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2013/11/22

私はこの二つのわかるの橋渡しを学生達にする仕事をしていると思っている

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学級担任論は、学級の現状の把握と分析について。
学級を経営する為には、まずは子ども達の現状を理解する事が大事。理想のクラスを作るには、教師がその進むべきクラスのあり方、つまりはビジョンを子ども達に示す事は大事。ま、これが通常は学級目標になる。しかし、これだけでは不十分である。もう一つ大事なのが現状の把握である。いま、子ども達がどのような状態にいるのかを理解する必要がある。

この方法について、早稲田大学の河村先生が開発されたQ-Uは素晴らしいものだと思う。信頼性と妥当性を担保し、簡単な質問で子どものクラスの立ち位置がわかり、クラスの現状が目に見える形で示される。すごいなあと思う。学校現場にどんどん取り入れられていくのは良くわかる。ではあるが、
『だから、Q-Uを使えば良い』
と一言言えばおしまいになる、というわけでもない。

確かに、Q-Uはその分析されたデータの見方なども丁寧に書籍で紹介されていて、いいのだが、私はもう少しシンプルにお金も掛からないでできることを学生達に考えさせたいと思うし、やらせてみたいのだ。もう少し言うと、学生達が現場に立ったときに、子どもの現実を見るために必要な力の、根っこの部分を育ててみたいと思うのだ。示してあげたいと思うのだ。

私が使うのは、写真。そして、観察記録。
極めてシンプル。非連続型テキストの写真と連続型テキストのメモ。この二つのテキストを駆使して、情報を収集し分析する。今日の授業ではその方法と具体的な例を示した。

実はこれらの内容は、北海道に行って講演をしているところでも使っている所。
担当の指導主事の方に話をすると、
「先生の学生さん達は、本当に羨ましいですね」
と言って下さる。
ま、現場に出てみないと私が教えていることの本当の意味はわからないと思うが、こうして指導の目次項目を教えておくだけでも、現場に入ったら随分とたすかるのでは無いかと思っている。

研究入門ゼミは、テキストリーディングに移る。
10冊近く候補を出した上で、今回は二冊に絞る。二冊全部読めるとは思わないが、ゼミで、複数の人たちとテキストを分析的に読んでいく。最初の本は『AさせたいならBと言え』(岩下修 明治図書)。言わずと知れた名著、古典である。ある先生は、法則化運動に関する本を3冊推薦せよといったら、この本は必ず入ると熱弁していた。ま、それはそうだ。名著だ。

今日は私がチューターとなる。
表紙、裏表紙、表紙のイラスト、はじめに、目次について一つ一つ追いかけながら読む。
本というのは、どの順番で書かれる物なのかを説明し、そうだとしたら、読者はどの順番でどのように読むのが面白いか等も話す。

本書は、基礎編と探索編の二章から成り立っている。
学生達には、
『じゃあ、基礎と基本はどう違うの? 基礎と初歩はどう違うの? 基礎ってなに?』
と問いを投げかけながら進める。
『君たち二人はバレー部だよね。バレーの基礎って何?』
「ジャンプ力」
『そうなの? 隣のバレー部員は首を傾げているよ。そもそもリベロってジャンプ力必要なの?』
「いらないです」
『じゃあ、違うんじゃない? バレーの初歩はなに?』
なんて話をしながら、この本で書かれている基礎ってのは、どういう意味を持つのかを目次の小見出しを見ながら考えていく。

『探索ってなに? 探すと捜すがあるんだけどどう違うの?』
『捜の、又の上の字はどう書いた? 由? 申?』
「え、由じゃないの?」
『はい、携帯電話を出して確認して』
「あー、申だ!」
『でしょ。大丈夫、私も教師になってから気がついたから。なんで申? なんで又?』
『又って何を表していると思う?』
『探すと、捜すの違いはわかったね。同訓異義語っていうんだよね。同じ訓読みをしながら、意味が違う。同じ意味で重なっている部分もあるが、違う所もある。だから同訓異字。違う意味だから漢字も違う』
『となると、索はどういうこと?』

とまあ、こんな風にやって言葉、漢字、熟語にこだわりつつ、この本を読んでいく為のオリエンテーションを進めた。
学生達は、
「表紙、裏表紙、イラスト、目次、はじめにだけで90分も授業をするとは思わなかった。すんごく面白かった」
「授業の前にさっと読んで来たけど、なんだか別の本を読んでいる気がした」
と感想を書いている。

みんなで読むということは、自分一人では辿り着けないところに、読み進める事。恩師はこれを「読み解く」と言った。そして、新しい読みを発見する事を「読み開く」と言っていた。当たり前だが、自分で読んで来た内容と学校でみんなで読んだ内容が同じだったら、学校で読む意義はない。みんなで読んだらより面白い所に辿り着いたという体験が作られるから学校で読むことの意義がある。そして、そこで手に入れたものをベースにして、また一人で読む。そして、みんなで読んでもっともっと面白い所に辿り着く。この良循環のきっかけを研究入門ゼミで、一回生のゼミで彼ら彼女らにプレゼントしたいなと思うのだ。

わかる、という言葉は二つの意味を持っていると思う。
わからない事がわかると言う事と、わかっていない事がわかるの二つがある。
前者は、勉強に対応したわかるだ。簡単に言えば,知らなかった事を知ったということだ。出来なかった事が出来るようになったということもこれだ。
後者は、学問に対応したわかるだ。どこの部分がまだ解明されていないのかがわかるということだ。

前者のわかるは、主に大学受験に向けてのわかりかた。後者は、大学以降に必要なわかりかたで、新しいものを生み出すには必須のわかりかただろう。私はこの二つのわかるの橋渡しを学生達にする仕事をしていると思っている。それを可能にする授業をもっともっと作りたいと考えている。

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