まずは思い描くことだと思う
新しい機器が出ると、これで何ができますか?と聞く人がいる。なんというか変だなあと思うのだ。やりたいことがあって、それを助けるために機器が必要になるというのじゃないのかなあと思うのだ。
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例えば、私は学級通信に写真を載せたかった。だけど、教師になった頃は、これがなかなか難しかった。写真を撮って学級通信の原稿に貼り付けても、印刷の原稿に転写する段階でまずアウトであった。
だから、私は写真を学級通信の原稿に下において、なぞり書き(トレース)していた。そうやって少しでもその写真の雰囲気を出そうとしていた。
そうしたら、印刷機がリソグラフになって写真モード、文字モード、写真と文字とを自動的に判別する混合モードが出てきて、非常に喜んだのでした。
で、ワープロでの執筆、デジカメの出現、コンピュータ上でのレイアウトが簡単にできるようになって、今は難なく学級通信に写真を載せることができる。やりたいことが自由にできるようになるまで10年ぐらいかかったかなあ。
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この機器から何ができるのかを考えることは、思考実験としては面白いかもしれない。しかし、現場でやりたいことを実現するためにその機器を探す、作るってことの方が面白いし、意味があるんじゃないかなあと思うのだ。
だとすれば、まず、やりたいことをしっかりと思い描くことだと思うのだ。今はできなくてもいい。テクノロジーの進歩はすごいものだがあるから、やりたいことを思い描いていれば、やりたいことは、テクノロジーと出会うだろう。または、人と出会うだろう。
そしたら、実現する。あっという間に、先頭集団で実現する。まずは思い描くことだと思う。
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