前半は、「街中の変な看板」
10/7
国語科教育法2。
前半は、「街中の変な看板」。
夏休みの宿題として、街中にある変な看板、間違った看板、面白い看板を写真で撮影してくるというものを出してあったので、それを元に行う。
1)出題者の問題の写真を見る。
2)どこがおかしいのかを考え、解答者が発表する。
3)分からない場合は、出題者にヒントを求める。
4)どうしても分からない場合は、出題者が解答をいう。
これを18人分やったので、これだけで60分近く掛かってしまった。が、とても面白かった。
ま、VOWと言えばVOWなのであるが、これを見つけることで、町の言葉を良く観察してほしい。また、一見正しいことを言っているようでいて、その実際が示すことは何なのかを考えること等をしてほしいということである。
たとえば、「暴力追放の町」とあれば、『ということは、実はこの町は〜』「あ、暴力があるということか!」と学生達は気がつくのである。嘗て授業づくりネットワークで連載した『一枚の写真から』というのがある。一枚の写真から同授業を作るかというものである。このこのとを学生達にやらせたのである。
取りあえず三つ紹介する。
写真1
写真2
写真3
さて、それぞれ何がおかしいかお分かりであろうか。
◆
後半は、授業の作り方。主に、教材と学習材について
簡単に言えば、教える側の都合で、教える内容を盛り込んだ材料が教材。teach → stuydy の関係のときに使われる。たとえば、学年別配当漢字にあわせて漢字を教える時の漢字ドリルがその例。
その一方で、学ぶ側が自分で学んでいる時に使われている材料が学習材。learn → coach の関係の時に使われる。たとえば、釣りをする子どもはテグスを結ぶわけだが、そのテグスを結ぶことを通して、結び方を学んでいる。このときテグスは学習材になっていると考えられる。うちの娘 (6)にとっては、『ポケモン百科事典』は、カタカナを学ぶ為の大事な学習材であるのと同じ。これは総合的な学習の時間や
、その考えの元になっている社会構成主義の考え方の立場の観である。
これを国語の授業の場合で考えさせた。
勿論、教材の全面否定を言っているわけではない。私が言いたいのは、教材だけではなく、学習材という観点から考えてみる視点を持つ必要があるということだ。
これは、国語科を実技教科にしたいという私の主張では、大事な部分の一つになると考えている。
◆
来週は、模擬授業の順番を決める。いよいよ山場を迎える。
« なぜ、10分伸びてしまったのかの理由を探る事後指導を行って来た | トップページ | 岡山の明日の教室に向かった »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント