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2014/12/30

今日は耳の治療をしてもらった

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今日は耳の治療をしてもらった。東洋医学の方で。

面白いんだよなあ、私。
直ぐに体に変化がある。
気を通してもらうと、直ぐに手が「サラミ手」になる。
その時は掌に刺激がある。
今日は足の裏にも同じ刺激が出たので、足の裏もサラミ足だったと思う。

耳鳴りは消えなかったけど、体が随分と軽くなって、殆ど聞こえなかった右耳が少し聞こえるようになった気がする。良い方向に変化があるのは嬉しいなあ。

「もう、この耳は治りません!」

と医者に言われてしまったのだが、まあ、ちょっと聞こえた思う。
今日施術して下さった方は、

「私の経験では、これはいままで治ったのを見たことはありません、って言うべきですよね」

と言っていた。
その通りだと思う。
どんなに勉強している人でも、人間に関して人は簡単に断定はできない。人間には限りない可能性がある。科学よりも医療よりもそれを上回る可能性がある。

ここを土台にだ。

そして、解禁

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そして、解禁。かんぱーい(^^)。
まるまる2週間断酒しました。
いやあ、美味しい。

百日紅

9/24

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百日紅。
まだ咲いている。
去年はこの花が本当に100日咲き続けるのか確認した。
98日だった。
でも、まあ、100日だなあと思う。

一回生ゼミで、有田和正先生の名言「知識は物を見る為の眼鏡である」を紹介した。学生たちは良くわからない様子。

『では、みなさん。この建物、そう児優館を一階から出て、まっすぐ外に行ったやや左側に、大きな木があって、赤い花が沢山咲いているのを知っていますか?』
「???」
『かれこれもう二ヶ月以上先続けていますけれど?』
「???」
『サルスベリという木に赤い花が咲いています。この授業が終わったら、皆さんはもう見えるはずです。百日紅と書いて、夏の100日間、赤い花を咲かせます。いままで見えなかった百日紅ですが、こうして説明して君たちの知識になったので、もう見えるはずです』

授業後に学生の感想があった。

「百日紅の話を聞いて、確かに知らないと何も見えないのだなと思いました。帰りに教室を出てみると百日紅があって『あれか!』と見つけることができましたし、百日紅がそこにあって夏に百日間赤く咲くという知識も一緒につきました。少しの知識でものを発見したり、新しく何かを考えたりするきっかけになることを実感することができました。」

知識がないと物を見ることが出来ない。そして、言葉が無いと考えることが出来ない。これから大学生活を送り、社会に出ていく彼ら彼女らには、どれだけ知識が遭っても良い。どれだけ考える為の言葉があっても良いと思う。

崎山寛公先生が8月28日にご逝去されました

9/28

瑞雲中学校関係者へ。

崎山寛公先生が8月28日にご逝去されました。
息子さんから手紙が来て分かりました。
瑞雲中学校と言えば、崎山先生でした。
合掌。

簡単に自分の読みを押し付けることは出来ない

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並列は概念のレベルが揃っていることが大事。しかし、どのレベルで揃っていると考えるかは幅があるだろう。蜜柑と林檎と葡萄は、バラバラと考える人もいれば、果物だから同じと考える人もいる。簡単に自分の読みを押し付けることは出来ない。

恩送り

9/25

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なぜか、本当に来週から大人の食育授業をすることになってしまった。先ほどのゼミで決まった(^^)。ゼミ生相手に私が私の料理を紹介し、食育について考えることになった。

調理実習室で実際に作って食べる、実習もある。
学生たちは、炊いた米と材料と調味料を持参して、授業に臨む。なんだか自由で大学っぽくていい。

嘗て、恩師の家に出掛けて行ったとき、
「池田、チャーハン食べるか?」
と言われて、驚いていたら、本当に作って下さって食べたことがあった。

あの時の恩返しは出来ないが、こうして恩送りはできそうだ。
写真は来週作る予定の一品のひとつ。

5+3=2

9/24

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今日の一回生ゼミで、なかなかいい仮説が学生たちから出た。
仮説を出すことが、教育実践のスタートだと考えている私はとても嬉しい。

娘(7)が解いている問題を元に子どもの発想を考えてみようと言う課題にてである。

Q 

太郎君は5匹カブトムシを捕まえました。そのうちオスは3匹でした。メスは何匹でしょうか。式をたてて答えましょう。

この問題に対して、娘は

5+3=2

と答えた。
ちなみに、娘は5−3=2というのを知っており、5+3=8というのも知っている。しかし、この場合は、5+3=2だと主張するのだ。

さて、これはどうしてだろうか?

というのが私の発問である。

学生たちは、

・ーというのを書こうとして、ついうっかりもう一本書いてしまい、+にしてしまった。
・オスが三匹くっついて、三組のカップルが出来て、2匹残ったからこう書いた。

などの仮説を出していた。
これもなかなか面白かったが、私が面白いなあと思ったのは、

・「たてて」とあるので、棒をもう一本立ててしまって、ーが+になってしまった。
・「たてて」というのは、足し算のイメージのする言葉なので、+と書いてしまった。

というものである。
特に、足し算のイメージのする言葉なのでと言うのはあると思う。

言葉の意味より、言葉が持っているイメージに引っ張られてしまうという言い方でいいだろうか、そんな感じである。そして、その引っ張られ方はその一人一人の子どもによって違うだろうなあとも思う。

(バカだな、この子は。こんなことも分からないの?)

と思ってしまうだろう。通常の先生であれば。
だけど、

(え、なんでこう思ったんだろう?!)

と興味を持ってその子どものことを見ると、不思議な世界と思っていた子どもの世界は、実は非常に論理的であることがわかることがある。子どもの論理ではそうなっているということがある。それが分かると、子どもが愛おしくなる。

『それが分かる先生になるには、先生の側に相当の実力が無いとダメだと言うことは、分かりますか?』

学生たちは深く首肯く。

『その力を身につけて行くのが大学の授業で、このゼミはその大学の授業の受け方を身につける為のゼミです』

と話す。
これから半年間、あれこれやる。

ちなみに、うちの娘は

「そのうち」が、「晩秋の夜の冷たい雨は、そのうち、雪にかわるでしょう」の「そのうち」の意味と理解しており、ここで求められる「その中で」とは理解していない。時間の経過の「そのうち」と理解していたので、+を書いたというのが後から分かった。

私は
「天才!」
と娘を褒めた。
親バカである。

子どもには「はい」と返事をさせたい。

子どもには「はい」と返事をさせたい。「うん」は、自分に向けて言う言葉。自分が納得する言葉。「はい」は、社会に向けて自分の意見を主張する言葉。社会と繋がる人を育てる為に、まず、「はい」を言わることから始めたい。

リビングの座り位置を変更した

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耳の不具合に対応して、リビングの座り位置を変更した。聞こえる左耳で家族の会話をカバーできる場所に移動した。

部屋の景色が変る。
琵琶湖の見え方も変わる。
そして、今までよりは良く聞こえる。

ちょっとしたことなんだけど、大きく変わるなあ。
たぶん、生活の多くの場面にこういうちょっとしたことなんだけど、大きく変わることってあるんだろうなあと思う。

アウェイの洗礼っていうけど

アウェイの洗礼っていうけど、わざわざ遠くから試合をしに来てくれる人たちなんだから、ご接待するってのがまとものような気がする。彼らが来なければ試合にならんのだから。興行にも。どうもこのアウェイの洗礼ってのが馴染まん。

静養しつつ、時々リハビリ

9/23

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静養しつつ、時々リハビリ。

文字を書くってのは、私にとってはエネルギーの出し入れなんだなあと改めて思う。気の出し入れと言ってもいいかもしれない。気の深呼吸。良い言葉に出会うと、その深呼吸はゆっくりと深くなる。

なんとか一回目の授業を終了させた

9/22

なんとか一回目の授業を終了させた。90分。座ってやろうと思ったが、これがなかなか難しい。立ってやる。右側の学生の声が拾いにくいので、どうしても、左耳を右に向けて聞く姿勢になりがちであった。

そのためか、脹ら脛の筋肉が張っている。こんなところに影響があるのかねえとおもしろがる私。

耳の具合が悪いことを話した上で授業を進め、ある程度進んだので
『話し方としてどこかおかしな所はある?』
と確認したところ、それはないということなのでまずは一安心。耳のことをネタにして笑いも取れたので一安心。

学生達に力を付けるのが指導だが、今日の授業はどう考えても学生達に癒される授業になってしまった。申し訳ないが、ありがたいことだ。

一人一人に応じた養生

9/22

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秋の日差しで、久し振りに仕込みました。娘(7)にリクエストされて。

まだしばらくは養生しながらの時間を過ごそうと思いますが、私はこうして料理するのも養生だなあと思うわけです。私の場合、多少の料理は体の疲れより、こころの充実を生み出すわけで、これまた、病棟に自分で料理が作れるスペースとかあればなと思うわけです。

ログハウスにジャグジーのような病棟があって、キッチンで料理を作ることを楽しめる。じっくりと燻製とかを仕込む。点滴とか投薬のときは先生が回診に来てくれて、あとは文章を読み書き、ハンモックなどで寛ぐ。

私にとっての養生ってのはそんなのなんだろうなあと思うのであります。一人一人に応じた教育と同じように、一人一人に応じた養生ってのもあるんだろうなあと思うのです。

退院しました

9/21

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退院しました。

私は、財布を落としたら

『いやー、落としちゃってねえ』
とあちこちに言い回るタイプであります。
その悲しみをジッと胸に秘めておくタイプではありません。
というか、出来ません。

ですので、今回の突発性難聴に関しても
「良い機会だからメディア断食せよ」
と各方面からアドヴァイスを頂きながらも、Facebookに垂れ流しておりました。そんな私の垂れ流しにお使い合い頂きまして、誠にありがとうございました。

病状に関しては、気休め程度に良くなったぐらいであります。八年前に発症した時の後遺症の耳鳴りが強くなった感じだったのですが、実際に音を聞いてみると殆ど聞こえていないことが分かりました。

ですが、まあ、半分聞こえるだけでも良い。悪い話は半分しか聞こえないと言うことで、従来の能天気で行こうと思います。

見てくれはステロイド剤の後遺症で、顔が多少浮腫んでおります。
体重は、二キロ増! ひげ面。ひげ面はこのままにしようかな?
暫くは、片耳で聞く音環境に慣れずご迷惑をおかけすることもあるかとは思いますが、今後ともよろしくお願いします。

を、出掛けていた娘も帰ってきました。
抱きしめて、お帰りなさいを言って、
さ、風呂だ!

ますますサイボーグになって行く

9/21

全ての手続きを終えて退院。タクシー待ちの私。
予約の電話を掛ける時に恐る恐る右耳で呼び出し音を聞いてみた。

いやー、見事に聞こえない。
左耳ではこんなに大きな音でなっているのに。
耳鳴りだけでなく、実際に聞こえないんだなあと思った。
補聴器とか必要なレベルかもなあ。

眼鏡、インプラントに続き、ますますサイボーグになって行く私(^^)。

2014/12/24

2015年 新年会のお知らせ

毎年開いている池田教え子関係者等の新年会のご案内です。

日時:平成27年1月3日(土) 13:00〜
場所:坂元(昭島駅南口徒歩1分)
会費:5,000円
となっております。
教え子のみなさん。お待ちしております。
家族や子供を連れて参加しているみなさんもいます。
参加の連絡は、このブログの一番上にある
からどうぞ。

2014/12/07

病院に、ジャグジーとか日光浴の部屋とかあればいいのに

病院に、ジャグジーとか日光浴の部屋とかあればいいのになあと思う。
特に私のようなストレス系の病気の人には、ゆったりの場所が必要だと思う。

なんでないんだろ。

語れる人

自分が理解していることを教えられなくとも、せめて、語れる人にはなりたいと思う。

入院治療六日目

9/21

起きた。入院治療六日目。お陰様でお昼には退院の運び。 症状は気休め程度にしか改善されていないが、ここを丁寧にやったかやらなかったかは、後に影響することがあるので、今回は丁寧にやった。
最初、この耳鳴りと一生付き合って行くことになるのかと思った時には、ピストルで耳を吹っ飛ばしてしまいたいと言う衝動に何回か襲われた。しかし、耳鳴りにはなんとか慣れた。この耳鳴りにも慣れるだろう。
半分聞こえる幸せ。嫌なことは半分聞こえない幸せ。そんな風に思える。
さ、朝ごはん、薬、最後の点滴だ。

この慟哭の果ての絶望の中から

9/20

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顔淵が死んだ時の孔子の慟哭が記されている部分。私は幸いにして担任をしている時に教え子が無くなると言う経験はしないで済んだ。教え子に感謝するばかりだ。この慟哭はすごい。
慟という字は、『論語』ではここにしか出現しないとのこと。 人間の全てを肯定的に捉え、その肯定的なものを善として捉える絶対的な天が、天に対して、孔子は「天、予(われ)を喪(ほろぼ)せり」と言うのだからすごい。
この慟哭の果ての絶望の中から、孔子は蘇るのだよな。

「るろうに剣心」の映画を見切った

9/20

「るろうに剣心」の映画を見切った。
割と評判が良かったので少しずつ見た。
映画を見るなんて随分久し振りだ。

ストーリーは、まあ、特にどうというものではなかった。
ビックリしたのは、出てくるシーンが見たことあるところ、というか、行った所あるところばかり、私の家の近所ばかりであったと言うことだ。

三井寺、近江八幡はまあそうだとして、仁和寺もあったし、何よりビックリしたのが鳥取の鳥取城跡の仁風閣が使われていたこと。ここは二年ほど前に家族旅行で立ち寄ったところ。ここのお殿様は、池田家。使われている家紋が我が家と同じ。

『へー、さかのぼると繋がるかもねえ』

なんてことを言いながら、この仁風閣のお庭で寛いでいたのだが、まさかこの映画で繋がるとは。

東京の実家は「耳をすませば」、奥さんの実家は「平成狸合戦ぽんぽこ」、私の子ども時代の遊び場は「隣のトトロ」にとても関連している。今の住まいは『万葉集』第一期歌人に関連している。なんだか面白いや。

http://loca.ash.jp/info/2012/m2012_kensin.htm

右に車が来ているのに、左から聞こえる

9/20

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お見舞いの見送りの後、交通量の少ないところを選んで散歩。なかなか危ないことを実感。右に車が来ているのに、左から聞こえる。

これは慣れるまで慎重にいかんとな。止まることを身体に教えないとな。

検査の結果では、気休め程度には良くなっているが、前の耳鳴りの状態よりは、全く良く無い値だしなあ。

ま、慣れるとは思うが。

入院治療五日目

9/20

起きました。入院治療五日目です。睡眠時間は8時間半です。が、快眠度は30%。ほぼ1時間おきに目が覚めてしまった。高圧力酸素療法のあと、圧が抜けていなかったのか、今朝は起きた時から耳抜き。そのせいなのかなあ。

今日の予定も昨日までと変らず。午前中に点滴、午後に高圧力酸素療法。ただ、点滴の時間は短くなります。高圧力酸素療法の前には娘(7)が御見舞いにくる予定。あのカプセルに入っている私と一緒に写真を撮るとのことです(^^)。

その後聴力検査。
さ、どのぐらい改善されているかなあ。悪くなってはいないと思うのだけど。

月曜日から後期授業が始まるので、準備もしなければならないけど、幸いにして月曜日は教育実習のため休講にしてある3回生ゼミと、夏休みの課題を評価する国語科教育法2なので、大きな準備をする必要は無い。

助かった。まだ運は残っていると思った朝。

予想される反応と、期待する反応

9/19

先日の集中講義で、学生たちに「SNSの使い方に関する授業を作れ」という課題を出した。3〜4人のグループで作らせた。対象は、中高のどちらでも良い。 10分の授業時間とする。準備は180分と昼休み。A4一枚の簡単な指導案を用意すること。指導案には授業の目的を入れることとした。

『講義形式でも、ワークショップでも、演劇でもいい。まだ君たちは授業づくりについて詳しく勉強していないから、細かくは問わない。君たちがSNSに関して問題だと考えることを解決する為の一つのプランを提示してくれればよい』

という話をした。

学生たちは、頑張った。

演劇、問答、講義形式と色々あった。
SNSを情報伝達という観点から、ベルによる電話の発明から説き起こして解説するグループや、現状の問題を解決する為に必要な新たな法律は何かということを考えさせるグループもあってとても面白かった。

その中で、一つのグループが、想定外の質問を受けて混乱してしまった。
授業を作るとき
『予想される反応を考えるんだよ。期待する反応を考えるんじゃないよ』
と説明していたのだが、予想される反応で授業を作ってしまっていた。
これは授業経験のある先生でも実は中々難しい。

予想される反応と言いながら、自分が答えて欲しい答え(期待する反応)を元に授業プランを考えてしまう。だから、その期待する反応が出るまで「次? 次? 次? うーん、そうね!」という授業をしてしまう。

この学生たちは、次? 次? はしなかったが、折角良い質問があったにも関わらずそれを生かすことが出来ないで、自分の話をし始めた。そして、纏めはありきたりな道徳的なお説教になってしまった。

学生たちはここに気がついていた。自評でそのことを話していた。そこは優秀。良くわかっていたようだ。じゃあどうしたら良かったのかを話すのが私の仕事。

『自分の想定していたところと違うところに授業が向かって行ってしまった時に、どうすれば良い か。三つある。1)「御免、話が違うところに行った。こっちに戻すね」とはっきり戻す。2)そもそもどんな話になっても大丈夫なように、自分の知識を増や しておく。で、3)だ。たぶん、これが一番現実的。指導案の目標を見るである。自分がこの授業で伝えたかったことは何なのかをもう一度確認することだ。そ こを確認し、生徒の発言をもう一度振り返り、その目的に繋げて行く。そういうまとめをすることだ』

と解説。

まだ、慣れていない学生さんたちには難しいが、でも、それを知っておくと知らないでおくとではかなり違うはず。

家から持って来た本は一冊

9/19

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齋藤 健治さんに薦められた通り、家から持って来た本は一冊にした。古典。本棚をざっと見て目に飛び込んで来たのが、これ。

『論語(中)』(吉川幸次郎 朝日新聞)

(上)は読み返すこともあるが、(中)って前に読んだのはいつだったかなあと思うぐらい。ま、こういう時でもなければ読まないよなあと思って、齋藤さんの言葉に従った。

入院するってのは、自分の体を元に戻す為の営みで、前に進もうとする営みではない。だから、新しい情報を手に入れることより、今まであった情報で自分を再生する方がいいのではないか、というのが齋藤さんからアドヴァウスを貰った時の直感。この直感に従った。このアドヴァイスが非常に良かった。

吉川幸次郎先生の解説とともに、いままでだったら大して届かなかったであろう論語の言葉が体に響く。
(ああ、オレも論語が少し分かる年になったかなあ)
なんて幻想を抱くこともできる。

気は若いが、体は確実に置いていく。あ、だから老いて行くのか。そんな私。そんな中で五十六歳で魯の国を出国し、十三年間も放浪の旅を続けた孔子のことを思い出すだけでも、この一冊を手にした甲斐があった。

噛み締めながらだから(いや、文字が小さくて見えにくいし、意味を追いかけながらというのもあるが)、読み進めるページは非常に少ないが、こういう読書もいいなあと思う。齋藤さん、良いアドヴァイスをありがとうございます。

隣のベットの男性

9/19

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隣のベットの男性は、ご高齢。実習の学生がずっと四方山話に付き合っている。

大学教員が世間の常識がないかとか、人生は「前半」の60年では決まらないとか、なかなか面白い話をされている。

人間の評価についての話。劣等感を持っている実習生に対していかに生きるかと言う内容。

左耳だけでも結構聞こえる点滴中の私。

先ほど若い看護士実習の学生さんに人間の評価のあり方について諄々と話をしていた高齢の患者さん。見舞いに来た奥さんにこれまた諄々と人生について説教されている。

ああ。

高圧力酸素療法終了

9/18

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高圧力酸素療法終了。少しずつ良くなっていると思いたい。

それにしても不思議なことは、なんで加圧の時は耳抜きが必要なのに、減圧の時は必要ないのかと言うことだ。ダイビングの時も不思議で聞いたが、良くわからないとのことであった。明日にでも技師に聞いてみよう。

時間を有効に使えると思ったんだけど

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このごろ目が見えにくくなって来たので入院中に眼科に見てもらうことが出来ないかと看護婦さんに相談した。老眼なのか、白内障なのかわからないがどうも見えにくい。

結果的には退院してからということになった。
いまの入院の関連での病気の可能性なら見てもらうことは可能なのだが、そうではない場合は厳しいとのこと。

うーむ。時間を有効に使えると思ったんだけどな。

二日目の治療も滞り無く終了

9/17

二日目の治療も滞り無く終了。
午前中の点滴2本と、午後の高気圧酸素治療。どちらも2時間ぐらいで、合計4時間。
その間は殆ど寝ている。実に良く寝ている。

看護婦さんが、
「気分悪いところありませんか?」
と聞いてくれるのだが、ステロイド剤の点滴で体が熱くなる以外は特に問題は無い。寧ろぐっすり寝てしまうので笑われているぐらいだ。

ただ、これだけ寝られるってのもやはり疲れている証拠なんだろうなあと思う。

体が休め休めと言っているのだから、休ませる。
が、どうもこれがなかなか面白くて、体を休ませて何も考えないでいると、どういうわけかあれこれアイディアが浮かんでくる。

切羽詰まった時に浮かんでくるアイディアとは別物のアイディアが浮かんでくる。折角浮かんで来たのをそのままにしておくのも勿体ないので、メモしたりFBに書いたりしている。体のリラックスとアイディアはなんらかの相関があるんだろうなあと思う。

夕方娘(7)が見舞いに来てくれた。お母さんと一緒に。お母さんも体の調子が悪いので、今回は一週間一人で過ごす予定だったので嬉しいと言うより、驚いた。でも来てくれると言うので、急な入院のため持って来て欲しいものがあったのでそれも持って来てもらった。インスタント味噌汁とか万年筆とかラー油とか。

娘は、放課後沢山遊んでいたようで、予定の時刻よりも遅れて来たが、まあ、子どもは遊ぶのが大事。それは嬉しいことだ。病室で宿題を少しやって、今日あったことをあれこれ話してくれて、写真を一緒に撮って帰って行った。

帰り際に、いつもより沢山のぎゅーをしてくれた(^^)。
そして、
「明日お家に帰ったらお父さんのiPhoneに電話しても良い?」
と。
こういうところはなんか優しいんだよな、娘。
『もちろん。待っているよ』

退院したらもっと遊ぼうね。

さて、寝る準備。

なんで割と良い病院なのに浴槽がないんだろう

9/16

シャワー完了。しかし、なんで割と良い病院なのに浴槽がないんだろう。


仮説


1)長風呂になってしまうと良くないので。実は長風呂は体には良くない。
2)細菌の感染が考えられるので。一回一回お湯を流して洗うのが大変。
3)シャワーの方がコストがかからない。お湯の量が少なくてすむ。

という仮説を持って看護婦さんに聞いてみた。

「あ、うちは外科病棟なので、お腹の手術をする人が多くて、浴槽は危ないんです。他の病棟には湯船もあります」

あ、そうなのね。
単にアンラッキーだったのね(^^)。

夕飯を終えて自宅から持参したゴボウ茶で一服

夕飯を終えて自宅から持参したゴボウ茶で一服。
(夏休みの間に一人旅もしたいよな)
とは思ったが、こういう形で実現するとは思わなんだ。

投薬のせいか、喉が乾き身体が熱い。もう寝られるなあ。シャワーキャンセルでもいいくらいだな。

実は入院したのは、大学の指定病院。看護学部の学生の実習先であり、就職先でもある。安心感がある。あれだけ厳しく指導を受けている学生たちが働いている病院ということだけで安心感がある。

教育も同じだよなあとおもう。

一回目の高圧力酸素治療終了

9/16

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一回目の高圧力酸素治療終了。

通常の一気圧から二気圧に変えて、酸素を沢山体にいれる治療。ベッカムが疲労回復にやっているやつと同じ。私もベッカムレベルになったと言っていいだろう。

15分間加圧、60分間一定、15分間減圧。この間寝ているだけ。透明なカプセルに入るので、中から外は見えるのだが、
(棺桶ってこんな感じなのかなあ)
なんてことも思った。


加圧の時は、耳に圧が加わって耳抜きをしないと耳が痛い。ただ、少し前に患っていた副鼻腔炎で、耳抜きがしにくくなっていて、何回かに分けて行う。

圧が安定したら、あとは特に問題はなく時間を過ごす。本を持って行ったのだがこれはダメで、テレビは見せてもらった。まあ、眼鏡が無いのでボンヤリと見るだけ。

それよりもよく寝た。事前の点滴の時も、高酸素治療の時も、
緊張することもなく寝ていた。高酸素治療の時は、ホワイトノイズが出ているので、フルフラットのベットに寝たまま飛行機に乗っているような感じすらした。

余りにもよく寝たので、夜寝られるかが心配なぐらいだ。

さて、この後は食事だと思うのだが、そういえば何時からという説明は聞いてなかったなあ。ものすごく丁寧にあれこれ説明してくれたのに、そこはされなかったなあ。あ、看護婦さんが来た。聞いてみよう。17:30から18:00の間だそうだ。やっぱり、看護婦さんの方が言いやすいな。

書きながら、読んで貰いながら、振り返る。そんな私。

緊急入院

9/16

朝一番で外来にやってきて、予約患者の合間を縫って検査、診断などを行ってもらう。疑うこともなきほどに、聴力がない。参ったなあ。実は奥さんも体調不漁で、いや、不良でなかなかまずい。

昨日
『お父さん、半分耳が聞こえなくなっちゃった』
と娘(7)に言ったら
「いいな」
と言うのでなんでかと思ったら、
「聞こえる方の耳を隠せば、叱られても聞こえない」
と。うーん、そんなに私叱っているかf(^^;。
ちょっと反省。


「突発性難聴は、二回あることはないので、ひょっとしたらメニュエル病かもしれませんね」

と言われながら、あれこれ治療の説明を受ける。脳梗塞でなくて良かったけど、ということで、緊急入院が決まりました。

今日から一週間の予定で入院です。ステロイド剤の長時間点滴や高酸素室での治療などがあるので、入院だそうです。

明日から入院というのを今日の午後からにしてもらいました。そうすると、退院の翌日の後期授業開始には間に合いますf(^^;。まあ、なんていい子でしょうか。歩く不幸中の幸いとは、私のことです。あちこちに連絡をして、あれこれ調整し欠席のお願い等をすませる。

ただいま、入院前の検査待ちの状態。

さて、病室で授業の準備はできるのであろうか。
本ぐらいは読めるだろうなあ。
買い込んだ本が10冊ぐらい家にあったから、これを持参だな。
iPadとMacBook AirとiPhoneも電源とともに持参。

救急外来

9/15

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今日は耳鳴りが激しい。居間までに無かった低音の響きと、耳を弾くと「ボン!」と言うウッドベースとギターの間のような音が耳の中で響く。 疲れやストレスがピークになってそれが過ぎると、こういう風に体に出てくる。夏の疲れ、集中講義の疲れだね。
午後はゆっくりとしましょう。
救急外来なう。突発性難聴の場合、48時間以内の処置開始が大事。ま、明日でも30時間以内の開始になると思って呑気にしていたが、念のために早めにやって来ました。 脳梗塞の疑いも考えられるというので。ま、突発性難聴だと思うのですが。
しかし、講座、講演、集中講義と全て終わらせた上での、突発性難聴(だと思うが)の発症。今週は会議のみで、外に出る予定は無い。明日の打ち合わせは、二週間前にキャンセルになったし。 これが集中講義の真っ最中だったら、ゾッとする。ま、三重大学だから大学病院があるけど。

お久しぶりです。

忙しくて、ブログの方に来れませんでした。

いま、新幹線で東京から京都に帰るところです。
その時間で、UPできるところまでUPしていこうと思います。
文章は書いてあるので。
Photo

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