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2013/06/19

『全部正解!』

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今日のディベートの授業で、学生たちに発問した。

『さて、この女子小学生はどうしてこういうことを考えた

のでしょうか?』

というものである。
少し時間を取って考えさせた。グループでも考えさせた。そして、発表させた。彼ら彼女からは12種類の答えが出て来た。私の答えは、

『全部正解!』

である。
そう、全部正解なのだ。
仮説を多く出せるということが正解なのだ。
実際、この12種類の答えの中の1つがその女子小学生の答えなのだが、ここで言いたいのはそういうことではない

12の可能性を学生たちが出せた事が正解なのだ。



子どもと接しているとき、彼ら彼女らの意見や行動を目の前にして、
(これ、なんで?)
(あほか?)
と思うことがある。
しかし、本当はここからが勝負なのだ。

教師の発問に関して彼らはそのような意見や行動を出して来た。
その意見や行動に至る論理的整合性を提示するのが、教師の仕事なのだ。
いや、勝負なのだ。
どういう道筋でこの答えを子どもたちが出して来たのかを考えるのが仕事なのだ。
教師自身の理解の及ばない答えを無視する、蔑む、馬鹿にする、放っておく。
そういう対応もある。しかし、これは教師の敗北だ。

子どもたちは、感じ、発言し、行動する。
ただ、それを言語化する力が弱い。
だから、それを言語化するのが教師の仕事の一つ目。
そして、子どもが自分で言語化できるようにするのがその次の仕事。



教師が、答えを一つに示したいという思いは分かる。
だが、それが、3つの可能性から1つなのか、10の可能性の中から1つなのかということは、実はとても大きな問題である。

教師になるためには4つの選択肢の中から1つの正解を選ぶ試験に合格しなければならない。しかし、教師として子どもたちを指導する為には、4つの選択肢、いや、できれば、10、20の選択肢を自らが作り出して、子どもに選ばせる力量が欲しい。

だから、仮説としての選択肢を多く出せる先生が「正解」の先生なのだと私は考えている。



答えが一つという受験勉強の世界から、
答える為のより多くの選択肢を自らが作り出す。この教育の世界へとパラダイムシフトさせていくのが、今の私の仕事。

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