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顔淵が死んだ時の孔子の慟哭が記されている部分。私は幸いにして担任をしている時に教え子が無くなると言う経験はしないで済んだ。教え子に感謝するばかりだ。この慟哭はすごい。
慟という字は、『論語』ではここにしか出現しないとのこと。
人間の全てを肯定的に捉え、その肯定的なものを善として捉える絶対的な天が、天に対して、孔子は「天、予(われ)を喪(ほろぼ)せり」と言うのだからすごい。
この慟哭の果ての絶望の中から、孔子は蘇るのだよな。
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