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2014/02/08

四回生ゼミのコンパ終了

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四回生ゼミのコンパ終了。

ゼミ生が一言ずつ、この二年間とこれからの抱負を述べた。

共通していたのは、最初は、このゼミで大丈夫なのかと不安に思ったと言うこと。ゼミ生はみんな真面目で、先生は池田先生だしと言うこと。そんな中に自分が入って大丈夫か?ということだった。それを受けて私も話した。

『いや、私でも池田ゼミと決まったと知ったら、ショックだったと思うよ』

と。

私のミッションは、一回生ゼミ、二回生ゼミ、三回、四回と違う。それぞれのミッションの違いを話しつつ、教師の悲しさと嬉しさについて話した。

四回生ゼミの最後の日、彼らは私に知らせないで、ゼミ終了後、お菓子パーティをしていた。それについて話した。

『いや、あのパーティを私に知らせないというのは悲しかった。私を招待してくれない悲しさもあったけど、私にお菓子をおねだりしない悲しさもあったな。そして、これが全く裏返しになるのだが、喜びなのだ。私なんか関係なくゼミの仲間だけで卒論を提出し終えたことを喜び合うパーティを開いていたと言うことなのだよ』

学級担任論でも話している。担任は孤独だ、と。

クラスがまとまればまとまるほど、担任は孤独になる。卒業生を持った時など

(なんで、オレだけ置いてお前ら卒業して行くんだよ)

と思う。でも、それが幸せなのだ。

「池田ゼミになったとき、残念と言うか、大変と言うか、色々と思いました。だって、〜とか。〜とか、〜とかあったから。けど、今は本当に良かったです」

とも言われた。嬉しい。だけど、本当にそうなのか。まだ、まだ、負の感情を抱えているのではないかとも思う。私が恩師の厳しい指導の意味が分かったのは、卒業して15年とか過ぎてからだからだ。

「初めて、恩師と呼べる先生に出会えました。ありがとうございます」とも言われた。

(あ、これは私が恩師自慢をしすぎているからではないか?)

とも思った。嬉しいんだけど、そうも思った。だが、

『ありがとう。じゃあ、私の恩師に伝えておく。恩師の御陰で、こう言ってもらえましたと伝えておくな』

と。

「池田先生は、形式に拘っていて、それに比べて◯◯先生は自分の中に入ってくれていて、それで3回生で池田ゼミになって、ああ、やっぱり形式が強いなあ、スーツを着て来いだもんなあと思っていましたが、今は全然そう思っていません。今日の一人一人のスピーチに、深い所に届くコメントを一人一人にして下さっています」

とも言われた。

そりゃあまあ、一週間に一回ではあっても、二年間も毎週見ていれば、あれこれ分かる。こっちは40人を相手にしていた。13人なら分かる。だけど、もっと深く入れたのではないかとも思う。そして、その一方で20歳を越えた彼ら彼女らの中に、こっちからそんなに入って良いものなのかとも思いつつ、大学でのゼミをしている。

ともあれ、2013年度4回生池田ゼミは、今日で打ち上げた。あとは、春合宿に来れる人は会える。次は、卒業式の前日か、卒業式だ。

『あのな、いまの大学の授業料は高い。私の時代に比べて明らかに二倍以上だ。京都の私学のなかではうちはかなり安いが、高い。だからな、8年分の授業料を納めたと思って良い。卒業しても普通に大学を活用せよ』

と話した。

そう。

池田ゼミは第二章に入る。

今日の打ち上げは、第一章のエピローグであって、第二章のプロローグでもあった。

乾杯。

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