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2013/04/20

『小山薫堂 幸せの仕事術―つまらない日常を特別な記念日に変える発想法』(NHK出版)読了

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『小山薫堂 幸せの仕事術―つまらない日常を特別な記念日に変える発想法』(NHK出版)読了。重たい本を読み続けているので、一方で一日で読める本も同時に読んでいる。小山薫堂さんの本はこのごろ読みあさっている。

小山薫堂さんと言えば、私にとっては「カノッサの屈辱」。夢中になってみた。そして、彼が私よりも年下と言うことを知った時は、
(はあ、才能って凄いのね)
と思った。

この本では、本でも、彼の仕事に関する考え方。「企画とはサービスである。サービスとは思いやりである」のあれこれについて書かれている。心のエンジンにターボが掛かる。今までの本に書かれていることもあるが、この中での圧巻は「ランディ」との出会いからの展開。ネタバレになるので書かないが、人生にはこういうことがあるんだよなあと思う。

いや、こういうことを生み出す為に毎日、自分をその方向にブラッシュアップしている、それも楽しくやっている小山薫堂さんの姿がある。これを今彼は、大学で教えているのだが、その様子も分かる。いいなあ。

もう一つは、あの傑作「カノッサの屈辱」の裏話。この作品を書いているとき超楽天家の彼が死を考えたと言う。苦しみの中で書き続けていたという。
私が思ったことは、以下のことだ。
どんな才能でも、磨かなければならない。才能は、どこかで磨かれる機会を待っているということだ。

仕事をして行く中では、理不尽や過密スケジュール、上手く行かないことが沢山ある。ただ、そこをなんとか乗り越えて行くことでしか身に付かないものがある。そのまっただ中にいるときには、このことに気がつかないのだが、通り抜けてしばらくしてからやっとわかるというものだ。小山薫堂さんにとっては、「カノッサの屈辱」だったんだなあと思ったのだ。

週末にお薦めの一冊である。

2013/04/19

『本屋さんで本当にあった心温まる物語』(川上徹也 あさ出版)読了

『本屋さんで本当にあった心温まる物語』(川上徹也 あさ出版)読了。
あさ出版は、こういう感じの本を出していて、私は好きで買ってしまう。『日本でいちばん大切にしたい会社』とかもそうだ。今回の本も良かった。特に第一話が良かった。泣けて笑える。
一冊の『ジャンプ』
この話を読むだけで、この本一冊を買った意味がある。
だからと言って、他のものが悪い話と言う訳ではなく、ここだけ立ち読みしてねということでもない。30分ぐらいであっという間に読めて、いいなあと思える本だ。
お薦め。

イメージの花火

4/27(金)10:00−10:15、5/11(金)10:00−10:15のNHK教育テレビ「伝える極意」に再放送で出演します。ここでで使用する「イメージの花火」ですが、本体のHPが現在リニューアル中で、資料に辿り着けません。

こちらに、載せておきます。

ご活用ください。

で、四限はスペシャル。 私のサービス講座。 板書。

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で、四限はスペシャル。
私のサービス講座。
板書。字がダメだと思う諸君への個人レッスンである。

板書の字は、本当に大変である。
だいたいからして、腕を前に出して文字を書くということは、通常の生活ではあり得ない。文字を書かなくても動かすだけでも、それを専門とするのは教師と指揮者位なものであろう。

字がうまく書けるとことと、板書がうまいことは別である。
三つの要素が大事である。

1)字がうまい
2)板書の字がうまい
3)板書の構成がうまい

この三つが揃って板書がうまいとなる。
で、多くの場合三つともダメなのが学生たちである。でも、これは学生たちをせめてはならない。1)については、義務教育段階で指導を受けていないことが原因で、彼らは被害者である。で、2)、3)は大学で指導することだと考えている。ところが、やっている大学は殆どないだろう。問題だ。



学生たちに言っているのは、
『あ、これはダメだ。この先生には従わなければダメだ、と思わせなければ指導は通らないということだ』
ということである。殴る蹴るの暴力はあり得ない。これが成立するには、

1)知識が凄い
2)オーラが凄い
3)技術が凄い

の三つのうちのどれかが大事になる。王道は1)だが、教育実習のレベルでは1)はなかなか厳しい。勿論2)も。となると3)になる。3)のうちで学生で対応できるのが、板書の字であり、声の大きさである。この二つのうち一つを手に入れれば何とかなる。子どもたちは、野中先生の言葉で言えば、「生徒になる」である。それを目指して授業をする。



教室での自己紹介のときに、黒板に自分の名前を書く。
この瞬間だけは、子どもたちはシーンとして聞いている。見ている。
このタイミングに、完璧な自分の名前の字を書く。教室の後ろからは
「すげー」
「なんか、字がうまくない?」
と言う声が漏れる。こうなれば、主導権を握ったのも同じ。少なくとも一ヶ月の実習のうちの2週間位はうまくいく。それを目指して、学生たちを指導してく。



学生たちに自分が自己紹介のときに書くであろう名前を板書させる。そして、板書の基礎の三つを教え、私が見本を書き、一人一人の名前の文字にダメ出しをし、改善点を示しながら進める。私の見本の字をなぞり書きさせて、感覚を掴ませる。

はあああああ。我ながら丁寧だと思う。
しかし、これをやると、確実にうまくなる。
学生は
「先生。見てください。最初に書いた私の字です。それが指導受けたら、こんなにきれいになりました!!」
とノートを見せるのである。
私はとてもうれしい。そしていう。
『良かったな。うれしいだろ。教師になったら、その喜びを子どもたちにプレゼントできるような先生になるんだぞ。字がうまいねと言われて過ごす一生と、字がダメだと思い込んで過ごす一生とどちらの一生を子どもたちにプラゼントするんだ? どうせ先生になるなら、前者をプレゼント出来る先生になれ』
と話す。

「ほんまやー」
と学生たち。
このレッスン、もう少し続きます。



で、これ、明日の教室でのニーズはありますか?
あればどこかでやりますが(^^)。

二回生ゼミは、詩を中心とした小学校の実践記録を読みすすめる

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二回生ゼミは、詩を中心とした小学校の実践記録を読みすすめることになる。
ベテランの先生の実践記録である。とても良い実践。
だけど、私はこれは危険だと思っている。

四月に小学校五年生に出会った先生は
「今思っていることを何でもいいから書いて下さい」
と指示する。

『さて、これはどう思う。良いと思う。ダメだと思う?』
と学生たちに問う。すると8割強の割合で良いという評価。うむ、これはいい。ただし、この先生にとってはだ。子どもとの人間関係が出来ていない時期、どんな子どもだかが分からないときに、この発問は怖い。

「今思っていることを何でもいいから書いて下さい」
と指示した以上、子どもが「〇〇は大嫌い」とか「うんこぶりぶり」と書こうが良いことになる。ベテランの先生はそれでも対応できるが、新人にはこれは厳しい。

『さて、ではどういう指示が良いのでしょうか? 考えてみなさい』
と指示を出して考えさせる。発表させる。
そう、一読総合法でやっている。一読総合法のスローリーディングで実践記録を読む。いくつもの?を入れ、
『では、君ならどうする?』
と発問を入れ、90分の授業で読めたのは3p。もう少しゆっくりでも良かったかなとは思うが、私が担当するのは8p分。ま、こんなもんだろ。

テキストリーディング。面白いんだよな。

先行研究の考え方

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四回生ゼミは、卒論指導。目次案の検討の第二弾。さらに、先行研究とは何かなのかが上手く理解できていないので、実物で指導。

研究室にあった本を30冊位持って来くる。ゼミ室の机を四つあわせた所に無造作において置いて行く。テーブルは、そのテーマの領域という設定。ドンドン置かれて行く。本が重なって行く。全部置いた後で、

『ほら、ここ。穴がある。ここがまだ論証されていない場所だ。この穴を見つけるのが先行研究だ』

また、
『穴が見つからないとあきらめるではない。実は、本の中に穴がある場合がある。それを見つけることがある』
さらに、
『本の重なっている所に注目せよ。これが重要キーワード、重要概念だ。同じ言葉を使っているにもかかわらず、実は少しずつ微妙にズレていることがある。このずれを整理して分類する。そして、新しい概念を提出するのだ』

と。

レポート、小論文はテーマを与えられる。論文は自分でテーマとそこにある問いの設定が自由に行える。この自由に行える心地よさと、難しさが論文なのだ。そして、いま四回生はここに苦しんでいるというわけである。

『要は読む本、論文の数が少ないということである。ま、頑張れ』

なのであった。

2013/04/18

「先行研究」がわかりません

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四回生には、卒論指導をしている。四回生が口を揃えて言うのは、「先行研究」がわかりませんということだ。自分の思いつきを書けば良い、感想。先生からテーマを与えられて書くレポート、小論文。これとは全く違って、自分で問いを発見する論文。ここが分からないのだろう。

自分が対象にしたいテーマがある。そのテーマに付いてどこまで解明されているのかが分からなければ問いは立てようがない。もう既に解明されている問いは、論文にする必要がない。

私は
『兎に角、自分がテーマにしたいと言う分野の本を10冊読みなさい』
と指示を出している。ところが、これをきちんとすることなしに、「良くわからない」と言い始めるのだ。これは毎年のこと。

効率よくと言えば格好いいが、実は手抜きだ。
読んで書いて、読んで書いてをしていれば、何かが見えてくる。
それを手がかりにして前に進むしか無いのだが、なんとなくだが、学生たちは先生が答えを知っていて、その答えを私から引き出そうとしている感じがある。

私が答えを知っているのであれば、それはその段階で「問い」ではない。ここの感覚が中々理解されないようだ。

そこで、私は私が書いた論文を持って来て、具体的に先行研究とは何かを説明する。私の論文の該当箇所を読ませ、その論文がどういう構造になっているのかを理解させる。で、彼らの結論。
「読書量が足りませんでした」
その通り。だから、最初から言っているじゃん(^^)。There is no ... って知っている?と聞きたくなるこのごろです。

2013/04/17

正確に言うと半分幸せで、半分はそんなに幸せでないかもね

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日本語コミュニケーションの授業。ディベート。本日は二回目。

ここは、去年までと大きく変えた。
「ディベートで大事なこと」という項目の5番目に「準備無くして対戦無し。準備がディベートの7割を占める」という文言があるのだが、ここを手がかりにして話を進めた




この授業を受けるのは、基本的に児童教育学科の一回生である。彼らには、ディベートの基本的なスキルを身につけさせる。理論を理解する。小学校でディベートの授業が指導できる力を身につける。この三つを主な目標として授業を行っている。

私がこのディベートの授業で行っているのは、シナリオ方式のマイクロディベートである。学生達は、これを、当たり前だが、なんの疑問もなく取り組んで行く。ま、それで良いのだが今年はここをもう少し膨らませようと思った。このシナリオ方式のマイクロディベートがどのように生まれて来たのかを話そうと思ったのだ。

この部分の学術的な検討は、私の修士論文、または、この修士論文を元にした『中等教育におけるディベートの研究』(大学図書)にある。そして、これを教科書にしているのだが、そこをじっくりと読むのはまあ大変なことだ。折角著者が授業をしているのだから、そこをかいつまんでエピソード的に話してみようと思ったのだ。



この授業を受ける学生達は、将来教職に就く。
授業は、教科書を教えればいいと思っている一回生が殆どだ。
その彼等に、ディベート指導を通して授業を作る、教材を作るというのはどういうことなのかを具体的に説明する機会を持ちたいと思ったのだ。

私はディベートを学生時代に学んだ者ではない。教師になって二年目位に、ある教科書教材を使って授業をしていたら、非常に議論が盛り上がって
「先生、こういうのもっとやりたい」
と生徒にいわれ
『たしか、デなんとかというのがあったはずだ』
というところから独学を行って指導を始めた。まだ、パソコン通信すら無かった頃だ。
そこからシナリオ方式のマイクロディベートの指導方法に至までを60分ぐらいを掛けながら話した。
そして、
『で、まあ、ここまで60分掛けて話したんだけど、実際の時間は14年間ね』
と付けくわえた。
『君たちは、お得だねえ。14年間を60分で聞けるんだから。ま、学生さんの良い所だよね。幸せだよねえ』
と言っておいて、さらに付けたした。
『でも、正確に言うと半分幸せで、半分はそんなに幸せでないかもね。効率よく学べるという点では幸せだけど、ゼロの状態からどこに問題が隠れているのかを発見し、自分と自分の研究仲間と少しずつその問題を課題に変えて、作り上げて行く喜びは得られないから、半分ということだな
と。

この授業では上記にあるように、三つの目標を示している。その「小学校でディベートの授業が指導できる力を身につける」を膨らませて、大学一回生の彼らに、教師がどうやって授業を作って行くのかということを知らせたい。

14年掛かったというと、彼らは驚いている。そりゃあ、そうだ。彼らはまだ18歳だ。そんなに長い時間を掛けるのか?と思うのも当然だろう。だが、14年で一定の決着がつけられて良かったと私は思っている。いきているうちに答えが出せない研究なんていくらでもある。で、私が彼らに伝えたかったのは、中学校3年、高校3年、大学4年と短く区切られた時間の中で答えを出す勉強を続けて行くことではなくて、仕事をするというのは長い時間を掛けて取り組むことがあるということを知ってほしいということだ。

振り返れば私の14年間なんて、あっという間だった。だが実に豊かな時間だったと思っている。
『君たちは、今までは問5の問題を解けのように、問題が提示されているものを一定の時間で解くという訓練をしてきた。だが、これからは、または社会に出てからは、問題は隠れていて、その隠れている問題を発見し、根本的な解決に向けて時間を掛けてやっていくということも大事になって行くんだな。で、これはとても大変だけど、実はとっても面白くて豊かなことなんだな』
なんてことを話していた。

さて、学生諸君にどのぐらい届いたであろうか(^^)。

2013/04/16

実に、実に面倒くさくて、大変で、面白い

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『子どもの興味関心を勉強することは大事だ』
と先週の教科教育法(国語)で話した。たとえば、今で言えばパズドラをやってみるとかである。嘗てで言えばムシキングをやってみるとかである。

ゲームセンターに行くと、子どもたちは100円玉を握りしめて、ムシキングの前に列を作っていた。小学校に入る前の子どもたちが、親から100円を貰って並ぶのである。
『それを見て私は単純に悔しかった。諸君は悔しくないか?』
と訪ねた。すると、学生たちは良くわからない顔をしている。

『あのね。君がいま授業をするとして、その授業を受けたいと小学生が100円握って教室の外に並ぶと思う?』
と話した。答えは全員がNOである。しかし、ムシキングはそうなっていた。



『子どもの興味関心を勉強することは大事だ』
と話したら、学生たちはそれを勉強することだけを考えていた。素直な学生たちはパズドラをダウンロードして、やっている。それはそれでいい。やらないよりは、全然良い。だが、誤解している。

パズドラやムシキングは、教師にとってそれをやるのが目的ではない。
子どもの文化、世界、興味を知り、そこからどうやって勉強の世界に導いて行くかが大事なのである。その為に、まずは子どもの興味を教師が勉強するのである。

教科書に載っているから勉強しなさい。
そう、これは正しい。
しかし、これで子どもたちが勉強するかといえば、それは一部の子どもたちのことである。多くの子どもたちは、
「だから、なに?」
であろう。

これだけ面白いが世の中に反乱している。その中で、勉強はしなければなりません。しなさいというだけで、子どもたちが動くとは思えない。教師が高い所にいて、こっちに来なさいという指導ではダメなのだ。教師が子どもの興味の世界の中に入って行き、そこから
『実は、こっちにも面白いものがあって、それは君の興味の世界と繋がっているんだよ』
とガイドして行く必要がある。そのために、まず子どもの興味の世界を教師は勉強するのだ。

「じゃあ、それはどんな授業なの?」
となるでしょうが、それは今書いている本に載せる予定ですので、暫く雄町を、いや、お待ちをf(^^;。



授業を作るって、実に面倒くさくて、大変で、面白い作業だと思う。
いま、教科教育法(国語)は、国語って何? 授業って何?の話をしている。
つまり、私は毎年このテーマを考え直すきっかけを得ていることになる。

実に、実に面倒くさくて、大変で、面白い。
幸せなことである。

三回生ゼミは一つのプロジェクトを前期にやることにしている

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三回生ゼミが面白くなりそうだ。

去年の三回生ゼミから、三回生ゼミは一つのプロジェクトを前期にやることにしている。去年のプロジェクトは、いま評価を待っている段階。これも楽しみ。
(今年の三回生ゼミもこの延長線上でやろうか)
と考えていたが、朝日新聞に取材を受けたことをきっかけとして、大きく動き出して、今年のプロジェクトのテーマがわき出して来て、それについて本日三回生ゼミにきちんと説明した。

私のゼミはいわゆる文科系のゼミなので、卒論は学生達が各自持ったテーマにそって執筆して行く。理科系のゼミのように、先生の研究のテーマの一部を貰ってそれを研究して行くというものではない。

ま、それはそれでいいのだが、ゼミ全体で同じテーマについて研究を進めて行くということも、折角同じゼミなのだからやらせてみたい、やってみたい。これを進めるのがゼミのプロジェクトと考えている。

今年は、大きくいうと学習環境の整備、新たなプラットフォームの提案ということになるだろうか。大学に移った時からあちこちに声をかけて挑戦して来たことだが、さまざまな壁があってうまく行かなかったものだ。これが今回は見事に繋がって形になりそうになって来た。

ここに三回生ゼミを巻き込んでプロジェクトとした。
このプロジェクトは5月の末には、β版の完成を目指している。
β版が出来上がった暁には、みなさんにご批判を頂ければと思っている。
その時は、よろしくお願いします(^^)。

2013/04/15

リカちゃん記念日

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娘(5)は、前から欲しかったリカちゃん人形を、進級お祝いに買ってもらって大満足。早速着せ替えを楽しんでいる。

ところが、まさかその着替えを手伝わされることになるとは。
人生には何が待っているか分からない。

今日はリカちゃん記念日である。

久し振りの家族サービスの一日でした

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朝、トイレで人生初の緊急地震速報を受け取った。
(娘の側にはおかあさんがいるな)
と判断した私は、トイレからでないことを選択。
トイレは狭い所を柱や壁が囲んでいるので構造上は強固だ。出ない方がいい。
で、トイレで横揺れを感じて
(あ、これなら大丈夫だ)
と判断。娘も奥さんも大丈夫。
ところが、娘(5)は初めての地震に驚きつつも、次々に対応。玄関の扉を開け、自分の机の上にある落ちそうなものをおろして
「お父さん、あれ、固定してある?」
と部屋の中を確認。幼稚園の指導は凄いなあ。
元々この日は、永源寺ダムの桜を見に行こう思っていた。結果的に早く出掛けて行けた。
高速を使えば、1時間ちょっとで到着する。
着いてみたら、
(あれ?)
であった。
散っているのでもないのだが、これから満開になると言う感じでもない。
カメラに収める意欲もわかない。
そのまま、ランチをとりに店に入る。
ここは、いい。
日登美山荘。
予約をしていなかったので、1時間ほど待つことに。
それでも十分に良かった。
イワナの刺身とワンプレート。ご飯、味噌汁で1500円。
東京だったら3000円でも出てくるかどうか。
店の人に桜のことを聞いてみた。
すると、先日の嵐で花芽が散ってしまったとのことでありました。
なるほど、そういう桜でしたか。
こういう年もあるのでしょう。
日登美ワイナリーで無添加ワインと天然醗酵パン(ハードタイプ)を買って移動する。
日登美山荘に、割引券がおいてあったので、久し振りに
MIHO MUSEUMに立ち寄ってみた。
「古代ガラス ー色彩の饗宴ー」だ。
http://kyotocf.com/content/newshop/art/春季特別展・古代ガラス-色彩の饗宴--miho-museum/
ポスターに使われているスパイラルガラス。
圧巻であった。
これを現代のガラス職人が再現しているビデオや、作品も陳列されていた。
また、水晶の塊を掘り出したグラス。いまだにこの製法は解明されていないそうだ。
また、作られて2000年地中に埋蔵されていた結果、化学変化を起こして想像を超えた色になっているもの等を間近に見ることが出来た。
(うわああ。今朝の地震で壊れなくて良かった)
と思ったのは私だけではないだろう。
こういう展覧会には、音声ガイドがつきもの。500円位で貸し出ししている。これは借りないと損だと思う。勿論、自分の目で見ながらというのも大事だが、見ても分からないもの。知識が無いと見ることが出来ないものを、この音声ガイドはサポートしてくれる。
上記の水晶の塊を掘り出したグラスも、ガラスで作ったものと勘違いしやすいし、その製法についての記述は一切無い。500円は、安い。
しかも、この美術館。一つをレンタルしたら、ヘッドセットをもう一つ付けてくれた。サービス溢れるなあ。
娘は、流石に良くわからない。食べたり動いたりするのは楽しいが、ガラス細工を見てもなんだかわからないだろう。でも、本物は見せてあげたいしなあと思う。
そこで、考え出されたのが、音声ガイドのマークの付いている作品を探すという「ゲーム」ヘッドセットのマークに数字があるものを、美術館の中から探してくるというもの。
これが娘に取っての適度な課題になって、美術館が新しいダンジョンになったのであった。
帰宅してからは、なんと、映画鑑賞。「ルパン三世カリオストロの城」である。
先日たまたまyou tubeを見ていたら、なんとこの作品が上がっているのだ。娘に少し見せたらお気に入りに。ということで、見せることに。
MacBook Airで受信して、それをAppleTVで自宅の大型テレビに送る。
いいんかなあと思いながらも、いいんだろうと思ってみる。
実に幸せ。
娘も大興奮で大笑い。
良い映画だよなあ。
今ごろ、ルパンととっつぁんは、天国で仲良くやっているんだろうなあと思う。
人生初「ルパン三世カリオストロの城」を娘に見せて、一日を終える。
久し振りの家族サービスの一日でした。

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