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2013/12/14

目次案が、やっと目次になり、卒論が完成しました

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卒論提出後の感想を一人一言ずつ述べさせた今日のゼミであった。彼らが多くの人に支えられて卒論を書き切ることができたらということを実感したことが感じられた一言だった。

これはこれで嬉しい。
が、意外な嬉しい話をしてくれた学生もいた。何かというと、他のゼミのゼミ生の卒論に付き合ってあげていたというのだ。

その学生曰く、卒論の書き方は池田ゼミのメンバーに聞けば教えてくれるということが広まっていて、結構多くのうちのゼミ生が、教えていたというのだ。目次案を一緒に作ったりもしたと言う。

教えられるぐらいに理解出来ていたと言うことだろうか。教えることは学ぶことだから、うちのゼミ生はますます理解を深めたことにもなる。

頼られる彼らになっていたのも嬉しいし、それに応えられたのも嬉しい。彼らは教師になる。自分ができるではなく、できない人をできるようにする仕事に就く。そのことが出来始めているようで、嬉しい。

私の卒論指導は,目次案作りに重きを置く。
それは、私が修士論文を書いたときに目次案指導を受けてとても役に立ったからだ。倉島保美さんという人に習った。とある所で習ったが、正式にはここで習える。http://www.logicalskill.co.jp/ ここで目次案指導とパラグラフライティングを習っていなければ修士論文のネタはあっても、纏めることは難しかったと思う。

ある学生が言っていた。
「卒論が書けなくなったら、目次案を見る。すると、書ける。また、書いていると暴走してしまいそうになるのだけど、目次案を見ると枠の中に戻ってこられるようになる」
と。

実にその通りなのである。
論文を書くのは学生。
書いているときは私がマンツーマンで、横に居て指導することは出来ない。書くことも出来ない。だが、まあ、助手席に座っていてやりたいという気持ちもある。この助手席でナビゲートする役割が、目次案なのだと考えている。

目次案のレベルで、論が通っていなければ、論文が論文になることはまずない。
目次案を立て、それで書き始め、書きたいことが見えて来て目次案を修正し、さらに書き進めということをくり返す。ある学生は、最終的に書き上がった卒論は、最初に書いた目次案の三章の二節を取り出したものになったと言っていた。そういうことになるのは、珍しくないし、それでいいのだと思う。

三回生の三月、春合宿のときに彼らが初めて提出した目次案。そこから一年間掛けて育てた目次案が、やっと目次になり、卒論が完成しました。

まずは、全員提出完了。
ここを目出度いとしましょう。

つぶやきメモ

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メモとして残しておきます。

論文になるかどうかわからないが、あるものを柱にして思いついたものをTreeに打ち込んでいる。これが少しずつ増えて来て、繋がりが見えて来ている。
(そうか。私が、ひっかかっていたことはこういうことだったのかもしれない)
とだんだん見えて来ている。一つ一つの具体的な出来事や,思いつきをTreeに打ち込むことで、それがメタで認識できるようになっていく。面白い。

ものを考えるには、入学試験のような集中のあり方があるけど、もう一つ、片思いのように考えるというのがあると思っている。気がついたらその人のことを考えていたような考え方だ。この片思い型の考え方で、「人は何の為に生きているのか」などの問いをずっと考え続けることができる体を育てたい。


停まらなければならないのに、停止線とはこれいかに?


「みんなの笑顔が見たいから〜」なんていう言い方があるけど、これってみんなのためを思っているように見えるけど、見たいの主語は自分で、結局は自分の欲望を満たすための行為なんだと思うのですよ。

転失気をしてしまったら、娘(6)がすぐに空気清浄機の前に向かう。匂いセンサーが何色になるのかを楽しみに見ている。なんてこった(^^)。

2013年度池田ゼミ四回生は、本日無事全員が、先ほど規定の2万字程度の卒論を書き上げて提出し終えました。学生の卒論執筆に際し、ご助言ご協力を頂けたことと、心から感謝いたします。ありがとうございました。



笑いは、落差である。ユーモアは、ズレである。そのズレは言葉と実態のズレ。そして、上品なユーモアほどそのズレの幅は小さい。だから、知性が無いとその小さな上品なユーモアは、分からない。






決めました

12/8

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先週講演した兵庫教育大学と国士舘大学から、学生さんたちの感想文が届いた。毎週授業して下さいとか、うちの大学の先生になってくださいとか大きなリクエストが列挙してあり、嬉しい限りである。

90分一本勝負。一期一会。そう思って挑む。もちろんこちらが緊張していては学生さんも緊張してしまうから、緊張ではなく集中でやわらかく挑む。それが届いていたようで、何よりだ。

感想の一部を紹介する。

引用した言葉がすらすらと出てくるのは,膨大な知識の成せる業だなと感じました。話を聞かせる技術が桁違いでした。大学生に対する講義でつぶやきが引き出せるのは驚きでした。

池田先生の話に大学1〜4年生が全員引きつけられていました。信頼関係がなければ教え込んでも「なるほど」と思わせることは無理だと思っていましたが、ほんの数十分で「この人は本物だ」「この人の言うことは正しい」という信頼関係を築き上げていた。話術という意味で、やはり、笑いが不可欠だと感じた。

講義という形なのに、1対多数というよりも、1対1×多数になっている気がして、授業を受けている感じでとても楽しかったです。毎日の仕事は大変、努力も必要。がんばるしかないですね。

学生の鳴り止まない拍手が増している通り、奇跡的で大変充実した時間でした。世界観が180度変りました。今日学んだことを活かすも殺すも自分次第だと思います。この日があったから今がある的な日が来るように努力していきたいと思いました。

社会人になる上では、共通して知っておくべきことも多々あったと感じました。明日からの合同説明会(就活)頑張ります。

話した内容は殆ど同じ。受講した学年も殆ど同じ。地域は違う。国立と私立の違いもある。が、感想は実に似ている。つまり、こういう授業をもっともっと受けたいというものだ。また、先生の話術を自分も身につけたいというものだ。ありがたい。

野中信行先生がいつも仰るように、この学級担任に関する講座は教員養成大学にも関わらず、大学の授業には本当にない。いかん。

決めました。
日程があえば、呼んでいただければ可能な限り、大学で講演をします。90分、出来れば180分がいいですが、それでこの二つの大学でやった「学級担任の仕事を考えてみる」という講座をやります。必要なら連絡下さい。

2013/12/13

なんということか

12/8

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土曜日は、国士舘大学で講演を行った。文学部の初等教育専攻の学生達に90分の予定で120分話して来た。スタートでMacBook AirにあるKeynoteが上手くスクリーンに反映され無いトラブルがあって、ややテンパった始まり方であったが、30分位は延ばしてもいいということだったので、お言葉に甘えて120分たっぷりとやってきた。

知り合いの先生からこのお話を貰ったとき、 
(国士舘大学か。懐かしいなあ)
と思った。

実は、学生時代は小田急線の梅が丘に下宿をしていた。
私の下宿から高台にある国士舘大学が見えていたで、
(まさかそこでやることになるとはなあ)
と懐かしく思っていた。

ところが、話を聞くとどうも違う。
国士舘大学の初等教育専攻の校舎はそこではなく、新しい所だと言う。
聞いてびっくりであった。

私の嘗ての下宿は、都立明正高校の目の前にあった。
玄関を出て、道の斜め向こうは都立明正高校の正門であった。
その明星高校が、廃校になり、そこを更地にした所に、国士舘大学の初等教育専攻の校舎が建っているというのだ。
そして、そこで講演をするというのだ。

なんということか。
なんということか。

講演開始の40分前に梅が丘駅に到着した。
その梅が丘駅も嘗てとは違い、二階建てになって複々線に対応した駅になっている。駅前の店を見ると、寿司屋の位置は変わったが、駅前のケーキ屋はさらに店舗を広げ繁盛している。

下宿に向かう道を行く。
道は拡張工事がされて、とても奇麗になっていた。
きょろきょろ見渡すと、当時通っていた銭湯はまだあった。
が、
(こんなところにこんなに大きなマンションは無かったよなあ)
と思いながら、うろうろしていたら、迎えの先生が見えた。
(ということは、ここいらあたりが私の下宿が会った場所だよなあ)
と見るのだが、全く分からない。

明正高校の周りに植えられていた桜は見事になくなり、道路も奇麗になっている。
春になると、その桜で夜桜を楽しんだ。
テーブルを歩道に出して、街灯を明かりにして、鍋をしながら夜桜を楽しんだが、その桜は跡形もなかった。

恐らく、あの辺りが私の下宿じゃないかなあという所には,新しいアパートのようなものが建っていた。新しいと言っても、もう既に年期が経っている感じがあったのだから、随分まえに立て替えられたのだろう。

本当に縁のある土地というのはあるものだなあ。
私は誰の掌の上で走り回っているのかと思う。
30年前、大学の5年生をやり、
(さて、私の将来はどうなるんだろう)
とあの下宿であれこれ思っていたんだよな。
その下宿があったと思われる場所をぼーっと見ながら思う。

それが、高校の教師から中学校の教師に志望を変え、働き始めたんだよな。それから東京の中学校の教師から、京都の大学の教師になるなんてことは、100%どころか、1000%も予想だにしていなかったし、また、そして戻って来て国士舘大学の学生さん達に講演をすることになるなんて、もう、これこそincredibleなわけだ。

『(をい、おまえの人生30年後は結構面白いことになっているぞ)
とあのときの私に教えてあげえたいなあと思いますよ。君たちからしたら、30年先なんて遥か先だろうけど、過ぎてしまうと振り返ったらすぐそこに30年前が見えるってな感じなんだよね。君たちの30年後が楽しみだね』

講演では、このあまりにも信じられない巡り合わせについて話さないわけにはいかないので、話した。国士舘大学の学生さん達は、拍手をしてくれた。なんか嬉しかったなあ。

講演のあとは、専攻の先生方の忘年会に紛れ込んで、楽しく美味しい食事を。そして、その後私を呼んで下さった先生と一緒に下北沢に向かい、私が毎週のように通っていた店にこれもほぼ30年ぶりに顔を出した。

ご主人の驚いたこと驚いたこと。
私もなじみの店が残っていて、しかも繁盛していて、あのときまだ小学生だった息子さんが、店の中で働いているのを見て、まーなんというか、人生の幸せを感じていました。

「毎週授業を受けたい」
という学生の感想が結構あったが、流石にそれは無理(^^)。
でも、
「来年もあのあ続きやってくれるんでしょ?」
という先生方からの声もあり、来年も伺うことになりそうです。

ほんとうに、ご縁のある土地ってあるんだなあ。
次はどこの土地と出会い直すのかなあ。

写真は、おそらく私の下宿のあった場所です。

2013/12/09

1321年前の今日の出来事

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東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ

万葉集 巻一(四十八)柿本人麻呂

あまりにも有名な歌だ。
一つの叙景歌でありながら、沈む月に亡くなった草壁皇子を喩え、昇ってこようとする朝陽を軽皇子を喩えているとも言われている。柿本人麻呂は、軽皇子と一緒に奈良に巡航した際に、この歌を読んだと言われている。その場所は、いま「かぎろひの丘・万葉公園」となっている。

人麻呂がこの歌を読んだ日であろうと推定されている日がある。旧暦の11月7日である。
http://www.ricen.hokkaido-c.ed.jp/411kenkyuukiyou/vol12/hitomaro.pdf

旧暦カレンダーで調べてみる。
http://www.ajnet.ne.jp/dairy/

実に今日なのである。
今日は何と言っても皇室でも誕生日の方がいるが、それ以上に我が家では奥さんの誕生日である。そして、それは今年は、柿本人麻呂のこの歌の詠まれた日でもあるのだ。

写真は、我が家から見た今朝の「かぎろひ」。
人麻呂は、この青と赤のコントラストを見たのだろう。
それは、実に1321年前の今日の出来事だったんだなあと、思う。


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