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2016/09/11

部活動を学校教育から切り離すことが前提

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私が中学校の教師になったのは1987年。
その時にも、今言われている部活動担当の問題はあった。あったが、こんなに深刻ではなかった。

私が先輩教師に言われて
(そういう考え方なのね)
と理解したことがある。

学級の集団には大きく三つある。
子供の気持ちから分類すると、

1)やりたいことをやりたくて集まっている、部活動。
2)たまたま偶然で集められた、学級。
3)やりたくもないのに仕方なしに受けている、授業。

というものである。だから、「若い教師は、やりたいことをやるために集まっている部活動の指導を通して、集団を指導する力量をつけていくように」という、教師育成の観点から部活動を指導させようとしていたのだ。

また、「部活動指導に熱中できるのは、結婚していない子供のいない時だけだよ」という話もよく聞いた。

私は、
(別に部活動で集団づくりの力量を鍛えようと思っていないし、そもそも本当に全員がやりたいことをやりたくてその部活に来ているわけでもないでしょ)
(部活動指導に熱中ししたいと、そもそも思っていないわけでして。中学校の時に無理やりやらされて身体や考え方がおかしくなった同級生や先輩後輩はたくさんいるので、やりませんて)
(部活動ができる先生と、授業ができる先生とどっちが大事なんだ?)
と言いたかったけど、言わずにできる範囲でやっていました。

最初に担当したのは、ソフトテニスクラブ。
私は
『引き受けるのならば、硬式テニスクラブにします』
と言って、硬式にした。

新三年生になる生徒たちからはクレームがきた。
また、地域のソフトテニスクラブの顧問たちからも圧力をかけられた。前者に関しては、三年生が引退するまでそのメンバーはソフトで面倒を見る。後者に関しては、相手にしなかった。

私は
『球技をやりたいけど、ちょっと怖いかなあ。でも、ちょっとやってみたいかな? と思う位の人達のための部活動です。ガンガンやりたい人は、この部活動はお勧めしません』
と言って、やっていた。

ラケットにボールが当たるのを喜ぶぐらいの子供達にも、スポーツをして汗を流す体験があってもいい。それならば、週に2回ぐらいやってもいいということでやっていた。

だから対外試合もなし。
練習試合でやる程度。体を壊すことなく、球遊びをする。そのぐらいの部活動を目指した。

そして、私は授業の準備と生活指導と学級事務に力を注いでいた。

なぜ、あの時はこれができて、今ができにくいのかを考えてみた。

1)保護者が協力的であった。

基本的に「先生に面倒を見ていただいている。ありがたいことです」というポジションにいてくれた。20代前半の若造をうまく動かしてくれたという感じ。

今は「何やってんだよ」というスタンスで顧問の教師に食ってかかるのもあると聞く。全く門外漢の部活動の顧問をさせられ、顧問審判でサッカーの試合を任され、相手チームの親から「審判どこ見てんだよ」なんて土日に言われたら、やってられません。

2)学校事務がまだ少なかった。

当時から多いとは思っていましたが、今はもう半端なく多いです。例えば、学校は計画のもとに指導していきますが、新人の頃はその計画を立てるのは管理職や教務主任のお仕事で、新人にはなかったわけです。

しかし、今は、授業、特別活動、学級経営に関する年間指導計画や管理職に提出する自己評価、面接に関する書類作成など、もうすごいことになっています。これを1年目の新人でもやります。

3)携帯電話がなかった。

これは実は決定的に違うかもしれません。
どこでも繋がるということは、どこでも拘束されているということなのだと気がつくまでに、私はさほど時間がかかりませんませんでした。

それまでは、職員室の電話に拘束されていると考えていましたが、実は逆で、職員室で勤務時間だけ電話に関わっていたので去って、それ以外は自由でした。

ところが、携帯電話によっていつでもどこでもつながれるようになったと思ったら、それは拘束されるということになったわけです。ここに、メールやLINEが入ってきてさらにこの状況は深刻になります。勤務時間外に連絡が入ってきて、私生活を圧迫します。

4)授業の種類が多くなった。

私の新卒の頃になくて今中学校にあるのは、総合的な学習の時間、特別な教科の道徳でしょう。たった二つかと思うかもしれませんが、この計画と評価は相当なものになると思います。特に道徳。数値ではなく、所見で評価するわけですから。

また、私の頃は相対評価でした。今は観点別の絶対評価。簡単に言えば、相対評価の時は、クラスの人数によって点数でその評価がつく人数が決まっていて、自動的に成績がつきました。

絶対評価の観点別というのは、それぞれの子供がどれぐらいできるようになったのか、できていないのかを観点(例えば、国語だったら、話す聞く、読む、書く、関心意欲態度など)ごとに、a,b,cで評価し、その結果5段階評価の何になるかとしていくわけです。

私の感覚で、相対評価から絶対評価になった時、仕事量が軽く3倍に増えたのを感じました。

ちなみに、小学校は部活動がないところがほとんどですが、授業が大変。毎日毎日新しい明日のための準備をします。そこに、新たに特別な教科の道徳、英語、プログラミング指導などが入ってきます。

部活動のある小学校はどうなってしまうのかと思います。

5)ベテランが多い。

ベテランが多いというのは、いいことでもあるのですが、ベテランは部活動を「卒業」している人が多くいます。「私も若い頃はやっていたんだよ。まあ、若い頃だけだからやってね」なんて言われて卒業している先生はいました。まあ、体も動きにくくなるしわからないではありません。

しかし、今、ベテランが多いと、卒業している人が多くなり、そのしわ寄せが若手にきます。これは深刻。若い先生は恋をして、結婚をして、子供を産んで育ててという時間が必要です。そこを部活動に奪われてしまわないかと思うのです。

私のソリューションは、部活動を学校教育から切り離すことが前提です。そして、その後考えられるのは、二つです。一つは、社会教育が担当すべきだと考えています。部活動の仕事は、それだけで立派に一つの仕事として成立するものだと考えています。

では、その際の財源はどこにあるのか?となるわけです。私は、教員の給料1割カットと、部費の値上げだと思います。ただ、これだけでは指導者の給料をまかないにくいと思います。

そこで、もう一つ。地元の企業がスポンサーになって、NPO法人を立ち上げてそこで行うなどもあるかと思います。すでに動き出しているところもあります。
http://npo.bukatsuganba.com/

大学の様子が、自分が学生時代の大学とは随分違うなあと、今大学生の子息をお持ちの親御さんは感じていると思います。

ところが、中学校の親御さんは中学校が大きく変わっているにもかかわらず、昔と同じものを求める。そして、それは若手の教員に大きく負担になっていると思うのです。

私は、学校経営が専門ではありません。が、自分の体験と今の実態を見ると、若い先生のために声にしなければならないことが多くあると考えています。

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