授業も、腕なんだと思う
今から専門学校や食堂で料理の修業をすることはできないと思う。
だが、何かを身につけようとするとき修行の時間は大事だ。
教師が授業の修業をする。学級経営の修業をする。
文章の書き方について修業をする。
1万時間ぐらいは必要だと言われている。
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料理も同じだと思う。
小学生の頃から料理はしていたので、時間だけは1万時間はとっくにやっているだろう。だが、修行はしていない。
このところ、修行と思って料理を作っている。
間違えたところ、師匠に叱られることはないお気楽の修行だが、自分の考えではない考えの下に、料理を作っていくというのは新鮮である。
修行本として選んだのが、
紹介されている料理の数は、24品ということで多くはない。
しかし、それぞれの料理は、実際に作るとなるとイタリアン料理の基本的な考え方や、料理をするということの基本的な考え方を理解しながら作る必要がある。
だから、私の修行のための本としては、いいのだ。
今の所、24品のうち、13品作ってみた。
落合シェフはいう。
「料理は腕です」
と。素材は家庭のほうがいいものを使っているのじゃないかともいう。店はコストを考えなければならないからなのだという。なるほどである。
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授業も、腕なんだと思う。
同じ教材を使って授業をして、素晴らしい授業をする先生もいればそうではない先生もいる。料理と授業は全く違うと思われるが、実はかなり共通していることがあると思われる。
落合本を修行本として、料理の修行をしつつ、
授業づくりのヒントが得られるかもしれないなあと思いつつ、しばらく作り続けていきたいと思っている。
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水菜とトマトのサラダ。
ディスグラツィアータスパゲティ。
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