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2013/07/19

子どもの表出を読み取る

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二回生ゼミでは、子どもの書いた詩を読み続けた。最初私が発表をし、その後、学生たちに順番で発表させた。一つの詩について40分程度を掛けて読み続けた。はじめのうちは学生たちは一つの詩を40分も掛けて読むことが出来るのかと不安であった。が、寧ろ足りないということに気がついていった。

私がこの授業で学生たちに手に入れさせたいと考えていたのは、子どもの表出を読み取るということである。表出とは、本人が意識しないまま溢れ出てしまう感情や考えのことである。それが、子どもの文章、詩、言葉、ジェスチャー、視線、身振り、構えなどに出てくる。これを読み取ることが指導にはどうしても必要になる。

子どもの本音を理解すると言うことだ。
子どもは、いや、人間は、自分に都合の悪いこと、恥ずかしいことは隠す。そして、その部分に指導の対象になる問題の種が隠れていることが多い。
さらに言えば、隠しておきながらそこを理解してくれない先生はダメという判断をすることがある。

子どもの本音が見えないと指導のストライクゾーンがズレる。
子どもの本音を知った上で、対応しないのと
知らないので、対応できないと言うのは、同じように見えて全然違う。

小学校一年生から五年生までの詩を10編程度だが、じっくりと読んだ。
句読点、ひらがなとカタカナの違い、倒置法、鍵括弧、複数回でてくる言葉、複数回でてくるのに微妙に言い方を変えている言葉などなど。これらを手がかりとして、子どもの表出を読み取るレッスンをした。

子どもの表出は、やがて、表現に高めて行く必要がある。
また、その表現は伝達の力へと導く必要がある。
その一歩目として、まずは書かれた言葉をじっくりと読む。
そして指導者がその表出を受け止めることができるようになることが大事だ。
それに取り組んだ。

現場に出れば、子どもの詩を一週間もかけて吟味するなんてことは先ず出来ない。毎日30人が連絡帳に書いてくる言葉を読んで、コメントして。これに一人一分として30分だ。たかだが10回のレッスンでこれが出来るようになるとは到底思えない。

が、出来るようになる為の種を埋め込んでやりたい。
そんな思いでやっていた半年が終わった。

2013/07/16

昨日の授業は、読解と発問

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昨日の授業は、読解と発問。

読解は、連続テキストと非連続テキストの二つについてそれぞれ2、3問の具体的なものを提示しながら行う。読解と言えば、登場人物や作者の心情を読み取ることに焦点をあてることの多い日本の国語教育。それよりも文章に何が書かれているかをきちんと読み取る授業をもっと増やすべきだと考えている。

その為に、「短編問題集」を二つほどやる。
短い文章に問題は一つ。制限時間内は何回提出しても良い。当たるまで頑張れと言う問題だ。

私が塾の講師をしていた大学生の時に開発し、かれこれ50作品ぐらいは作った。私が教えた生徒たちは全員これをやっている。そして、好評。学生たちにも好評であった。

答えに辿り着く為には、何回も本文を読まざるを得ない。
『教科書10回読むように』
と言って読むのであればいいのだが、そう中々いかない。だとすれば、10回読まざるを得なくなるような仕組みを作ればいい。この教材を終えた後学生たちにこれを話したら、まんまとやられたという感想が続出。Aさせたいなら、Bなのである。

制限時間の中で答えを見つけた学生たちは、つい周りの学生たちに話したくなる。しかしそれを私は許さない。
『他の人が考える楽しみを奪うでない!』
と注意。分かったから言いたくなるのは分かるが、それが他の人の喜びを奪う事になるのだ。自慢したい気持ちは分かるが、これを許すわけにはいかない。

非連続テキストは、非連続テキストの読解なんてやった事の無い学生たちばかりで、最初はやや混乱。今回は、三枚の写真を使って、それぞれの写真の情報を読み取る授業をした。

私が非連続テキストの読解は国語の守備範囲と考えて指導していた頃は、
「それは国語?」
と随分叩かれた。
(国語なんだけどなんで知らないの?)
と地元の国語の専門で有名な先生には言い返さない方がいいと思って言わなかった私。あ、ごめん、本当はすこし言った。それで叩かれたf(^^;。

ところが、OECDのPISAでこの非連続テキストが取り上げられるようになったら、掌を返すように私の授業が認められるようになる。ま、そういうものだとは思うがあまりの変化に驚いたのを思い出す。

連続テキストにしても、非連続テキストにしても、読解はそのテキストにある情報だけで読み取らなければならない。ところが、これが実に出来ない。非連続テキストとして、ある写真を見せると自分で勝手にストーリーを作って説明していまう。つまり、バイアスが掛かっていることが客観的には分からないのである。これを指摘しながら読解の授業を進める。

http://www.kobun.co.jp/dataroom/vocabulary/ha_06.html

のような部分を指導することが求められる学生たちだ。
しっかりと理解させたい。

発問。

先ず、指導言に説明、指示、発問の三種類がある事を説明。その三種類は、授業の三つのスタイル、即ち、講義、問答、ワークショプのうち、特に問答で必要になる三種類である事を説明。

国語の授業では、発問が難しいと良く言われるのだが、私に言わせれば、それは発問ができないのではなく、説明ができないのである。

たとえば、
「今日は7/15日です。海の日です。海の日は〜」とするのが説明。
「今日は何日ですか?」「今日は何の日ですか?」」「海の日とは何の日ですか?」とするのが発問なのである。

発問が苦手な人は、説明が苦手な人なのである。もっと言えば、説明のために必要な読解が苦手な人なのである。そうだとすれば、
「いやあ、発問が苦手なんですよ」
という言い方は、言ってはならない事なのである。そんな事言ったら恥ずかしい事なのだ。

この後、メロスやごんを使ってあれこれ説明。
ほら、分かったでしょ。大事でしょ。

最後の授業が終わってから30分後には、プールの中で泳いでいた。
もう暑すぎる。
プール終了の15分前に飛び込んで、ひたすら泳いだ。

夏なのに、まだまだ授業は続く。

教師になったらそんな授業を子どもたちにプレゼントする事が出来る

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「私も小学校や中学校でこういう国語の授業を受けたかっ

たです。」
このように学生たちの感想に多く書かれる。私個人としてはとても嬉しいことだ。

だが実を言えば、私だって小学校や中学校でこういう国語の授業を受けたかったのである。
だけど受ける事は出来なかっ
た。
だけど教師になったらそんな授業を子どもたちにプレ
ゼントする事が出来る。

教師は、こういう国語の授業をして、子どもたちが嬉しそうにしている姿を見て、喜ぶ事が出来る。
いい仕事だ。

2013/07/15

ちゃうで、お父さん

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(海の朝焼け by iPhone4)
旅行の帰りにIKEAに寄って来た。IKEAはセールと言う事でもの凄い人だった。IKEAでは、着ぐるみを着た人と12歳以下の子どもがじゃん拳をするというイベントがあった。勝ったらアイスクリームのチケットを貰えるとのこと。
店内のどこにいるかは分からなかったのだが、私がたまたま見掛けたのて、娘を連れて行った。
ところが、直ぐにじゃん拳をしない。次から次へと他の子どもが挑戦してしまう。
(あれ、こういうの苦手だったかな?)
と思いながら
『ほら、じゃん拳しておいで』
と言ったら4人ぐらいを先にやり過ごして、じゃん拳。
見事に一発で勝ってアイスクリームのチケットを貰う。
『を、強いね。運がいいなあ』
と言ったら
「ちゃうで、お父さん。あの人、ずっとグーしか出してへんかった。だから、パー出そうと思って、パー出したんやで」
と娘。
じぇじぇじぇ。
観察して、現状分析をしていたの?
この血は私でも奥さんでもないなあ。
ただ、驚くお父さんでした。

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