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2016/08/14

あそこだけどね。なんで、多かったのを取り上げたの?

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ゼミ合宿が終わった。
ゼミの合宿係が中心になって、宿泊場所、スケジュール、レクなどすべて決めて行った。卒業生も参加してくれた。こう言う枠から決める経験が大事なんだと考えている。

本当なら中学生ぐらいからこう言うのを特別活動でやらせていくことが、これからの時代にはますます大事になるんだろうなあと考えている。大人という教師がサポートできるうちに、自分で枠を作るレッスンを受ける。大事だよなあ。

ゼミ合宿では、模擬授業も行った。
グループに分かれて指導案を作り、代表者が授業をするといものだ。それぞれ頑張っていたが、気になったこともあった。
二年生の算数の授業で、繰り下がりのある引き算についてである。

36-7

という計算をさせていた。
小グループに分けて、どういう計算をしたのかを説明させていた。そして、説明をさせた後に、

「ということで、いろいろな説明がありましたが、〜という説明が一番多かったですね。これはですね〜」

と説明していたのだ。

(あ〜〜〜〜)と思った。

『あそこだけどね。なんで、多かったのを取り上げたの?』
「?」

そう。学生は意識的にはやっていない。無意識だ。今まで自分が受けてきた授業がそうだったからそうしたのであろう。

『あそこは、他の人が解いていない方法で解いた子供を取り上げるべきでしょう』
「?」
『多くの人がやった方法は、後でやればいい。大事なのは、ユニークなやり方を見出した子供だ。それを価値付けよ。他の子供がやっていないなら、その方法を説明した方が、他の子供にとっても勉強になる』

こうやって少数派の子供達は、
(あ、自分は間違っていたのだ)
と思い込まされて、学習を進めていく。そして、ユニークな芽は伸びることなしにということは沢山あったろうし、今でもあるだろう。

少数派を拾う。実はとても難しいことではある。
意識の切り替えが必要。これができない。そして、拾えたとして、それを授業に位置付けることができるかどうか。これも難しい。

教師は自分が予定しているストーリーを持っている。そこに自分が想定していない意見が出てくる。それを受け入れたとして、想定していない意見を自分が理解して、さらに学習者に説明をし、その上でそれも取り入れて、新しい授業の展開をその場で作り出していく力が求められる。だから教師に実力がないと、挑めない。

しかし、ここに挑まないと授業そのものに価値がなくなっていくと私は考えている。ライブでやるのは、そこに意味がある。価値があると考えている。

数が多いのは安心だけど、安全とは限らない。
避難する時の言葉だ。しかし、これ、勉強の時にも言えるんじゃないかなあと思っている。

そして、嬉しかったのが卒業生の現役の教師たちのアドヴァイス。
(をを、それなりに成長したなあ)
と思わせてくれた。

指摘するポイントも、自分がクラスで指導に困っている子供にどうやって取り組んでいるのかがわかるところで、その取り組みが見えるようなアドヴァイスであった。

教師は、現場で鍛えられる。私にできるのは、刺激を与え、自分がいかにわかっていないかを理解させ、腹をくくらせることだと思っているが、それを改めて思った。

大学に移って10年。
いい流れができてきたかなあと思った。

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