教員がworkできる学校を作ろう 学級事務職の導入を改めて提言したい
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インフルエンザのリハビリもかねて、今日は昼過ぎから栃木県教育委員会の『教員の多忙感に関するアンケート調査』(2012年2月)を読んだ。「データえっせい 教員の多忙感の原因」の元になっているデータだ。
データえっせいは、いつ読んでも面白い。データをこのように分析して縦横無尽に解説できたら気持ちがいいだろうなあと思いながら、読んでいる。でまあ、流石にこのテーマであるからして、元データを読んだのだ。いや、やっぱり元データを読んでみるべきだと思った。「データえっせい」では取り上げられていない面白い所に気がつくのだから。
この資料の中で私が興味深いなあと思った所は、「8 管理職、教員が多忙の原因としている内容(複数回答)」である。以下に示ししたもの。
さて、何かお気づきだろうか。
いくつかあるのだが、一番目につくのが「校務分掌に係る業務」の管理職と教員の差であろう。ダブルスコア以上で、しかもポイントとしても34ポイントも離して、差が出ている。管理職からすれば「確かに、忙しいとは思うけど、ま、出来るよね?」というぐらいに思っていることが、教員にとっては一番で、とっても負担になっているということだというのだ。管理職と教員のずれが、こんなに大きいとそりゃあ大変だ。
ところが、もう一つ分かりやすいズレもある。それは、教員が大変ではないと思っているのに、管理職が大変だと思っている所だ。上位三項目がこれだ。「作品募集に係る業務」「児童・生徒指導」「特別な支援を要する児童生徒への指導」である。これは管理職が大変だなあと思っているのに、教員は、その思いの半分とか1/3にしか思っていない。
これは何を示しているのであろうか。この三項目に共通しているのは直接子どもや子どもの作品に触れることが出来ると言うことであろう。教員である。学校教育を通じて子どもを大人に育てることを生涯の仕事とに選んだ人たちである。子どものことで忙しいのは、なんでもない。寧ろ当たり前と思っているだろう。だから、忙しく感じないのだろう。
じゃあ、と気になるのがあるはずだ。それは、管理職と教員がどちらも同じ位忙しく感じている所だ。見てみると、あった。管理職が、31.9%、教員が31.8%だ。理想的な職員室だ(^^)。それは、「提出物や成績の処理」である。
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私が学級事務職を導入せよと言っているのは、まさにここの点である。
教員は多忙。その多忙には色々な種類があり、多忙であっても多忙感を感じないものもある。それは、直接子どもと接することから生まれる多忙である。ここは忙しくてもいいのだ。そのための教師である。体が疲れてもいいのだ。心は疲れない。workになる*1。
教師がもっとworkできるように、学級事務職の導入を進めるべきだと主張するのだ。
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こういうと
「やりたいことだけやって、仕事になるってなに甘えているんだ。一般のサラリーマンはだねえ」
と言う声が必ず出てくる。
何でもかんでもサラリーマンと比較したがる人たちだ。
サラリーマンには、お客様対応係りも、総務も庶務もいる。教師にはいない。
全て一人でこれを受けもっている。また、いきなり一人ですべてを任される。研修を受けることもなしに。さてこれで、サラリーマンは営業活動が出来るのだろうか?
で、平成24年8月の中央教育審議会答申では、教員を「高度専門職業人」としている。もう、涙が出る。
私は、以下の業務を学級事務職に切り分けるべきだと考えている。
a.印刷業務。
b.出席簿管理:/出欠席管理/遅刻早退管理。
c.提出物チェック
d.所見以外の通知表作成、指導要録、抄本作成、進学に必要な成三者面談資料作成、成績一覧表作成など。
e.給食未払い等未納金催促。
これらは、「高度専門職業人」でなくともできる仕事である。いや、この仕事が楽な仕事だとは思わない。価値の低い仕事だとも思わない。寧ろ大変でミスの許されない仕事であると思っている。だからこそ、教員の負担になりすぎているのだし、切り離して正確に行われる必要がある。そのためには、専門にやる人を雇う必要がある。
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勿論、国、地方自治体が財政難なのは知っている。学級事務職を入れろと言ってもその財源はどうするの?となっておしまいになる。だから、私は教員の給与を1割減にして、その分の財源で学級事務職を雇うべきであると主張している。
学級事務職は学級に一人の割合で必要というわけではない。中学校の場合、学年に一人でそれも毎日必要ではない。そこで、AETのように学校を巡回しながらといのも可能になると考えられる。それだけでかなり改善できるはずだ。
私は教師になったので、教育に係るものとして授業をしない、子どもたちと接することをしないということは考えられなかった。寧ろ、担任を持てないのは悲しいこと、残念なことと言う思いの方が強い。
しかし、学校教育が捉える範囲は広い。教育行政マンとして教育のあり方に対してプランを作成するというのも大きな教育の仕事である。教育委員会の中で各学校が動きやすい環境整備をするのも仕事である。学校の中であっても、同じだろう。学校教育には関わりたいが、子どもには直接は関わりたくない。というか、授業なんて出来ないという人も居るのだ。そして、変化して捉えにくい人間を相手にするより、変化しない紙の上の数字が、私の手で集計されてぴたっと合致することに快感を得る人もいるのだ。
さらには、雇用拡大、内需拡大の効果もあると考えている。この辺の試算はこのあと専門家がやってくれることを期待したいのだがf(^^;、ちょっとバカに出来ない位の効果が出るのではないかと思う。
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私が教師になった1987年。その頃の中学には、選択授業なんてものは無かった。それからあれよあれよという間に、総合的な学習の時間が設置され、ICTが普及し、小学校には生活科、英語がはいり、道徳は教科にさせられようとしている。教員の授業等に関する部分だけでも相当、新しい仕事が加わり仕事量が増えていることが分かる。
しかし、教師はそれはいいと考えていると私は思っている。なぜなら、それは本務だからだ。栃木県だけのデータではあるがそれは上記のデータにも現れている。問題は、workできない環境なのだ。教員の資質向上も大事。教員の数を増やすのも大事。だが、私は、学級事務職の導入の方が効果があると考えている。
*1 働くは、英語には三種類ある。laborは、労役。心も体も疲れる。workは心は満足体は疲れる。playは、心も体も疲れ知らずでやるほどに充実する。教師の仕事は、少なくともworkである必要があると考えている。