着火剤になり、燃料になると思っている
学びを起動させる、またはさらに深めるための装置が教育の一面にはあると思う。私が知りたいのは、どういうときに、どうなったら、起動するのかということだ。
今私が焦点を当てているのが、子供が持っている興味。そこが着火剤になり、燃料になると思っている。
勉強が苦手な子供であっても、自分の興味に基づいた学びが苦手という子供は極めて少ないんじゃないかなあ。
それをどう教材化するか。いや、教えるための材料ではなく、学ぶための材料なので学習材化するかだ。
効率よく教えるための、教える側の都合にあった教材ではなく、学習する側の都合にあった学習材の開発をしたい。そのための原理や原則を考えたいというのが、マンガで漢字を学ぶとか、かるたの取り札を作ってみるとかに繋がっているだと思っている。
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