ということで、吉例の池田卒業生関連等新年会に昨日出掛けていった
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ということで、吉例の池田卒業生関連等新年会に昨日出掛けていった。
毎年1/3にやっている。かれこれもう20年以上やっている。塾の時の卒業生たちと集まって呑んでいたのだが、そこに中学の卒業生が加わるようになり、いまは瑞雲中学校の時の教え子たちが幹事を引き受けてくれて、続いている。ありがたいことだ。
◆
毎年一人、二人と驚く卒業生に再会する。
今年は、プロレスラーになっていた彼。
名乗られるまでは、全く分からなかった。
大学を中退してプロレスラーになり、その後引退してバスの運転手、今は鳶職とのこと。
いやあ、驚き。
なんという人生なのだ。
また、早くに子どもを授かり、三人目を宿している彼女は、
看護婦をしているとのこと。
それもER担当だという。
『うちの親が倒れたらよろしくな』
と思わずお願いしてしまった(^^)。
◆
中学の時の彼ら彼女らには、確かにこんにちの、彼ら彼女らの芽があったと思う。30歳になった彼ら彼女らの姿を見ると、確かにそう思う。
しかし、15歳の時の彼ら彼女らを見ていた私は、その部分がこのように成長するとは殆ど予測できなかった。
目の前の学習指導や生徒指導、行事などに追われていた方が多い。
彼ら彼女らのその芽を大事に育てようとは思っていた。
思ってはいたが、果たして何か役に立ったのかなあと、毎年思う。
しかし、彼ら彼女らは
「先生の御陰で」
「先生のあの授業が」
「先生のあの詩のノートが」
と話してくれる。ありがたい。
そして、ここに来ることの出来なかった卒業生のことを思う。
来たくても来られなかった卒業生。
来たいとも思わなかった卒業生。
情報そのものが届いていない卒業生。
どうしているかなあと思う。
勿論、この会なんてまったく必要の無い生活をしている卒業生が殆どであろう。だけど、教師ってのは勝手にあれこれ思うんだよなあ。
◆
一年間の時間をおいて、近況を報告し、教え子の子どもを抱っこさせてもらったり、それぞれの健康を喜ぶ。
また、
「結婚したい!」
という声を聞き、
「髪の毛が薄くなって来た」
と言う嘆きも聞き、今年一年の抱負を語り合い、中学生の時と変ってない顔を見ながら、「先生、お変わりありませんね!」
と言われながら、彼ら彼女らの成長を見て、私の老化を実感して、また一年後の再会を楽しみにする。
二次会から参加できると思いますと言ってた新幹線の運転手は、まさかの有楽町の火災、その後の対応で参加できずとなった。残念。
三次会はバーに行き、その後、最古参の塾のときの卒業生と、私が教師をし彼が塾の生徒だった時の校舎の近くのラーメン屋でラーメンを堪能し、帰宅するのでありました。
(1/3は、もう働いている卒業生も多くいるし、今度は盆休み辺りに一回やるかなあ)
と思いながら、帰宅する幸せな私でありました。
今年、都合が悪かったみなさん。来年も1/3に昭島で13:00からやります。
来年は、是非、都合を付けて参加してくださいね。
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