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2014/04/24

最後まで書けなかった「ひ」

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娘(6)のひらがなの練習に付き合う。今日は「ひ」。
この字は私が最後まで書けなかった字だ。
大学2年生の時にやっと、取り敢えず満足できる「ひ」が書けるようになった。

活字の「ひ」と、書道の「ひ」は字の角度が違うので、活字が書けるようになっても、書道の字は書けない。また、筆先が回転する場所が二カ所、さらに筆の両側面を使う技法もある。

この字の形の結構と、筆の動かし方の運筆。この二つを単純な字の中に求めるのが、この「ひ」の字なのだ。

娘は、中学生位までにはこの字が書けるようになるといいなあ。
写真は徳川美術館所蔵の伝藤原行成の一品。
学生の頃書いて練習したのは、これら。
http://www.tokugawa-art-museum.jp/planning/h16/07/obj02.html

上手く行かないときに幸せで居られるってことは

4/22

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やればできるってのは、違うときちんと教師が言うべきだよなあと思う。
確かに、やらなければ出来ない。が、やれば出来るとは違う。

努力すれば上手く行く。
いや、これも違う。
上手く行った人は努力している。

努力したって上手く行くとは限らない。
だけど、結果がでなくとも、努力、そのプロセスは評価に値する。
結果だけカウントするような指導をしたら、
結果がでないことには、取り組まない子供達を育てる。

人類は、空を飛ぼうと夢見て来た。
何人も怪我をして、何人も命を落としただろう。
でも、やっていないことに挑戦し、結果を出した。
挑戦し続けた先達がいたから、結果が出た。

やり続けて、それが閾値を超えたとき、うまくいく。
これが正しいと思う。
ただ、この正しさを理解できるのは、
閾値に至るまでの苦しさを通り抜け、その後の成功体験をした人だと思う。

そうだとしたら、教師は、大人は、
子供達に早く、成功体験をプレゼントすべきだ。
小さな成功体験と、1年後3年後10年後に得られる成功体験を。
そうすると、上手く行かなくてもだえ苦しんでいる自分を客観的に見ることが出来るようになる。これが成功への一里塚なのだと言うことがリアルに分かる。この苦しみは成功に繋がっていると分かって嬉しくなる。

上手く行くっていうのは、そんなに簡単なことじゃない。
が、上手く行かないときに幸せで居られるってことは学習出来るんじゃないかなと思う。

2014/04/18

「青い目 茶色い目」の授業

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http://www.dailymotion.com/video/xp34v2_青い目-茶色い目-教室は目の色で分けられた_news

昨日の卒論ゼミをしているときに、統制群の話になった。ふと思い出したのが、「青い目 茶色い目」の授業。あらましを話して終わったのだが、授業後に検索すると出て来た。便利だ。学生たちに見させたところ、衝撃を受けている。

この授業、いろいろと評価があるだろうが、見たことの無い人は、見ておく価値はあると思う。いまではこういう授業は難しいだろうなあ。

しかし、教員のための指導環境にはお金を使わない

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http://nonobu.way-nifty.com/blog/2014/04/post-4ba5.html

と、野中先生が書かれている。

私は、ずっと学校の中にいたのでさほど気にならなかったのだが、外の世界を知っている人が中学校の非常勤講師をした時に強く感じたことがあると言われて、成る程と思ったことがある。

それは、先生は常に学校の中で誰かの視線に晒されていると言うのである。銀行でもコンビニでも、お客さんの視線から隠れることの出来るバックヤードと言うものがある。ところが、教員にはこれがない。

例えば、先生が体調が悪くなったとき、どうするかご存知だろうか?

1)通常は、職員室の机に突っ伏す。
2)それでも治らないときは、保健室のベッドの上に横たわる。
3)しかし、保健室が子供達に使われている場合は、教師は遠慮する。
4)そして、寝ていても新たに来た場合は譲る。
5)その場合、どうするかというと更衣室があれば更衣室に通常はあるカーペットの上に身体を横たえる。
6)または、カーペットの敷かれているパソコン室床や、
7)パソコン室の教員用の机の中に入り込んで寝転がるということになる。

体調のいいときは100人の視線であろうが、500人の視線であろうがなんとも思わないが、そうでないときは、辛いときもある。しかし、現状では耐えるしか無い。

学校は、子供たちへの指導環境を充実させることに関しては、お金のやりくりをしてなんとかやって行こうとしていると思う。

しかし、教員のための指導環境にはお金を使わない。
労働環境にもお金は使わない。

一般的に先生と呼ばれる職業は、替えが効かない。専門職と言われている人たちは、替わりが効かない。その人が倒れたら大変だというのに、今の学校が、その人が倒れないような労働環境、指導環境になっているとは思えない。

せめて、休息室を用意すべきである。
使っていない教室はあるところにはあるだろう。
一杯の珈琲、一服のお茶が飲めて、仮眠がとれるような場所。

教師は使い捨てのなにものかではない。

生徒は授業にお付き合いをしてくれている

4/14

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長い一日が終わる。娘(6)の登校につき合ってから、大学に行って授業をゼミを含めて三コマ。そして、授業の片付けと来週の授業の準備の一回目を終えた。割と順調に動き出しているかな。

今日の国語科教育法では、学生を小グループにわけて、
「先生、なんで国語を勉強するのですか?」
という問いを生徒役の学生に言わせ、先生役の先生が答えるということをやった。殆ど答えられていなかった。

『だから、子どもたちにそう聞かれる前に、授業開きで言うことが大事なんだ。先生だけに、先制攻撃をするのだ』

と、まあ、ファニーな冷めた笑いを入れつつ授業は進む。

だいたいからして、学校に来ている生徒は授業にお付き合いをしてくれているわけである。友達に会う、好きな子の顔を見る、給食を食べる、部活動に出るが主たる目的であって、授業はお付き合いだと考えよと私は言う。

つき合ってくれているのであれば、丁寧におもてなしせよと。
そのおもてなしとは、つまらないを面白く、分からないを分かったに、出来ないを出来たに変えるである。それを授業では、指導とか支援とか言うが、要はおもてなしである。

そして、子どもたちが授業を受けたい!と思うようになったら、突き進むのである。なんで国語の勉強をするのかが、子どもたちが自分で得心したら、突き進むのである。

ただ、「先生、なんで国語を勉強するのですか?」にそれぞれの教師が自分の言葉で語れるようになっていることは大事。15回の前期の授業が終わる頃、もう一度この問いを発して、学生達に確認してみたい。

写真は、作ってみた光の箱。美しい。

珍しいテーマで校内研修会の依頼

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珍しいテーマで校内研修会の依頼がありました。板書の書き方指導に付いてということです。

なんでかというと若い教師が増えて、板書がとんでもないことになっているとのことだそうです。では、なんで私なのか?というと、内の学生がその小学校でお世話になっていて、その学生の板書が凄く上手いのでなんで?と聞いたら、私の授業の話が出たそうです。

まあ、こういういきさつであれば引き受けざるを得ないなあとf(^^;。
教科教育法(国語)でやっている授業をやってきます。

ちなみにそれはこんな内容です。

http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/・・・/11/post-983d.html
http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/・・・/2012/04/2-9fce.html

2014/04/13

書く、というより書かせてもらっているという感じ

4/12

(今年は論文書くぞ、発表するぞ)
と決意をした。
いくつかの研究が形となって来ているので、その発表が続くのではないかと予測したのが今年のはじめ。本当にそうなりそうだ。

内田樹先生が、フランス文学学会をやめることになったときのいきさつを読んだ事がある。たしか、個人の利益のために学問をする者が増えて来たことと言うのがあったかと思う。日本を背負ってフランス文学を学んでいた時代から大きく変わり、それもあって随分変ってしまったと言うのである。

自分を背負うのは、実は簡単だと私も思う。
私自身がやりたいことをやるってのは、変な良い方だがそんなに難しいことではない。

んーんと、もう少し言うと自分が直接関わっている部分をやりきるのは難しいことではない。でも、それは自分が直接関わっている部分が小さいから出来るのだ。

世界の平和を背負ってみるといい。
あなた一人で出来るわけがない。
日本の教育をなんとかしたい。なんとかする。
あなた一人で出来るわけがない。

私のやりたいことは、私の力だけでできるわけがない。
これは当たり前の事実。

ここに、本当にありがたいことだが割と若い年齢の時に気がついた。また、いまは力を貸してくれる若い研究者がいてくれるようになってきた。さらに、学生たちが力を付けて来ている。

と、なると、この結果を公開しないというのは、ダメだろうという思いになる。私のためであればいい。放っておいても良い。でも、こうして力を貸してくれる人たちがいてくれる。これをそのままにしておくのは、ダメだと思う。

ということで、これは書かないとダメだと思うのだ。
で、
(今年は論文書くぞ、発表するぞ)
という冒頭に戻るわけだ(^^)。

書く、というより書かせてもらっているという感じだなあ。
自分のことは、まあ、どうでもいい。
でも、背負ったもののためにはやるぞということ難だろうなあと思う。

はい、一本目はその思いで書きました。

生協の昼ご飯は一人で食べる会の会長

4/10

今年度も、生協の昼ご飯は一人で食べる会の会長をしている。いや、何が何でも一人でというのではない。その場に知り合いがいたら一緒に食べる。が、何が何でも誰かと一緒でなければダメというのではない。

昼ご飯は、誰かと一緒に食べるものという考え方の支配が強すぎる気がする。それに負けてしまう学生達がいる。いわゆる便所メシだ。私が見た所本学科の学生にはいないように思うのだが、でもこの支配は強いように感じる。

一人で食べている人は友達のいな寂しい人というレッテルが貼られるのだ。

私は、大学に移った時にとにかく嬉しかったのが、昼ご飯がゆっくり食べられるということであった。2限、3限と続くと食べている時間は短いのだが、それでも生徒のことを気にしながら食べなくていいのは、非常に大きい。

「先生、友達いないんですか?」
と馬鹿なことを聞く学生が居たが、一人で食べられる幸せを感じているのである。

それから、もう一つ。
私が一人で食べるということは、一人で食べざるを得ない状況になっている学生達へのメッセージになっていると思うのだ。一人で食べるでいいじゃないかというメッセージ。

今年度も、生協の昼ご飯は一人で食べる会の会長をしている。

写真は、生協食堂から見える紅枝垂れ桜。

2014/04/10

その青空を背景にして、紅枝垂れ桜は咲き誇っていた。

4/6


今日の上洛の目的は、娘(6)の桜を見に行くこと。
やっと授かった娘が生まれた年、京都市内のとある神社で
桜の植樹奉納の案内を知った。

これだ、と思った。
毎春、娘と一緒に桜を見にデートが出来ると(^^)。
そして、私たち親がこの世からさよならをした後にも、
娘を見守る何かが居てくれたら良いなあと思っていたので、これはいいと思って植樹奉納をした。

今年は、見事に咲いてくれた。
今日の京都は、冷気が降りて来て時より霙が降る天気であった。
その合間合間に見せる冬の引き締まった青空。
その青空を背景にして、紅枝垂れ桜は咲き誇っていた。

もうね、来年はね、この桜の下でみんなで花見をしたいくらいです(^^)。

35歳位になったとき、どこかで誰かが、またはどこかで何かが自分の人生を見守ってくれているんだなあと分かるようになった。だから、自然と「御陰さまで」という言葉が出てくるようになった。

その位まで娘を見守りたいとは思っている。いるが、何があるか分からないからねえ、人生は。だから、娘をしっかりと見守ってくれる何かがいてくれたらなあと、娘が生まれた時に思った。

今年は入学の年、もう一本植えちゃおうかなあ(^^)。

小学校、入学おめでとう

4/8