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2016/03/21

自分なりの、切り替え装置を持つ

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春休み。
世間的には承認が得られていないことだと思うが、この春休みが教員は一年で最も忙しい。今年度のまとめと来年度の準備を同時に行う。10日間あまりで行う。そのまとめと準備は世間からは見えるものではないので、
「まあ、先生は年に三回も休みがあっていいわね」
なんて言われることもある。
説明するのが面倒なので、
『ええ、まあ、その』
とか言いながら過ごしていた。

ではあるが、その春休みに無理やりやっていたことが三つある。

一つ目は、研究会の参加だ。
新年度の担当学年ぐらいはもうわかっているだろう。だから、そこに向けてイメージを広げて、刺激を浴びに参加することをしていた。講座を受講して刺激を受け、担当して刺激を受けとしていた。

二つ目は、ホテルの缶詰だ。
東京にいた時は、なかなかできなかったのが、東京のホテルに泊まること。東京に住んでいるのにもったいないということで、豪華ホテルが立ち並ぶにもかかわらず楽しむことはしていなかった。
が、年に一度だけはしていた。それが春休みだ。

春休みは十日しかない。そこで今年度を過去にして、来年度を今年度にする。気持ちの切り替えがとても大事だが、これがなかなかできない。そこで、非日常を取り入れて、年度を強制的に切り替えることををしていた。

ホテルの部屋で、ホテルのプールで、ただ、楽しみの読書をしてビールを飲む。そして、夕日を眺める。そうしてリセットしていた。

三つ目は、新しい文房具を買うだ。
5000円と決めていた。だから、新しい万年筆とかは買えなかった。ただ、最近開発された便利グッズとか真新しい高級鉛筆とかを買い求めては、それをいじりながら、新年度のあれこれを考えて、楽しんでいた。

まあ、なんというか新しい年度を迎えるためのイニシエーションだったわけだ。だけど、時に流されるのではなく、流していく、時を創造していくためにはなかなか良かったんじゃないかなあと思っている。

自分なりの、切り替え装置を持つってのは大事だと思う。

2016/03/16

明日の教室 4/9 甲斐崎先生 プロジェクトアドベンチャー

明日の教室 甲斐崎先生 プロジェクトアドベンチャー

http://kokucheese.com/event/index/373189/

受付開始です。今回の会場は、京都市内です。
懇親会では、満開の桜も楽しみましょう。

2016/03/15

地元のことって、知っているようで知らないことがある その2

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夜は、もう本当にゴージャス。
美しく、美味しかった。

ウエルカムシャンパンは、琵琶湖を前に比叡山に沈みゆく夕陽を楽しみながら。

滋賀県産の食材を使っての料理。
さらには、その料理にあった滋賀県産のワインを提供してもらった。
普段ワインを飲まない私も堪能しました。

泊まったホテルは、セトレ。
今まで書写山にあるセトレには宿泊したことがある。
滋賀にもできたので泊まってみたかった。

ブルーモーメントの教会は実に美しい。

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ブラジリアンタイプのハンモックに寝転がり、ゆったり。
我が家のメキシカンタイプのハンモックとは違う寝心地で、これもいい。

ゴージャスで、ゆったりと過ごしたい人にはオススメ。

翌日は和菓子実習。
もうね、これは疲れた。
こんなに集中して作るのね。

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まあ、もちろん習熟すればできるようになるだろう。私は2時間ぐらいかけて4個作ったが、講師の職人さんは、10分で作るとのこと。すごい。

終わってから職人さんにインタビューした。
これが面白かった。

『和菓子職人さんに向いている人ってどういう人ですか?』
「不器用な人です」
即答であった。
『へー。なんでですか?』
「器用な人は勉強しません」

不器用な人は、何回も練習するし、盗もうとする、学ぼうとする。しかし、器用な人はなんとなく出来てしまうので、成長しないということなのだ。なるほどねえ。面白い。正統的周辺参加論の学習だなあ。

ここは、叶長寿庵 寿長生の里。
ランチ、和菓子作り体験、お茶席と楽しむ。半日たっぷり遊べます。

滋賀。
いいよねえ。

地元のことって、知っているようで知らないことがある

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地元のことって、知っているようで知らないことがある。

滋賀県の名産、名勝を回る小さな旅行に抽選であった。kokocoolというものだ。
滋賀にやってきて結構な時間が経つが、まだまだ知らないところもたくさんあり、今回の旅行は滋賀でセレクトされた素晴らしいところを巡るというので、やや期待しながら旅行に参加した。

印象に残った場所について書く。

艸方
光る陶器を開発した窯元だ。

ご主人は陶器がどのようにできるのかを説明してくれる。なんというか、これでもかこれでもかというような説明。しかし、しつこくない。

あれだけ開発をしていて、それでもまだまだやりたいことがたくさんあって、それがうまくいかなくて、それでもやるのだという話をしてくださった。

私は
『陶器を作っていての喜びはなんですか?』
『陶器を作っていて、これは常識だと思っていたけど実は違っていたというものはありますか?』
と二つの質問をしてみた。

「やっぱり、釜の扉を開けるときですね。あれだけ丁寧にやったのに、うまくいかないのですよ。100のうち90はダメ。親不孝がいるのですわ」
すごい。面白い。1割で勝負するのかあ。プロ野球の打者より確率が低いなあ。そして、陶器を子供のように思っているからなのだろうか、できの悪いのを「親不孝」という。

「えっともう一つは、常識でなかったことですか。うーん」
結構考えられていた。そして、そこで話されたには、
「それはねえ、って、これ極秘事項ですね」
ということなので、ネットには書かない(^^)。これは仁義である。

帰るタイミングになったので、個人的なことも聞いてみた。料理に関することや、あれこれを話していたら
「ぜひ、なんでも言ってください。作りますよ」
と言われてしまった。
私もお願いしたいが、道楽にそんなにお金をかけられないなあf(^^;。
やりたいけど。

お茶

信楽は宇治と隣り合わせ。お茶の名産地のすぐそばに土の名産地があって陶器ができたのはすごいなあと思っていたが、実は、信楽にもいいお茶があった。かたぎ古香園。

40年前から無農薬でお茶を作っているとのこと。
奇跡のリンゴの林さんと同じ話を聞いた。
無農薬で作り始めた最初の3年は全くダメだったとのこと。葉っぱを害虫に食べられてしまい収穫がなかったとのこと。

しかし、3年、4年、5年と経つにつれて害虫を食べる益虫が畑にやってきてくれたことから、収穫できるようになったというのだ。

「お茶は、子供からお年寄りまで誰もが毎日飲むもの。だから安全なものを作りたい」

とご主人。まさにだ。農薬は骨の髄に蓄積される。仮に国の基準を下回っているとしてもやはりできれば避けたい。子供には少しでもいいものをとは思ってしまう。

で、お二人のご主人に共通していることがある。一つは、とにかく新しいことを開発する気持ちがあるということ。そしてそれをやり抜く良い意味での頑固さがあるということ。今でもさらに新しいものを追い求めているのがわかった。パイオニアってのは、そうなんだろうなあと思う。

もう一つは、化学に詳しいということ。土の成分や釉薬の話をするとき、お茶の成分の話をするとき、農薬の話をするとき、元素記号や化合物やらの名前があちこちで出てくる。まあ、私が知っているぐらいのものなのだから、基礎的なものなのだとは思うが、それにしても凄い。化学の知識と経験と技術で突き進んでいる感じがした。

面白いなあ。こういう人たちの話を聞くのは本当に面白い。質問するのが楽しい。
続く。

法的根拠は何なのか

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私は公務員は法的根拠は何なのかを理解することは大事だと考えています。もちろん、その法がおかしいのであれば、その法を正当な手続きで変えていくことも大事です。

しかし、今行っていることが何の法に則って正しいとされているのかを考えることなしに、公務員としての指導は指導でないことにもなりかねません。
「私は正しいと思ってやった」
といくら裁判で言ったところで、それは
「だから何?」
で終わってしまうのではないでしょうか?

問題になる指導をする先生も、実は(私は正しい)と思ってやっていることが多いと思うのです。
「法的根拠、手続き、配慮」
特に重要な案件については、この三つを慎重に抑える必要があると考えています。

そして、この手続きのミスが、保護者とのトラブルを引き起こし、過剰な配慮が「自子」中心的な保護者を生み、さらに教員の仕事を増やし続けているのではないかと思っています。

法的根拠なんて考える暇もなく、「いいからやれ今までやってきたのだから」が学校現場なのはよくわかります。しかし、それはもう限界にきていると思うのです。これだけ病む先生が出ているのですから。

企業には総務があって、法務担当がいると思います。しかし、小中学校にはない。私学であれば顧問弁護士はいるでしょうが、公立にはない。だから、管理職が勉強しなければならないところでしょう。

いや、今や教員個人が訴訟保険に入って法律を勉強する時代ではないかとも思います。そういう研修も新採研でやってほしいなあと思います。因みに、本で勉強するならまず、星先生のこれだと思います。春休みに、どうぞ。

2016/03/13

卒業パーティの後、バーに行った

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卒業パーティの後、バーに行った。
昨日のバーは、三軒目であった。
いや、はしごをしたのではなく、一杯なのと見つからなかったのがあって、三軒目でやっと落ち着けたということだ。
私とバーの相性が良くないのか、実はなかなかいいバーに出会っていない。

とある大阪のいいホテルに泊まった時、家族が寝たので一人でバーを楽しんでくるかあと思って、そのホテルのメインバーに足を向けたところ、これがもう居酒屋状態。
中高年の方々が大きな声で話しながら飲んでいる。もう、がっかりして入り口でターン。酒の飲み方はいろいろあっていいと思うが、その場所にあった飲み方であってほしい。あれはない。
で、昨日の一件目も結構いいホテルのメインバーに行ったのだが、前回と同じ状態。ああ、これはダメだと思って外にでた。2件目は見つからず、三軒目で別のホテルのバーに入って、やっと落ち着いた。

理想としては、バーは、客の入りが3割から4割ぐらいがいい。満席のバーなんてのは、バーじゃないなあ。特にオーセンティックバーはそう思う。
大きな声で
「水割り!」
なんて叫ばれては、過去を振り返ることも、未来を語り合うこともできないだろうに。

会計を済まして、店を出たところに一つ席を空けた隣にいた外国人と出会った。
何気に、どこから来たのかと聞いたら、デンマークだという。
" I've been to ..." そう、もう9年も前だがデンマークに視察に行った。
コペンハーゲンは行ったか?、美味しいものは食べたか?などと言われ、もちろん、いい国だったよデンマークはと言えば、、いや僕たちも日本が好きだよと。
ああ、それなら店で声をかければよかった。
ま、そういうのも人生の一コマだ。

京都のいいバーを教えてください。
乾杯。

江水最深地 白雲無尽時

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六期生が巣立って行きました。
毎年同じ教員が育てているのに、同じようには育たない。
思った通りには育たない。
しかし、毎年そのメンバーで良い感じには育って行ってくれるのが、私のゼミ生たちです。
幸せな時間をありがとう。
君たちの健康と幸せな人生を心から願います。

江水最深地 白雲無尽時

という言葉を、書道の恩師の佐野光一先生に頂きました。
卒業式のときではありません。
たまたま、研究室に伺った時にです。

私は、4年生のときは卒業式には出ませんでしたし、5年生の時も出ませんでした。大学院の時は、保護者関に案内されてしまいました。つくづく自分の卒業式には縁がありません。
しかし、こうしていまは毎年卒業式に出席できます。
回数だけは多いです。
幸せなことです。

江水最深地 白雲無尽時

川の流れの最も深い所には、白雲が尽きること無く湧いている
そのような意味でしょう。
この言葉が表すのは、深く学び続けるものは、成長し続けるということではないかと思います。
恩師に頂いた言葉を、今年も卒業生に一人一人手渡すことができました。

そこで
『なにかいま困っていることは無いか?』
と最後の面談をし、困っていることにはアドヴァイス。
なければ、エールを送り、ゼミの解散をしました。

江水最深地 白雲無尽時

学び続けることの人生は、とても幸せです。
それが彼らに届いていることを願いつつ、お開きにしました。

さ、このあとは、パーティだ!

2016/03/08

甲骨文字を亀の甲羅に刻してみました

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昨日、3/7(月)に実施することができました。甲骨文字の再現実験です。甲骨文字とは今から4000年前に河南省安陽県の殷墟の発掘と共に発掘された世界最古の文字です。牛の肩甲骨や亀の甲羅の腹甲に刻まれていた文字です。

この骨や甲羅に占いの言葉を書き(刻し)、燃えた木を押し付け、そのヒビの入り方で占いをしました。そして、その結果をまたその骨や甲羅に記していたのです。

書道をやる人間であれば、一度ぐらい甲骨文字を骨や甲羅に刻してみたいと思ったことはあるでしょうが、実際骨は手に入っても甲羅はなかなか手に入らない。だから夢で終わるものだと思います。

ところが、今回本学の理科の三上先生のところに亀がいることがわかりました。外来種で駆除の対象になっているミシシッピーアカミミガメ、通称ミドリガメです。これを解剖実習して、その後の甲羅をいただけることになりました。そこで、こんなチャンスはない!と思い勉強をして、やることにしました。

調べていくと、歴史学、民俗学の人は占いの再現に興味があるようでその報告や論文は見つかるのですが、その後の、文字を刻すことをしている人がいない。もう、書道の人間としては大喜びです。やります!です。

準備をしていく過程で、大学の書道の恩師の佐野光一先生にアドヴァイスをいただいたり、本学の王先生に参考文献をお借りしたりなどしながら、もう出来うる限り万全の体制で挑戦したわけです。

100年ぐらいは誰も再現していないことだと思われるのです。
詳しい報告は、今書き始めたレポートにまとめています。うまくいけば、論文に育つかもしれません。そして、ここから新しい授業が作れるかもしれません。

実に有意義で、楽しく、エキサイティングな時間でした。

2016/03/06

『地団駄は島根で踏め 行って・見て・触れる 《語源の旅》』を読む

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やってみてから
(ああ、これがやる前にあったらなあ)
と思うことが私にはよくある。
今回の「かるたの絵札を作って学ぶことわざの授業」もそうであった。

「連続型テキストの読解を、非連続型テキストの表現から導く指導に関する一考察」(京都橘大学研究紀要42号)にまとめた大学での授業の様子である。

この実践をやるときに、私の中では、あれとこれとそれがこのように結びついて、こういう結果を出すと思うんだよなあと思いながら授業を組み立てる。今までにやってきたことと、目の前の学生と学習内容と学習するための材料が見えてきた時、
(よし、やろう)
ということになる。

そして、それをやった後何らかの形でまとめる。今回は紀要論文にして、多くの方に見ていただく機会を得た。

先日関西授業づくり研究会に足を運んだのだ。当日の講師は大阪の民間校長で、かつて「アメリカ横断ウルトラクイズ」の構成作家をされていた、わぐりたかしさんであった。その日の中心となる「笑育」の話も面白かったが、私が興味を持ったのは、「語源ハンター」としてのわぐりさんの一面であった。

滋賀県に引っ越してきた私は、その土地の歴史をそれなりに勉強してみようと思って中学校の社会化レベルのものをざっと勉強してみた。さすが滋賀である。石を投げれば歴史に当たる土地だ。実際、私の住まいは、万葉集の第1期の歌人が住んでいた場所であり、自宅の対岸には松尾芭蕉の墓があり、裏山の比叡山には紀貫之の墓もある。とんでもない場所なのだ。

その勉強をしている時に、面白いものを見つけた。
「急がば回れ」
である。これはことわざとして教えられるものである。ところが、この「急がば回れ」は、ことわざではなく、故事成語であることがわかったのだ。

旧東海道と中山道が交わる場所が、滋賀県の草津市である。そこから東海道のゴール(京都の人にはスタート地点と怒られるが)の三条大橋までは、大津を経由していくことになる。その時草津からは、路銀が余っている者は観光も兼ねて、急ぐ人はそのために、船で琵琶湖を行き、大津で下船、その後徒歩で逢坂の関を越えて山科、蹴上と歩みを進めて三条大橋に到着するということになる。http://gpscycling.net/tokaido/tokaido.html

ところが、このルートに一つ厄介なことがある。
船で琵琶湖を行く時、比叡山から突風が吹きおろすことがあるのだ。私はこの突風の様子を何度も見たことがある。綺麗に晴れた琵琶湖が、突然嵐になる。気持ちよく走っていたヨットはあっという間に転覆することがある。比叡颪(おろし)という。この比叡颪が草津から大津まで運ぶ船を転覆させるのである。

そうなると観光はおろか急いで三条大橋に向かおうとする人たちは、時間を食うことになる。だから、「そうならば、船なんか乗らないで陸路で行け、琵琶湖から出て行く唯一の川にかかる瀬田川にかかっている瀬田の唐橋を渡っていけ、急ぐなら回るんだよ」と言うのが、急がば回れなのであった。

これは江戸時代に書かれた落語のルーツ本の『醒睡笑』には、「武士(もののふ)のやばせの舟は早くとも急がばまわれ瀬田の長橋」で室町時代の連歌師宗長(そうちょう)の歌として残されている。

ということは、この言葉は、誰が作ったかわからない言い伝えの教訓の言葉であることわざではなくて、出来事を基に作られた故事成語なのだということがわかったのだ。

ちなみに、この『醒睡笑』を書いたのは安楽庵策伝であり、そのお寺は、京都市中京区新京極通にある、誓願寺である。修学旅行で買い物をするのは新京極が多いが、行ったことのある人なら、必ず前を通っているはずである。

ということぐらいは知っていたのだが、わぐりたかしさんは、これに留まらず、その場所まで出かけていて現地調査をしているのだ。そして、それが一冊になったのが『地団駄は島根で踏め 行って・見て・触れる 《語源の旅》』(光文社新書)なのだ。

もうね、ことわざと思っていた言葉が次から次へと故事成語だったのだということを証明してくれる。実に面白い。
(ああ、この本を先に読んでいれば)
と思うのだ。

「縁の下の力持ち」は今回の大学の学習で扱ったが、この本を読んでいれば違うアプローチができた。「椽の下の舞」だとは思いもよらなんだ。四天王寺で行われているものだなんて、知らなんだ。ああ、くやしい。

だけどとも思う。
実践をしたから、論文を書いたから『地団駄は島根で踏め』に出会えたんだともう思う。実践したから、そこに関するアンテナが高くなって、出会えたのだとも私は思っている。

で、さらに思う。滋賀は他にも有名どころでは「油断大敵」「ろれつが回らない」の原産地でもある。京都なんて「とんちんかん」「後の祭り」「埒があかない」などもある。あれこれアイディが浮かぶ。
『ああ、なんとかならないかなあ』
と今朝の風呂読書で叫んでいたのでありました。
た、楽しい。

写真は、油断大敵のルーツの比叡山(^^)。

お金をかけず、日常を非日常に変えて、なおかつlegal

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legal、illegal。
簡単に言えば、法律に則っているかいないかである。

illegal。法律違反ってのは、なんだろう、ある種の誘惑がある。権力に楯つくさまが格好よく思えるようなもの。ちょいワルで、ハレを感じさせるような、日常から離れた興奮を得られる。その気持ちはわからないではない。
だけど、実はlegalの中にあって、非日常を得る方が、実はもっと深くて激しいのではないかと思うのだ。

高校。大学時代のことだ。
井の頭公園のステージで歌を歌ったことがあった。
中野の商店街でクリスマスコンサートをやったこともあった。
いせやの二階でギターを弾いたこともあった。
ちゃんと届け出をしたものもあれば、まあ、流れでやったこともあるf(^^;。この時の感覚はまだ体に残っている。

最近で言えば、料理本を書いて出版した時にも感じた。
決して発禁本ではないし、特に誰かに迷惑をかけた話でもないが、妙にドキドキした。
5ステップ、5分ではじめる料理
https://itunes.apple.com/us/book/id1043474676

最初にこのビールのポスターを見たとき
(それは、流石にないだろう)
と思った。
(京都だからといって、なんでもかんでもお抹茶と言うのは、如何なものか?)
と思った。だけど、だけど、気になってねえ。
というわけで、今宵やってみた。
お抹茶ビール。

結論から言うと、あり。
これがlegalの日常の中での興奮です。
(んなもの、やらんだろ)
(アホちゃうか?)
(何考えてるの?)
と私の内部でも声がしたのだが、一方で
(いや、やるだけやってみよう)
という気持ちの方が勝った。
注いでいる時のドキドキ感と言ったら、こりゃあもうすごい(^^)。

お金をかけず、日常を非日常に変えて、なおかつlegal。
こういうのを日常を豊かにするということだと思うのだ。

そういうのが大好きなのだ、私は。

2016/03/04

そんな色々な顔が

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物いわぬ四方のけだものすらだにも哀れなるかなや親の子を思う 

源実朝の歌を出すまでもなく、親は子を思う。色々な事情でそれが厳しい親もいなくはないが、多くの親はそれを思う。内田樹先生がおっしゃった「子どものためになら死ねる」「子どものためには死ねない」という不条理の中にいながら、親はこのことを思う。

教師も子どものことを理解しようと思う。中には、親以上に子どものことを理解していると思う若い教師もいるだろう。しかし、それは違うと思ったほうがいい。子どものことを思う気持ちを親と競ってもしょうがないのだ。役割が違うのだから。

親は、生まれる前から子どものことを知っている。母親の胎内に抱かれている時間から、いやその前の授かりたいと願っている時から知っている。教師が知れるのは今とその前後数年だろう。だから、そこで競っても仕方がない。

ただ、教師が親よりも子どものこと知ることがある。それは、集団の中にいる子どもの姿。特に、学校の集団の中にいるときの姿だ。これは、親にはわからない。または、とてもわかりにくい。教師はこの情報を集め、親に提供したい。

子どもは、親の前と教師の前と仲間の前では見せる顔が違う。それが当たり前。状況に応じて振る舞い方が違うのは当たり前だし、そのように育てるものだ。「お家と外では違うの」と。だから、学校の顔ができる。その顔を、親に知らせてあげるのだ。

もちろん、学校と言ったって、好みの教科かどうかで例えば、体育と算数の時の顔は違うし、活動の掃除と給食の時の顔も違う。好きであろうクラブ活動と休み時間の顔も違うだろう。

そんな色々な顔が、通信簿の所見欄に書かれてると親は嬉しいものだ。一年の締めくくりの通信簿作成の時期の先生方へのお願いだ。

2016/03/01

文章は待てど暮らせど、一文字も増えない。

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今日はいい日だった。
間に合うかどうかギリギリでダメかもしれないと何回か思ったことが間に合った。

当たり前だけど、一足飛びにできるものなんてのはないんだよなあ。とにかくやって、それを見てもらって意見をもらって、修正しての繰り返し。

この中で「とにかくやって」というのが一番難しい。
(こんなレベルでいいのか。いいはずがない)
と思いながらも、でもドラフトで、6割の完成度でいいから最後まで書き上げる。そして、そこから磨き上げていく。

最初に書き上げた時は、その出来の酷さに涙するのだが、そこを耐えて磨き上げに向かう。その時
(間に合うのか?)
と思うのだが、思っていたところで、それは完成しない。

相手が子供であれば、待っているうちに勝手に成長してくれることもあるが、文章は待てど暮らせど、一文字も増えない。頭の中でイメージはあるのだが、それが文字となって出てくることはない。

ただ、ひたすら書き、それを推敲し続けていく。

この作業が本日の締め切りを持って、ひとまず終わったのが嬉しい1日でありました。締め切りに間に合って本当に良かった。

各方面に助けていただきました。ありがとうございました。

たぶんそれが、勉強から学びへのシフトになるのだと思います

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塾の講師をしていましたから、分かるには分かるのですが、ダメだなあと思うのが、現行の入試の解法のテクニックです。

曰く、
「みんなができるところから解き、できないところは後回し。みんなができるところを落とさず、できないところを少しでも頑張って、満点ではなく、合格点を目指すこと」
というものです。

受験テクニックとしてはまさにその通りです。
しかし、ここには大きな問題が潜んでいると思うのです。

人生は、みんなができるところをやっても意味がないということです。コモディ化が激しく進む今の世の中で、みんながやれるところはコンピュータが取って代わる仕事になるでしょう。

一部の人類は、やってもやってもダメなことをやり続けてきました。おそらく、それをやり続けてきた時に、運が味方して結果が出たのだと思います。

空を飛ぶまでに、何人の人が死んだのでしょうか。
でも、飛びたいと思い挑戦してきた結果、人類は月にまで行けたと思うのです。

だから、せめて大学受験が終わったら、合格点を取る人生ではなく、他の人がやっていなくて、なおかつ自分に興味があるものを見つけ出し、そこに自分を投げ入れることを勧めたいと思うのです。

他の人がやっていることは、コンピュータでもできるようになる。ここがポイントだと思っています。

でも「せめて大学受験が終わったら」というのは、今の高校生ぐらいまででしょうねえ。その下の世代は、今からそれを始めるべきだと思います。

たぶんそれが、勉強から学びへのシフトになるのだと思います。

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