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2013/03/16

卒業式であった

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卒業式であった。
あれこれあって、卒業して行った君たちであった。
いや、あれこれ自分たちでやって卒業して行ったということか。
それを成長と言うんだよなあと思う。

ふと思ったのだが、私は成人式に出ていない。
事故で鎖骨を折って出られる所ではなかった。
ところが、教師になって教え子達の成人式に招かれて何回か出席した。

またさらに、私は自分の大学の卒業式に出ていない。
留年をして、通常の卒業式の時は塾の春の講習会をやっていて出ていない。
5年の時は、会場に入るのがどうもだめでキャンパスにいた。
ところが、こうして学生達と一緒に何回も大学の卒業式に参加している。
ありがたいことだ。

http://www.youtube.com/watch?v=XQB3H6I8t_4

自分がジョブスのようだと言うつもりは無い。
だけど、なんだか勝手に親近感を覚えるのだ。

今から思うと、過去のある時点は、確実に今に繋がっていると思う。
だが、過去のその時点では、
(なんでオレだけ?)
と思うことばかりだ。

卒業おめでとう。
目の前に滔々と広がる、大洋に飛び込む君たちだ。
その大洋は、嵐ばかりだろう。
だけど、それは君の人生に多くのチャンスを与えてくれる。

あらよっと軽々と乗り越えて欲しい。
んなこと言っているおじさん、おばさん達がダメなんでしょと乗り越えて欲しい。
君たちにはこれでもか!というぐらい礼儀を教えた。
その礼儀をもっていれば大丈夫。
旧弊の日本の学校文化を変えて行け。日本の社会を変えて行け。
子ども達が、学びに熱中できる学校を、社会を君と君の仲間達とで作れ。

体に気をつけて。
期待している。
だけど、助けてくださいは早めに(^^)。

卒業おめでとう。

2013/03/14

知床、ありがとう

3/14

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(知床から見る流氷の上に沈む夕陽)

二月の末に、知床に飛んだ。

研究の一環として訪れた。

二つのことを調査しに行ったのだが、ここでは主に一つのことをまとめておくことにする。

本当は二年前に行くことも考えていたのだが、震災の影響でキャンセルとなり、今回の再挑戦となった次第だ。

二年前は、ひょっとしたらもう知床には縁がないかなあと思ったのだが、今回の知床を終えてみると、このために二年前は(まあ、もう少し待っていた方がいいよ)

と知床に言われたのではなかったかと思う位であった。

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(流氷ウォーク)

私の知床のイメージは、青の町となった。

これは何と言っても三日間雲一つない晴天が続いたことによる。

青を支える為には、雪と流氷の青が必要になる。また、青から赤に変わる夕焼けが必要になる。これらが全て揃ったのだから、すごい。

当たり前のように晴れの三日間を過ごしたが、これがどんなに珍しいことなのかは、良くわかる。良くわかるが、あまりにも凄かったので、自然を舐めてしまいそうだった。

この三日間は、私の教え子がガイドをしてくれた。私が大学生で教え子は当時15歳。塾のときの教え子だ。その彼は、大学卒業後会社勤めをした後、奥さんと一緒に「一番住みたい所に住む」と決意して知床に住み始めた。

そして、日本に全くなかったガイドの仕事を始め、それまではただ眺めるだけのものであった流氷の上を歩く「流氷ウォーク」を色々な障害を乗り越えて実施したのであった。

そこいらの話は年に一回の教え子の新年会でも聞いていたし、琵琶湖を泳ぎにくる時にも聞いていた。その話を聞きながら

(これは、体験しておかないとダメだな)

と思った。

で、今年が嬉しいラストチャンスになるというのを知って、スケジュールを早めに調整してトライした。

流氷の部は、特別活動論の授業のための体験として挑戦した。自分の人生で、流氷を見ることぐらいはあったとしても、まさか、1)乗る、2)歩く、3)浮かぶ、4)ジャンプする、5)潜るということが待っているとは思いもよらなんだ。もの凄いいい天気だったので、流氷の部は実に気持ちが良かった。

自然を相手にしながらの特別活動。学習指導要領では、「学校行事」の「(4) 旅行・集団宿泊的行事」になる。私が中学校の教師になった頃は、林間学校や臨海学校があった。これは、教師集団がまだ若かったからできたことであった。簡単に言えば、山頂で体重80キロの生徒がねんざをしたときに、教員が交代で背負いながら下山できる体制があったということだ。

しかし、教員の高齢化でこれは難しくなった。そこで現れたのが、スキー教室である。これならば、教員はパトロールだけで実施することが出来る。なんとなれば、生徒は能力別にクラスを作ってスキー学校に入れてインストラクターに面倒を見てもらうことが可能だからである。

ところが、これも金額の高さと、スキーが目新しいものではなくなったこと、さらにはインフルエンザが流行る時期と重なること等から衰退して行くことになって行く。

その次の段階が今だと考えている。

今は、ギリギリ初期の林間学校を知っている教員が職員室にいる。そこに大量の新人教員が入って来ている段階である。この職員室の教員集団で「(4) 旅行・集団宿泊的行事」をやるとどうなるだろうか。特に自然を相手にしたものをやるとなると、かなり大変なことになるのではないかと想像できる。

相手が自然だけにとても難しい。その難しさを予測しその中で行事の目標を達成するということが求められる。そんな「(4) 旅行・集団宿泊的行事」をしていくことになるのだ。

そこで、ガイドである。ガイドがいる中での「(4) 旅行・集団宿泊的行事」は、相当いいと考えている。考えているだけではダメなので、実際に見に行くことにしたのだ。いや、見るだけではなく実際に体験してみることにしたのだ。

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(流氷の下で、クラーク博士)

私が経験したのは、流氷ウォークで、流氷に乗る、歩く、浮かぶ、ジャンプするであり、世界最低海水温下の流氷下のダイビングで潜るもやってきた。修学旅行では流氷下のダイビングは潜る為のライセンスが必要なことと、値段がそれなりに掛かるので無理だとしても、前者の流氷ウォークは十分可能だと思えた。

流氷は、毎年知床に接岸するとは限らない。また、成長の具合で乗れるかどうかも難しい。だから、これ一つでプログラムを作るのは難しい。

しかし、たとえば、私もやって来たがスノーシューを履いて、原生林の中を歩く。熊がヤマブドウの実を求めて木を登った所に出来た爪痕を見る。鹿が雪の中に作った寝床を見る。オオワシの飛ぶのを見る。滝が凍っているのを見る。聖なる鳥のワタリカラスの戯れながら飛去って行くのを見る。何にも音のしない、電線の全くない雪原の中に佇む。見渡す限りの流氷の海の向こうに沈む夕陽を拝む、知床連山から上る満月を眺める。こういうのが可能だ。

ここから子ども達を育てるプログラムを作れば良い。それは経験の少ない新人教師には難しいが、ガイド達と一緒に作ればいい。これはできる。私は何人かのガイド達と会って話して、確信した。知床で可能であるようにガイドのいる所であれば、他の自然豊かな場所でも可能なはずだ。

教え子は、自分でガイドの会社を立ち上げ、一仕事をなしてこの春から大学の教員になることが決まった。観光学部の教員になって、学生達を指導することになる。知床を離れる。だから、この二月が彼のガイドで知床を見る最後のチャンスになっていた。

それがこのような形で体験できて、私の特別活動論の考えを纏めるきっかけも得られて、とても幸せな三日間であった。

知床、ありがとう。

なお、別に特別活動を研究しようと思っていない方であっても、これは体験することをお薦めしたい(^^)。 教え子の関わった知床ナチュラリスト協会は、http://www.shinra.or.jp/ で、教え子の名前は藤崎達也。ま、ウトロでこの名前を言えば、山に住んでいる鹿やオオワシでも返事があるぐらいの有名人だ(^^)。

2013/03/12

一泊二日の淡路島ゼミ合宿から帰って来た

3/12

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一泊二日の淡路島ゼミ合宿から帰って来た。
3、4回生合同のものである。

卒業を控えた4回生の参加は嬉しいものだ。
引っ越しや就職のあれこれで参加できないものも居たが、これは仕方が無い。本人の本意とは違う所で動くものは仕方が無い。



ゼミ合宿では、三回生の卒論の目次案件等を中心に行った。今回が一回目。
私の卒論指導は、この目次案指導が中心である。目次案のレベルで論が繋がっていないものは、本文で繋がるはずが無い。既知から道へや、概念レベルの統一や、用語の統一等多くのことが指導できる

今回は一人A4一枚の資料を用意し、一人15分程度の検討で行う予定であったが、大幅に延びながらの指導となった。一人最低30分はやっただろう。発表者が発表し、三回生が意見をいいと進む。

ただ、今回は四回生がいたので、随分助かった。私が言うべき所を、最初に四回生がガツンと行ってくれるので、地ならしは終わった状態での私のコメントとなった。



現状の分析
問題の発見
問題の解決
解決の評価

ざっくりと言えば、このストーリーで論文を書かせたい。
しかし、流石に目次案を作ったのが一回目の3回生は、こうなならない。

1)現状の分析で終わる。

これが多い。いや、分析の手前、現状の羅列だけを書いてくる目次案が多い。これは、レポートである。現状を分析し、どこに問題点があるのかを示さなければならない。

2)解決の評価の規準が示されていない。

例えば、「子どもが教師との信頼関係を得た」ということを判断するためには、「子どもが教師との信頼関係を手に入れたかどうかチェックマシーン」(声はドラえもん)が提示される必要がある。ところが、これがない。

ここは実に難しい。
学習の時代は、何かを計るためには最初にその「はかり」は用意されていた。体重なら体重計、握力なら握力計、50m走ならストップウォッチというように。そのはかりを使って計測すればいい。ところが、「子どもが教師との信頼関係を得た」かどうかのはかりは、ない。いや、あったとしてもそれをきちんと使いこなすには大変な勉強が必要になる。

このはかりは、妥当性と信用性をクリアしてないと使えない。しかし、これを作らないと話にならない。

3)用語の定義

このストーリーの前提だが、自分が論じたい言葉の定義が曖昧のままと言うのも多い。信用と信頼の違いを説明させてもできない。自分の目次案にこの言葉があるのにだ。自分が日常で使う言葉をそのままの感覚で論文に持ってこようとしてしまう。



また、気になった言葉がある。
「良くわからないので、ざっくりと作ってきました」
という言い方をするゼミ生を散見したことだ。
私は怒るのではなく、指摘した。

『懸命にやってきて、結果的にざっくりになったというのであれば、それは仕方が無い。まだまだ実力が無いのだから仕方が無い。しかし、最初からざっくり、と言うなの適当でやってきて、見て下さいというのは話が違う』

『そういうのであれば、見ない。というのが世の中の考え方だ。ざっくりやっても才能を感じられるものであればいい。そういう世界もある。しかし、今回見た感じはそうではない。上手く行かなかった、分からなかったことを「ざっくり」という言い方で逃げている。私にはそう思えた』



「させていただく」も気になった。

「いま、◯◯をさせていただいていますが、」
「この教材をさせていただいています」

のように使うのだ。私は思わず発表を止めた。

『いまの「させていただく」は、誰に敬意を払っているんだ?』
と聞くと、答えられない。
『なんとなく敬意を払うっぽい言葉を使うことで、その場を誤摩化していないか?』
「..........」
『そういう言い方をしていると、本当に敬意を払う人に使えなくなる。なんとなれば、使わなくていもいい場所で使っている「させていただく」と同等になるから、結果的に本当に敬意を払う人を馬鹿にすることになるからだ。分かるか?』
「はい」

こういうところは私のゼミ生は素直で、すぐに直そうとする。
しかし、口癖になってしまったものを直すのは大変。
本当はこのこの口癖にはもっと前に気がついていたので早く指摘してやりたかったのだが、タイミングが合わずにできなかった。合宿は時間があるのでこういうのを丁寧にできる。



ま、でもなかなか頑張ったゼミ生達であった。

2013/03/10

奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」

これはなかなか凄い。
勉強になる。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33846

食べられる粘土

3/10

昨日、明日の教室に行く前に娘(5)に言われた。

「お父さん、またこれやりたい」

よく見ると麺棒を持っている。

ああ、そうか。

「うどん作りたい」

とのことであった。

で、今日の昼前に小麦粉を買いに行き、一緒に作った。

食べられる粘土である。

冷やしうどん。

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釜玉うどん。

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釜あげうどん。

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三つにわけて食べた。

90分で作って、10分で食べ終わった。

なかなか美味しく出来た。

なかなかいい日曜日のお昼ご飯であった。

野中信行先生の学級づくりのファイナルの講座が終わった

3/9

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野中信行先生の学級づくりのファイナルの講座が終わった。昨日の明日の教室である。
3月に行う講座は、これで4回目である。
なんど聞いても面白いし、なんど聞いても新しい発見がある。
先生の強いご希望で、この講座は今年でラストになる。このあと授業に関しての講座は開いていただけると思うが、学級づくりに関してはファイナルである。
(DVDに残せて良かったなあ)
(俺たち、やっぱりいい仕事をしているんじゃないか)
と講座の途中何回も思った。自画自賛ではあるが、そう思った。
教育の世界の動きは、この数年ものすごい変化がある。変化の割には、学校が良くなったということはない。子どもの学習環境の整備には力を入れようとしているが、教師のための指導環境は何も手がつけられていない。
指導環境は整備されずに、仕事だけが増えて行く。
気合いと根性と「創意工夫」だけでなんとかやれ、というわけである。おかしい。
おかしいが、やらざるを得ないのが現場である。
そうであるならば、そこで働こうとする一番弱い立場に投げ込まれる若手教員を助けることを私たちはやりたいと思っている。おじさんになるってのは、そう言うことなんだと思う。私が出会ってきたかっちょいいおじさん達は、そうしてくれた。
野中先生のこの講座は、残念ながら変わらない日本の教師の指導環境の中で、なんとかしなければならない教師達にとって、力強いサポートになると断言できる。
会場に来られなかった方、#asukyo でTwitterを探していただければ、当日のツイートが見られます。 東京近辺の方、http://kokucheese.com/event/index/71165/ で最後の最後があります。 DVDはこれから作成に入ります。近日販売になります。
是非、この講座に触れて下さい。

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