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2016/12/03

問いの外に出る

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今週の二回生ゼミでとてもエキサイティングなシーンがあった。

二回生ゼミでは、テキスト購読と議論と議論のためのファシリテーションの体験を目的として行なっている。
学生たちがチューターとしてファシリテートするのだが、まだまだなので、ときどき私が「ガイド」をする。学生たちには『このガイドが要らなくなるように、勉強するんだよ』と伝えてある。

教師のファシリテートが不十分なため、学習者の議論ができない、深まらないことがある。学生たちはファシリテートのことなんて知らないので、そのことをタイミングを見て、進行を止めてガイドしたり、注釈を入れたり品が行なっている。

今日もチューターが、発表の部分をまとめてそこで討議したい問いを提示した。この問いが、よくみるとクローズドクエスチョンであった。
その時に、端っこの班から賛成か反対かを聞いて、その理由を確認していた。
その時、ゼミでは他のグループは自分の話すのをやめず、議論をしていた。
私はこのタイミングで、ガイドに入る。

『いま、この班が発表しているのに、他の班で話しているところがあったでしょ。「こら、話をするな。聞きなさい」と叱ることもできるけど、それは私に言わせれば先生が悪い。そういう展開をしてしまったからだ。

例えば、一斉に賛成なのか反対なのかを挙手で答えさせ、その後、同じ意見同士のメンバーで席を移動して話し合わせるとどうなるだろうか。全員が手をあげることで主張をし、その後、グループで議論をする。無駄に話す人はいなくなるわけだ』

とガイドしてその方法でやっていく。実際にやって見ると学生たちはなるほどと実感する。

ところが面白い学生がいた。賛成でも反対でもないというのだ。一部分が賛成で一部分が反対。または、選択肢が別にあるかもしれないというのだ。

『いまの問いは非常に良い。つまり、そもそも提出された問いを疑っているということだね。賛成か反対かと言われると、つい、どちらかを選びたくなる。しかし、これを哲学者の苫野一徳さんは、「問いのマジッック」と言っている。実際はどちらもであったり、別にあるかもしれないのにそう考えてしまうというのだよ。

ところが、きみはその問いの外に出た。
これが大事なんだ。外側に出た結果、実は出たことが間違っていることもある。しかし、出ることができるかできないかはとても大事なことだ。

いままで君達は、大学入試で、いやこれからの採用試験でもそうだが、選択肢が4つあったらその中から正解を1つ選ぶという試験をやってきたしやっていく。早く正確にその選択肢の中から選ぶわけだ。しかし、選択肢の中に正解がないということも世の中にはある。問いの外に正解がある場合があるわけだ。

問いの外側に出ると、通常の学校教育では、先生に嫌がられることが多い。先生の持っている正解とは違うところに話が進んでいくことになるからだ。しかし、本当にしっかりと考えて教えることのできる先生は、外に出た答えが正しいかどうかを子供達と一緒に吟味するだろう。君達にはそうなってほしい。

また、勇気を持って君達も一旦、問いの外に出て考えて見ることを体験しよう。学問は、そうやって問いを立てては検証しとして前に進んでいく。いま、それを見ることができてとても嬉しいなあ』

そんな話をした。

そして、今日の授業の最後。残り2分。どうやって終わらせるかチューターは混乱していた。意見がまとまらないのだ。そこで最後のガイドが登場。

『いまから、三つの終わり方を示します。1)先生の答えを正解として示して終わる。2)学習者の多数決で答えを決める。3)そのままで終わる。さて、どれでしょう』と挙手させたところ、2)がほとんどで残りが1)。『私ならね、学習者の年齢にもよるけど、3)です」
「ええーー」
『正しい知識を教える場合は、1)でいいでしょう。しかし、議論の場合は1)はだめ。2)も少数派になった学習者は不満になる。次の学習の意欲はなくなる。3)は、そうね、自分の考えをノートに書いてあることが前提だけど、そのまま終わらせます。

特に今回は、まだ読んでいくテキストがあるからね。読み進めた結果、あれはどうだったのかとわかることもたくさんある。無理やり結論を出すことはしないで、わからないまま残すという読み方も大事なのです』

そう簡単にわからないこともたくさんある。それを分かったつもり、分かった気になって読み進める方がよほど怖い。そんなことを学生たちが実感してくれるといいなあ。

もう少し自分の違和感を大事にしたらいいのになあと思う

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もう少し自分の違和感を大事にしたらいいのになあと思う。みんなと違う感覚を持つのは悪いことではない。法律を守らないのとは違う話なのだ。‬

‪他でもないあなた自身が
(コレは何か違う)
とメッセージをあなたに送って、贈っているのにそれを受け取らないのは、検証しないのも実に勿体無い。‬

学年旅行とかいうものは、今でもあるのだろうか?

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学年旅行とかいうものは、今でもあるのだろうか?

私が現場にいた時も、ある学年はあった。毎月1万円ぐらい貯金して、年度末に豪勢に近隣の外国に二泊三日ぐらいで行こうなんて企画されたこともあったし、やっている学年もあった。

私は、これがダメだった。

毎月1万円であったら、10万円を超える。そんな金額で旅行を学年の先生たちと二泊三日でいくとは考えられない。それだったら奥さんと行きたい。一泊二日で豪華ホテルでディナーの方がいい。

さらに、小さい子供がいる女の先生にとって、何かあった時にすぐに家に帰れるというのは大事なこと。海外にいたらこれは無理。かつて飛行機トラブルで始業式に帰ってこれなかった学年もあったぐらいだし。

そこで、私が提案したのが職場の近くにあったログハウスでの学年旅行。学校から車で30分ぐらいのところにあるところでやった。ここなら、何かあった時にすぐに帰れる。アルコールは我慢していただくしかないが、参加できないよりはいい。

その学年は、私の他にもう一人、先輩シェフがいた。

いつも職員室でお互いが作った料理の話をしていた。日頃、深くお世話になっている女性陣にお礼をしようということである。

そこで、こういうことにした。

1)前菜は私が作り、メインは先輩シェフが作る。

2)料理を作っている間、女性陣にはジャグジーで寛いでいただく。

3)食材は途中にあるスーパーで購入を基本とする。ドルチェは買っておく。

4)飲み物は、ビール、日本酒、ワイン、ソフトドリンクとし、どうしても飲みたいものやどうしても振る舞いたいものは持参のこと。

5)苦手な食材があれば、あらかじめ伝えてもらう。

これが実に楽しかった。

『こちらが本日の一品めです』

なんて言いながら、サービスする。

日頃の腕を振る舞うのが楽しい、男性陣。振舞われるのが嬉しい女性陣。

男性陣がジャグジーに入っている間に、片付けはしてもらった。

確か、ログハウスのレンタル料を含めて、一人15000円ぐらいだったと思う。

薪ストーブに薪をくべながら、

「色々とあったけど、いい一年だったねえ」

と語り合う学年旅行でした。

あまりにも良かったので、翌年もやりました(^^)。

2016/11/30

三十三間堂 風神像 刻仏

ガラスに、「三十三間堂 風神像」を刻仏してみました。

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