子どもの表出を読み取る
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二回生ゼミでは、子どもの書いた詩を読み続けた。最初私が発表をし、その後、学生たちに順番で発表させた。一つの詩について40分程度を掛けて読み続けた。はじめのうちは学生たちは一つの詩を40分も掛けて読むことが出来るのかと不安であった。が、寧ろ足りないということに気がついていった。
私がこの授業で学生たちに手に入れさせたいと考えていたのは、子どもの表出を読み取るということである。表出とは、本人が意識しないまま溢れ出てしまう感情や考えのことである。それが、子どもの文章、詩、言葉、ジェスチャー、視線、身振り、構えなどに出てくる。これを読み取ることが指導にはどうしても必要になる。
子どもの本音を理解すると言うことだ。
子どもは、いや、人間は、自分に都合の悪いこと、恥ずかしいことは隠す。そして、その部分に指導の対象になる問題の種が隠れていることが多い。
さらに言えば、隠しておきながらそこを理解してくれない先生はダメという判断をすることがある。
子どもの本音が見えないと指導のストライクゾーンがズレる。
子どもの本音を知った上で、対応しないのと
知らないので、対応できないと言うのは、同じように見えて全然違う。
小学校一年生から五年生までの詩を10編程度だが、じっくりと読んだ。
句読点、ひらがなとカタカナの違い、倒置法、鍵括弧、複数回でてくる言葉、複数回でてくるのに微妙に言い方を変えている言葉などなど。これらを手がかりとして、子どもの表出を読み取るレッスンをした。
子どもの表出は、やがて、表現に高めて行く必要がある。
また、その表現は伝達の力へと導く必要がある。
その一歩目として、まずは書かれた言葉をじっくりと読む。
そして指導者がその表出を受け止めることができるようになることが大事だ。
それに取り組んだ。
現場に出れば、子どもの詩を一週間もかけて吟味するなんてことは先ず出来ない。毎日30人が連絡帳に書いてくる言葉を読んで、コメントして。これに一人一分として30分だ。たかだが10回のレッスンでこれが出来るようになるとは到底思えない。
が、出来るようになる為の種を埋め込んでやりたい。
そんな思いでやっていた半年が終わった。
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