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2014/02/25

教員がworkできる学校を作ろう 学級事務職の導入を改めて提言したい

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インフルエンザのリハビリもかねて、今日は昼過ぎから栃木県教育委員会の『教員の多忙感に関するアンケート調査』(2012年2月)を読んだ。「データえっせい 教員の多忙感の原因」の元になっているデータだ。

データえっせいは、いつ読んでも面白い。データをこのように分析して縦横無尽に解説できたら気持ちがいいだろうなあと思いながら、読んでいる。でまあ、流石にこのテーマであるからして、元データを読んだのだ。いや、やっぱり元データを読んでみるべきだと思った。「データえっせい」では取り上げられていない面白い所に気がつくのだから。

この資料の中で私が興味深いなあと思った所は、「8 管理職、教員が多忙の原因としている内容(複数回答)」である。以下に示ししたもの。

さて、何かお気づきだろうか。

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いくつかあるのだが、一番目につくのが「校務分掌に係る業務」の管理職と教員の差であろう。ダブルスコア以上で、しかもポイントとしても34ポイントも離して、差が出ている。管理職からすれば「確かに、忙しいとは思うけど、ま、出来るよね?」というぐらいに思っていることが、教員にとっては一番で、とっても負担になっているということだというのだ。管理職と教員のずれが、こんなに大きいとそりゃあ大変だ。

ところが、もう一つ分かりやすいズレもある。それは、教員が大変ではないと思っているのに、管理職が大変だと思っている所だ。上位三項目がこれだ。「作品募集に係る業務」「児童・生徒指導」「特別な支援を要する児童生徒への指導」である。これは管理職が大変だなあと思っているのに、教員は、その思いの半分とか1/3にしか思っていない。

これは何を示しているのであろうか。この三項目に共通しているのは直接子どもや子どもの作品に触れることが出来ると言うことであろう。教員である。学校教育を通じて子どもを大人に育てることを生涯の仕事とに選んだ人たちである。子どものことで忙しいのは、なんでもない。寧ろ当たり前と思っているだろう。だから、忙しく感じないのだろう。

じゃあ、と気になるのがあるはずだ。それは、管理職と教員がどちらも同じ位忙しく感じている所だ。見てみると、あった。管理職が、31.9%、教員が31.8%だ。理想的な職員室だ(^^)。それは、「提出物や成績の処理」である。

私が学級事務職を導入せよと言っているのは、まさにここの点である。
教員は多忙。その多忙には色々な種類があり、多忙であっても多忙感を感じないものもある。それは、直接子どもと接することから生まれる多忙である。ここは忙しくてもいいのだ。そのための教師である。体が疲れてもいいのだ。心は疲れない。workになる*1。

教師がもっとworkできるように、学級事務職の導入を進めるべきだと主張するのだ

こういうと
「やりたいことだけやって、仕事になるってなに甘えているんだ。一般のサラリーマンはだねえ」
と言う声が必ず出てくる。
何でもかんでもサラリーマンと比較したがる人たちだ。

サラリーマンには、お客様対応係りも、総務も庶務もいる。教師にはいない。
全て一人でこれを受けもっている。また、いきなり一人ですべてを任される。研修を受けることもなしに。さてこれで、サラリーマンは営業活動が出来るのだろうか?

で、平成24年8月の中央教育審議会答申では、教員を「高度専門職業人」としている。もう、涙が出る。

私は、以下の業務を学級事務職に切り分けるべきだと考えている。

a.印刷業務。
b.出席簿管理:/出欠席管理/遅刻早退管理。
c.提出物チェック  
d.所見以外の通知表作成、指導要録、抄本作成、進学に必要な成三者面談資料作成、成績一覧表作成など。
e.給食未払い等未納金催促。

これらは、「高度専門職業人」でなくともできる仕事である。いや、この仕事が楽な仕事だとは思わない。価値の低い仕事だとも思わない。寧ろ大変でミスの許されない仕事であると思っている。だからこそ、教員の負担になりすぎているのだし、切り離して正確に行われる必要がある。そのためには、専門にやる人を雇う必要がある。

勿論、国、地方自治体が財政難なのは知っている。学級事務職を入れろと言ってもその財源はどうするの?となっておしまいになる。だから、私は教員の給与を1割減にして、その分の財源で学級事務職を雇うべきであると主張している。

学級事務職は学級に一人の割合で必要というわけではない。中学校の場合、学年に一人でそれも毎日必要ではない。そこで、AETのように学校を巡回しながらといのも可能になると考えられる。それだけでかなり改善できるはずだ。

私は教師になったので、教育に係るものとして授業をしない、子どもたちと接することをしないということは考えられなかった。寧ろ、担任を持てないのは悲しいこと、残念なことと言う思いの方が強い。

しかし、学校教育が捉える範囲は広い。教育行政マンとして教育のあり方に対してプランを作成するというのも大きな教育の仕事である。教育委員会の中で各学校が動きやすい環境整備をするのも仕事である。学校の中であっても、同じだろう。学校教育には関わりたいが、子どもには直接は関わりたくない。というか、授業なんて出来ないという人も居るのだ。そして、変化して捉えにくい人間を相手にするより、変化しない紙の上の数字が、私の手で集計されてぴたっと合致することに快感を得る人もいるのだ。

さらには、雇用拡大、内需拡大の効果もあると考えている。この辺の試算はこのあと専門家がやってくれることを期待したいのだがf(^^;、ちょっとバカに出来ない位の効果が出るのではないかと思う。

私が教師になった1987年。その頃の中学には、選択授業なんてものは無かった。それからあれよあれよという間に、総合的な学習の時間が設置され、ICTが普及し、小学校には生活科、英語がはいり、道徳は教科にさせられようとしている。教員の授業等に関する部分だけでも相当、新しい仕事が加わり仕事量が増えていることが分かる。

しかし、教師はそれはいいと考えていると私は思っている。なぜなら、それは本務だからだ。栃木県だけのデータではあるがそれは上記のデータにも現れている。問題は、workできない環境なのだ。教員の資質向上も大事。教員の数を増やすのも大事。だが、私は、学級事務職の導入の方が効果があると考えている。

*1 働くは、英語には三種類ある。laborは、労役。心も体も疲れる。workは心は満足体は疲れる。playは、心も体も疲れ知らずでやるほどに充実する。教師の仕事は、少なくともworkである必要があると考えている。

2014/02/19

あなたが赴任する土地の歴史を勉強することだ

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教員採用試験に合格して、来年度から働き始める人は、
(どこが赴任地かなあ。まだ決まらないかなあ)
とそわそわし始める頃ではないだろうか。どこに決まるのかは、結構人生を決めるように感じるからそわそわ、どきどきだろう。

新任がどこに決まるかは、退職する先生、移動する先生、新年度の子どもの数が確定しないとなかなか決まりにくい。だから、新卒の場合、都道府県、市町村名ぐらいはなんとなく決まっても、学校が決まるのは3月というのが結構ある。私は3月も25日を過ぎてから決まったなあ。

赴任地の希望はできる。でも、希望ってのは、希な望みなんだよね。どこに行くか分からない。大学受験までの希望とは希望の意味が違う。大学受験までは、親、先生、塾の先生までもが、あなたの「望み」をかなえる為の大応援団になる。しかし、仕事の場合そんなことはない。


仕事は、依頼されて、それを完遂して、成果を出して、次の仕事をまた引き受けてという流れに乗る。んー、乗れることが望ましい。依頼から始まる。それが出来ないと次は無い。教師の場合、公務員が多いので次もあるんだけど、実際はないような気がする。そこに行けと言われて、降ってくる仕事にどう応えて行く。これが仕事。希望とはほとんど関係ない。

どこに着任するかは、あなたの人生においては極めて重要だろう。が、子供達から見たら、保護者から見たらどう見えるだろうか。当たりとか外れとか言われるかもしれない。ま、そうだろう。じゃあ、いまどうしたらいいのか。はずれとか言われない為には。いろいろな教育書を読むことも大事。でもね、もう一つ大事なことがある。

それは、あなたが赴任する土地の歴史を勉強することだ。都道府県、市町村。この二つのカテゴリーで勉強しておくこと。子供達が、親たちが知らない、その土地の素晴らしい部分を理解しておくこと。ほら、東京人が東京タワーを良く理解していないように、その土地の有名な場所を知らない人は多い。

更に言えば、ちょっと調べれば分かる事実のレベルを知らないまま、ん十年生きている親たちもいる。万葉集第一巻の最初の歌は雄略天皇の「国褒め」の歌だ。この土地はとても良い所だぞと褒めている。先生と天皇ではまあ、違うけど、でもね、外からやって来た先生が「ここはいいところだね」と言う。

それは大事なことだと思う。先生が「ここは酷い所だねえ」というのと「いやあ、ここはいいところ」というのでは、全く違う展開になる。だから、新しい赴任地が決まった先生は、その土地の良い所を沢山、沢山手に入れておくべきだと思う。地元の図書館で地誌を手に入れればわかることだ。赴任が決まった市町村役場に行けば資料はあるはずだ。

卒業旅行でここではないどこかへ行って、見聞を広げることもとても大事。それと同じ位にあなたが赴任するここを理解することも大事。「これって、◯◯にある、あれですよね。素晴らしいですよね」と保護者の前で言えたら、保護者はあなたのことを簡単には捨てないでしょう。その学校の一員として受け入れてくれるでしょう。

自分の住む土地を褒めてくれる人を、悪く思う人はいませんって。



2014/02/18

【速報】明日の教室 2014年度4月の講師と日程が決まりました。

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【速報】明日の教室 2014年度4月の講師と日程が決まりました。



4/26(土)。

堀田龍也先生です。



予定を開けて下さい!

2014/02/17

『反省させると犯罪者になります』(岡本茂樹 新潮新書)補遺

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『反省させると犯罪者になります』(岡本茂樹 新潮新書)補遺。

教師になった年だったと思う。24、5歳の頃だ。
生徒が問題を起こした。その問題に関して職員会議で議論がなされた。
私は
『子供達にルールの幅を持たせてあげられないでしょうか? 白黒つけるのではなく、黒から白に移動して行く子供達を見守って指導して行きたいのです』
のようなことを言った。

すると、ベテランの事務職員が
「え、ルールに幅があるのですか?!」
と素直に驚かれていた。

私は
『はい』
と答えたのだが、それは職員会議で却下された。

その時はここを上手く言語化できなかったのだが、つまりこういうことである。ルールは正論なのだ。正論だから
「守れ!」
でいいのである。何も問題は無い。

しかし、ルールを破る、またはルールを守れない子供達には、それぞれの事情がある。例えば、髪の毛が金髪の子ども。自分の興味でやっていることもあれば、先輩に脅されてやっている場合もある。色々な事情がある。あるが、ルールではダメ。だから、教師はダメと言う。勿論私もダメと言って来た。

が、そこにいろいろな事情、そう、教師から見たらくっだらない事情であっても事情があると言うことを受け止めてからの指導であるかどうかってのは、かなり大きな部分を占めると思う。私は分かっていても、だから何?と突っぱねるポーズをとるタイプの教師であったが、子どもの側から見るとこの問題、この世界はどう見えるのかを考えるということはして来たつもりだ。

卒業式の前日にやっと教員の説得を聞き入れて髪の毛を黒くする子供達。まだ完全に黒くなっていないまま卒業式を迎えることもある。だけど、教育ってのは指導を受ける側が受け入れることが大事で、さらにいえば、瞬間で教育ではないわけで、いままでの指導の流れ、文脈のなかで何が行われつつあるのかと言うことが大事なわけで。

そこをバシッと抑え、またはスパッと切ってしまうのは、見栄えのいい指導にはなるが、子供達の成長を支える指導になっているかと言うと、疑問が残るわけだ。

「え、ルールに幅があるのですか?!」
今なら、もう一度言える。
『はい。あります(^^)』
と。

2014/02/16

『機械との競争』(エリック・ブリニョルプソン 日経BP社)を読む

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『機械との競争』(エリック・ブリニョルプソン 日経BP社)を読む。

「高校の遠隔授業を解禁 文科省、外部の人材活用  16年度にも 2013/12/14 13:30 日本経済新聞」

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1305K_U3A211C1MM0000/

という記事が年末に出ていたのであった。
この意味の大きさがあまり理解されていない感じがする。
簡単に言えば、「いまでしょ」の林修先生が日本中の高校の現代文の授業が出来るようになると言うことである。

教員一年目で授業が上手くない先生や、教員ん10年だけど上手くない先生より、ネット配信される超一流の先生の授業の方がいいということになり、そちらを見て授業を受けられるようになると言うことである。

教師も、大学教授も消える仕事に入っている。
http://commonpost.boo.jp/?p=26143

本書は、この辺りの問題とリンクしている。
著者のエリック・ブリニョルプソンは、MITの経済学者である。経済学の見地からアメリカの景気動向を解説し、リーマン以降のアメリカの景気を見たとき、景気は回復しているにもかかわらず、労働者の実質世帯収入の中央値は、この10年ベースで見ると下がっていると言うのだ。

仕事は増えたのに雇用が無いと言う事態になっている。これは何を意味しているのかと言うと、増えた仕事は機械が行っている、簡単に言うとコンピュータが行っていると言うのだ。

良く言われるムーアの法則を出しながら、この流れはどんどんと加速するだろうと予言し、チェス盤の後半*1に入って来たICTの指数関数的な伸びの中では、何が起きてもおかしくないという。

ラッダイト運動は、1811〜1817年に起きた。そう、あの機械打ち壊し運動である。高校時代にこの機械打ち壊し運動の挿絵の書いてある教科書を読んだとき
(バカだなあ)
と思ったが、200年を経て私たちはコンピュータ打ち壊し運動をすべきじゃないか?と思う時代に来ているかもしれない。

人類が経験して来た三つの産業革命、蒸気機関、電力、そしてICT。このうち二つはそれを敵にするのではなく、見方にすることで人類は繁栄して来た。しかし、現在ICTに人類は打ち負かされようとしているのか?

嘗ての蒸気機関、電力の発明の時には、それに伴って失われる仕事と生まれる仕事のバランスが取れていて、いや結果的に見るとその御陰で新しい産業が沢山生まれて雇用が増えたのだが、いまのICTについては、そのスピードが速過ぎて、失われる雇用に新しい雇用が追いついて行っていないという解説がされている。

しかし、本書は、楽観的である。ICTを味方にして行くことをすれば良いのだと言う。その証左としてコンピュータと人間のチェスの戦いは、コンピュータが勝つことは確定したが、現在一番強いのは、コンピュータを使った人間が戦う場合が一番強いとなっていると言うのだ。

ただ、過渡期としては高度に訓練された技術技能を持つ人間と、意外なことに単純作業としてのウエイター等の作業員の二局に仕事は分散されるだろうと言う予測を出している。その過渡期は、恐らくこれから10年だろうと思われる。

冒頭にあげた遠隔地からの教育、授業のありかたなどについても123〜126pで述べられている。本書のタイトルは『機械との競争』であるが、求められることは「機械との協同」または「機械の活用」なのだということだ。

ただ、相手はもの凄いスピードで迫ってくる。
「ビジネスが原子(物質)ではなくビット(電子情報)に依存するようになると、新たに生み出される製品それぞれが、次の起業家が利用できるパーツになる」118p
とある。

ニュートンは「私がさらに遠くを見ることができたとしたら、それはたんに私が巨人の肩に乗っていたからです。」と言った。ニュートンであってもこんなに勉強をしているのだと思ったものだ。それはそれで驚いたが、もう一つここに語られていることがあると思う。それは、人間はゼロから教育によって成長していかねばならないということだ。勿論本能や反射は別だが、勉強に関してはそうなのだ。

しかし、一方で情報は無くならない。積み重ねられる。共有されて新たな価値を生み出す。さらにスピードだ。コンピュータは標準的な最適化問題の処理速度を1988〜2003年の15年間の間に4300万倍に高速化しているとのことだ。40p

さ、この現実を見た上でどうやって「機械との協同」または「機械の活用」に向けた教育をしていくか。また、教育システムを構築するかだ。私たちはICTと言う巨人の肩を手に入れている。その肩に乗って行けるのか、その巨人に踏みつぶされるのか。

機械、コンピュータにはできない人間の強み。
機械、コンピュータの方が上回っている部分。
過渡期を生きる私たちは考えなければならない。

*1 本書を読んで欲しいが、要はチェスの盤にひと升に一粒、次に二粒、その次に四粒、十六粒と置いて行くと、チェス盤の後半はとんでもないことになると言うあれである。ただ、私は、なんでチェス盤のスケールで語れるのか、また、本当に後半に入っているのかと言うことに関しては、本書を読んでも分からなかった。が、例えとしてはわかる。

『反省させると犯罪者になります』(岡本茂樹 新潮新書)

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『反省させると犯罪者になります』(岡本茂樹 新潮新書)

衝撃的なタイトルである。しかし、語られている内容は実に真っ当である。
一言で言えば、人間は反省する前に後悔する。そして、その後悔は否定的な感情に基づく。その否定的な感情を吐き出すことなく、後悔を経ること無く反省を求めると、形ばかりの反省になり、本質的な反省はならないという考え方を展開している。

著者は、元中高の英語の先生。そして、刑務所で更生プログラムに関わっている。その中でこの考え方を纏めて行った。非常に良くわかる。

私は、生徒の問題行動は、生徒の問題行動ではなく、発達課題だと捉えて、保護、支援、指導していくことが生徒指導だと考えている。本書では、同じように生徒の問題行動は、実は「必要行動」なのだと捉えて、指導して行く姿も書かれている。

教師は、つい、正論で指導してしまう。それが教師なのだと思う。が、その正論によって抑圧される否定的な感情をどう扱うかが問題である。抑圧され続けると、どこかで爆発する。外に出れば、暴力的な行為となる。内側に押し付け続ければ鬱状態となる。適切に、その否定的感情を出させ、その後に、本当の意味での反省が出てくるのを待つということが大事だと説く。

教師には、必読と言っていいと思う。

雛祭りモードに突入の娘

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バレンタインデーが終わったら、雛祭りモードに突入の娘(6)。「うれしい雛祭り」の3番と4番の歌詞が分からないといので、書いてあげた。楽しいねえ。

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中高の定期試験をネット販売 情報公開請求で取得

私は意地で定期考査は一回も同じ問題は作らなかった。学校が変わっても。塾ではそれを集めておいて、予想問題として配っている所があり、塾の商売としてはそうなのかもしれないが、私としてはそういうのも許せなかったので。(ただし、漢字、文法は除く)

また、そもそも同じ教材であっても授業が違えば、問題は違うものになって行くと思うんだけどなあ。

だけど、テスト問題は、どんどん良い問題が作られることは無いということを聞いたことがある。だから、TOEFL/TOEICは問題を非公開にしているという。でも、こういう時代になったんだなあと思う。なかなか難しい時代だ。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1401E_U4A210C1CR0000/

体に悪いと思いつつ

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体に悪いと思いつつ、娘(6)に貰ったチョコレートをマッカラン12で楽しむ夜。

私は、「全世界娘の言うことなら何でも聞く会」の滋賀支部の支部長(自称)をしています。
なんて、美味いんだ。

大雪の一日

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朝起きた時は、雪は降っていなかった。
ところが、その後どんどん積もる雪。

食事を終えた娘が消えた。
ん? どうした?
と思ったら、バレンタインのチョコを持って来て渡してくれた。
いやあ、持つものは娘だ(^^)。

今日は午後から会議なので、天気予報と睨めっこ。
大学からは学バスが運行を取りやめているという連絡がはいる。
取り敢えず、近所を見て回ってゆきの状態を確認する。
幹線道路は大丈夫なことを確認。

昼ご飯を食べて大学に向かう。
大学は坂の上にあるので、心配であったが大丈夫であった。だが、学内の駐車場に停める時にちょっと難儀。が、無事に事なきを得る。
なんだかすんごい雪。いつも授業で使っている教室から写真を撮る。
別の風景に見える。

会議を終えて、帰宅へ。
山科の道を進んでいたら、曲がる角で車いすが難儀している。
車いすの後ろでおばさんが二人で押している。
うーん、義を見てせざるはなんとやら。
近くのスーパーに車を停めて、現場に走る。

電動車いすではあったが、タイヤは、ど・ノーマル。
しかも、なぜか雪のある方に行きたがるご本人。
言っても直らないので、もう車いすごと押して割と大丈夫な所まで移動。
ま、一日一膳だ。いや、一善だ。

帰宅後、娘の調子が悪いので、病院に連れて行く。
病因後、奥さんも疲れが溜まっているので、こういうときはうりゃあああと私が家事をする。

調理と風呂とを同時で行う。
今日の料理は、庖丁を三種類使って行った。ああ、気持ちよい。
小出刃、菜っ切り庖丁、刺身庖丁。
どれもバリバリに研いであるので、なんとも言えず気持ちが良い。

作り込んだときに、風呂が湧く。
それを確認して、私はマンションのフィットネスルームに向かう。
7年も住んでいて、初めてやることに。

これが結構良い。
汗をかき、軽い疲労感。
エアロバイクには、様々な規準が示される。時間、負荷、カロリー、距離、歩数などなど。自分がゴールにしたいものを自分で決めて薦めることが出来る。なんとなくの知識で始めちょろちょろ中ぱっぱでやってみる。これで良かったようだ。

HPで確認したら、私が行った時間と負荷と心拍数は適正だったとのこと。んーと、何が言いたいかと言うと、事前学習をせずに自分の体に聞きながら、(こんなもんでいいか?)とやったのが、スタンダードのものとかなり近かったこと。つまり、体感がスタンダードだったと言うこと。自分の体の声を聞く。その体と耳が割とまともだったことが嬉しい。

フィットネスルームから自宅まで1分f(^^;。
湧かしておいた風呂に飛び込み、出て来たらビール。
ああ、これはいいかもしれない。

さ、一ヶ月後、どの位の体になっているかねえ。
お・た・の・し・み(^^)。

渡り鳥も花火を見る冬の夜かな。

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学力考査をした後に抽選で合格者を決めると言う話

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先日、とある国立付属小学校が学力考査をした後に抽選で合格者を決めると言う話を某所で書いた。その後、その方法が分かった。

1)学力考査で合格者を出す
たとえば、定員が60名だった場合で、学力考査で到達した子どもが75人だとする。
まず、75人を合格者とする。

2)くじ引きをする
このくじ引きがなんとも言えないやり方だなあと思った。61枚の札を入れる。そこには、1から61の番号が書かれている。一人一枚ずつ引く。

3)合格者の決定方法
残ったカードは1枚。それが25番だとする。そうしたら、26番から60人分が合格となる。

ということだそうだ。全員にくじ引きをする機会を与え、なおかつ一瞬で決まる方法。こういうのを考える人って色々な意味で凄いと思う。

他の付属小学校もこんな感じなのだろうか。
しかし、こういうやりかたって許されていいとは思わないのだが。

昨日はオフで、メインテナンスの日

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昨日はオフで、メインテナンスの日。
カメラ、Mac関係を整える。

1)GRのファームウェアのバージョンアップ。
「Mモード時のワンプッシュ露出設定」機能が良くわからなかったのだが、やっと分かった。

2)iPod touchの設定し直し。
THETAのアプリを入れる為に、中を整理してiOSをバージョンアップ。今まで使っていたのが旅に出ているようで見つからず、残りのものをバージョンアップしてインストールし直した。

3)iPhone4のバッテリーの交換。
メインはこれ。ツールとバッテリーで1000円というのを見つけて、やり方の動画も見つけたので自分でやってみた。実にあっけない感じで完了した。こんなに簡単とは。

あとは、325iの修理、PocketWi-Fiの再手続き、歯の詰め物の修理。
メインテナンスは続く。

2014/02/12

iPhone4のバッテリーを交換してみた

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iPhone5Sにかえるタイミングをちょっと逃した。こうなったらiPhone4を使い倒してみようと思い、iPhone4のバッテリーを交換してみた。

工具バッテリーで1000円。ビデオでやり方を確認して、所要時間3分。
なんともあっけない。
もっと早くにやれば良かった。

快適快適。

バリューターン

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なんというか、子どもの頃親に
「そんなことでいいの?」
と叱られたり、呆れられたりしていたことが、結構重要なことだったんだとこのごろ色々と分かる。バリューターンというやつかな。

最初に感じたのは、ながら族である。〜しながら〜をするということで、これは注意されたものだ。テレビを見ながら食事をする。ラジオを聴きながら勉強する。風呂に入りながら本を読むである。どっちか一つに集中しなさい!と怒られるわけだが、これがいつの間にやら「Multi Tasking マルチタスク」という言い方を得ることになった。

これは非常に使い勝手の良い言葉であった。とても言い訳に都合が良かった(^^)。

ところが、これで終わりではなかった。行き当たりばったりでラッキーに出会ったときは、serendipity セレンディピティ。新しい物好きで好きなことばかりやっていることは、curiosity driven キュリオシティ ドリブン。こんな言い方があるとは思わなんだ。

こういう考え方を子どもの時代に知っていれば、もうちょっと後ろめたさは感じること無く人生の前半を生きることが出来たかなあと思う。ま、知らなくてもそのように生きてしまったんだけどね(^^)。

バリューターン。面白いなあ。

2014/02/09

3月の明日の教室 中村健一先生 3/22

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3月の明日の教室は、例年野中信行先生にお願いしていました。野中先生の4月の学級開き、学級作り、教師としての立ち位置などの講座は毎回多くの先生方から支持を受け行われておりました。

その野中先生が、昨年度の3月をもって、学級作りに関する講座はお開きにしたいと言うことで、今年はその野中先生が強く押されている中村健一先生にお越し頂くことになりました。

もう、知っている人は知っている。知らない人は全く知らない中村健一先生です。
公開はさせません。いや、後悔はさせません。
お笑い教師である中村健一先生による、4月の学級作り講座。
面白い教室は、どういう指導の下で生まれるのか。
是非、ご参加いただきそのライブ感の中で、学んで下さい。

お待ちしております。

お申し込みは、こちらから。

2014/02/08

『ユーミンの罪』(酒井順子 講談社現代新書)を読んだ

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『ユーミンの罪』(酒井順子 講談社現代新書)を読んだ。

私は、ユーミンが私の青春時代にいてくれて良かったと思う一人である。しかし、なんというか、男で良かったとも思った。

この本のコピーは「ユーミンの歌とは女の業の肯定である」だ。

勿論これは立川談志の「落語は、人間の業の肯定である」を元にしている。さ、て、ではそれがどの位語られているのかを読んでみようと思った。のだが、これがかなり良い。

ファースアルバムから、バブル崩壊までのユーミンのアルバム、楽曲を社会の流れとともに追いかけながら、何が語れ歌われて来たのかを説き明かして行く。私は、同耳朶を行きていたが、新しいアルバムが出たからといってサッと買えるほどほど小遣いは豊かではなかったので、あとからあとから聴いていた。そして、バブル崩壊前にはその後追いもしなくなっていた。結果的にこの本が描いている分析の世界と合致していた。

でも、「山手のドルフィン」は、やはり私にとっても聖地の一つであり、「緩いカーブであなたに倒れてみたら、何も言わずに横顔で笑って」で、このカーブは右カーブなのか、左カーブなのかを議論し、んでもってこの車をイメージし、排気音は何かを考え、走っている場所を特定しようとした。運転手である私は助手席をイメージしてこの曲を聴いていた。

その辺りの情景が一気に吹き出してくる。

そして、その情景が何を意味しているのかを、同世代の女性が語る。ひょっとしたら、ほめ殺しかもしれない切り口で語る。なんというか、男で良かったと思った。

あの時代のシンガーソングライターを分析すると、この本のようになるのだろうか。うーん、そうは思えない。ユーミンだからこの分析が成り立つんだろうなあと思った。そして、今後、こういう分析に耐えうる息の長いシンガーソングライターは出現するのかなあとも思った。

あの時代、ユーミンにやられていた人は、読むべきである。

幼児の時代が終わろうとし、少女の時代に入ろうとしているなあ

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DAWN PURPLEな琵琶湖の朝)

娘(6)の幼稚園最後の発表会に行って来た。

あっという間の三年間だったなあと思った。

大きな声で歌っている姿を見て、

(をい、息をしているか? 酸欠にならないか?)

と思ったのが年少さんのころ。

それが、こんなに育つんだなあと思うとなんとも嬉しい。

娘は、今回自分がやりたい出し物に出られた。踊りと合奏と合唱だ。

踊りは抜群だったなあと思った。本人も気に入っていた。

が、合奏ではやりたい楽器とかにはなれなかった。それを家であれこれ事前に話していた。そこだけ聞くと、先生はもう少し気を遣ってくれてもいいんじゃないかなとも思った。が、今日実際に見てみると、ああそうかと思った。

娘は、パートリーダーを先生から託されていたのだと思ったのだ。

それぞれの出し物での娘の立ち位置を見ていると、それが良くわかる。ま、誘導があったのかもしれない。しかし、その場所は私から見ると明らかにパートリーダーの場所であった。学校教育に関わっている親が分かるマニアックな喜びである(^^)。

ま、下種の勘繰り、または親バカかもしれないが、それでも嬉しいものだ。

幼児の時代が終わろうとし、少女の時代に入ろうとしているなあと、お父さんは悲しく嬉しく思うのでありました。

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twitterって、呟きなので意見を表明しているって感じは、私にはあまり無い。呟いたことが届いてリツイートされるのは、嬉しいけど、自分と違うからと言って文句を言われても困るなあと言う感覚。まして根拠、データを示せなんてなると、あああとなってしまう。リムーブすれば良いだけなのにね。






四回生ゼミのコンパ終了

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四回生ゼミのコンパ終了。

ゼミ生が一言ずつ、この二年間とこれからの抱負を述べた。

共通していたのは、最初は、このゼミで大丈夫なのかと不安に思ったと言うこと。ゼミ生はみんな真面目で、先生は池田先生だしと言うこと。そんな中に自分が入って大丈夫か?ということだった。それを受けて私も話した。

『いや、私でも池田ゼミと決まったと知ったら、ショックだったと思うよ』

と。

私のミッションは、一回生ゼミ、二回生ゼミ、三回、四回と違う。それぞれのミッションの違いを話しつつ、教師の悲しさと嬉しさについて話した。

四回生ゼミの最後の日、彼らは私に知らせないで、ゼミ終了後、お菓子パーティをしていた。それについて話した。

『いや、あのパーティを私に知らせないというのは悲しかった。私を招待してくれない悲しさもあったけど、私にお菓子をおねだりしない悲しさもあったな。そして、これが全く裏返しになるのだが、喜びなのだ。私なんか関係なくゼミの仲間だけで卒論を提出し終えたことを喜び合うパーティを開いていたと言うことなのだよ』

学級担任論でも話している。担任は孤独だ、と。

クラスがまとまればまとまるほど、担任は孤独になる。卒業生を持った時など

(なんで、オレだけ置いてお前ら卒業して行くんだよ)

と思う。でも、それが幸せなのだ。

「池田ゼミになったとき、残念と言うか、大変と言うか、色々と思いました。だって、〜とか。〜とか、〜とかあったから。けど、今は本当に良かったです」

とも言われた。嬉しい。だけど、本当にそうなのか。まだ、まだ、負の感情を抱えているのではないかとも思う。私が恩師の厳しい指導の意味が分かったのは、卒業して15年とか過ぎてからだからだ。

「初めて、恩師と呼べる先生に出会えました。ありがとうございます」とも言われた。

(あ、これは私が恩師自慢をしすぎているからではないか?)

とも思った。嬉しいんだけど、そうも思った。だが、

『ありがとう。じゃあ、私の恩師に伝えておく。恩師の御陰で、こう言ってもらえましたと伝えておくな』

と。

「池田先生は、形式に拘っていて、それに比べて◯◯先生は自分の中に入ってくれていて、それで3回生で池田ゼミになって、ああ、やっぱり形式が強いなあ、スーツを着て来いだもんなあと思っていましたが、今は全然そう思っていません。今日の一人一人のスピーチに、深い所に届くコメントを一人一人にして下さっています」

とも言われた。

そりゃあまあ、一週間に一回ではあっても、二年間も毎週見ていれば、あれこれ分かる。こっちは40人を相手にしていた。13人なら分かる。だけど、もっと深く入れたのではないかとも思う。そして、その一方で20歳を越えた彼ら彼女らの中に、こっちからそんなに入って良いものなのかとも思いつつ、大学でのゼミをしている。

ともあれ、2013年度4回生池田ゼミは、今日で打ち上げた。あとは、春合宿に来れる人は会える。次は、卒業式の前日か、卒業式だ。

『あのな、いまの大学の授業料は高い。私の時代に比べて明らかに二倍以上だ。京都の私学のなかではうちはかなり安いが、高い。だからな、8年分の授業料を納めたと思って良い。卒業しても普通に大学を活用せよ』

と話した。

そう。

池田ゼミは第二章に入る。

今日の打ち上げは、第一章のエピローグであって、第二章のプロローグでもあった。

乾杯。

立春の一日であった

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朝から原稿執筆。

途中、面会があって執筆中断。その中断のまま昼を迎えてしまい、昼食を王将で取って大学に向かう。

本当は餃子か酢豚を食べたい所であったが、ぐっとこらえて味噌ラーメン。新しく買い替えた体重計が私の基礎代謝が1700kcal程度ということを示しているので、朝と昼で800kcalにしたいところ。ほら、だって夜は飲むでしょう(^^)。ま、味噌ラーメンでも結構なんだけどね。

昼過ぎから大学で会議。

いつもと違って二つだけだったが、イレギュラーな議題も降って来て結局結構長い時間会議であった。

帰宅して、手を洗ってうがいをしてから、原稿の残りに挑む。

なんとか書き上げ、編集者に兎に角送る。

校正はあとから出来るので、兎に角先に送る。1/31締め切りでした。すみません。まだ、1/31締め切りの原稿がもう一つあります。すみません。

風呂の前に、実家に電話。

私の父親の誕生日だ。

なんか元気が無かったので心配したら、お間抜けなことをして元気がなくなっていた。受話器の向こうで母親が爆笑していた。何よりだ(^^)。

風呂、酒、飯と進めながら、このところ身の回りで起きているマイナスの出来事についてどう対応をして行くかを考える。結論が出た。そうしようと思う。

そんな、父親の誕生日でもある立春の一日であった。

鬼さんって、本当はどこにいるか知っている?

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で、娘の幼稚園の今日の豆まきは、今年は規模が小さかったようだ。仏教系の幼稚園で関係の偉い僧正が亡くなったとかで自粛。さらに、系列の学校の入試が昨日あったので、本来の節分の日ではなく、今日。
いつもなら、娘の幼稚園には近隣のテレビ局が取材に入り、その様子をニュースの録画で見ながら楽しむのだが、これは出来なかった。クリスマスだけでなく、節分もしっかりとやって欲しいよなあと思うのでありました。
んで、娘の食事が終わってから娘に訊いて見た。娘が鬼は比叡山に住んでいるという事を言っていたので、
『鬼さんって、本当はどこにいるか知っている?』
「えっとね〜」
『教えてあげようか?』
「あ、知っている」
比叡山と言うのかと思ったら
「心の中に住んでいるの」
と。
『え? なんで知っているの?』
「◯◯先生に教えてもらったの! あんな、心の中に住んでいて悪いことをしようとすると出てくるの。だから、豆で退治するんやで」
と。
うーん、流石だ。〇〇先生。
「でもな、福はうちの、フクの意味がわからへんの。何、フクって?」
f(^^;。
『幸せってことだよ』
二日にわたって節分を楽しむ我が家でした。

12、3年ぶりの卒業生に会う

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午前中は、研究室で原稿の校正。もっと時間が掛かるかと思ったが、2時間で取り敢えず終了。良かった。そして、慌てて研究室を出る。12、3年ぶりの卒業生に会う為だ。

八王子の中学校に異動して最初に担任した生徒だ。色々と思い出深い学年だ。そこで担任していた彼女が、仕事の関係で滋賀に来ると言う。仙台から来ると言う。私もちょうどそこは時間が空いていた。いやあ、嬉しい。大津駅まで迎えに行った。

実に良いお嬢さんになっていた。

いや、もともと良いお嬢さんだった。だから、さらに良いお嬢さんになったというのが正しいだろう。彼女の御陰でクラスがしっとりとしたし、暴走する男子生徒が落ち着く所に落ち着くと言う感じの学級に育って行ったと思う。学級担任論の授業をする時も、このクラスのエピソードは良く出てくる。

霧に満たされた琵琶湖に面するレストランに案内して、食事しながらあれこれ話した。近況を聴きながら話しながら時間を過ごした。

『だから不思議なのだよ。あなたの方が年上なのに、今教えている学生は年下なのに彼らは大学生なんだよね』

「私も、こうしていると先生が大学の先生ではなくて、中学の時の先生に思えます」

『あの頃、「それは国語?」とか影で言われたこともあったけど、それがいま結構評価されているんだぜ』

「最先端だったんですよね」

『そう、やっと時代が追いついた(^^)』

「(^^)」

そうだよね、そうだ。

私は彼女のいたクラスを担任して授業をして、自分で言うのもなんだが指導の幅が広がり、懐が深くなったと思っている。彼ら彼女らの御陰だ。その上、こうしてこんな良い時間を過ごせるとは、本当に嬉しい限りであった。

別に、この時間が欲しくて教師をやって来たわけではない。

だけど、12、3年も過ぎて仕事のついでに仙台からやってきて会いに来てくれるってのは、なんとも教師冥利に尽きる。

「先生、初めて来たのに見覚えのある景色です」

と言われた。

ネットにあげている写真と同じものが目の前にあるわけだからそうだろうなあ(^^)。もっと沢山話を聞きたかったけど、新幹線で5時間かけて帰るというので、近江神宮経由で、名残惜しくも駅まで送った。

今度は、夏においで(^^)/。

良い金目鯛が安く手に入った

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良い金目鯛が安く手に入ったので捌いた。刺身、煮付け、塩焼き、潮汁と一匹で堪能。この皮の付いた刺身が美味い。ああ、美味い。金目鯛は冬が旬。そして、今日は節分。これを食べて明日からの春を迎える。ああ、美味い。

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