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2016/09/09

新人の先生には強く言いたい。個人の連絡先は教えないこと。

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部活動に関わる中高の教員の悲鳴が上がり続けている。
https://twitter.com/i/moments/774139127612645377
ひどいと思う。

休日の練習に試合の引率もそうだが、特に、夜にもかかわらず自宅や携帯電話に掛かってくる電話に対応しなければならないことも、大きな問題だ。

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学校から部活動を一旦切り離して、指導が可能な先生は指導をすればいいと思う。私なんかは、帰宅してそのあと、自分が住んでいる地域の中学校でディベートの指導をするってのであれば、いいなあと思いずっと言ってきた。もちろん、そんなんで変わるわけもないが、言い続けてきた。

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で、部活動が学校から切り離されていない今、どういう対処が可能なのだろうかと考える。もちろん、新人や若手の先生にはやりにくいだろうが、それでも自分を守るためにはやるべきだと思うことがある。

1)自宅の電話番号、携帯電話の番号、自宅の住所、メールアドレス、LINEのIDなどは教えない

そんなんで仕事になるのか?
と思われるかもしれないが、考えてみればいい。上記の個人情報は基本的には勤務時間内には必要のないものばかりである。それを教えてしまうことで、教師のプライベートの時間を仕事に奪われてしまうことになるのだ。

新人の先生には強く言いたい。個人の連絡先は教えないこと。
学校に来る電話だけでも大変。
子供の命に関わる問題が発生したら、管理職から連絡が来る。
そこからでもいい。

2)もう、教えてしまった人、伝わってしまっている人

電話番号を変える。または、時間を決めてそれ以降は留守番電話にして、電話に出ないことを周知する。これだろうなあと思います。私は自宅の電話番号に、コレクトコールでわけのわからない電話が続いたことがかつてありました。コレクトコールだと、交換手は繋がないわけにはいかないので、掛かってくるのです。

これは大変だと考えて、電話番号を変えました。
一定期間、二つの電話番号を使い分けながら、切り替えることができました。それから学校の連絡網にも電話番号は載せませんでした。連絡網はPTAの連絡網ということにして、スタートも役員さんでやってもらいました。

もちろん、親御さんが電話で相談したいことがあるのはわかります。
そのために、私は自分の時間割を学級通信で公開し、授業のない「事務の時間」に予約をしていただければ、職員室で電話でも、面談でも引き受けますと連絡していました。通常の親御さんは、「先生にいつ電話していいかわからないことが多かったけど、この方が助かる」と言ってくださいました。

また、どうしても夜でなければ厳しいという親御さんには、もちろん、日時を設定して電話対応をしましたし、会うこともしました。きちんと線を引きながら対応していくことが大事だと思うのです。

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もう一つ、大丈夫なのかと思うことがあるかもしれません。それは、携帯電話がなければ部活動はできないのではないか?ということです。

私はできると考えています。
携帯電話がない時代にも、部活動はありました。
携帯電話があった方が、試合に行く時などは便利です。
しかし、本当にそれでいいのでしょうか?

携帯電話が必要になるのは、緊急の時です。遅刻とか。
あらかじめ、集合時間を設定し、解散時間を設定し、それを守れば問題ないはずです。遅刻などをなんとかカバーしようとして、生徒に電話番号を教え、その結果大変になっているのではないでしょうか。

遅刻をしたら、試合には連れて行かない。

それでいいのではないでしょうか。
その方がよほど教育的ではないかと思うのです。

また、どうしても連絡の手立てが必要だというのであれば、例えば、サイボウズライブのようなシステムを使って、連絡系統を確保しておけばいいのではないでしょうか?
https://cybozulive.com/login 

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部活動が学校から切り離されるまでは、こうして自分の身を守るしかないのではないかと私は考えています。

『魂の退社』(稲垣えみ子 東洋経済新報社)を読み終えた

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『魂の退社』(稲垣えみ子 東洋経済新報社)を読み終えた。

私の敬愛する元校長の蛭田先生は、ご退職の時
「池田さん、退職というのはね、職業人としての死なんだよ」
とおっしゃっていた。その時は、なんだかよくわからなかったが、10年前に中学校の教師を辞めた時、この言葉を思い出した。

幸いにしてこの退職は、大学への転職ということとなり、死と再生を1日で行うことができ職業人としての死というのはあまり実感しないでいた。

しかし、そろそろ残り時間が気になり始めている。まだまだではあるが、20代の時とはまったく違う感覚があるのは事実。

『魂の退社』の著者の稲垣さんは、朝日新聞の社説を書き、エッセイなども書いていた人。アフロヘアの新聞記者といえば、それはそれで有名だからわかるだろうか。

本書は、なぜアフロヘアにしたのかの話から始まり、実は、そこから退社への道がいつの間にか出来上がっていき、会社を辞めるということはどういうことなのか、仕事とはどういうことなのか、お金とは何なのかなどを実体験に基づいて考察しながら書いている本である。

会社に社会保障の部分は任せっきりで生きてきたため、世の中の仕組みなどに関して、そんなことも知らないの?と私でも突っ込みたくなることが満載でもあったが、それを隠さずに書きそこから社会の仕組みの歪みの部分を明らかにしているのは、面白い。

「会社は修行の場であって、依存の場ではない」
という考え方にたどり着くまでの、変遷を書かれています。これは、新入社員の時代に読み、その後40代で読み直すといいんじゃないかなあと思う本でした。

『魂の退社』となっていますが、実は『魂の代謝』と掛けているのかなあとも思った次第です。

よかったです。

『子どもの頃から哲学者』(苫野一徳 大和書房)を読み終える

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『子どもの頃から哲学者』(苫野一徳 大和書房)を読み終える。

若き哲学者、苫野一徳さんの半生を振り返りつつ、哲学との出会い、哲学との格闘、哲学による救済をユーモアたっぷりに書いた本だと言える。

このユーモアは、潜り抜けてきた人にしか書けないユーモアだなあと思う。また、潜り抜けてきた人が読めば、単なる笑いではなく、読者のヒリヒリとした悲しみの傷跡を思い出させる笑いだということがわかる。

本書は、苫野さんが哲学を通して死と再生を繰り返しながら成長していった記録である。成長の過程で出会う哲学者の考えによって、苫野青年は、魂の死と再生を繰り返す。その記録は、哲学の紹介にもなっている。また、後期青年期の発達課題へのヒントにもつながっている。

音楽、宗教、哲学と変遷を経ながら、承認欲求という人間の根っこにあるどうしょうもない業を受け入れていく、乗り越えていく様子が描かれている。

生物学には、「個体発生は系統発生を繰り返す」という仮説がある。この本を読んでいると、それは精神にも同じことがいえるのではないかと思える。

ストア主義から始まる承認欲求への解答のあり方は、ヘーゲルを通して学べ、デカルト、カント、フッサールなどを経ながら、相互承認へと導かれていく。この流れの中に苫野少年、青年は「個体発生は系統発生を繰り返す」ように成長していく。

実を言えば、私だって多少はここに描かれている悩みや苦しみを少年、青年時代には体験している。しかし、私は哲学に向かわなかった。教育に向かった。教育実践に向かった。
(それはなんでだったかなあ)
なんて思いながら、読み進めた。

青年期に突入する若者も、青年期を終えた若者だった者にも、おすすめである。

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