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2013/10/28

Lineの既読無視がLineを使う生徒達にとって割と深刻なようだ

10/28

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(今朝のかぎろひ。iPhone4でパシャリ)

Lineの既読無視がLineを使う生徒達にとって割と深刻なようだ。
だから、既読にならないような操作の仕方やアプリがあるらしい。
http://www.excite.co.jp/News/column_g/20130526/Nanapi_00005278.html

既読というのは、既に読んだと言う意味である。
なんだろ、これで十分じゃないかなと思うのだ。
読んでもらえたら、OKではないのか?

読んだのに返事がないということがイライラする。
イライラされるのが怖いから、既読がばれないようにしたいということなのだろう。

私なんかは、

1)読んでもらえた。 → オッケー
2)返事がない。 → 返事を書くまでもない程度の内容であった。
3)返事があった。 → ありがたやありがたや。

と思うんだけどねえ。

ここでうがって考えるのだが、これって親が子どもに言う言葉、まは、先生が学校でコメントをする、そのコメントの仕方に問題があるのではないかと思うのだ。大したことでもないのに、良い評価の言葉を投げかけすぎないか? 書きすぎないか?

私なんか、


んだ
んだな
んだんだ
なるほど!

の五段階評価。書き込みたくなるぐらいの良い文章であれば、その先に文字でコメントをするということをしている。なんでもかんでもいい評価の言葉をもらわないとダメな子どもに育てていないか?

Line既読問題から、ちょっと考えてみた。

学習ゲーム。 奥が深いんだよね。

10/21

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国語科教育法2。
今日は、学習ゲームの実際。「対義語でぽん」を扱う。UNOのようなカード交換型の池田オリジナルの学習ゲームだ。対義語を揃えて手札を無くして行くゲームだ。

今年は、例年と違う展開で授業を進めた。
例年はやり方を私が簡単に説明し、実際にやらせて、ゲームをたっぷりさせて、説明を最後に少し解説。これを変えた。

やり方は説明しない。プリントにあるルールを読解させてやらせる。
実際にやらせる。時間を10分に区切って。なおかつ、やる目的は「10分以内にグループの人が"対義語でぽん"のルールを理解すること」とした。
説明は、途中で発問の形式で行い考えさせた。

少し分かりにくいかもしれない。

実際にゲームをさせたのだが、学生達は自分の手札を見せずに、ルールの書いてある文章を読みながらグループ毎に進めていた。
目的を達成させる為であれば、手札は公開して進めた方が分かりやすい。お互いのカードを見ながらの方がルールを確認しやすい。ところが、これをしないで進めていたのである。

そこで
『なんで、公開してやらないの?』
と問う。学生達は、そんな考えで良いのかと驚きの表情ばかり。

10分間ゲームをさせた後、質問する。
『やってみて不満はありませんか?』
すると
「対義語の知識がないので、ゲームを進めにくいです」
とのこと。ま、中学生の便覧に載っているレベルなんですけど(^^)。

『そうですか。じゃあ、何があれば、その不満を解決できますか?』
「.....」
『これでしょ?』
と言って対義語のペアが載っている資料を渡す。
「うわ! これだ」
と喜ぶ学生達。
そして、また暫くやらせる。
『何か他に不満のある人?』
と聞くと今度は手が上がらない。
『え、まだその資料不十分でしょ? それでやりやすい?』

最初に配った資料は、ペアの片方だけ五十音順に並べてある。だから、そちらが持ち札であれば、対義語が捜しやすい。しかし、反対だと捜しにくい。

『だから、裏側には、反対の方で五十音順を印刷する必要があるんじゃないの?』
というと、頷く。

『こうやって、子どもたちが学びやすい環境を調整して行くのだよ。ゲームで言えば、これをゲームバランス、またはインターフェースの調整というのだ。ここがうまくいかないと、クソゲーになる』

『ルールの書いてある資料を見てご覧。そこにはver.1とあるね。実はこのルール最終的にはver4.2まで進化しました。では、いまからver.4のルールも配ります。ver.1とver.4を比較して、どこがどう違うかを見つけなさい』

学生達は簡単に見つけるかと思いきやなかなか見つからない。例えば、ver.1には図が描いてあるのに、ver.4にはないなんてところは最後まで気がつかない。

『では、なんで、その違いを付けたのか、その理由を考えなさい』

ルールを変更する。
学習ゲームにおいては、身につけさせたい内容(学習目標)を楽しく効果的に身につけさせるために、変更して行く。子どもの実態に応じてルールを変更して行くことが大事だ。一つのルールは、一つの目的を達成することができたら、次の目的達成のために変更して行く。これが大事。ここに気がつかせる為に、ルールを比較させ、発問を重ねて授業を構成した。

私は、子どもの頃子ども同士で遊ぶ時は、その状況に応じて遊びのルールを変えて来た。あの塀の向こうに行ったら3塁打だとか、この子はストライクは4つまでいいとか。子どもは、ルールを守ることを躾けられたが、自分たちの遊びでは、状況に応じてルールを変更することを自主的にやって来た。

が、いま、子どもの遊びは大人のルール管理下にあることが多い。ゲームも閉じられたゲームの世界の中にあることが多い。

ルールは、子どもたちが民主主義の世界に生きているのであれば、守ることを教え、正当な手続きを経て変えることも教えて行く必要があるはずだ。

学習ゲームを教えることは、この部分の指導に一つの可能性を見いだすことができだろう。

「じゃあさ、ここはこういう新しいルールを作らない(^^)?」
とあるグループで学生達はゲーム中に言っていた。ゲーム終了後、私はそれを取り上げて、
『それが大事なのだ。状況に応じて、目的に応じて変えていいのだ。ヴァージョンアップすれば良いのだよ』

つまりこれは、子どもの実態に応じて指導方法を変えて行くということを言っているだけなのだ。しかし、これはとても大事なことなのだと私は思うのだ。

学習ゲーム。
奥が深いんだよね。

この授業の後、新幹線に飛び乗って東京に向かうのでありました。

2013/10/26

実習生の授業で弱いと思う部分は、割と共通している

10/25

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教育実習訪問指導だん。
午前と午後と二校を回る。授業を見てその後1時間指導。
国語と体育の授業であった。

授業の事実に基づいて、その時の授業者の実習生の意図と、実際と、子どもの反応とを確認しながら、何が起きていたのかを確認しながら検討する。

サッカーの解説者が、ゲームの前半が終わった途端に、
「前半の見所はここでしたねえ」
と言いながらゲームを振り返り、パスの目的や、フォーメーションのあり方等について解説をするのを見ていて、
(すげーなー。良くわかるな)
と思っていたこともある。

が、考えてみれば当たり前。
私だって、授業が終わってから直ぐに1、2時間はその授業について事実を元に解説し、改良点を指摘することは出来る。ま、餅は餅屋ってことだ。

実習生の授業で弱いと思う部分は、割と共通している。

1)最初の指示が甘い。
2)子どもの話をきちんと聞かない。
3)質問の受け答えが甘い。

今日の二つの授業でもこれが見られた。

1)最初にこの授業で目指すことは何か。また、その為にすることは何か。守らなければならないことは何かなどの指示をするのだが、これが甘い。本人はしなければいけないと思っていて、やろうとしたり、やったりしているのだが、甘い。

指示も甘いが、その指示がきちんと届いているのかの確認が甘い。また、出来ていない時にやらせ切ると言う部分が甘い。

2)聞いているのだが、背中で聞いている。背中で聞いてすぐに黒板に書こうとしている。書き始めている。子どもの発言を忘れない為にすぐに書こうとするのだが、それがダメ。ちゃんと子どもを見て聞いて、それから書かねばならない。これが出来ない。「子どもの発言を忘れてしまうのが怖い」という。大丈夫、そういうのは聞き直せば良い。まずちゃんと来聞くことが大事。

一方で背中で聞く事も大事。机間巡視の時に子ども達の発言を背中で聞くことも大事。背後家から聞こえてくる本音の呟きを拾うこと。これが出来ないのであれば、ゴルゴ13になるしかない。つまり、「何人たりともオレの背後に立つことは許さない」である。教師の後ろに子どもが来れない位置に立つしか無い。教室の四隅の角である。ここに立って、子どもの様子を観察し、問題があるところに歩いて行くのである。

3)子どもからの質問は受け止めることが出来る。しかし、個人の質問を個人に返している。個人の質問をグループに返している。これはダメだ。作業をしているときの子どもの質問は大きく二つに分けることが出来る。一つは、作業のやり方に関する質問。もう一つは、作業の結果に関する質問。つまり、このやり方で良いのか?とこうなったけど良いのか?である。

前者の場合は、全体の動きを止めて、全体にやり方の間違いが無いかを確認しなければならない。やり方が間違っていては、トラブルが大きくなるからだ。後者の問題はやってみたけど、どうも違うのではないかと言うものである。これは、急ぐ必要は無い。机間巡視の時に子ども達が質問して来たら、その場で簡単に答えておく。そして、子ども達の活動が一通り終わったら、
『さっき、こういう質問がありました』
と言って、机間巡視中にあった質問に対して、クラス全体に返事をする。そうしないと、同じ質問がでるし、その度に答えていたのでは時間が無駄だし、何回も答えているうちに、答えの質が変わってしまうということになりがちである。

授業を進めるための、基礎基本の部分だ。
大学の授業でも教えているので、学生達は頭では分かっているのだが、実際にやるとなると出来ない。

分かると出来るは、こんなにも違うのである。
だが、やるしかない。
しっかり、だ。

2013/10/23

研究入門ゼミでは

10/23

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研究入門ゼミでは、来年度のオリターの募集の話と、このゼミで読む本の選定を行った。

オリターとは、本学が伝統的に行っているもので、新入生の面倒を見る先輩たちのことをいう。新入生の一週間をつきっきりで面倒を見る。そういうボランティアである。教師を目指す学生達には非常に良い体験になる。

私が話したのは、利他ということだ。野口芳宏先生の著書に『利他の教育実践哲学』というのがあるが、その利他だ。

仕事と言うのは、利他に向かって行うものだと思う。そして、教育はその象徴的なものであると思う。児童、生徒、学生のために行う。そして、社会のために行う。オリターは、その良い勉強になる。そのことを話した。

もう一つ、臼井直人さんのことも、話した。
個人的なことなので、話すのはどうかと考えたが話した。
彼こそ、利他の先生であったからだ。
学生達のことを一番に考えていた先生であった。
大事な授業の時間ではあったが、だからこそ、話したかった。

本の選定は、学生達に希望を聞いて、それも考慮に入れた上で6冊示した。本の目次と前書きの部分を印刷し、私がブックトークをして、本の実物を回して選んだ。
私としてはどの本を選んでもいいので、学生達に一人二冊選ばせて、決定した。結果は、この本になった。

『いちばんやさしい 教える技術』(向後千春著 永岡書店)
『AさせたいならBと言え』(岩下修著 明治図書)

この二冊を、後期の一回生の研究入門ゼミで読む。両方とも学生達と一緒に読むのは初めてだ。楽しみだ。

研究入門ゼミを後期から担当するのは、今年が初めてだ。
いままでは、前期に担当していた。
だが、今年は後期。
前期の指導の先生の御陰で、良いクラスに育っている。
これを受けて、私はさらに良いクラスにしたいと考えている。

うしゃあ、やるよ。
やるとも。

2013/10/21

『イノベーションのDNA 破壊的イノベーターの5つのスキル』読了

10/21

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『イノベーションのDNA 破壊的イノベーターの5つのスキル』読了。著者の一人のクレイトン・クリステンセンの本は『教育×破壊的イノベーション』に続いて。これもかなりいい本であった。

著者は、10年に及ぶ研究から、イノベーションに必要な力は、5つあることを示した。それは、無関係そうに見えるものを結びつける力、質問の力、観察の力、ネットワーキングの力、実験の力だという。その内一番大切なのは、無関係そうに見えるものを結びつける力であるという。

これが、破壊的イノベーターには備えられていると言うことを、S.ジョブズをはじめとする世界中の数百人、数千人に協力を得て研究を重ねて得られた結果から書かれた本である。

読み終えた私は、なんというかちょっと嬉しい。
私が苦手な部分は、イノベーター型に依拠しているところがあるからだと分かったからだ。イノベーター型と対比されるのが、実行型。本書の中にはこのチェックの問題があるのだが、私は見事にイノベーター型であった。

だから、私は実行型の人とペアを組めた時に仕事ができていたなと振り返ることが出来た。イノベーター型の人と、実行型の人は大事にする部分が違うのだ。前者は、壊して確かめて、問題を解決しようとする。後者は、動いているものをわざわざ壊す必要は無いと考える。私は前者そのものだ。

5つのイノベーションに必要な力のうち最も大事にされているのが、無関係そうに見えるものを結びつける力だが、これはつまり、「謎掛け」であった。私が大学生時代からずっと大事だと主張して来たことが、あっさりとここで書かれていた。

私は、イノベーションは、蓄えられた経験、知識、考え方などの組み合わせだと考えている。その組み合わせの妙で決まると考えている。そして、それを実現させようとする強い意志を持っている人だけが、実現させることが出来るとある。

質問と観察とネットワーキングで問題の把握をし、実験で確認する。実験も色々な種類があることが書かれており、私がやっていたことは実験だったと分かった。

イノベーションのDNAを持っている個人、それをどう企業のイノベーションのDNAにするかということも書かれており、これも見所。結論から言えば、イノベーションはありとあらゆる所で必要で、それは天賦の才能ではなく、トレーニングでできるようになるものであるということを述べている。

そして、それを教育の場面で行うこと大事だと書かれている。

最後に、クレイトン・クリステンセンの謝辞の中で膝を打った場所を引用する。

「優れた理論は、研究者が理論で説明できないアノマリー(異常)を見つけようとしてくり返す研究のなかから産まれる。だからこそ、物事が予想通りうまくいかない理由を、進んで説明してくれた人たちに、大きな感謝を捧げたい」

私は、この文を読んだとき、理論を教育実践に置き換えて読んでいた。研究者を実践家にして、進んで説明してくれた人を指導課題を抱えている子ども達に置き換えて読んでいた。そうなのだ。

私たち、教育関係者も、イノベーターになる必要がある。そして、次世代のイノベーターを育てていく必要があると強く感じさせる本であった。

2013/10/19

カタカナの「ド」の字の書き方が分からないんです

10/19

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研究室で帰宅する準備をしていたら、ノックの音が。
入って来たのは二回生の幼児教育コースの女子学生。大学祭の準備をしていた学生だ。


「先生、とってもつまらないことなのですが、聞いていいでしょうか?」

『はいどうぞ。難しい方が困ります(^^)』

「カタカナの「ド」の字の書き方が分からないんです。ドという字は、縦書きにするとき、縦棒は字の真ん中に書くのでしょうか? それと少し左にずらして書くのでしょうか?」


と。
実にいい質問である。

文字の中心はどこなのかということは、デジタルで文字を書いている学生達には通常は気にならないところだ。ところが縦書きで看板を書こうとしたら、困ってしまったのだ。
(真ん中に縦棒だと思っていたけど、なんだか違う)
ということで、研究室に唯一電気のついていた私の研究室を訪問したのだろう。私が国語とは知らずに。
そこで、あれこれ教える。字の結構法や漢字のルーツや、ひらがな、漢字の中心線の話。そして、書きたい文字を教科書体で縦書きに印刷し、その中心線で折ってみたらどうなるかと見せた。

「あ、左にズレています」

そうなのである。左にずらして書くことでバランスが取れるのである。二画目の点が結構大きくてさらに、濁音の点が上に乗るので、左にずらさないとバランスが取れないのである。

『あなたの疑問は、つまらないことではなく、とてもいい疑問だね。そして、それをうやむやにせず、解決しようと行動したことはすばらしい』

こういうことが出来る学生は、伸びるな。
いい先生になると思う。
そう思うだけで、風邪の私も少し調子が良くなるのでありました

2013/10/15

娘の幼稚園最後の運動会だ

10/13

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朝七時の開門を待って席取りに突入。
娘の幼稚園最後の運動会だ。

開門後はグラウンドを疾走。
結構大変。
しかし、娘のリレーの撮影のためにはベストのポジションをキープ。良かった。

一端家に帰って、奥さんの両親も一緒に運動会に改めて向かう。
あっという間に演目が進む。
カメラと三脚を持ってあちこちに移動しながら撮影。

父親も参加できるものには私も参加。
最後だなあと思いながら、参加。
娘をおんぶして騎馬戦。
これは疲れた。

二回戦目が無くて良かったとつくづく思った(^^)。

さ、リレーである。
娘はじゃん拳に勝ってトップバッターである。
相手は男の子。練習では勝ったことがないということだったので、どうなることやらと思いながら200mmのレンズを構える。

スタート!
いい感じ。
連写でバシバシ撮影!

と思ったら、なんてこった。
この時だけSDカードが不調。保存が出来ない。
えええ。
レンズ越しに娘を見ていることは出来たが保存が出来ない。
慌ててカメラを置いてこの目で焼き付ける。

なんと、本番に強い娘は、練習で一回も勝つことが出来なかった男の子に勝ったのである。うひゃあ。

喜びとガッカリとであったが、まあ、良かったということだ。

しかし、幼稚園の粋な計らいだなと思ったのが、退場のときにもう一周してくれたということだ。このタイミングで疾走する娘を撮影することが出来た。ふう。

無事に楽しく晴天の下で、幼稚園最後の運動会を終えることが出来ました。

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夜は、義理の両親の51回目の結婚記念日のお祝いもかねて、レストランへ。
美味しくいい時間でした。

岡山の明日の教室に向かった

10/12

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三連休の初日。
岡山の明日の教室に向かった。
京都から新幹線で一時間。
乗ってしまえばあっという間である。

明日の教室の分校で一番新しい岡山分校での講座となった。
リクエストは、『こんな時どう言い返す』である。
40人の会場があっという間に満席になり、
キャンセルが出たらまた直ぐに満席になりと言うことで、ありがたいこと。

二時間半の講座であった。
生徒指導に関する研修で、予習のできる研修と言うのは実は少ないと思っている。
事例検討などもあるにはあると思うが、
私は、担任が日々直面するこのような即時口頭指導に関する研修はもっと必要だと考えている。
勿論、研究も必要だと考えている。

私のは、『こんな時どう言い返す』ということで、その場で口で指導することが眼目だ。
「下駄箱で上履きが隠されました。さて、こういう時はどういう指導をしますか?」のような指導は、局面指導といい本は割と出ている。しかし、私の『こんな時どう言い返す』というのは、未だに類書がない。もう10年も前に出したのに。

これは必要がないから類書が出ないという言い方も出来るが、これは違う。
実際本は御陰さまで売れ続けているし、講座もずっとやっている。

で、明日の教室岡山分校の講座も御陰さまで無事に終えることが出来た。感想文を読む限りではみなさん満足して下さったようだ。
懇親会では凄い店に連れて行ってもらって、そこで参加者かの方からまたあれこれフィードバックを頂き、嬉しい限りでした。

最大の危機は、帰りの新幹線。
もう一度感想を読み直そうと思ったら、それを握ったまま寝てしまった。
そして、
「お客さん?」
と車掌に声を掛けられて目覚めたら、感想は新幹線の床に産卵、ちゃう、散乱。
慌てて拾おうと思ったら、なんと後少しで京都駅。

あそこで散乱させなかったら、終点の名古屋駅まで行く所でありました。
はあ、危なかった。

一番危ないのは、やはり私でした。

2013/10/08

前半は、「街中の変な看板」

10/7

国語科教育法2。

前半は、「街中の変な看板」。
夏休みの宿題として、街中にある変な看板、間違った看板、面白い看板を写真で撮影してくるというものを出してあったので、それを元に行う。

1)出題者の問題の写真を見る。
2)どこがおかしいのかを考え、解答者が発表する。
3)分からない場合は、出題者にヒントを求める。
4)どうしても分からない場合は、出題者が解答をいう。

これを18人分やったので、これだけで60分近く掛かってしまった。が、とても面白かった。

ま、VOWと言えばVOWなのであるが、これを見つけることで、町の言葉を良く観察してほしい。また、一見正しいことを言っているようでいて、その実際が示すことは何なのかを考えること等をしてほしいということである。

たとえば、「暴力追放の町」とあれば、『ということは、実はこの町は〜』「あ、暴力があるということか!」と学生達は気がつくのである。嘗て授業づくりネットワークで連載した『一枚の写真から』というのがある。一枚の写真から同授業を作るかというものである。このこのとを学生達にやらせたのである。

取りあえず三つ紹介する。

写真1

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写真2

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写真3

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さて、それぞれ何がおかしいかお分かりであろうか。

後半は、授業の作り方。主に、教材と学習材について

簡単に言えば、教える側の都合で、教える内容を盛り込んだ材料が教材。teach → stuydy の関係のときに使われる。たとえば、学年別配当漢字にあわせて漢字を教える時の漢字ドリルがその例。

その一方で、学ぶ側が自分で学んでいる時に使われている材料が学習材。learn → coach の関係の時に使われる。たとえば、釣りをする子どもはテグスを結ぶわけだが、そのテグスを結ぶことを通して、結び方を学んでいる。このときテグスは学習材になっていると考えられる。うちの娘 (6)にとっては、『ポケモン百科事典』は、カタカナを学ぶ為の大事な学習材であるのと同じ。これは総合的な学習の時間や
、その考えの元になっている社会構成主義の考え方の立場の観である。

これを国語の授業の場合で考えさせた。
勿論、教材の全面否定を言っているわけではない。私が言いたいのは、教材だけではなく、学習材という観点から考えてみる視点を持つ必要があるということだ。

これは、国語科を実技教科にしたいという私の主張では、大事な部分の一つになると考えている。

来週は、模擬授業の順番を決める。いよいよ山場を迎える。

2013/10/05

なぜ、10分伸びてしまったのかの理由を探る事後指導を行って来た

10/4

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教育実習訪問指導を終えて研究室なう。
今日は算数の研究授業であった。6年生の場合の数。
勿論、算数のことはよく分からないが、授業については分かるのでその観点で指導。

授業が10分伸びてしまった。
なぜ、10分伸びてしまったのかの理由を探る事後指導を行って来た。

1)話し合いのグループが4人から6人とバラバラであった。4人はすぐに活動に入ったが、5人、6人の所は時間が掛かった。
2)話し合いのグループでの役割に関する指示がなかった。決めるのに時間が掛かっていた。司会、記録、まとめ、発表などの係を予め指示しておけば良かった。
3)児童の出してくるであろう答えの予測が不十分であった。その後の、解説の時間でしどろもどろしてしまった。

だいたいこの三つがポイントで、ここが上手くできていれば10分伸びることは無かったと思われる。

また、早く出来てしまったグループへの対応も不十分であった。樹形図で考えていた子どもたちに、表や計算でも同じ答えになるか挑戦させる等の工夫が欲しかった。そうすれば、遅いグループへの個別指導もやりやすかったであろう。

どうしても、教師は出来る子どもに合わせて授業を進めたくなってしまう。その方が教師の不安がなくなるからだ。だから前半は、出来る子どものペースにあったものになりがちだ。しかし、教室にいる分からない子ども、出来ない子どもも捨てられないので、授業の後半ではそちらにかかりっきりになる。

これが逆にできるようになると、授業が安定してくると思う。前半ゆっくりと出来ない子どもを中心に。後半は出来る子どもを中心にさらに上を目指す。分かっているだけどなかなねえ。

さらに、授業の最後で、授業のまとめを実習生がするのだが、これが長い。長いのは、自分の授業が上手く届いていないという不安から、長くなってしまっているわけだ。

『そこは、折角グループがあるのだから、子どもたちにグループでその答えを確認させれば、良かったのにねえ。そして、どうしても、納得がいかない子どもは、先生のところにおいで位で良いと思うよ』と指導。

実際授業が終わってから様子を見ていると、クラスの女の子が黒板を消すのを手伝いながら
「あんな、先生、ここが分からなかってんねん」
と相談していたのである。

ま、難しい。
実際にやって、こうして指導を受けて、またやって、上手くなって行くものだ。

がんばれ。

写真はあげの中にブルーチーズを入れて、フライパンであげの表面を軽く焼いたもの。これだけで十分に美味しい。いい素材をさっと手を加えて仕上げる。授業もこうでありたいなあと思う。

2013/10/01

国語科教育法2は、授業の作り方の話に入る

10/1

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国語科教育法2は、授業の作り方の話に入る。

藤岡信勝先生の「教育内容」「教材」「教授行為」「学習者」(藤岡信勝『授業づくりの発想』(1989年、日本書籍)から入り、授業設計のための三つのポイントである、目標、内容、評価の説明等を行う。

特に評価については、診断的評価、形成的評価、総括的評価についてを講じ、結果を評価するだけではなく、その挑戦を評価する評価のありかたについてを丁寧に。

結果に対してその価値を褒めるような褒め方ばかりしていると、子ども達は結果のでないことは予めやらなくなる。結果ではなくその挑戦を褒めるようにすること。その事実をきちんと認めて上げること。ここがポイントになる。言い方は悪いが「数打ちゃあ当たる」にして行くことが大事。



授業の構成については、以下の5つのスタイルを示す。
私はテレビ作りにも関わっているが、テレビを作るスタッフは才能の塊だと常々思っている。その才能の塊が議論をし、役割を分担し、一つの作品を作る。その中で重要なのが構成作家さんである。

番組の構成がしっかりしていないと、視聴者は番組を見続けない。
見ていても途中で投げ出してチャンネルを変える。
私の主張は、安定しているまたは人気の番組の構成を、授業の構成に拝借するというものである。次の5つが良い。

a) サザエさん型
b) 探偵コナン型 
c) 古畑任三郎型 
d) ためしてガッテン型
e) ブラックジャックによろしく、または、半沢直樹型

これらについてはいま書いている本に載せるつもりなので、そちらをご覧頂きたい(^^)。あ、コナン型については、以下にあるので良かったらご覧下さい。
http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2007/10/post_71d4.html

そしてその他にあれこれあれこれ。



授業はつくるものだという発想は、基本的には学生達には無い。特に国語は、教師が教科書を読んで、説明して、テストをやっておしまいというものが殆どだ。100歩譲ってそれでいいとしよう。

しかし、それで、子ども達が面白く、知的興奮を持って国語の授業を受けるだろうか。また、読む、聞く、書く、話すと言語事項を身につけることが出来る指導ができるのだろうか。私には出来ない。

授業づくりは奥が深い。
やってもやってもキリがない。
だけど、その授業づくりの基本を知らないと、身につけていないと、教師が教科書を読んで、説明して、テストをやっておしまいというものになってしまうのではないだろうか。私は学生達に、そんな先生になって欲しくない。

後期は、彼らがグループを作り模擬授業を中心に進めて行く。
その授業づくりを指導して行く。
その為に前期をやってきた。
さ、後期の授業が楽しみだ。

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