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2016/09/26

読書感想文の書き方のマニュアルを先生が配布したことについて賛否が起きている

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読書感想文の書き方のマニュアルを先生が配布したことについて賛否が起きている。
http://www.asahi.com/articles/ASJ8W4RCMJ8WUTIL00M.html
ここには幾つかの問題が隠れている。それが賛否が起きている原因になっていると思う。ポイントを三つほど取り出すと、1)作文の書き方指導 2)宿題のあり方 3)読書感想文 などがあるだろう。

1)作文の書き方を皆さんは、習ったことがあるだろうか? 私が学生にした調査では9割以上の学生が習ったことがあると答えている。しかし、何を習ったのかと確認すると、これもまた驚くことだが、原稿用紙の使い方であり、それも書き始めは一文字下げるだけが共通していたである。

アイディアはどのように出して整理するのか? タイトルはどうつけるのか? 書き始めはどうするのか? 書き進めるにはどうしたらいいのか? 推敲の仕方はどうしたらいいのか? など指導を受けてきている学生はほとんどいない。書き方を指導されていないのだ。

その段階で読書感想文を書けという宿題を出したところで、子供達は書けない。いや、書ける子供はいる。しかし、その子供は先生の指導によって書けるようになったのではなく、もうすでに書ける子供であったというだけのことである。指導によって書けるようにするのが教師の仕事なはずだ。

2)宿題は、目的によって次の5つがあると考えている。1. 授業に参加するための準備 2.授業で習ったことの定着 3.授業中に終わらなかった部分の処理 4.自学自習を促す 5.長期休業中の学習である。もともと、宿題とは句会に参加するために予め作ってくる俳句のことを言う。

だから、1. 授業に参加するための準備が、語源に基づくものである。反転学習ってのは、もうすでに江戸時代からやられているのである。ところが、作文になると3.授業中に終わらなかった部分の処理が多くなる。「終わらなかったらやっておいて、水曜日に提出」ってなことになる。

授業時間中にできないというのは、課題の規模が大きすぎるか、その子供の能力に応じた課題ではなかったか、やり方を教わっていないかのいずれかであって、そのできない責任は子供にはない。そして、できない子供に「あとはやっておけ」といのは全くおかしい。その子供こそ残して指導すべきである。

作文の書き方を習っていない子供に、「書け」と「指導」して、書けないと「宿題」にするってのは、書けない子供からしたら絶望以外の何物でもないだろう。だから、子供達は「宿題は『忘れました』」という。できない、わからない、無くしたは、『忘れました』になることが多い。

3)読書感想文は、コンテストに出すことを目的にした以外はわたしは書かせたことはなかった。コンテストに出すことが学校の伝統で、校長もそれを強く推し進めていたので、やったことが一回だけある。しかし、他はやったことはない。私がやっていたのは、読書意見文である。

読書感想文であれば、「あなたは、この本を読んでどう思いましたか?」という問いに答えるという暗黙の条件があると思われる。もし、そうだとしたら「別に」という読書感想文も認めなければならない。その本をどうも感じない子供もいる。しかし、それを認めない。そこでややこしくなる。

読書感想文。本を読んで何を思ったか。その思ったこと書きたくない子供もいる。(こんなこと思ったんだけど、それは書けないよな)という子供もいる。思うというのは、根拠が私でその私の深いところに繋がっていることがある。それを表に出して文章にするなんてできないという子供である。

読書意見文の場合、文章の中から気になった一文を書き抜き(引用)、その一文について自分はどう考えるか書き進めていく。その時には、その引用と自分の言葉を繋ぐための「きっかけの言葉」を用意しておく。「書き抜きエッセイ」という方法でやっていた。

文章は、思った通りに素直に書けば書けるというのは、書ける人の言い方である。文章を書くということは、総合的な言葉の力が必要で、それはやり方を教わり、できるようになるためにトレーニングしなければならないものである。

書くは考えるである。考えるは書くである。だから、子供達には書かせたい。しかし、そのやり方を教えないで「書け」といったところで、それは指導でもなんでもない。できない子供をできるようにするのが指導である。書く指導もそうでありたい。

このマニュアルを配った先生は、書けない子供に配慮して行ったのだと思う。それは教師の良心から出たものだと思われる。そういう意味では良い先生だと思う。しかし、もう一歩踏み込んで、それを授業でやってほしかったという想いは残る。書かせるための指導は大事である。

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