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2014/12/30

今日は耳の治療をしてもらった

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今日は耳の治療をしてもらった。東洋医学の方で。

面白いんだよなあ、私。
直ぐに体に変化がある。
気を通してもらうと、直ぐに手が「サラミ手」になる。
その時は掌に刺激がある。
今日は足の裏にも同じ刺激が出たので、足の裏もサラミ足だったと思う。

耳鳴りは消えなかったけど、体が随分と軽くなって、殆ど聞こえなかった右耳が少し聞こえるようになった気がする。良い方向に変化があるのは嬉しいなあ。

「もう、この耳は治りません!」

と医者に言われてしまったのだが、まあ、ちょっと聞こえた思う。
今日施術して下さった方は、

「私の経験では、これはいままで治ったのを見たことはありません、って言うべきですよね」

と言っていた。
その通りだと思う。
どんなに勉強している人でも、人間に関して人は簡単に断定はできない。人間には限りない可能性がある。科学よりも医療よりもそれを上回る可能性がある。

ここを土台にだ。

そして、解禁

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そして、解禁。かんぱーい(^^)。
まるまる2週間断酒しました。
いやあ、美味しい。

百日紅

9/24

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百日紅。
まだ咲いている。
去年はこの花が本当に100日咲き続けるのか確認した。
98日だった。
でも、まあ、100日だなあと思う。

一回生ゼミで、有田和正先生の名言「知識は物を見る為の眼鏡である」を紹介した。学生たちは良くわからない様子。

『では、みなさん。この建物、そう児優館を一階から出て、まっすぐ外に行ったやや左側に、大きな木があって、赤い花が沢山咲いているのを知っていますか?』
「???」
『かれこれもう二ヶ月以上先続けていますけれど?』
「???」
『サルスベリという木に赤い花が咲いています。この授業が終わったら、皆さんはもう見えるはずです。百日紅と書いて、夏の100日間、赤い花を咲かせます。いままで見えなかった百日紅ですが、こうして説明して君たちの知識になったので、もう見えるはずです』

授業後に学生の感想があった。

「百日紅の話を聞いて、確かに知らないと何も見えないのだなと思いました。帰りに教室を出てみると百日紅があって『あれか!』と見つけることができましたし、百日紅がそこにあって夏に百日間赤く咲くという知識も一緒につきました。少しの知識でものを発見したり、新しく何かを考えたりするきっかけになることを実感することができました。」

知識がないと物を見ることが出来ない。そして、言葉が無いと考えることが出来ない。これから大学生活を送り、社会に出ていく彼ら彼女らには、どれだけ知識が遭っても良い。どれだけ考える為の言葉があっても良いと思う。

崎山寛公先生が8月28日にご逝去されました

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瑞雲中学校関係者へ。

崎山寛公先生が8月28日にご逝去されました。
息子さんから手紙が来て分かりました。
瑞雲中学校と言えば、崎山先生でした。
合掌。

簡単に自分の読みを押し付けることは出来ない

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並列は概念のレベルが揃っていることが大事。しかし、どのレベルで揃っていると考えるかは幅があるだろう。蜜柑と林檎と葡萄は、バラバラと考える人もいれば、果物だから同じと考える人もいる。簡単に自分の読みを押し付けることは出来ない。

恩送り

9/25

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なぜか、本当に来週から大人の食育授業をすることになってしまった。先ほどのゼミで決まった(^^)。ゼミ生相手に私が私の料理を紹介し、食育について考えることになった。

調理実習室で実際に作って食べる、実習もある。
学生たちは、炊いた米と材料と調味料を持参して、授業に臨む。なんだか自由で大学っぽくていい。

嘗て、恩師の家に出掛けて行ったとき、
「池田、チャーハン食べるか?」
と言われて、驚いていたら、本当に作って下さって食べたことがあった。

あの時の恩返しは出来ないが、こうして恩送りはできそうだ。
写真は来週作る予定の一品のひとつ。

5+3=2

9/24

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今日の一回生ゼミで、なかなかいい仮説が学生たちから出た。
仮説を出すことが、教育実践のスタートだと考えている私はとても嬉しい。

娘(7)が解いている問題を元に子どもの発想を考えてみようと言う課題にてである。

Q 

太郎君は5匹カブトムシを捕まえました。そのうちオスは3匹でした。メスは何匹でしょうか。式をたてて答えましょう。

この問題に対して、娘は

5+3=2

と答えた。
ちなみに、娘は5−3=2というのを知っており、5+3=8というのも知っている。しかし、この場合は、5+3=2だと主張するのだ。

さて、これはどうしてだろうか?

というのが私の発問である。

学生たちは、

・ーというのを書こうとして、ついうっかりもう一本書いてしまい、+にしてしまった。
・オスが三匹くっついて、三組のカップルが出来て、2匹残ったからこう書いた。

などの仮説を出していた。
これもなかなか面白かったが、私が面白いなあと思ったのは、

・「たてて」とあるので、棒をもう一本立ててしまって、ーが+になってしまった。
・「たてて」というのは、足し算のイメージのする言葉なので、+と書いてしまった。

というものである。
特に、足し算のイメージのする言葉なのでと言うのはあると思う。

言葉の意味より、言葉が持っているイメージに引っ張られてしまうという言い方でいいだろうか、そんな感じである。そして、その引っ張られ方はその一人一人の子どもによって違うだろうなあとも思う。

(バカだな、この子は。こんなことも分からないの?)

と思ってしまうだろう。通常の先生であれば。
だけど、

(え、なんでこう思ったんだろう?!)

と興味を持ってその子どものことを見ると、不思議な世界と思っていた子どもの世界は、実は非常に論理的であることがわかることがある。子どもの論理ではそうなっているということがある。それが分かると、子どもが愛おしくなる。

『それが分かる先生になるには、先生の側に相当の実力が無いとダメだと言うことは、分かりますか?』

学生たちは深く首肯く。

『その力を身につけて行くのが大学の授業で、このゼミはその大学の授業の受け方を身につける為のゼミです』

と話す。
これから半年間、あれこれやる。

ちなみに、うちの娘は

「そのうち」が、「晩秋の夜の冷たい雨は、そのうち、雪にかわるでしょう」の「そのうち」の意味と理解しており、ここで求められる「その中で」とは理解していない。時間の経過の「そのうち」と理解していたので、+を書いたというのが後から分かった。

私は
「天才!」
と娘を褒めた。
親バカである。

子どもには「はい」と返事をさせたい。

子どもには「はい」と返事をさせたい。「うん」は、自分に向けて言う言葉。自分が納得する言葉。「はい」は、社会に向けて自分の意見を主張する言葉。社会と繋がる人を育てる為に、まず、「はい」を言わることから始めたい。

リビングの座り位置を変更した

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耳の不具合に対応して、リビングの座り位置を変更した。聞こえる左耳で家族の会話をカバーできる場所に移動した。

部屋の景色が変る。
琵琶湖の見え方も変わる。
そして、今までよりは良く聞こえる。

ちょっとしたことなんだけど、大きく変わるなあ。
たぶん、生活の多くの場面にこういうちょっとしたことなんだけど、大きく変わることってあるんだろうなあと思う。

アウェイの洗礼っていうけど

アウェイの洗礼っていうけど、わざわざ遠くから試合をしに来てくれる人たちなんだから、ご接待するってのがまとものような気がする。彼らが来なければ試合にならんのだから。興行にも。どうもこのアウェイの洗礼ってのが馴染まん。

静養しつつ、時々リハビリ

9/23

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静養しつつ、時々リハビリ。

文字を書くってのは、私にとってはエネルギーの出し入れなんだなあと改めて思う。気の出し入れと言ってもいいかもしれない。気の深呼吸。良い言葉に出会うと、その深呼吸はゆっくりと深くなる。

なんとか一回目の授業を終了させた

9/22

なんとか一回目の授業を終了させた。90分。座ってやろうと思ったが、これがなかなか難しい。立ってやる。右側の学生の声が拾いにくいので、どうしても、左耳を右に向けて聞く姿勢になりがちであった。

そのためか、脹ら脛の筋肉が張っている。こんなところに影響があるのかねえとおもしろがる私。

耳の具合が悪いことを話した上で授業を進め、ある程度進んだので
『話し方としてどこかおかしな所はある?』
と確認したところ、それはないということなのでまずは一安心。耳のことをネタにして笑いも取れたので一安心。

学生達に力を付けるのが指導だが、今日の授業はどう考えても学生達に癒される授業になってしまった。申し訳ないが、ありがたいことだ。

一人一人に応じた養生

9/22

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秋の日差しで、久し振りに仕込みました。娘(7)にリクエストされて。

まだしばらくは養生しながらの時間を過ごそうと思いますが、私はこうして料理するのも養生だなあと思うわけです。私の場合、多少の料理は体の疲れより、こころの充実を生み出すわけで、これまた、病棟に自分で料理が作れるスペースとかあればなと思うわけです。

ログハウスにジャグジーのような病棟があって、キッチンで料理を作ることを楽しめる。じっくりと燻製とかを仕込む。点滴とか投薬のときは先生が回診に来てくれて、あとは文章を読み書き、ハンモックなどで寛ぐ。

私にとっての養生ってのはそんなのなんだろうなあと思うのであります。一人一人に応じた教育と同じように、一人一人に応じた養生ってのもあるんだろうなあと思うのです。

退院しました

9/21

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退院しました。

私は、財布を落としたら

『いやー、落としちゃってねえ』
とあちこちに言い回るタイプであります。
その悲しみをジッと胸に秘めておくタイプではありません。
というか、出来ません。

ですので、今回の突発性難聴に関しても
「良い機会だからメディア断食せよ」
と各方面からアドヴァイスを頂きながらも、Facebookに垂れ流しておりました。そんな私の垂れ流しにお使い合い頂きまして、誠にありがとうございました。

病状に関しては、気休め程度に良くなったぐらいであります。八年前に発症した時の後遺症の耳鳴りが強くなった感じだったのですが、実際に音を聞いてみると殆ど聞こえていないことが分かりました。

ですが、まあ、半分聞こえるだけでも良い。悪い話は半分しか聞こえないと言うことで、従来の能天気で行こうと思います。

見てくれはステロイド剤の後遺症で、顔が多少浮腫んでおります。
体重は、二キロ増! ひげ面。ひげ面はこのままにしようかな?
暫くは、片耳で聞く音環境に慣れずご迷惑をおかけすることもあるかとは思いますが、今後ともよろしくお願いします。

を、出掛けていた娘も帰ってきました。
抱きしめて、お帰りなさいを言って、
さ、風呂だ!

ますますサイボーグになって行く

9/21

全ての手続きを終えて退院。タクシー待ちの私。
予約の電話を掛ける時に恐る恐る右耳で呼び出し音を聞いてみた。

いやー、見事に聞こえない。
左耳ではこんなに大きな音でなっているのに。
耳鳴りだけでなく、実際に聞こえないんだなあと思った。
補聴器とか必要なレベルかもなあ。

眼鏡、インプラントに続き、ますますサイボーグになって行く私(^^)。

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