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2014/04/13

書く、というより書かせてもらっているという感じ

4/12

(今年は論文書くぞ、発表するぞ)
と決意をした。
いくつかの研究が形となって来ているので、その発表が続くのではないかと予測したのが今年のはじめ。本当にそうなりそうだ。

内田樹先生が、フランス文学学会をやめることになったときのいきさつを読んだ事がある。たしか、個人の利益のために学問をする者が増えて来たことと言うのがあったかと思う。日本を背負ってフランス文学を学んでいた時代から大きく変わり、それもあって随分変ってしまったと言うのである。

自分を背負うのは、実は簡単だと私も思う。
私自身がやりたいことをやるってのは、変な良い方だがそんなに難しいことではない。

んーんと、もう少し言うと自分が直接関わっている部分をやりきるのは難しいことではない。でも、それは自分が直接関わっている部分が小さいから出来るのだ。

世界の平和を背負ってみるといい。
あなた一人で出来るわけがない。
日本の教育をなんとかしたい。なんとかする。
あなた一人で出来るわけがない。

私のやりたいことは、私の力だけでできるわけがない。
これは当たり前の事実。

ここに、本当にありがたいことだが割と若い年齢の時に気がついた。また、いまは力を貸してくれる若い研究者がいてくれるようになってきた。さらに、学生たちが力を付けて来ている。

と、なると、この結果を公開しないというのは、ダメだろうという思いになる。私のためであればいい。放っておいても良い。でも、こうして力を貸してくれる人たちがいてくれる。これをそのままにしておくのは、ダメだと思う。

ということで、これは書かないとダメだと思うのだ。
で、
(今年は論文書くぞ、発表するぞ)
という冒頭に戻るわけだ(^^)。

書く、というより書かせてもらっているという感じだなあ。
自分のことは、まあ、どうでもいい。
でも、背負ったもののためにはやるぞということ難だろうなあと思う。

はい、一本目はその思いで書きました。

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