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2014/02/08

『ユーミンの罪』(酒井順子 講談社現代新書)を読んだ

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『ユーミンの罪』(酒井順子 講談社現代新書)を読んだ。

私は、ユーミンが私の青春時代にいてくれて良かったと思う一人である。しかし、なんというか、男で良かったとも思った。

この本のコピーは「ユーミンの歌とは女の業の肯定である」だ。

勿論これは立川談志の「落語は、人間の業の肯定である」を元にしている。さ、て、ではそれがどの位語られているのかを読んでみようと思った。のだが、これがかなり良い。

ファースアルバムから、バブル崩壊までのユーミンのアルバム、楽曲を社会の流れとともに追いかけながら、何が語れ歌われて来たのかを説き明かして行く。私は、同耳朶を行きていたが、新しいアルバムが出たからといってサッと買えるほどほど小遣いは豊かではなかったので、あとからあとから聴いていた。そして、バブル崩壊前にはその後追いもしなくなっていた。結果的にこの本が描いている分析の世界と合致していた。

でも、「山手のドルフィン」は、やはり私にとっても聖地の一つであり、「緩いカーブであなたに倒れてみたら、何も言わずに横顔で笑って」で、このカーブは右カーブなのか、左カーブなのかを議論し、んでもってこの車をイメージし、排気音は何かを考え、走っている場所を特定しようとした。運転手である私は助手席をイメージしてこの曲を聴いていた。

その辺りの情景が一気に吹き出してくる。

そして、その情景が何を意味しているのかを、同世代の女性が語る。ひょっとしたら、ほめ殺しかもしれない切り口で語る。なんというか、男で良かったと思った。

あの時代のシンガーソングライターを分析すると、この本のようになるのだろうか。うーん、そうは思えない。ユーミンだからこの分析が成り立つんだろうなあと思った。そして、今後、こういう分析に耐えうる息の長いシンガーソングライターは出現するのかなあとも思った。

あの時代、ユーミンにやられていた人は、読むべきである。

幼児の時代が終わろうとし、少女の時代に入ろうとしているなあ

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DAWN PURPLEな琵琶湖の朝)

娘(6)の幼稚園最後の発表会に行って来た。

あっという間の三年間だったなあと思った。

大きな声で歌っている姿を見て、

(をい、息をしているか? 酸欠にならないか?)

と思ったのが年少さんのころ。

それが、こんなに育つんだなあと思うとなんとも嬉しい。

娘は、今回自分がやりたい出し物に出られた。踊りと合奏と合唱だ。

踊りは抜群だったなあと思った。本人も気に入っていた。

が、合奏ではやりたい楽器とかにはなれなかった。それを家であれこれ事前に話していた。そこだけ聞くと、先生はもう少し気を遣ってくれてもいいんじゃないかなとも思った。が、今日実際に見てみると、ああそうかと思った。

娘は、パートリーダーを先生から託されていたのだと思ったのだ。

それぞれの出し物での娘の立ち位置を見ていると、それが良くわかる。ま、誘導があったのかもしれない。しかし、その場所は私から見ると明らかにパートリーダーの場所であった。学校教育に関わっている親が分かるマニアックな喜びである(^^)。

ま、下種の勘繰り、または親バカかもしれないが、それでも嬉しいものだ。

幼児の時代が終わろうとし、少女の時代に入ろうとしているなあと、お父さんは悲しく嬉しく思うのでありました。

twitterって

twitterって、呟きなので意見を表明しているって感じは、私にはあまり無い。呟いたことが届いてリツイートされるのは、嬉しいけど、自分と違うからと言って文句を言われても困るなあと言う感覚。まして根拠、データを示せなんてなると、あああとなってしまう。リムーブすれば良いだけなのにね。






四回生ゼミのコンパ終了

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四回生ゼミのコンパ終了。

ゼミ生が一言ずつ、この二年間とこれからの抱負を述べた。

共通していたのは、最初は、このゼミで大丈夫なのかと不安に思ったと言うこと。ゼミ生はみんな真面目で、先生は池田先生だしと言うこと。そんな中に自分が入って大丈夫か?ということだった。それを受けて私も話した。

『いや、私でも池田ゼミと決まったと知ったら、ショックだったと思うよ』

と。

私のミッションは、一回生ゼミ、二回生ゼミ、三回、四回と違う。それぞれのミッションの違いを話しつつ、教師の悲しさと嬉しさについて話した。

四回生ゼミの最後の日、彼らは私に知らせないで、ゼミ終了後、お菓子パーティをしていた。それについて話した。

『いや、あのパーティを私に知らせないというのは悲しかった。私を招待してくれない悲しさもあったけど、私にお菓子をおねだりしない悲しさもあったな。そして、これが全く裏返しになるのだが、喜びなのだ。私なんか関係なくゼミの仲間だけで卒論を提出し終えたことを喜び合うパーティを開いていたと言うことなのだよ』

学級担任論でも話している。担任は孤独だ、と。

クラスがまとまればまとまるほど、担任は孤独になる。卒業生を持った時など

(なんで、オレだけ置いてお前ら卒業して行くんだよ)

と思う。でも、それが幸せなのだ。

「池田ゼミになったとき、残念と言うか、大変と言うか、色々と思いました。だって、〜とか。〜とか、〜とかあったから。けど、今は本当に良かったです」

とも言われた。嬉しい。だけど、本当にそうなのか。まだ、まだ、負の感情を抱えているのではないかとも思う。私が恩師の厳しい指導の意味が分かったのは、卒業して15年とか過ぎてからだからだ。

「初めて、恩師と呼べる先生に出会えました。ありがとうございます」とも言われた。

(あ、これは私が恩師自慢をしすぎているからではないか?)

とも思った。嬉しいんだけど、そうも思った。だが、

『ありがとう。じゃあ、私の恩師に伝えておく。恩師の御陰で、こう言ってもらえましたと伝えておくな』

と。

「池田先生は、形式に拘っていて、それに比べて◯◯先生は自分の中に入ってくれていて、それで3回生で池田ゼミになって、ああ、やっぱり形式が強いなあ、スーツを着て来いだもんなあと思っていましたが、今は全然そう思っていません。今日の一人一人のスピーチに、深い所に届くコメントを一人一人にして下さっています」

とも言われた。

そりゃあまあ、一週間に一回ではあっても、二年間も毎週見ていれば、あれこれ分かる。こっちは40人を相手にしていた。13人なら分かる。だけど、もっと深く入れたのではないかとも思う。そして、その一方で20歳を越えた彼ら彼女らの中に、こっちからそんなに入って良いものなのかとも思いつつ、大学でのゼミをしている。

ともあれ、2013年度4回生池田ゼミは、今日で打ち上げた。あとは、春合宿に来れる人は会える。次は、卒業式の前日か、卒業式だ。

『あのな、いまの大学の授業料は高い。私の時代に比べて明らかに二倍以上だ。京都の私学のなかではうちはかなり安いが、高い。だからな、8年分の授業料を納めたと思って良い。卒業しても普通に大学を活用せよ』

と話した。

そう。

池田ゼミは第二章に入る。

今日の打ち上げは、第一章のエピローグであって、第二章のプロローグでもあった。

乾杯。

立春の一日であった

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朝から原稿執筆。

途中、面会があって執筆中断。その中断のまま昼を迎えてしまい、昼食を王将で取って大学に向かう。

本当は餃子か酢豚を食べたい所であったが、ぐっとこらえて味噌ラーメン。新しく買い替えた体重計が私の基礎代謝が1700kcal程度ということを示しているので、朝と昼で800kcalにしたいところ。ほら、だって夜は飲むでしょう(^^)。ま、味噌ラーメンでも結構なんだけどね。

昼過ぎから大学で会議。

いつもと違って二つだけだったが、イレギュラーな議題も降って来て結局結構長い時間会議であった。

帰宅して、手を洗ってうがいをしてから、原稿の残りに挑む。

なんとか書き上げ、編集者に兎に角送る。

校正はあとから出来るので、兎に角先に送る。1/31締め切りでした。すみません。まだ、1/31締め切りの原稿がもう一つあります。すみません。

風呂の前に、実家に電話。

私の父親の誕生日だ。

なんか元気が無かったので心配したら、お間抜けなことをして元気がなくなっていた。受話器の向こうで母親が爆笑していた。何よりだ(^^)。

風呂、酒、飯と進めながら、このところ身の回りで起きているマイナスの出来事についてどう対応をして行くかを考える。結論が出た。そうしようと思う。

そんな、父親の誕生日でもある立春の一日であった。

鬼さんって、本当はどこにいるか知っている?

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で、娘の幼稚園の今日の豆まきは、今年は規模が小さかったようだ。仏教系の幼稚園で関係の偉い僧正が亡くなったとかで自粛。さらに、系列の学校の入試が昨日あったので、本来の節分の日ではなく、今日。
いつもなら、娘の幼稚園には近隣のテレビ局が取材に入り、その様子をニュースの録画で見ながら楽しむのだが、これは出来なかった。クリスマスだけでなく、節分もしっかりとやって欲しいよなあと思うのでありました。
んで、娘の食事が終わってから娘に訊いて見た。娘が鬼は比叡山に住んでいるという事を言っていたので、
『鬼さんって、本当はどこにいるか知っている?』
「えっとね〜」
『教えてあげようか?』
「あ、知っている」
比叡山と言うのかと思ったら
「心の中に住んでいるの」
と。
『え? なんで知っているの?』
「◯◯先生に教えてもらったの! あんな、心の中に住んでいて悪いことをしようとすると出てくるの。だから、豆で退治するんやで」
と。
うーん、流石だ。〇〇先生。
「でもな、福はうちの、フクの意味がわからへんの。何、フクって?」
f(^^;。
『幸せってことだよ』
二日にわたって節分を楽しむ我が家でした。

12、3年ぶりの卒業生に会う

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午前中は、研究室で原稿の校正。もっと時間が掛かるかと思ったが、2時間で取り敢えず終了。良かった。そして、慌てて研究室を出る。12、3年ぶりの卒業生に会う為だ。

八王子の中学校に異動して最初に担任した生徒だ。色々と思い出深い学年だ。そこで担任していた彼女が、仕事の関係で滋賀に来ると言う。仙台から来ると言う。私もちょうどそこは時間が空いていた。いやあ、嬉しい。大津駅まで迎えに行った。

実に良いお嬢さんになっていた。

いや、もともと良いお嬢さんだった。だから、さらに良いお嬢さんになったというのが正しいだろう。彼女の御陰でクラスがしっとりとしたし、暴走する男子生徒が落ち着く所に落ち着くと言う感じの学級に育って行ったと思う。学級担任論の授業をする時も、このクラスのエピソードは良く出てくる。

霧に満たされた琵琶湖に面するレストランに案内して、食事しながらあれこれ話した。近況を聴きながら話しながら時間を過ごした。

『だから不思議なのだよ。あなたの方が年上なのに、今教えている学生は年下なのに彼らは大学生なんだよね』

「私も、こうしていると先生が大学の先生ではなくて、中学の時の先生に思えます」

『あの頃、「それは国語?」とか影で言われたこともあったけど、それがいま結構評価されているんだぜ』

「最先端だったんですよね」

『そう、やっと時代が追いついた(^^)』

「(^^)」

そうだよね、そうだ。

私は彼女のいたクラスを担任して授業をして、自分で言うのもなんだが指導の幅が広がり、懐が深くなったと思っている。彼ら彼女らの御陰だ。その上、こうしてこんな良い時間を過ごせるとは、本当に嬉しい限りであった。

別に、この時間が欲しくて教師をやって来たわけではない。

だけど、12、3年も過ぎて仕事のついでに仙台からやってきて会いに来てくれるってのは、なんとも教師冥利に尽きる。

「先生、初めて来たのに見覚えのある景色です」

と言われた。

ネットにあげている写真と同じものが目の前にあるわけだからそうだろうなあ(^^)。もっと沢山話を聞きたかったけど、新幹線で5時間かけて帰るというので、近江神宮経由で、名残惜しくも駅まで送った。

今度は、夏においで(^^)/。

良い金目鯛が安く手に入った

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良い金目鯛が安く手に入ったので捌いた。刺身、煮付け、塩焼き、潮汁と一匹で堪能。この皮の付いた刺身が美味い。ああ、美味い。金目鯛は冬が旬。そして、今日は節分。これを食べて明日からの春を迎える。ああ、美味い。

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