。
いや、つい最近出来たので出来ると思っていた。
ところが、後少しのところで突然足下がおかしくなった。
足がもつれたのかと思った。
体が制御できない。
コンクリートの斜面に叩き付けられるか、その上まで走り上がって砂利の地面に体を投げるか。私は後者を選んだ。

体の左半分が叩き付けられた。
痛いのもあったが、走りきれなかったことにもショック。
体は打撲と擦り傷だらけ。

こう見えても、嘗ては足は割と速かった。
小学生の頃はリレーの選手か補欠。
高校2年生の時、人生のベストTimeは100mで12.7秒。
ね、結構早いでしょ。

ところが、30代前半のとき、学校の運動会で自分が走る姿をビデオで録画されたのを見て愕然とした。前傾姿勢で走っている心算だったのに、ビデオに映った姿は明らかにお腹を前に出して走っている中年に入ったおじさんの姿であった。

それ以来、イメージの中の私の姿と実際の姿は違うんだということを肝に命じて、いきなりやるとか、無理をするとかは極力やらないようにしてきたのであった。

が。

(あーあ)
と思って血の出ている足下を見たら、サンダルが切れていた。
サンダルの甲の部分が切れて、バランスが取れなくなっていた
unable to controlであったわけだ。
なら、良かったと思ったが、体がとても痛い。

娘は、
「お父さん大丈夫?」
というのも忘れて、いや、怖くなってか、黙っている。
呼吸が出来るようになったので、少しずつ動く。
どうやら、骨には異常は無いようだ。

まったくもって私の不注意だ。
参った。

一日経ってもまだ相当痛いので、日曜日もやっている整形外科を捜して行って来た。
レントゲンの結果、骨には異常は無いとのこと。
ま、つまり相当の打撲ということになる。

体中に湿布の薬を貼付けて、ダイエットせねばなあと改めて思うのであった。

写真は、今朝の琵琶湖。
iPhone4でパシャリ。梅雨の時期はこういう色を朝焼けで見せてくれます。Burnです。

2013/06/07

飾るではなく、見極めるを楽しむことができる

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このところ、モノクロ写真が気に入っている。
GR4も良かったが、GRもモノクロがさらにいい。

深く写真に関わり始めたのが高校生のとき。
フォークソング研究会の映像記録を担当するようになってからのこと。
中学生の時からカメラは好きだったが、コンサートを記録するようになってから深くやるようになった。

コンサートでは、フラッシュは焚けない。演奏に影響も出るし、何と言っても絵が平板になってしまう。立体感が消えるのだ。だから、焚けない。しかし、暗い会場ではそのままでは写らない。だから、増感現像をすることになる。

増感現像といっても、分からない人ばかりだろうなあ。ISOがASAだったころの話だ。その当時は、フィルムカメラで、しかも、缶に入ったながーいフィルムを買って来て、ダークバックというところに入れて、パトローネというフィルムの入っている入れ物に36枚になるように手探りで詰めて、用意。

撮影する時は、そのASAの感度を上げて擬似的に写りやすくする。それを現像の時の現像液の温度と時間を調整することで、暗い所でも写るようにする技術、これが増感現像なのでした。

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酸っぱい匂いのする押し入れを改造した現像スペース。赤い光の中に浮かんでくる写真。この瞬間はなんとも言えないいい瞬間だった。

それを四つ切りぐらいのサイズに焼いて、フレームに入れて仲間に渡していた。もう30年以上も前のことだなあ。

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そして、このごろまたGR4、GRを手に入れて楽しくモノクロをやっている。正確に言うとハイコントラストモノクローム写真だ。

多くの人が言うように、モノクローム写真は、被写体の本質の部分を写し出すことがある。フレームと言うか、シェイプと言うか、核心というか。色で演出されていないことにより、被写体の生がでる。しかも、ハイコントラストだからさらに強調される。

これは、被写体にとっても撮影者にとっても実はスリリングなことだと思う。なんといっても隠せないのだから。というか、現れてしまうのだから。見ていたはずなのに見えていないものが見える。このスリルと快楽を与えてくれるのがモノクロ写真。

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飾るではなく、見極めるを楽しむことができる。

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2013/06/04

プロジェクトのβ版の限定公開を初めて行った

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本学児童教育学科の教材教具祭りが終わった。
連絡ミスがあって、講師として来て下さった多賀先生と岩下先生には大変ご迷惑をかけてしまった。反省。

ではあるが
、お二人の話を聞けた参加者は、大満足であったろう。
私のゼミの学生たちも、終わった後大興奮であった。
「あー、うちの大学で教えて欲しい」
と私の前で言う。
私も一応国語を教えているのだが(^^)。
ま、でも、それは良くわかる。

何かの授業を担当して頂けないかなあ。



で、この日はいま開発しているプロジェクトのβ版の限定公開を初めて行った。
機能を制限して公開。
そして、それで遊んでもらって、不足に感じる所を教えて頂いた。
こういう機能があればいいのというところを教えて頂いた。

殆どの人が、素晴らしい、直ぐにでも使いたいという感想をくださった。
特に若い先生は、私たちが目指そうとしている世界をすぐに理解してくれて、興奮してくれた。

しかし、その一方でこの世界が良く理解できない人もわずかではあるがいた。子どもたちが受け入れるのだろうか?と納得いかない様子。こういう人から話を聞くのがチャンス。あれこれ伺う。伺ったが、私にはどうしてこれがダメだと言うのかその理由が良くわからなかった。分からなかったが、そういう風に感じる人がいるのだということを知ることは、とても意味があったと思う。



開発研究に協力してくださる方も結構見つかった。
先ずは、β版1.0の完成に向けていいスタートを切れたと思う。
夏が終わるまでには、完成させたい。

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