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2013/11/26

教育、授業とマジッックってのは、何か関係があるのか?と思われる方が多いだろう

11/24

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先週の明日の教室。山下翔吾さん。若手マジシャンの講座。今年度二回目。このスピードで二回呼ぶ人は仲里先生以来。是非、DVDに残したいと思ってもう一度早いうちに来ていただいた。

教育、授業とマジッックってのは、何か関係があるのか?と思われる方が多いだろう。私は大ありだと考えている。前回の四月の講座を見て,私はこれを確信した。

「説明が伝わらないとき、それでマジックが失敗するとき、それは私の指示のミスなんです。タネが見破られそうなとき、それを防ぐ手だてを打てないのは、私のミスなのです」
「私の言葉、私の動きには全て意味があります。そして、それはお客さんからは意味があるようには見えません」
「手品は、全てゴールを決めてから行います。しかし、途中で変更する事もあります。やり取りの中で使えなくなくなった技は捨てて、別のルートでゴールを目指します」
「見て下さいととは言えても、見ないで下さいとは指示が出せないのが、手品です。その中でタネのあるところを見させないようにあれこれやって進めていきます」

もう本当に、授業のことを話しているのかと思う。24歳でこれを言えるってのは、すごい。失敗が許されないマジシャンならではなのだろうが、すごい。18歳でマジックを始め、5年目。プロとして2年目。新卒2年目でここまで深く理解している教師は、まあ、ほとんどいないでしょ。

大学の授業では、

『種も仕掛けもあるのが、授業です。ただ、学校の先生はそれを見せながら授業はしません。だけど、私の学級担任論や教科教育法(国語)などの授業では、「ホーラ見てご覧」というように、見せます。どんな意図があって教師はその行為をしているのかをよく見て、よく考えるように』

と話している。ね、同じでしょ。

糸井さんと話をしていて、
「これ、池田さんと山下さんで学校を回ったらいいんじゃないの?」
と言われた。子ども達にはショーを見させて、先生達には私がそこでどんなことをしているのかを解説する。すんごくいい校内研修会になると思う。

私は彼はラスベガスに行く人だと思っているので,行く前に日本の学校教育に関わって欲しいなあと思っている。勿論、ラスベガスに行ったら見に行きたい(^^)。

このDVDは、手品のネタを手に入れるためにも良い思う。しかし、実はその根っこにある教育、授業との繋がりをじっくりと見て欲しいと思う。

2013/11/22

私はこの二つのわかるの橋渡しを学生達にする仕事をしていると思っている

11/20

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学級担任論は、学級の現状の把握と分析について。
学級を経営する為には、まずは子ども達の現状を理解する事が大事。理想のクラスを作るには、教師がその進むべきクラスのあり方、つまりはビジョンを子ども達に示す事は大事。ま、これが通常は学級目標になる。しかし、これだけでは不十分である。もう一つ大事なのが現状の把握である。いま、子ども達がどのような状態にいるのかを理解する必要がある。

この方法について、早稲田大学の河村先生が開発されたQ-Uは素晴らしいものだと思う。信頼性と妥当性を担保し、簡単な質問で子どものクラスの立ち位置がわかり、クラスの現状が目に見える形で示される。すごいなあと思う。学校現場にどんどん取り入れられていくのは良くわかる。ではあるが、
『だから、Q-Uを使えば良い』
と一言言えばおしまいになる、というわけでもない。

確かに、Q-Uはその分析されたデータの見方なども丁寧に書籍で紹介されていて、いいのだが、私はもう少しシンプルにお金も掛からないでできることを学生達に考えさせたいと思うし、やらせてみたいのだ。もう少し言うと、学生達が現場に立ったときに、子どもの現実を見るために必要な力の、根っこの部分を育ててみたいと思うのだ。示してあげたいと思うのだ。

私が使うのは、写真。そして、観察記録。
極めてシンプル。非連続型テキストの写真と連続型テキストのメモ。この二つのテキストを駆使して、情報を収集し分析する。今日の授業ではその方法と具体的な例を示した。

実はこれらの内容は、北海道に行って講演をしているところでも使っている所。
担当の指導主事の方に話をすると、
「先生の学生さん達は、本当に羨ましいですね」
と言って下さる。
ま、現場に出てみないと私が教えていることの本当の意味はわからないと思うが、こうして指導の目次項目を教えておくだけでも、現場に入ったら随分とたすかるのでは無いかと思っている。

研究入門ゼミは、テキストリーディングに移る。
10冊近く候補を出した上で、今回は二冊に絞る。二冊全部読めるとは思わないが、ゼミで、複数の人たちとテキストを分析的に読んでいく。最初の本は『AさせたいならBと言え』(岩下修 明治図書)。言わずと知れた名著、古典である。ある先生は、法則化運動に関する本を3冊推薦せよといったら、この本は必ず入ると熱弁していた。ま、それはそうだ。名著だ。

今日は私がチューターとなる。
表紙、裏表紙、表紙のイラスト、はじめに、目次について一つ一つ追いかけながら読む。
本というのは、どの順番で書かれる物なのかを説明し、そうだとしたら、読者はどの順番でどのように読むのが面白いか等も話す。

本書は、基礎編と探索編の二章から成り立っている。
学生達には、
『じゃあ、基礎と基本はどう違うの? 基礎と初歩はどう違うの? 基礎ってなに?』
と問いを投げかけながら進める。
『君たち二人はバレー部だよね。バレーの基礎って何?』
「ジャンプ力」
『そうなの? 隣のバレー部員は首を傾げているよ。そもそもリベロってジャンプ力必要なの?』
「いらないです」
『じゃあ、違うんじゃない? バレーの初歩はなに?』
なんて話をしながら、この本で書かれている基礎ってのは、どういう意味を持つのかを目次の小見出しを見ながら考えていく。

『探索ってなに? 探すと捜すがあるんだけどどう違うの?』
『捜の、又の上の字はどう書いた? 由? 申?』
「え、由じゃないの?」
『はい、携帯電話を出して確認して』
「あー、申だ!」
『でしょ。大丈夫、私も教師になってから気がついたから。なんで申? なんで又?』
『又って何を表していると思う?』
『探すと、捜すの違いはわかったね。同訓異義語っていうんだよね。同じ訓読みをしながら、意味が違う。同じ意味で重なっている部分もあるが、違う所もある。だから同訓異字。違う意味だから漢字も違う』
『となると、索はどういうこと?』

とまあ、こんな風にやって言葉、漢字、熟語にこだわりつつ、この本を読んでいく為のオリエンテーションを進めた。
学生達は、
「表紙、裏表紙、イラスト、目次、はじめにだけで90分も授業をするとは思わなかった。すんごく面白かった」
「授業の前にさっと読んで来たけど、なんだか別の本を読んでいる気がした」
と感想を書いている。

みんなで読むということは、自分一人では辿り着けないところに、読み進める事。恩師はこれを「読み解く」と言った。そして、新しい読みを発見する事を「読み開く」と言っていた。当たり前だが、自分で読んで来た内容と学校でみんなで読んだ内容が同じだったら、学校で読む意義はない。みんなで読んだらより面白い所に辿り着いたという体験が作られるから学校で読むことの意義がある。そして、そこで手に入れたものをベースにして、また一人で読む。そして、みんなで読んでもっともっと面白い所に辿り着く。この良循環のきっかけを研究入門ゼミで、一回生のゼミで彼ら彼女らにプレゼントしたいなと思うのだ。

わかる、という言葉は二つの意味を持っていると思う。
わからない事がわかると言う事と、わかっていない事がわかるの二つがある。
前者は、勉強に対応したわかるだ。簡単に言えば,知らなかった事を知ったということだ。出来なかった事が出来るようになったということもこれだ。
後者は、学問に対応したわかるだ。どこの部分がまだ解明されていないのかがわかるということだ。

前者のわかるは、主に大学受験に向けてのわかりかた。後者は、大学以降に必要なわかりかたで、新しいものを生み出すには必須のわかりかただろう。私はこの二つのわかるの橋渡しを学生達にする仕事をしていると思っている。それを可能にする授業をもっともっと作りたいと考えている。

2013/11/19

第12回関西授業づくり研究会に参加

11/19

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第12回関西授業づくり研究会に参加。今日はガンホーの方が来て下さって、パズドラなどに関わってのあれこれのお話を聞く。
いつも思うのだが、企業の方は丁寧だ。そして、
(をい、そこまで話してしまっていいの?)
と思うような事も話してくれる。
それが研究会に参加する事の醍醐味なのだが、この研究会は特にその傾向が強い。

パズドラは、私もだいたい一ヶ月間だけやった。
私が気になるのは、何が子ども達を楽しませているのか。何が子ども達を填めているのかと言うこと。つまりは、ゲームのアイディア、設計、ゲームバランスなどを中心としたゲームデザインだ。

時代によって天才が集まる所が違う。
日本で言えば、昭和の初期は、落語に集まっていたと思う。映画の時代もあった、テレビの時代もあった、演劇の時代もちょっとあった。そして、いまはコンピュータゲームの周辺にこの時代の天才達は集まっていると思う。

ま、落語だけはちょっと別かもしれないが、この天才の集まる所は一人の天才が何かをするということではなく、作品を作ることに掛けていろいろなジャンルの天才達が集まって、チームワークで作り上げていく。今日のガンホーの担当者の方のお話を聞いていると、それを改めて思う

以下、書いても良い話の中からいくつか。

「ライバル会社はどこですか?」
という質問が会場からあった。その答えが面白かった。
「ライバル会社は特には無いんです。一つのゲームが売れるとき、ゲーム業界はみんなで元気が出るからいいんです。問題は、ゲームをしなくなるということです。だから、ライバルは、今年で言えば『半沢直樹』でした。40%の人がテレビに齧りついていたわけです。その時間はパズドラをやってくれないわけです。これは困る。だから、「半沢直樹」がライバルです」

これは、非常に面白く痛い所をついている。
研究会が終わって駅に向かうときに藤川さんとも話したのだが、ネット、コンピュータがますます発達していくこれからの時代は、時間の取り合いになるということだ。ガンホーは『半沢直樹』がライバルだと言ったが、実は教育にとっては、ガンホーがライバルなのだ。勉強の時間にパズドラが食い込んで来てしまえば、子ども達は勉強をしない。

この現状に対して、「パズドラが悪い」ということを言い続けるだけの人が教育界には多すぎると考えている。なにもパズドラが悪いんじゃない。スーパーマリオブラザーズが出たときからこれは始まっている。ドラクエでもそうだ。パズドラはiPhoneやiPod touchでできるので、いつでもどこでもできる事になっているが、それがこの「パズドラが悪い」の議論の根っこではないと私は考えている。

問題は、パズドラより面白い授業が作れていない所にあるのだ。私はそれをドラクエ3をやった25年前に感じていた。だから、
『私の授業は、ドラクエがライバル』
と言っていたのだ。これを言うと学生達は最初は笑う。しかし、私は続けて聞く
『ムシキングをやるためにゲーセンで100円玉を握って並んでいる子ども達を見た事があるか。君の行う授業を、君の教え子達は100円玉を握って、教室に入る為に廊下に並んで待っていると思うか?』
と。

ドラクエよりも面白い授業、楽しいクラスを作らなければ子ども達は、学校にやってこようとは思わない。学校には親の顔を立てるため、または、おつきあいで来てくれていると考えた方がいいのだ。100円玉を握りしめてムシキングをするために並んでいる子どもたちの顔を見よ。ワクワクしながら待っている。あの顔が私たちの授業が始まる前にあるか。100円玉を握って受けたいと思わせているか。それを考えるのだ。

ゲームの力は強い。それがコンピュータのプラットホームを手に入れてますます強力になり、スマーフォフォンでさらに強くなった。ライバルはドンドンイノベーションを繰り返し進化しているのに、授業と言ったらさて、どうなのだろうか。

いや、待ってろよ、変えてやるからな。

「課金は塾です」
と講演の中で話されていた。パズドラの課金制度のことである。この課金については色々と問題があるようにも書かれているが、今回の話を聞いて非常によく考えられているシステムだと思った。

まず、良く知られているようにゲームそのものは課金する事無く進める事は出来る。そして、課金してアイテム(魔法石)を沢山手に入れたとしても、経験値が上がらないと手に入れたドラゴンは使いこなす事が出来ない。これを例えて課金は塾だというのだ。

つまり、塾に行かなくたって高校に合格する子どもはいる。だが、お金を払って効率的に塾で勉強をして高校に合格する道もある。どちらの方法を採るかは自由。だが、どちらの方法を採るにしても、努力をしなければ高校には入れないのである。パズドラは、課金で魔法石を手に入れても、それだけではゲームを進める事が出来ないデザインになっている。そして、そのデザインの検証をガンホーの中のパズドラ開発スタッフたちが楽しみながらやっていると言う。

これは、なかなかいいなあと思った。

時間というかスピード感というか。
世の中が猛烈なスピードで変化し、それこそ10年後にはiPhoneがあるかどうかわからない世界になっている。どんなデバイスが出てくるかわからない。しかし、今よりも簡単で今よりもエキサイティングなものが生まれて残っていくだろう。

そんな中で、全く変わらない授業がまだある。
子どもが手を挙げ、手が挙がったところだけ発言させなんていう授業だ。
教室全面をホワイトボードにし、思いついたら書き込む。または、手元の端末で書き込んだ物が、プロジェクターで投影される。子ども達も教師もそれを見ながら、授業をドンドン進めていく。そんな授業はなぜ作れないのか。

勿論、じっくりと考えなければならないこともあるだろう。それはそうだ。
しかし、ドンドン数をこなして定着させる事までもじっくりやらせる必要は無い。15秒、30秒のCMで育ち、ザッピングが当たり前で、140字で流れる情報を読み取る彼ら彼女らが身につけた情報処理能力は相当なものだろう。ここにじっくりとゆっくりとでは、なんというか、フェラーリを渋滞の首都高速で走らせているような物だと思うのだ。

私たちは、ひょっとしたら、じっくりと考える事が許されない時代を行き始めているのかもしれないと思う。コンピュータのCPUがこれだけ高速処理を可能を可能にして来たことは、人間にもそれを求めて来ているのかもしれない。

未曾有の時代に突入している事を、毎回実感する研究会だ。
そして、そこを生きていく子ども達を教える先生を育てる仕事をしている私は,毎回、うしゃああああと思うのであった。

2013/11/18

実際に授業で展開できなきゃ、ダメだ。

11/16

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教職総合演習の授業で四回生たちと一緒に奈良教育大学付属小学校の公開研究会に参加する。四回生だけでなく、下回生も希望者は参加する。バスを一台チャーターして出掛けた。公開授業、研究授業、検討会、基調提案、講演と全てに参加させる。

多くの種類の授業を同時に見られる。また、提案のある研究授業を元に検討会に参加させるのは意味があると思われる。何よりも、教員と学生が同じ授業を見て、それを元に検討を行えるところに意味がある。

私は国語の授業を見た。
正直な所,授業は課題のある授業だったと思う。
検討会では、その部分を授業者に話した。
学べる所は学び、わからない所は指摘し、違うと思う所は私ならどう授業をするのかという対案を示して議論に参加した。

授業の検討は、辿り着きたい目的にどれだけ迫れたか。迫れなかったとしたら何が原因だったのか。迫れたとしたら何が良かったのかを、テキストと授業の事実に基づいて行うべきだと考えている。

授業は、やりたかったことと、できたことはズレる。良い方向にも悪い方向にもズレるものだ。それは仕方がない。そこを指摘しただけにしたり、ましてや非難したりしても仕方が無い。学べた事は何なのか。どうすれば、授業者が目指す所に辿り着けたのかを、サポートする検討会でありたいと私はいつも考えている。

いま、大学に帰るバスに乗り、学生達一人ずつに一言感想を言わせている。
結構良く授業を見ていたなという感想を持つ。
『さ、今度は君たちがその問題を解決する授業を君たちが作るんだぞ』
とこのあと話す予定。

実際に授業で展開できなきゃ、ダメだ。
期待している。

2013/11/11

言葉の海にどっぷりと浸るのだ

11/7

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2限の四回生ゼミは、卒論指導。
書き上げた部分で検討して欲しい所を、読み上げていく。私が指摘した部分は、これ、

「〜ボランティアの体験からです。」

というもの。ここが二つの意味に取れてしまう可能性があることを指摘。「から」である。この空はbecauseにもなるし、fromにもなる日本語である。この卒論を書いている学生はbecauseのつもりで書いているが、文章を読んでいるとfromの意味でも取れてしまう。

じっくり読めば、fromではないことが分かるのだが、問題はそこ。読み手がじっくり読むことを前提にした文章を書くのはダメだと言うことだ。書き手が村上春樹であれば、世界中の読者がじっくりと読んでくれるだろう。また、じっくりと読まざるを得ない概念というものがあることも分かってはいる。筆者が言語化しにくいものを言語を使って、必死に絞り出そうとした文章があることも分かる。

しかし、これはそのどちらでもない。書き手の配慮の問題である。



もう一つ卒論指導で指摘したのが、副詞、副詞句だ。

絶対
必ず
間違いなく

という語群である。
これを使ってしまうのだ。

絶対に、と言われれば
(例外は無いんだろうなあ?)
と考える。いや、絶対ではないから絶対と言う言い方をして逃げようとする、論証を正当化しようとしていると思われるのだが、これをつい使ってしまう。

『絶対であれば、絶対であると言う証拠、データを出しなさい』

実際にアンケートや実験でデータを取っているわけではないので、これはできない。「〜なので、◯◯の可能性が高い」ということは言えても、その先は言えない。

絶対と言うことばを使って論文を書いているのは、まるで子ども達が
「お母さん、みんな持っているから買って」
と言っているようなものなのだ。

私もつい、使ってしまいたくなる誘惑の多い、絶対。だが、慎まねばならない。



3限の2回生ゼミは、『「学ぶ」ということの意味 (子どもと教育)』(佐伯 胖)を講読している。発表者が発表の部分を要旨に纏めてきて発表し、担当箇所に問いを立てて、議論するスタイルである。

今日は、大人と子どもで未来の捉え方が違うのは何故なのかということを、テキストに沿って考えると言う問いであった。学生達は、小グループに分かれてその問いに対して議論を重ねて、答えを発表していった。

最後になって
「何か、ありませんか?」
とあった。学生達は満足した感じで特に何も問題は無かった。が、私はじっとこの様子を見た上で、最後に発言した。
『私がこの問いに答える立場だったら、答えられないと言うと思うのだが、みんなは良く答えられたね』
と。
そこから更なる議論が始まった。そして辿り着いたのは、大人と子どもの境目を決めないままでは、この問いに答えることは出来ないということであった。

そう。大人と子どもの定義をしないまま、わけることは出来ないのだ。折角だったので、ゼミ生に大人とは? 子どもとは?と定義をさせてみた所、特に大人の定義が見事にバラバラなのであった。

『本を読む。議論をする。学術的な文章を書く。こういう時には、言葉の意味をきちんと確認しながら行うことなのだ。この講読というのは、そういう作業を通して行われる。いや、君たちを怒っているわけではない。そういう訓練をする機会がなかっただけだろう。このゼミではこれをやるのだ』

言葉の海にどっぷりと浸るのだ。

2013/11/06

基本中の基本。 子どもを見るということ。

11/6

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(冬の味覚。グジの刺身)

学級担任論だん。

学級集団内の小集団の分類と、学級集団の分析について。

群れを集団に育てる。目標に向かって組織とルールをベースにして活動して近づいていく。そこに文化が産まれる。さらに、文化から新しいものが産まれていく。これが出来たとき群れは集団になっていく。

ここを目指す為に、学級の中にある私的な小集団を理解し、公的な小集団へと育てていくことが大事。そうだとすれば、子どもの状態、群れの状態の学級、集団を分析することは大切。

子どもの分析は、簡単に言えば観察から始まる。いや、観察ができなければ出来ない。もっと簡単に言えば、子どもを見るということだ。じっと見る、ボーッと見る、観点を決めて見る、目の端で見る、目を瞑って見る。色々な見方がある。

色々な見方があるが、何を見るのかと言うのは決まっていると私は思う。
それは、子どもの違和感である。
(あれ、なんか違うな)
である。

いつもと違うもの感じ、見る。
そして、それな何なのか、何故なのかを考える。
これが観察であり、分析であると思うのだ。

これを別の角度、観点でやる。または効率的な方法でやるかどうかで違いはあるが、根っこはここである。これを、子ども、群れ、集団のそれぞれに当てはめていく。そうしてこれを見る。

本学科では、このことを体験させる為に、フィールドワークを二回生からしている。
集団をマネージメントする担任の仕事と、集団の平均から外れている子ども一人一人を相手にする担任の仕事と両方ともを身につけるための、最初の一歩になればと思ってである。

難しいんだけど、大事なこと。
基本中の基本。
子どもを見るということ。

2013/11/03

それが、親や教師の仕事

11/3

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「えー、このぐらいいでしょ」

「えー、このぐらいなんとかして下さいよ」
と小学生でも大学生でも言ってくることがある。
『ん、ダメだよ』
と笑顔で答える。
「えー、けち」
「えー、そこをなんとか」
『けちではない』
『なんとかならない』
と断る。

小さな我侭を受け入れないこと。
ルール違反を認めないこと。
受け入れたら、
(ラッキー、これぐらいなら大丈夫なんだ)
ということを教えてしまう。そして、それを彼らは自分で拡大解釈して、これぐらいいいじゃんをくり返すことになる。そして、多くの場合破滅する。

だから、最初にダメをきちんと言わなければならない。
嫌われるんだけど、言わなければならない。
それが、親や教師の仕事。

明日の教室11月のご案内です

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明日の教室11月のご案内です。

11月は今年の4月の講座へのアンコール講座です。
この時の講座は、絶賛の嵐でした。
新進気鋭の若手マジシャンの山下翔吾さんに再登場願います。
4月の講座の様子は以下の通りです。

http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2013/04/post-4b73.html

手品は、論理と技術。これを訓練で身に付けます。
とても授業と相性がいいです。
子どもの相手をする時に、いくつかの手品が出来るととても良いです。
今回は11月の講座ということで、忘年会にも間に合います。

山下さんは、クロースアップマジックですので、大きな教室で行うことはしません。
50人限定です。

なお、今回は、手品用のトランプを予めこちらで注文しますので、参加費にトランプ代を含めております。ご了解ください。なお、学生諸君は、参加費は無料ですが、トランプ代として300円は必要です。

では、参加をお待ちしております。

申し込みはこちらです。
http://kokucheese.com/event/index/125725/

講師経歴

山下翔吾 1989年9月18日生まれ 熊本県出身
京都造形芸術大学映画学科在学時にマジックに出会う。大学で専攻していた映画とマジックを融合させた、物語のある新しいジャンルのマジックに挑戦する若手マジシャン。ホテル専属マジシャンとして活動するほか、現在ロングラン公演中の舞台「GEAR‐ギア‐」にマジックパートとして出演中。NHK、ABCなど各局テレビにも出演。映画『弥勒』(監督:林海象、主演:永瀬正敏)のマジックシーン演出。

http://item.rakuten.co.jp/100magic/1021/

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