こんな風になるとは思わなかったことが二つ。亀と諺です。
口の中がヒリヒリするのは治らないけど、まあ、いいでしょう。
風呂が沸くまでにちょっと。
1年間全体を振り返るのは、面倒なので(^^)、思いつくままに。
今年の最大は、何と言っても再現ですね。
こんな風になるとは思わなかったことが二つ。亀と諺です。
まず、亀です。
亀の甲羅が手に入ると言われて、本当かと思っていたのですが本当に手に入って、それを元に甲骨文字の再現をしたわけです。私にとっては恍惚でした。私が調べた限りにおいては、甲骨文字の再現をしているネット上の記録は、私がするまでにはありませんでした。亀卜の記録は論文にもありますが、甲骨文字の再現はありません。
ここからあれこれ始まったわけです。
授業化を想定していた私は、甲骨文字を甲羅に刻すのに彫刻刀では子供たちは大変だと言うことでミニルーターを手に入れてやって見ます。ところが、これでは歯が立たない。で、まあ、せっかくなのでと思って家にあった一升瓶に文字を刻して見たところ、これが非常に楽しい。結果的に一升瓶に般若心経を刻し、大学の書道展で展示してもらうことになりました。また、そこから、板ガラスに文字を刻すのもやり、蘭亭序の前半を刻し終えました。
さらに、そこから写仏の本に手を出し、ガラス板に仏を刻す「刻仏」なるものを創作してしまいました。渡辺徹さんには、「光の彫刻」とまで言っていただきました。
そして、ここに現役の学生と卒業生が関わって来ます。
現役の学生は、この亀の甲羅に甲骨文字を刻すと言うワークショップを某博物館で計画中です。また、卒業生の教員たちと一緒に、中高生に甲骨文字を刻す書写、書道の授業をすることを始めています。そのうち、高校では刻した甲骨文字の拓を取ると言うこともしました。来年は中学生に実施します。
私の方は、甲骨文字の再現のために京都の美術館を巡り、さらに東京の書道博物館、国立博物館に出向いて実物を見て目を肥やしていました。そして、京都のわが国最古に民間美術館の有鄰館で私が再現した甲骨文字が収蔵展示されることになりました。
亀からスタートした再現。最初に亀の甲羅を手にした時、まさかこんな展開になるとは思ってもいませんでした。しかし、これらは全て今年行ったものです。牛にひかれて善光寺参りではありませんが、亀に導かれて「わらしべ長者」のような気分です。
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次に、諺です。
もともと、諺は好きで、中学校の教員の頃から「ことわざでぽん」「ことわざスピーチバトル」「人生名言集」など諺で遊びながら言葉を学ぶと言うことはしていました。
大学でも、この延長であれこれやっていました。今年は、その流れに一つの山がきました。
小学校の3、4年生で諺を学ぶことになっています。小学校の教員を目指す彼らに諺の授業をしておきたいと思っている私は、色々と工夫をして見ました。
その一つが、去年から続けている、カルタの諺を写真で表現すると言うものです。今年は、さらにそれを発展させて5秒の動画で表現する「諺デジタル動画辞典」の作成に乗り出しました。
二回生ゼミで行ったのですが、ハマってしまった学生が今年も結構出て、卒論のテーマにしたいと思っている学生も数名でています。この実践は、日本デジタル教科書学会で発表できまして、さらに朝日新聞の記事にもなりました。http://withnews.jp/article/f0161022000qq000000000000000W03r10101qq000014184A
もう一つは、まさに再現です。「急がば回れ」を再現してみると言うものです。
滋賀に住まいするようになって、滋賀の歴史を勉強して見ました。
すると、「急がば回れ」は滋賀県の「諺」と言うことがわかりました。
しかも、私の住まいの対岸。
これは知らなかった。
実際にやってみたいと思ってあれこれしていたまま、10年が過ぎてしまっていました。
陸路は三回生ゼミのメンバーと一緒にやって見ました。
そして、水路です。
で、今年タイミングがうまくあってお世話になっているオーパルの中岡さんに協力を得て、実際に再現することができました。八月です。
琵琶湖の穏やかな風を受けながら、気持ちよく「急いで」見ました。陸路と水路とを両方とも再現することができました。これも記事になった。
http://withnews.jp/article/f0160816003qq000000000000000W03j10601qq000013857A
さらに、ここから新しいプロジェクトも動き出している。
幸せ。
さて、次は何をしようかと画策中。
◆
言葉って楽しいなあと改めて思う。
そして、その楽しさを学生に、学生が教師になった時に子供達に伝えていく。
そのための研究と授業を今年は一つの形にすることができた。
来年、これがどう言う展開をするのか実に楽しみ。
どちら様も、よいお年を。
小三治の「芝浜」を聞きながら。
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