『全部正解!』
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今日のディベートの授業で、学生たちに発問した。
『さて、この女子小学生はどうしてこういうことを考えた
のでしょうか?』
というものである。
少し時間を取って考えさせた。グループでも考えさせた。
『全部正解!』
である。
そう、全部正解なのだ。
仮説を多く出せるということが正解なのだ。
実際、この12種類の答えの中の1つがその女子小学生の
12の可能性を学生たちが出せた事が正解なのだ。
◆
子どもと接しているとき、彼ら彼女らの意見や行動を目の
(これ、なんで?)
(あほか?)
と思うことがある。
しかし、本当はここからが勝負なのだ。
教師の発問に関して彼らはそのような意見や行動を出して
その意見や行動に至る論理的整合性を提示するのが、教師
いや、勝負なのだ。
どういう道筋でこの答えを子どもたちが出して来たのかを
教師自身の理解の及ばない答えを無視する、蔑む、馬鹿に
そういう対応もある。しかし、これは教師の敗北だ。
子どもたちは、感じ、発言し、行動する。
ただ、それを言語化する力が弱い。
だから、それを言語化するのが教師の仕事の一つ目。
そして、子どもが自分で言語化できるようにするのがその
◆
教師が、答えを一つに示したいという思いは分かる。
だが、それが、3つの可能性から1つなのか、10の可能
教師になるためには4つの選択肢の中から1つの正解を選
だから、仮説としての選択肢を多く出せる先生が「正解」
◆
答えが一つという受験勉強の世界から、
答える為のより多くの選択肢を自らが作り出す。この教育
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