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2014/05/27

「ほら,先生になりたくなくなってきただろ。」

5/25

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週末は集中講義に出掛けていた。午前3時間、午後3時間の合計6時間の集中講義だ。
生活指導論。与えられた時間をフルに使って授業をして来たつもりだ。
いま、時間を見つけては、集中講義後に学生たちが書いた授業の感想を読
んでいる。

ああ、あれも話してやりたかった。
こう説明してやれば良かった。
質問時間をたっぷりと取れば良かった。

一回きりの集中講義では、フォローアップが難しい。
できるだけ、掲示板の書き込みに答えるしか無いなあ。

で、笑ってしまった感想。

「ほら,先生になりたくなくなってきただろ。」これが先生の口癖

です。具体例をだして考えさせ,教師という職に対する意見を私たちがまとめたころにいってきます。このマイナス要素しかないセリフも授業を受けるうちに,勝手に「ほら,先生になりたくなってきただろ。」と勝手に変換されて聞こえます。とても楽しいです。きっとすてきな経験をすることができるでしょう。

こういうの好きだなあ(^^)。

満開の薔薇

5/23

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イングリッシュガーデン。
薔薇が満開。命の洗濯。スパイシーないい香りに包まれる。

2回生ゼミ

5/23

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2回生ゼミ、最初に今週のトピックということで、大飯原発再可動差し止めの判決文を読む。
http://www.news-pj.net/diary/1001

学生たちは判決文など読んだことがないというので、判決文の構成を教えながら読む。主文があって、その後に理由というもので、死刑判決だけは主文が最後に回るなど。

今回の判決文は、凄い。特に以下の点が凄い。

「9 被告のその余の主張について

 他方、被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

 また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。」

電気代やCO2に関する議論は、国富と比較すべきものではないとばさっと切り捨てている。今何が起きているのかを、一緒に見る時間は大切にしたい。



その後、work4を終わらせる。

15年後の未来ってのを考えるのは、本当に大変だった。
私も未来に関する本を学生たちに紹介しながらこのワークに取り組ませた。
『幸せな未来はゲームが創る』『ワークシフト』『教育×破壊イノベーション』などなどだ。

学生たちは、いままでの15年とこれからの15年が違うものになることをひしひしと感じたようだ。原発のこともあったからかどちらかというと不安になった学生たちが多い。私は、アランケイの言葉を伝えた。

「未来を 予測する最善の方法は、それを発明することだ。」

想像できることは、創造できる。
確かに、状況は大変だ。だが、想像できることは創造できるのだ。

『君たちは、入学試験を受けるとき、出来る問題から解き出来ない問題は後回しにして合格点を取れと指導されたであろう。それは入学試験に際しては正しい。出来ない問題に取り組んで時間切れになって点数が取れず、合格しないなんてのは合格を目的にする以上正しくない。

しかし、それは合格までの話だ。
人生の楽しみは、誰もやっていないことに挑戦することにある。やりたいと思ったことに挑戦することにある。空を飛ぼうと思った人が何人いるだろうか。そして、何人が命を失ったであろうか。出来ないと笑われただろうか。だけど、挑戦を続けただ。

出来ないからと諦めることは何も意味しない。
出来ないからやるのだ。そこに価値が宿っているのだよ』

そして、スティーブジョブズのスピーチを見る課題を出した。
https://www.youtube.com/watch?v=VyzqHFdzBKg

学生の感想を二つ。

「私が今日のゼミの中で一番印象に残った言葉は、池田先生の
 「未来を予測するにはどうすれば良いと思う?」の答えにあたる、
 「未来を予測する最善の方法はそれを発明することである」というアラン・ケイの言葉です。
 とても前向きな言葉で、「自分がやってみせよう!!」といった積極性を感じました。
  私たちは、三週間にわたって、15年後の未来について考えてきました。
 タイムマシンができる、交通機関が変化する、憲法が大幅に変更される、
 医療が大幅に発達する、ロボットだらけになる、ノートがいらなくなる...など、
 どれも本当に15年後に起こり得るようなものばかりでしたが、
 誰一人「自分がやってみせよう!!」とは思っていなかったと思います。
 実際にわたしはたくさんの予想を出したにも関わらず、
 そのなかで自分が行動することでそれを現実にしようと思ったものはありません。
  今10歳の子ども達に15年後のために私たちはどのようなことを身につけさせるべきかという題で、
 私のグループでは「積極性」というものがあがりました。
これは、15年後の子ども達だけでなく今の私たちにとってもとても大切なことだと思います。
 「自分がやってみせよう!!」常にそんな思いを持つことで、私たちの明るい未来につながるのではないだろうかと思いました。」

「今日印象に残っていることはグループワークの時に先生が、「今君たちが模造紙に描いていることをふまえて子どもたちに授業でおしえなければならないんだよ。」という言葉です。

模造紙に描いていたこととは、“将来起きそうなこと”などでした。その時、英語やエクセルは必要不可欠だという結論に至りました。そこで冒頭でも述べたように先生が声をかけて下さりました。その言葉に、私は途端に焦り始めました。なぜなら、子どもがそのようなことを勉強するということはもちろん先生も出来なければならないからです。すごく現実を感じました。それとともに、今自分がなにを勉強しなければならないか明確に分かりました。
 
 今までの私は、勉強しなければと思っているだけで実際なにを勉強しなければならないか深く考えたことがありませんでした。けれど将来を考えることで、自然と今の自分に何が足りないか少しずつですが分かるようになりました。今日の授業は、将来を考えるきっかけになってすごく有意義な時間でした。」



そして、今週の課題は以下の通りである。

「来週の授業では、三週間にわたって行った議論を文章に纏めて持参する。
A41枚から2枚程度に纏める。プリントアウトして、次回の授業に持参する。その際、以下の三つの観点を元に纏めること。

1)15年後の未来を予測する。そして、その予測に関する証拠をインターネットから探し、そのURLを貼付けること。

2)1)の未来を考えたとき、いまの10歳の子供達に指導すべき必要な力とは何であるかを考え纏める。その際、その指導すべき必要な力に関しての情報をインターネットから探し、そのURLを貼付けること。

3)1)2)を踏まえた上で、今のあなたが付けるべき力、これから付けて行かなければならない力は何なのかを具体的に述べよ。」

さて、どんなものが提出されるだろうか?

ああ、なんかおじさんになっているなあ、私(^^)

5/21

「池田センセーイ」とキャンパスで声を掛けられる。去年の一回生

ゼミの娘たちだ。相談があるという。何かと聞けば、夏休みに東京に行くので、どこに行ったらいいかとのことである。

うーむ(^^)
『あのね、何を求めるかによって全然違うよ。東京は広いから』
「あ、そうかあ(^^)」
と無邪気である。
聞けばお盆の翌週に九人で行くという。
「東京にしか無いものというのがあれば教えて欲しいんですけど」
と言われてすぐに思いついたのが、夜景。神戸にも大阪にもあるが、東京の夜景はまた格別。

一番いいのはホテルの部屋から落ち着いて見るのだが、ま、娘さんが九人で行くのであるとそれもおかしいか。

授業が迫ってきたので、『あとは、研究室においで』と言って別れる。定番の都庁の展望台や美味しい店のあれこれをおしえてあげよう。

ああ、なんかおじさんになっているなあ、私(^^)

マンガ漢字学習材の開発に関する一考察 〜恐怖を刺激する勉強から、興味を素材にする学習へ〜

5/18

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全国大学国語教育学会での発表を終えました。
10年ぶり二回目f(^^;。

会場は40人定員のところに、椅子席、立ち見まで出てありがたいことに。
宗我部さんや渡邉さんも見に来てくれて、学芸大学の大熊先生、また、大熊門下生のみなさんも見に来てくれて、
(うりゃあああ、やるぞ!)
となりつつも、結構冷静に進めることが出来ました。

持ち時間20分の時間をギリギリまで使って終わり、質問や意見も10分の時間の中で5人がしてくれて、今後の研究のアドヴァイス等も、前向きなものを頂きました。終わってからの休憩の時間でもあれこれ意見を貰ってありがたかったなあ。

日本の国語教育のトップの学会での発表で、それなりのインパクトを与えることが出来たのではないかと思う。さらにマンガ漢字学習材を子供達にやらせてみて、その学習の成果を分析して、論文に育てようと思う。

日本の学校教育を変えたい。
国語の授業を変えたい。
国語を実技教科にしたい。
漢字の学習を変えたい。
面白く勉強したっていいじゃんとしたい。

発表は終わったけど、新しい始まりだ。
気持ちのいい始まりだ。
いろいろとありがとうございました。

ふうううううう。

十六夜のmoon river

5/16

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生活科の授業を、授業でないのにやっている

5/15

小学校の校庭にシロツメクサが咲いていたそうだ。娘(6)はそれを摘んで冠を作ったそうだ。そうしたら、
「教えて!」
と皆に言われて、皆で作ったそうだ。
学級通信にその写真が載っていた。

こういうの嬉しいなあ。
生活科の授業を、授業でないのにやっている。
遊びながら季節を身に纏う。
こうでなきゃ。

小学校の宿題が納得いかないと、書いては消し、書いては消しをする娘

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小学校の宿題が納得いかないと、書いては消し、書いては消しをする娘(6)。

ひらがなを書くという宿題なのだが、線がまっすぐに引けていないとか、丸くする部分がおかしいとか、
(もう、そのぐらいいいんじゃないの?)
と思うレベルのを何回も消しては書いている。

ああ、オレの娘だと思う。
自分が納得するまでやり続ける。
『もう、それでいいから終わって食事にしよう!』
と言いたいところだが、じっと我慢。
ここを我慢しないと、いい加減でいいということを教えてしまう。
お腹がすいたけど、我慢。

完成!

「お待ちどうさまでした」
を言わせて、美味しい食事でした。

我慢、我慢が子育て。
だけど、なかなか辛い(^^)。

推薦に落ちたから今の自分があるんだな

5/14

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今日の授業は四回生ゼミだけ。
卒論の目次案検討を二人。



その前に、大事な話を二つ。
一つは、採用試験に関して。
今年のゼミ生も大学の推薦を二人通った。しかし、その一方で二人落ちてしまった。ここから生まれているであろう、もやもやを一度片付けなければならない。

『推薦を得た諸君は、このチャンスを十分に生かせ。
残念だった諸君は、
(ああ、推薦に落ちたから今の自分があるんだな)
と思えるような生き方を作れ。

なんのことか分かるか? 通常は合格して良かったね、合格しなくて残念だったねというように考えると思うが、人生って奴はそう簡単ではない。

1)合格して良かったね
2)不合格で良かったね
3)合格して失敗したね
4)不合格で失敗したね

の四つがあると言うことなのだ。

例えば私である。私が現役で京都大学に合格していたら、まあ、ここにはいなかったろう。あ、受けていないけど京都大学(^^)。現役で早稲田大学合格していたとしても、ここで大学の教員はしていないだろう。マスコミかプー太郎か、高校の国語か書道の教員をしているかだろうなあ。早稲田は二回も、いや二年も受けたのに落ちたしな。

だけどその御陰で、國學院大学で恩師たちに出会うことが出来た。そして、まあ、いろいろとありつつも中学校の教員になる。で、ディベートに出会い、あれこれあって、今に至る。自慢じゃないが、私は1)のパターンは、記憶にないなあ。2)ばかりかもしれない。

不合格ってのは、辛い。それは良くわかる。
けど、後からネタに出来るし、教師にとっては辛い子供の気持ちに寄り添うための大事な体験かもしれない。人生はスタートラインが低い方が楽しい。楽ではないが、楽しい。伸びシロが沢山あるのだから。

合格した人は、そのチャンスを十分に生かせ。そして、1)になるようにせよ。残念な人は、2)になるように挑め』

ダメは、オッケーの一歩目でしかないというのは、この年になると良ーく分かる。
だけど、若者には辛い。その辛さを受け止めて、前に向かわせる。
これが先生の役割なんだよなと思う。
私もそうして頂いた。



もう一つは、俳句。
FBで見た例の俳句を、問題にしてみた。

◯◯◯◯◯
あああああああ
おおおおお

として、考えさせた。
結構良いのが出た。

◯◯◯◯◯には、

1)クラス替え
2)転校生
3)合唱祭

等が出た。2)は春の季語になるかどうかはあやしいけど、分かる。
で、小学生の作った「せんぷうき」を言う学生もいた。
で、それがこの俳句で小学生が選んだ季語だと説明した。

学生の顔がとても良かった。
悔しいような、嬉しいような顔だ。
自分が思いつかなかった悔しさと、そんな小学生が愛しいような嬉しい顔。

この二つを抱えて、卒論目次案検討に突入したのでありました。

人は何故あがるのか?

  • 5/13
  • 人は何故あがるのか? 私の答えは「いつも以上の良い自分を見せようとするから」である。いつも通りでいいのであれば、あがらない。だとすれば日常のクオリティをあげる努力が必要。クオリティをあげておいて、その80%出来ればいいと思えれば、あがることはない。

カミングアウトは、セーのでやっても意味が無い

5/12

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なんか今年は変だ。
カミングアウトする学生が多い。
生徒時代の時に受けた辛さをカミングアウトする学生が多い。

被害者としての自分を語る。
いや、私も自分が生徒の時には、特に中学2、3年のときは酷かったので、そのことを授業中に語ることはあるのだが、それは例年通りなのだが、今年はそれを受けてかどうかは良くわからないが、自分が生徒の時に辛かったことを語る学生が多い。

カミングアウトは、セーのでやっても意味が無い。というか、無理。
それぞれの人間が、人間関係の中で、
(あ、ここなら言える)
となったとき、湯船から湯水が溢れるように行われる。

が、今年は授業が始まって1/3ぐらいなのに、多い。
私はそういうキャラではないのに、相談も多い。
私の何かが変わったのか、学生の何かが変わったのか、
または、その両方なのか。

良くわからないが、大事にすべきことだとは思っている。

そこに向けて指導を重ねる

5/12

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教科教育法(国語)では、話し方の基本を終え、板書の基本へと話を進める。
ここまでは、国語というよりは教育技術入門と言う感じである。だが、ここはなかなか指導されていない。どの教科でも必要だと思うのだが、15回の授業では扱いにくいということだ。

でも、大事なので私は時間をかける。
大学の教科教育法の授業で何を教えるか。色々な議論はあるだろう。
私が大事にしているのは、読めば分かることは読んでおけで済ませ、やらなければ分かりにくいことや、読んでも分かりにくいことを取り上げると言うことだ。



基本は、一年目の教員でも10年目の教員でも守らなければならないこと。
『球技の基本は何だ?』
と学生たちに問い、
「ボールから目を離さないこと」
ということを答えさせてから、
『ということで、私が指導しているのは教師が授業するための基本だ』
と話す。

『一方初級、中級、上級というのもある。これは勉強をし、訓練を重ね、経験を積みながら身につけて行くもの。これも怠ってはならない』
とも。

本当は、この部分は一回生でやりたいのだが、その授業はない。
だから、実習前の切羽詰まったこの三回生前期で、彼らが
(まずい。できないとまずい)
という中でやる。ま、これもいい。



はじめから出来る人は居ない。
私だって大学時代、書道の先生が黒板に書いた文字の上を、チョークでなぞりながら半年間位は練習した。出来ない人はやっていないということだ。

いや、もう少し言うと、出来る人は比較優位で自分の得意な部分にさらに磨きをかける。自分が出来ない部分を治そうとして、そういう本を読む。しかし、まあ、採用試験にでる部分で苦手な部分は補っても良いと思うけど、それよりも少しでも他人よりも自分が優れていてやっていていいと思うところを伸ばすべきだ。だから、出来る人は出来る部分を伸ばす。そして、どんどん伸びて行く。

このことに、大学生は気がつくべきだ。
自分は何を伸ばすべきなのかということを。



次回は、読みやすい字の書き方についてのレッスン。
頭で理解させて、あとはひたすら書くことを求める。
でも、教師になるなら
「先生、字がうまいですね」
と言われる字を、早く書けるようになった方がお得である。

そこに向けて指導を重ねる。

上手く行くと15mぐらい乗れるようになった

5/11

夕方、小一時間娘(6)の一輪車の練習に付き合う。上手く行くと15mぐらい乗れるようになった。我が娘ながら対したもんだと思う。

上の前歯も一本がぐらぐらして来て、そろそろ抜けそうな感じ。
『紐で結んで、えいや!ってやると抜けるぞ』
というと
「えー、やってお父さん!」
と言う。
いや、痛いかもしれないので流石にこれは躊躇ってしまった。

前向きな娘を見ていると、よし、やるぞと思える。
ありがたいことだ。

誤解

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  • 「答え」はネットを探せば出てきます。が、自分の考えは出て来ない。それは検索は考えるとは違うからです。ところが、検索が考えたことになると誤解している人が多い。

発問ってのは、読解が前提

5/11

国語科の初任者が困っていることとして「発問」ができないということが多いと言うことが書かれていた。うーん。

発問ってのは、読解が前提。ざっくり言うと教師が読み取った内容を説明するのではなく、子供達の発言が、その説明になるような質問を考えることが発問。

そうだとすれば、国語の教師が文章を読めていないということになる。おそらく、与えられた設問に対して答えることは得意なのだろう。だから、採用試験には受かる。

しかし、自ら問いを立てながら文章と対話を重ねながら読むと言うことが不十分なのではないだろうか。片手に鉛筆を持ち、本に書き込みをしながら読むことをすることはしてこなかったのかなあ。

これは結構深刻な問題では無いだろうか。

無事に鈴鹿サーキットから帰ってきました

5/10

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無事に鈴鹿サーキットから帰ってきました。私はサーキットに興味があり、娘は遊園地に興味がありで、なかなか充実した一日でした。

朝9:30の開門とほぼ同時に入場し、閉園の19:00までたっぷりと。
娘は人生初のバイクの運転にジェットコースターに乗りと、大興奮。
「面白いの花丸の花丸の花丸の花丸の花丸ぐらい面白かった!」
と表現していました。
「ここがお家のすぐ近くにあれば良いのになあ」
とも。

なかなか連れて来てあげられなかったので、連れてくることが出来てひと安心というところです。

私は私で、練習走行ではありますが、フォーミュラーカーがサーキットを駆け抜ける音に痺れていました。スタンド全体で交響曲を奏でているようなあの迫力。車好きにはたまりませんでした。

帰りの新名神は、疲れて眠くなったので、サービスエリアごとに仮眠をとりながらの帰宅でした。

そして、いま、ゆったりとビール。
乾杯。

豊橋を通過して三河安城にそろそろというところだ

5/9

今日はオフの日。ま、オフと言っても授業の準備や原稿はあるが。一日一食は続いているが、今日はオフなので禁断のラーメンを昼に食べようと思う(^^)。ま、そんなにストイックにやらなくてもいいでしょ。

朝の運動もバイクだけにして、おく。154kcal.
で、記録を付けて合計を見たら、バイクとランで320キロを達成していた。新幹線で言うと東京を出たのぞみが、豊橋を通過して三河安城にそろそろというところだ。

年内の博多到着は無理でも、一年かけて博多まではいけそうかな。
そういう楽しみもなかなか面白い。
http://www.shinkansen.co.jp/ryoukin_tokaido_sanyo.html

2014/05/11

呪縛から解放してやりたい

5/8

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小さいけど面白い取り組み。
3回生ゼミの学生が、自主ゼミであれこれやっている。
今のテーマが、「貧乏人のICT」である。
いかに少ないコストでICTを実現するかと言うことである。

それについてアドヴァイスを求めて来たので、私も考えて思いついたことを指示したりしていた。そうしたら、GWあけの今日、試作品を作って来た。ま、作ってこいと言ったんだけどね。

それを研究室であれこれ試して、良い点とダメな点を検討し合う。
試作品NO.1はまあ、ダメである。
しかし、何がどうダメなのかは試作品を作ってみて具体的に分かる。
そこを踏まえて、試作品NO.2やNO.3を作って行くという心構えが出来たようだ。

一回で完成品を作らなければならないという呪縛から解放してやりたい。
短時間で正解を出す入試のための勉強とは違うのだ。
試行錯誤が良い。
試行錯誤の中で、今回は使えないけど、どっかで使えるアイディアが出て来たりもする。そういうのがいい。

6/1の教材教具祭りでの発表を目指して、さらに開発を進めさよう。

夕陽の比叡山



比叡山に沈む夕陽。近江米を植えたばかりの田圃に輝く。

嬉しいこどもの日だ

5/5

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『ただいま』
と帰宅の挨拶をしたら、お母さんだけが返事。
いつも通り、娘は隠れているのだろう。
迎えに来ないでいつも隠れている。
これを捜すのが吉例。

ところが、今日は違った。

♫♩♩♩♩♩♫♩ ♫♩

とメロディが流れて来た。

「お父さんに聞かせるの!」
と両手で練習したそうだ。

屋根より高い鯉のぼり
大きな真鯉はお父さん
小さな緋鯉は子供たち
面白そう泳いでる

そうか。
そんなに弾けるようになりましたか。
嬉しいこどもの日だ。

もう、充実しまくりのGWであった

5/11

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一週間が早いなあ。
先週の週末は、奈良の吉野へ一泊二日。
そして、その後東京に一泊二日であった。
遠い昔のように思う。

奈良は、上田信行先生のゼミのパーティ。
ネオミュージアムでのパーティ。
『プレイフルラーニング』を読んで憧れたものだ。
こういうことを20年も続けられていたとは。
先達はあらまほしきものなり。
私の中のスイッチがひとつオンになったのが分かった。

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東京へは、大学院時代の恩師、大熊徹先生の退官記念パーティ。
参加者が120名を超えた。
前日の動きが分からなかったので、このパーティは参加できないかと思われたが、可能と分かったので参加。となったら、司会を依頼された。
もう、国語業界の重鎮ばかりのパーティですので、言葉遣いは相当気にしなければならない。それでいて、時間を守りユーモアも入れないと気が済まない私。久し振りにハードルは高かったが、パートナーの先生の御陰もあって3時間30分を乗り越えることができた。楽しんで頂けて良かった。

その後の二次会では、来週発表する学会のプレゼンテーションを大熊先生の門下生の大学の先生方にMacBook Airで見てもらうことが出来た。的確なアドヴァイスを頂くことが出来た。ありがたいことだ。

その日は実家に泊まって親に顔を見せて、翌日は髪の毛を切って、研究の打ち合わせ。この打ち合わせが良かった。あれこれ刺激を貰え、自分のアイディアなのに仲間の脳みそを借りて考えているような打ち合わせであった。ありがたい。

もう、充実しまくりのGWであった。

2014/05/05

松岡直也さんが亡くなった

4/30

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松岡直也さんが亡くなった。

80年代から90年代にかけて、日本がまだ疑いも無く繁栄を続けていた頃の、あの勢いと切なさを、ラテンのメロディの中に溶かし込んで私たちに届けてくれた松岡さんが亡くなられた。

私と同じ年の世代の人は、松岡さんの曲をどこかの夕暮れの海岸で、プールサイドで、夜の高速道路で、朝の爽やかな空気と一緒に聞いていたはずだ。この世界は広く、美しく、セクシーで、限りなく切ないということを教えてもらった。

それは、今よりもピュアな気持ちで聞けたからかもしれない。
しかし、いままた聞いてもやはりいい。
あの頃のピュアな気持ちに戻れるのか、そもそもどこかにピュアが残っているのかわからない。が、あの夏の乾いた空気を直ぐに呼び戻せる。

https://www.youtube.com/watch?v=689RGDXXTE4

https://www.youtube.com/watch?v=xf8CbTmwPd0

sunspot danceは、オリジナルが見つからなかった。
残念。

合掌。

爽やかなぐたーっ

4/30

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卒論ゼミ。今日は三人を指導。

1) ドラえもんから見えてくる「良い子供」
2) 児童の「うそ」に対する教師の対応法の研究
3) 発達障児における話し言葉から書き言葉の違い〜格助詞の使い方から見て〜

という仮のタイトルで目次案を作って来たのをみんなで揉み叩き検討する。発表者は、自分の頭にあるイメージをなんとか言語化しようとして藻掻いている。そして、仲間たちと私に指摘され、時に新しいひらめきを得、時に打ちのめされている。

たとえば、1)ドラえもんを扱おうとしている学生は、ドラえもんの中に描かれるのび太が良い子であると論を進めるのだが、聞いていた学生たちからの質問で、どうもよい子ではないと言うことに気がついて行く。それでも子供がドラえもんを見たいのはなぜかという話になる。

それは、実は伸びたが良い子供ではないからではないかということになる。直ぐに文句を言う、度胸がない、勉強ができないのがのび太だという。そうであれば、こののび太は、テレビを見ている子供そのものではないかということなのだ。そこに共感が生まれる。だから見るのではないだろうか。ドラえもんは、ダメでも良いんだというメッセージを送り続けているのではないだろうかという話になった。

また、ひょっとしたら4月の教室は、このドラえもんモデルで良いのではないかということになった。友達思いで、素直で、最後までやり遂げるのび太を四月のクラスに求める学級経営がこのごろ多くないかという話をしながら考えた。友達思いで、素直で、最後までやり遂げるのは三学期でいい。4月の教室は、直ぐに文句を言う、度胸がない、勉強ができない子供達で、それを共感し合うクラスで良いのではないかというような話になった。

勿論、これは発表者は全く想定していない仮説である。それが生まれるからゼミは面白い。

2)、3)についても深い議論があった。うその種類、定義についてもあれこれ。子供が好きな、いないいないばー、間違い探し、迷路もうそと言えばうそではないか? うそは悪いのか? じゃあ、どういうときうそが悪くなるのか? あれこれあれこれ。

格助詞については、日記指導の時になんで「は」「が」が抜けるのかを知りたいし、その方法について考えたいというもので、これもかなり面白いものになりそうである。
http://www.amazon.co.jp/みんな言葉を持っていた―障害の重い人たちの心の世界-柴田-保之/dp/4860531132
を貸す。

発表が終わると発表者も、ゼミ生もぐたーっである。でも、爽やかなぐたーっである。一つ解決し、一つ新しい課題を手に入れた顔である。

さ、採用試験と一緒に頑張れ。

小学低学年の辞書引き

  • 小学低学年の辞書引きと、大人の辞書引きの最大の違いは、知っている言葉を調べると知らない言葉を調べる。しかし、更に勉強する大人は、知っている言葉を辞書で確認する。

「自転車、乗れたよ!」

4/27

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「自転車、乗れたよ!」

今朝、昨日の話を聞いた。そうか、歩き始めたのが、つい昨日のように感じるが、とうとう自転車も乗れたか。一輪車も乗れたしな。

小さい頃の娘の様子を見ていて、(この子は、三歳でも乗れてしまうな)と思った。だが、補助輪なしで乗れるのと、自転車を安全に運転できるのとは違う。

そこで、小学校に入るまでは、外さないでおこうということを奥さんと決めていた。

私が明日の教室で出ていた時に、解禁であった。その瞬間に立ち会えなかったが、ここまで我慢した娘⑹だ。良しとしよう。

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