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『心やすらぐ 国宝仏像 なぞり描き』(田中ひろみ 池田書店)という本がある。
この本を手に取った瞬間に、閃いた。
(あ、これでガラスに刻してみよう)
と。
摸書という書道の学習方法がある。お手本の上からなぞるのだ。日本の書写教育ではあまりされていないが、これはとても効果のある指導方法で、私が中学校の教師の時はこれで指導していた。
で、写仏だ。写仏は摸書に似ている。お手本の上からなぞるのだ。私にも仏像が描ける。これは気持ちがいい。初めに万年筆でやってみる。心地よい。それを画像加工アプリで効果を加えてみたりする。これも気持ちよい。
◆
で、いよいよである。
ガラス板に写仏である。刻仏である。
一升瓶に般若心経を刻すことで技術を磨いてきた私は(^^)、ここでその技術を活用することになる。そんな風になると思わなかったが、活用するのである。
一気に仕上げた。
ふう、気持ちがいい。
◆
問題は、撮影である。
ガラスに刻した仏のその線から生まれる影の仏をも撮影したい。
しかし、ガラスに刻したのを撮すのはなかなか難しい。
撮影者の影が写り込んでしまうのだ。
室内のあれこれも反射してしまうのだ。
専用スタジオのない、自宅のリビングで撮影の私は、写り込みを避けながら、ガラスの仏と影の仏を一緒に撮影する工夫をあれこれあれこれ。まあ、この工夫を考えるのも面白い。
そして、イメージに近い作品を写撮ることができた。
この作品は、平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩像の南8号だ。
臨終の際に、極楽浄土からお迎えにきてくれる楽人。
光と影とでデュエットで奏でてくれている。
私は、聞こえにくい耳の持ち主だが、この音楽はその時には、聞いてみたい気がする。
で、次の作品は、何にしようかなあともうすでに考え始めている(^^)。
一升瓶に般若心経を刻し始めて、さて何本ほど刻しただろうか。
もうすでに10本以上は刻しているなあ。
文字を格ではなく、文字を刻す楽しみ。
一日に数行ずつ、刻して仕上げている。
特に何かの目的があって刻しているわけではないが、刻している。まあ、強いて言えば全ての一升瓶の種類に刻してみたいと思って刻している。色や瓶の表面の加工具合によって、いろいろな一升瓶がある。
今回仕上がったのは、マリンブルーのもの。
今までに仕上げてきたものの中で一番太字で大柄の文字で仕上げた。
般若心経の写経では、一行に刻す文字数が決まっている。17文字だ。ところが、メインの「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提娑婆訶」は18文字。この17文字と18文字を一升瓶の胴の部分に書き切るのは、実はなかなか難しい。しかも今回は太字の大柄の文字だ。
それが今日完成した。
うむ、実に嬉しい。
今回の作品には、初めて雅号を瓶底に刻した。
次の作品に取り掛かろう。
第四回 教育と笑いの会のご案内
http://www10.schoolweb.ne.jp/swas/index.php……
番組に加えていただきした。
「一席」ご機嫌を伺います。
良かったらお越しください。12/10です。
吉例の池田教え子等関係者の新年会のご案内です。
今年は、教え子の自宅で一次会です。
ご参加をお待ちしております
◆
平成29年新年会のご案内
一次会
日時 平成29年1月3日(火)12時〜
集合 多摩都市モノレール 上北台駅 12時集合
場所 メンバー宅
会費 3000円程度を計画しています。
交通 立川北駅(多摩都市モノレール)11時37分発→上北台駅(多摩都市モノレール)11時53分着があります。
参加希望者は、池田先生までご連絡ください。
メンバーの個人宅のため、飛び込みでの参加も歓迎です。参加できる方、ぜひご一報ください。
二次会
日時 平成29年1月3日(火)夕方〜
集合場所については池田先生までご連絡ください。立川を計画しています。
会費 実費
◆
楽しくやりましょう(^^)。
なお、メールは、
2016年最後の明日の教室の12月は、糸井先生と池田でやります。 12/17です。
糸井先生からは、これまでの30年間の社会科の授業づくりについて、どうやって学んで来たのかを語っていただきます。
「30年かけて、私がつくってきた授業を振り返り、そのノウハウを伝えます。
有田和正実践に憧れ、追試とオリジナル実践を繰り返した30代
総合的な学習をゲストティーチャーと創り出した40代
そして、場を私立小学校に移し、社会科授業に専念する50代の毎日。
今までの実践を振り返り、考えてきたことをお話します。」
◆
池田は、この間池田がハマっている刻字について体験していただこうと思っています。
池田は今年ずっと亀に文字を刻しています。甲骨文字の再現です。
そして、それと同時にガラスに文字を刻しています。
文字を書くではなく、文字を刻す。
この体験は、文字に関する認識を新たなものにしてくれると思います。
その認識は、学校での文字指導に良い影響をあたえてくれるものと思っています。
当日は、ガラスのコップに甲骨文字を刻してもらいます。
また、お好みであれば、一升瓶に般若心経を刻してもらうというのも考えています。
なお、刻すための道具とコップは、こちらで用意します。
もし、一升瓶に挑戦したい方は、ご持参ください。
一升瓶は、酒屋さんにお願いすれば多くは無料で譲ってもらえると思います。
◆
そして、その後は一年を振り返ってゆっくりと忘年会をしましょう。
ことわざを写真にする授業を大学でしたところ、朝日新聞のHPで取り上げてもらって、紙版の記事にもしてもらった。http://withnews.jp/article/f0161022000qq000000000000000W03r10101qq000014184A
ここに関して、ピンアクションが起きている。つまり、この記事を元に次の展開が始まっているのだ。
私は、子供の頃から学習計画表とかを作るのが苦手だ。まあ、作ってもその通りにはやらない。やれないといったほうがいいのかもしれないが、まあ、その通りにはならない。どうも、自分には、考えた通りにするってのに、快感を得ないものがるようだ。
世の中には、計画を立てその通りに動くと快感を得るという人たちはいる。特に、事務系の人たちは計画通りに行くことで、何事もなかったように物事が進んで行くことが大切。予想外にこうなりましたなんてのは、だめ。
だが、私は予想通りになるのがツマラナイ。
(え、そう来ましたか)
となって展開して行くのが好き。セレンディピティーという言葉があるが、私の場合これがよく合う。
よくに合うのだが、世の中は当たり前だが計画通りに仕事を進める人が重宝される。世の中に出るのは大変だなあと思っていた。
◆
ところが、計画通りにしてもなかなかいかないものが私の周りに出現した。それが良くあるものが出現した。
それは、授業である。
計画はする。しかし、相手が人間、相手が子供だ。
計画通りになんてなかなかならない。
(そこですか、問題は)
(そっちに、展開しますか)
ということの繰り返し。そして、それを整えながらゴールに向かう。
新しいことを開発しながら、問題を解決して行く。
これが実に私には楽しい。だから、教師になってよかったなあと思うのだ。
◆
で、私はことわざを写真にすることで、学生がことわざの理解を深める学習ができ、さらに彼らが教員になった時に、ことわざの指導の一つの方法としてこういうのがあると引き出しを一つ持っているようになればと思って、やった。ICT活用の授業の一つができるようになればと思ってやった。それを論文にまとめて、友人に意見をもらったりしていた。
そこいら辺りから少しずつ動き出した。
いろいろな意見をいってくれる人たちがいて、繋げてくれる人たちがいて、この実践はまた別の価値を持つようになっていった。で、今、新たに二つの新しいものに繋がろう、生み出されようとしている。嬉しいものだ。
◆
今の三回生ゼミ生で去年から私のゼミ生だった学生は、この一連の流れをリアルタイムで見ている。私は、学生たちと一緒にやったものということもあり、何か発展があるといちいち学生たちに報告していたから、リアルタイムで見ているのだ。彼らもなかなか感慨深いようだ。
そして、思うのだ。
やること。小さくてもいいので、自分が面白いと思ったことはやってしまうこと。
そして、書くこと。雑誌などに載せることができれば、それはそれでいいと思うのだが、雑誌でなくてもいい、ブログでもいい。兎に角、まとめてしまうこと。そして、それを発表してしまうこと。
『(こんなこと誰も興味ないだろうなあ)と思ったとしても、それはそれでいいから兎に角公表してしまうこと。ブログでいい。そうすると、それを必要としている人や、興味を持っている人たちに発見されて行く。これが今の時代なのだ。自分の思った面白いことが、あなたの周りの誰かの面白さと繋がることもあるけど、繋がらないこともある。しかし、ブログに載せてしまえば、日本語の読める人たちに検索される可能性が生まれる。これがいいのだ。そうして、次の新しい価値が生まれて行くのだよ』
◆
例えば、「たほいや」だって、最初はフジテレビの深夜放送でやっていただけで、それを見た私が友人とやっていたのだが
(あれ、これ国語の授業になるんじゃない?)
と思って中学校でやって見たのだけど、その時は
「なんで遊んでいるの?」
と言われてもそれを説明する用語がなかった。なかったけど、これは国語の授業になるという信念はあった。それでそれを説明する勉強をしていると、社員研修の本に「船長の決断」なんてのを見つけるようになり、「学習ゲーム」という概念を作り出すようになり、今はゲーミフィケーションとなっているわけだ。
『面白いことがあったら、誰かに相手にされなくてもいいから、それをA4一枚レベルの指導案にざっとまとめて書いておくといいよ。実現不可能なものだと思ったものでもいい。私だって、「たほいや」がこんな展開になるとは思っても見なかった。
A4一枚レベルの指導案を書いてコンピュータに寝かせておく。やがて発酵していい授業になる時が来ることもあると思うなあ。今の若い感性で書いておいて、寝かせて経験と技術が身について、授業技術が向上した時にそれを実際に授業にかけるってのは、いいと思うよ』
そんなことを昨日の三回生ゼミで話した。
Aさんは、ビルの一階から三階に行きました。
Bさんは、ビルの一階から地下三階に行きました。
AさんもBさんも同じスピードで移動しました。
しかし、Bさんは大差で負けてしまいました。
何故でしょうか?
ちなみに、同じビルで競争しています。
というのが、今日の「シャキーン」で出た問題。
これを学生達にちょっとやらせてみた。
私が読み上げて考えさせた。
瞬間で答えがわかるものも1割位いるが、あとはわからない。二回目を読むと半分ぐらい。三回目で殆どわかるが、最後までわからない学生もいる。
この違いは何なのかを考えさせた。仮説を立てさせた。
◆
でもまあ、これは小学校低学年の問題。
そこで、大学生の「階段問題」もやらせてみた。
『いま、授業をやっているこの教室は、何階ですか?』
「5階です」
『そうですね、5階です。では、この5階に来るまであなたは何段の階段を上ってきましたか?』
「え?」
『1分で答えなさい』
という問題である。
学生達は兎に角ノートに答えを書く。
そして、私はその答えを聞く。
一通り終わった所で、その根拠を聞く。
「なんとなく」
「勘」
「切りのいい数字で階段を設定した」
など。これは全て間違い。
目の前にある具体的なものを活用して、なんとか根拠のある推論の道筋を立てる。
これができれば、正解。
例えば、教室の床から天井までは3mあるとする。
階段はワンステップ15cmとする。
一階から五階までは四つのフロアがある。
ということで、
3m×4フロアー÷15cmという式が成り立てば良い。実際に80段あるかどうかは、あまり問題ではない。
なんとかして、答えを見つけ出す。手元の材料だけで見つけ出す。
そういうことが考えられるかどうかが大事。
そんな話をしてから二回生ゼミに入った。
一晩経っても、まだ興奮している。
甲骨文字を再現する授業の実施だ。
世界初の授業だと思う。
現代のスマートフォンで簡単に文字が作れる環境の中にいる生徒が、3400年前に人類がやっていたものすごい苦労をして文字を残すという営みを、体験させることができた。
文字に関しての認識が何か変われば嬉しい。
古代の王は、自分の営みを文字にして残させた。
しかし、今は、ユネスコの学習権宣言にあるように、「自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利」としてある。
http://kohoken.chobi.net/cgi-bin/folio.cgi?index=lb2&query=/lib2/19850329.txt
文字、漢字、作文という指導をする上でイッチバン最初の部分を生徒たちに体験させることができた。
今回は、京都橘高校で行った。
私の教え子が京都橘高校で芸術科の書道の教師をしている。
その卒業生とたまたま今年の3月に甲骨文字の再現実験の時に、キャンパスで会って、
『一緒にやるか?』
と巻き込んだことから、ここまで繋がった。
なんというか、わらしべ長者のような感覚。亀を手に入れることができたことから、ここまできた。
◆
亀に刻す。一升瓶に刻す。コップに刻す。ガラスに刻す。私がこういうことをしていたら、私が刻した甲羅は、有鄰館に収蔵展示されたし、一升瓶は大学祭の書道展で展示してもらったし、結婚祝いにあげることもできたし、コップに刻したのは研究室に遊びに来た卒業生にあげることもできた。ガラスの作品も作り続けている。
まあ、昔からそうなんだけどね。
リコーダーやフルートにハマった時も、とにかく吹き続けた。
リコーダーで、オペレッタ「こうもり」のアデーレのアリア
https://www.youtube.com/watch?v=2j6pAnivUho
や、ソプラニーノでウイリアムテル序曲
https://www.youtube.com/watch?v=e1l59fXt8fQ
を吹けるまで練習したりしていた。
そうそう、ケンブリッジバスカーズに憧れてやっていたんだよなあ。
https://www.youtube.com/watch?v=1jEsK-uy64o
ま、それが突然、興味が消えてやらなくなるのも私。
だから、今、この私が亀に刻すから始まった一連の流れが、どこまで行くのかは私自身もとても興味がある。
◆
多分、文字に興味があったのは、もう小学校に入る前からのことだと思う。
そして、小学校一年生の時に、近所のお習字教室に通ったことからずっと文字と関わって来たのだと思う。それが、今、こうして文字に関わる仕事に就き、漢字の最古の甲骨文字の再現をし、それを授業にした。
で、何より嬉しいのは、授業をしたのが私ではないということ。
私の教え子が、高校生にこの授業をしたということ。
私が思いついたことを、私が授業にするのは今までもよくあった。
というか、それが全てであった。
今回は、昨日の授業を含め、合計三箇所でこの授業をやる。
(あ、昨日の授業を見た付属中学校で教えている先生も、「私もやりたい!」と言ったので合計四箇所になるか)
私は思いついたアイディアを、授業というアウトプットにすることをし続けて来たが、こうして、私ではないところからアウトプットされるということに、非常に喜びを得た。
◆
しかも、私が想定していた以上のことをやってくれた。
刻しただけでなく、それを拓に取るというのだ。
これが実に良かった。
授業の最中に、綺麗に拓を取ることのできた高校生にもうベタ誉めした。
『いやあ、これは京都の古美術商に売りにいったらいいよ。または、フリーマーケットで販売してもいいなあ』
と。
「いやー、先生、もう誉めすぎや(^^)」
と言うけど、とても嬉しそう。
いやあ、嬉しいのは私も同じ。
正直に言えば今回の授業は、授業の構成、展開、発展課題などにおいてまだまだ改良する余地はある。しかし、四月から教師になったばかりのことを考えれば、十分に合格点を与えることのできる授業だったと言える。
そう、この授業は研究授業としても行われたので、私はそのあとの研究協議会の講師としても参加。改善のポイントを10箇所指摘。
◆
また、私が事前に用意した「文字の意識に関するアンケート」も実施してもらった。ざっと見た感じでは、大方予想通り。予備調査として行った部分もあるので、これを微調整して、中学校で本格実施。
中学校は、結果的に、中学校の1、2、3年の全てで実施できる」ことになったので、実に楽しみ。
それぞれの授業の指導案、実践記録、アンケートの集計を元に冊子にまとめるか、論文にするかなどをしていきましょう。
◆
まだまだ、亀との出会いから始まったこの授業づくりは、新しい展開も含めて、続いていきそうだ。楽しみ楽しみ。