義務教育で扱う問題だと思うのだ
義務教育で教えておくこと、または生徒が身につけておくことは何かって考える必要があるなあと改めて思い始めている。
学校教育法の二十一条には、義務教育が行う普通教育の内容について以下の要に述べている。
◆
第二十一条 義務教育として行われる普通教育は、教育基本法 (平成十八年法律第百二十号)第五条第二項 に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
二 学校内外における自然体験活動を促進し、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。
三 我が国と郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うとともに、進んで外国の文化の理解を通じて、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
四 家族と家庭の役割、生活に必要な衣、食、住、情報、産業その他の事項について基礎的な理解と技能を養うこと。
五 読書に親しませ、生活に必要な国語を正しく理解し、使用する基礎的な能力を養うこと。
六 生活に必要な数量的な関係を正しく理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
七 生活にかかわる自然現象について、観察及び実験を通じて、科学的に理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
八 健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養うとともに、運動を通じて体力を養い、心身の調和的発達を図ること。
九 生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸その他の芸術について基礎的な理解と技能を養うこと。
十 職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。
◆
因に、教育基本法の5条2項は、これ。
「2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。」
大筋でこの方向で異論を挟むことは無いと思う。これはこれでいい。しかし、この二十一条は、なんというんだろう、前向きというか攻めというか、そういうものに見える。
勿論、目標なんだからそういうように見えるというか、文言化するのかもしれないが、私にはそれは一面にしか過ぎないんじゃないかなあと思えるのだ。
たとえば、以下のようなものはどこで教えるのだろうか。何の授業で教えるのだろうか?
◆
1)お礼の仕方、謝り方
2)借金の仕方
3)保健所の活用の仕方
4)払いすぎた税金の取り戻し方
5)生活保護の申請の仕方
◆
他にも、名誉挽回の仕方とか、ひき逃げに合った時の対応の仕方とか、えん罪に巻き込まれた時の対処の仕方とかもあるかもしれない。
このような「身を守るため」に用意されているマナーや社会保障は、どういう授業で行われるのだろうか? 1)は道徳? 2)は家庭科? 3)は保健体育? 4)5)は社会科? よく分からない。これらは、教育基本法の5条2項のように、前向きに生きて行くことを求めているものではないので、教えなくていいのか?
義務教育は、可能か不可能かは別として、人生で生きて行くために必要な基礎の部分を教える教育だと考えている。それは、前に進む方法だけでなく、立ち止まったり、倒れた時に安全に倒れることのできる方法であったり、復活するまで倒れ続けていられる安心を手に入れる方法も含まれている必要があると思うのだ。
人生は、前向きでありたい。前進して行くものでありたい。誰も、没落して行くことを人生の目標として設定するものはいないだろう。しかし、前向きにならないときもある、なれないときもある。その時の対策としてセーフティネットが社会で用意されているのだとは思うのだが、そのセーフティネットを活用する方法が学習される機会が与えられていないのではないかと思うのだ。
◆
ここは、福祉ではなく、教育で扱う問題だと思う。
そして、義務教育で扱う問題だと思うのだ。
« 『わたしたちの「撮る教室」』 | トップページ | 醍醐寺 弥勒菩薩像 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント