理論と実践の往還 大熊徹先生最終講義
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大熊先生の最終講義に出席して来た。
平成15年度に14条特例で大学院に派遣してもらって、一年間、それこそ夢のような時間をすごさせてもらった。
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古来、中国では親が亡くなると喪に服すということが行われて来た。2年間だという。高校の漢文の授業でこれを知ったとき
(まあ、実に悠長なことで。二年間も親の弔いをやって仕事をしないのね)
と単純に思ったが、実際に自分が働きに出ると、実にいいシステムだったんだなあと思った。
親の喪に服すということは、今までして来たことを振り返り、自分の人生の後半について改めて考え直す時間としてあるんだなあと思うようになった。
中学生を担当すると、だいたい三年に一回卒業させることになる。3月25日に卒業式を終え、4月の6日あたりの入学式に向けて、息をつく暇もなく駆け抜ける。卒業生を送り出した仲間たちと、この三年間を振り返ること、これから迎える新入生にどういう指導方針でやっていこうかと意見を交わすこともできず、ただ、新年度の入学式に間に合うようにということだけを考えて駆け抜け、卒業生たちとのあれこれをきちんと「葬る」こともできないまま、新年度を迎えた。終わりの無い日常に埋没するのであった。
親には長生きして欲しいが、自分にも喪に服することができたらなあと思っていた。
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で、大学院派遣はある意味喪に服するのと同じ意味を与えてくれた。
東京の場合は、2年間の派遣の場合、1年目は職場を離れて、2年目は職場に戻って研修を重ねる。私は2年目は大熊先生のアドヴァイスで飛び級をさせてもらったので、大学院は1年だっけだったけど、本当によかった。
その1年を大熊先生のご指導の下で過ごすことが出来たことが何より良かった。訳の分からない私のような者を、全部引き受けて下さってやりたいようにやらせて下さった。そして、尚且つ、学問上外してはならないことはご指摘くださった。
その大熊先生がご退職であった。
懐かしい平成15年度の研究室のメンバーにも久し振りに会えて、旧交を温めることが出来た。また、研究室の先輩後輩たちと近況の報告をし合い、時間の流れも感じた。亡くなってしまった方、母親になろうとしている後輩、早期退職を決めた方、新しい職場に移る方などなどほんとうにあれこれだ。私は研究の様子を少し話してアドヴァイスを貰ったり。
もうすぐ、私が大熊先生にお会いした時の大熊先生の年齢になるのかと思うと、身が引き締まる。あんなに優しく厳しく学生を指導することが出来ているだろうかと思う。
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懇親会も参加。
スピーチをと依頼されたので、先生の思いでを話し、僭越ながら、付け祝言を謡う。色々あったけど、目出度い目出度いと言う部分。先生の新しい旅立ちが華やかになるといいなあと思って。
二次会まで参加。いつもだったら先生のすぐそばに座るのだが、ま、そこは付属小金井小学校のみなさんが座った方がいいと思ったので、離れて座る。そして、国語講座の千田先生などともお話をする。これもいい勉強の時間。
で、ふと思ったのだ。マジックをやろう!
ブレザーのPocketにいれて持ち歩いていたカードを取り出して、(よっているけど大丈夫か)と思いながらも披露した。
をを、成功。上手く行った。
これに味を占めて呼ばれても居ないのに各テーブルに行って披露。大熊先生のテーブルでも披露。合計三カ所で披露。タネを知っている人以外には、バレなかった(^^)。
マジックはコミュニケーションツールだなあと思った。
これをきっかけにまた新しい人脈が出来た。
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終電に飛び乗り、幸せな時間を反芻し、実家に戻りました。
大熊先生、ありがとうございました。
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