推薦に落ちたから今の自分があるんだな
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今日の授業は四回生ゼミだけ。
卒論の目次案検討を二人。
◆
その前に、大事な話を二つ。
一つは、採用試験に関して。
今年のゼミ生も大学の推薦を二人通った。しかし、その一方で二人落ちてしまった。ここから生まれているであろう、もやもやを一度片付けなければならない。
『推薦を得た諸君は、このチャンスを十分に生かせ。
残念だった諸君は、
(ああ、推薦に落ちたから今の自分があるんだな)
と思えるような生き方を作れ。
なんのことか分かるか? 通常は合格して良かったね、合格しなくて残念だったねというように考えると思うが、人生って奴はそう簡単ではない。
1)合格して良かったね
2)不合格で良かったね
3)合格して失敗したね
4)不合格で失敗したね
の四つがあると言うことなのだ。
例えば私である。私が現役で京都大学に合格していたら、まあ、ここにはいなかったろう。あ、受けていないけど京都大学(^^)。現役で早稲田大学合格していたとしても、ここで大学の教員はしていないだろう。マスコミかプー太郎か、高校の国語か書道の教員をしているかだろうなあ。早稲田は二回も、いや二年も受けたのに落ちたしな。
だけどその御陰で、國學院大学で恩師たちに出会うことが出来た。そして、まあ、いろいろとありつつも中学校の教員になる。で、ディベートに出会い、あれこれあって、今に至る。自慢じゃないが、私は1)のパターンは、記憶にないなあ。2)ばかりかもしれない。
不合格ってのは、辛い。それは良くわかる。
けど、後からネタに出来るし、教師にとっては辛い子供の気持ちに寄り添うための大事な体験かもしれない。人生はスタートラインが低い方が楽しい。楽ではないが、楽しい。伸びシロが沢山あるのだから。
合格した人は、そのチャンスを十分に生かせ。そして、1)になるようにせよ。残念な人は、2)になるように挑め』
ダメは、オッケーの一歩目でしかないというのは、この年になると良ーく分かる。
だけど、若者には辛い。その辛さを受け止めて、前に向かわせる。
これが先生の役割なんだよなと思う。
私もそうして頂いた。
◆
もう一つは、俳句。
FBで見た例の俳句を、問題にしてみた。
◯◯◯◯◯
あああああああ
おおおおお
として、考えさせた。
結構良いのが出た。
◯◯◯◯◯には、
1)クラス替え
2)転校生
3)合唱祭
等が出た。2)は春の季語になるかどうかはあやしいけど、分かる。
で、小学生の作った「せんぷうき」を言う学生もいた。
で、それがこの俳句で小学生が選んだ季語だと説明した。
学生の顔がとても良かった。
悔しいような、嬉しいような顔だ。
自分が思いつかなかった悔しさと、そんな小学生が愛しいような嬉しい顔。
この二つを抱えて、卒論目次案検討に突入したのでありました。
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