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2014/09/18

教師は、教えることを生業とする

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教師は、教えることを生業とする。
教える師なのだから。
だから、児童生徒が自分が教えた通りに育つことをよしとする。

しかし、子供達は勝手に学んでいる。
教えてもいないことを、学んでいる。
ここでいらっとくる教師も珍しくないだろう。
勝手になにやっているんだ、と。
私は、ここにどう折り合いをつけるのかが、教師にとって一つの関所ではないかと思うことがある。

教師は、この教える営みが子供達の学びによって美しく負けるように
教育の営みを構成する必要があるのではないかと思うのだ。

『学び合い』は、その一つの形ではないかと思う。
『学び合い』は、教え合っているのになんで学び合いなのかということを質問されることがある。

あれは、私の考えでは「適切な人間関係を学び合っているんだと思うよ。そうすることで学力が上がってしまうんだと思う」と答えている。行事を通して人間関係を学ぶのが特別活動。トラブルを通して人間関係を学ぶのが生徒指導。勉強を通して人間関係を学んでいるのが『学び合い』ではないかと思うのだ。

そうだとしたら、教師は先ず教えるべきであろう。そして、美しく負ける。
この美しい負けのことを別の局面から見ると、子どもの自立と言う言葉になるのだと思う。

ま、そう簡単に自立はできない。
だから、教えと学びを行ったり来たりしながら螺旋階段状にその身を置く。客観主義と構成主義の螺旋階段と行っても良いだろう。そして、子どもの成長の伴奏者、伴走者、絆創膏になるのが、教師の仕事なのだと考えている。

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