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2013/06/22

ちなみに

(さなぎ、から、おけというのは、蛹から桶だなあ。旁は一緒だなあ)と思ったが、これは流石に5歳の娘には話しても仕方の無い事だから、やめた(^^)。

ということで実験

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さなぎの話の後、娘に聞かれた。

「ね、お父さん。なんで桶にお湯を入れたところに手を入れると溢れるの?」

と。
を、これは面白い。

『なんでだと思う?』
「えーと、力を入れるからだと思う」
『そうか。じゃあ、そおっとやったらどう? 一番溢れない。二番溢れる。三番変わらない。どれ?』
「えー、一番?」
『じゃあ、実験しようか?』
「やったー、実験!」

ということで実験が続いた。

1)桶の上に、また桶を重ねて溢れるかどうか?
2)桶の上に、ペットボトルを半分に切ったものを入れて溢れるかどうか?
3)桶の上に、ペットボトルを半分に切ったものを蓋をして入れて溢れるかどうか?

それぞれ、仮説を考えさせて、一番溢れない、二番溢れる、三番変わらないと選択肢を出して、娘に実験をさせた。というか、「やりたい!」というのでやらせた。

ちょっとした仮説実験授業のようなものだ。
とってもおもしろがってやっていた。
そして、浮力とか大気圧とか空気の圧力とかの実験を楽しんだ。

娘は、空気に力があるということを理解したようだ。
面白かった。



写真は6/22の朝の琵琶湖

恥ずかしがり屋のさなぎ

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揚羽蝶のさなぎを手に入れて娘に手渡した。
幼稚園で羽化の瞬間を子どもたちと一緒に見てもらえればと思ってのこと。

ところが、このさなぎ、なかなか羽化しない。
通常10日前後で羽化するのだがもう2週間以上羽化していない。
ひょっとすると、さなぎのままお亡くなりになったかもしれない。
どうやって伝えようかと考えながら、一緒にお風呂に入っていた。

『あのね、今年のさなぎさんはね、ひょっとしたら』

と言って、思いついた。

『ひょっとしたら、恥ずかしがりやさんじゃないかな』
「え?」
『みんなが見ていると出てこないんじゃないかな』
「じゃ、見ないでおく」
『でも、ほら、明るいと見られていると思うんじゃないかな』
「消したら?」
『うーん、それは大変でしょ』
「うーん。でも◯◯ちゃんも生まれるとき恥ずかしかったかかもしれないけど、生まれて来たよ」
『それは恥ずかしくなかったんじゃないの?』
「うーん」
『だからね、日曜日まで待って羽化しなかったら、ガーデンに離して来てあげない?』
「えー」
『そしたら羽化できると思うんだよ』
「でも、そしたら次の卵探して来てくれる?」
『うーん、もう卵は無いかもね』
「揚羽蝶じゃなくて、モンシロチョウ」
『あ。そうなの。それならひょっとしたらまだあるかもしれないね。それを探して上げようか?』
「うん」

ということで、目出度く「方便」が成立。
ファンタジーは大切にしてあげたいからなあ。

2013/06/21

ワープロがなかなか凄い教育観を持っています

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先日の「全部正解!」の授業の後に書かれた学生の授業感想より。転載については了解を得ています。「超問題児」について、ワープロがなかなか凄い教育観を持っています。

今日の授業を聞いて、小学校の頃の先生の話をふと思い出しました。先生が教師をしていてなかなか手ごわい問題児を受け持ったときの話で、先生も10年以上は教師をやってきたベテランではありましたが、それでも思うようにいかなかったようでした。

そしてある日先生がパソコンかなにかで「超問題児」と打とうとした
ところ誤変換して「聴聞大事」となってしまいました。そのとき先生はこの誤変換をみてしハッとしたそうです。

問題児としてどう対処することを考えるよりも、子供一人ひとりがどんな事情を持ち、行動に至ったかを理解し歩みよることがまず必要なのだ。
そう思ったそうです。

このことは今日まさに授業で触れた子供の考えを聞くということ同じだなと思いました。
生徒一人ひとりの事情を大切にしてくれた私の先生はよい先生だったなぁとしみじみ感じます。



ワープロ、なかなかやるでしょ。
そして、いい先生ですよねえ。

2013/06/19

『全部正解!』

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今日のディベートの授業で、学生たちに発問した。

『さて、この女子小学生はどうしてこういうことを考えた

のでしょうか?』

というものである。
少し時間を取って考えさせた。グループでも考えさせた。そして、発表させた。彼ら彼女からは12種類の答えが出て来た。私の答えは、

『全部正解!』

である。
そう、全部正解なのだ。
仮説を多く出せるということが正解なのだ。
実際、この12種類の答えの中の1つがその女子小学生の答えなのだが、ここで言いたいのはそういうことではない

12の可能性を学生たちが出せた事が正解なのだ。



子どもと接しているとき、彼ら彼女らの意見や行動を目の前にして、
(これ、なんで?)
(あほか?)
と思うことがある。
しかし、本当はここからが勝負なのだ。

教師の発問に関して彼らはそのような意見や行動を出して来た。
その意見や行動に至る論理的整合性を提示するのが、教師の仕事なのだ。
いや、勝負なのだ。
どういう道筋でこの答えを子どもたちが出して来たのかを考えるのが仕事なのだ。
教師自身の理解の及ばない答えを無視する、蔑む、馬鹿にする、放っておく。
そういう対応もある。しかし、これは教師の敗北だ。

子どもたちは、感じ、発言し、行動する。
ただ、それを言語化する力が弱い。
だから、それを言語化するのが教師の仕事の一つ目。
そして、子どもが自分で言語化できるようにするのがその次の仕事。



教師が、答えを一つに示したいという思いは分かる。
だが、それが、3つの可能性から1つなのか、10の可能性の中から1つなのかということは、実はとても大きな問題である。

教師になるためには4つの選択肢の中から1つの正解を選ぶ試験に合格しなければならない。しかし、教師として子どもたちを指導する為には、4つの選択肢、いや、できれば、10、20の選択肢を自らが作り出して、子どもに選ばせる力量が欲しい。

だから、仮説としての選択肢を多く出せる先生が「正解」の先生なのだと私は考えている。



答えが一つという受験勉強の世界から、
答える為のより多くの選択肢を自らが作り出す。この教育の世界へとパラダイムシフトさせていくのが、今の私の仕事。

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