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2016/02/06

しかし、書かねば力は付かない

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最近のいい実践記録を学生に読ませたいのだが、これが見つからない。いい実践記録というより、実践記録そのものがない。これはどういうことなんだろうと思う。

実践記録の本は、出しても売れないというのを聞いたことがある。だけど、売れようが売れまいが、実践記録を書いている先生達は居ると思うのだが、見掛けない。

書いて入るのだが、個人情報の取り扱いが厳しくなったから、公表しないのか? それならいいんだけど、書かないでいるのだとすれば、それは結構由々しき問題だと考えている。

私が学生の頃、20代のころはそれこそいい実践記録があって、それを読みながら勉強した。私もサークルに自分の書いた実践記録を持っていって分析してもらっていた。学級通信をあちこちで読んでもらっていた。

教育は、文脈の中で行われる営みである。

だから、実践記録の中に教育は現れる。

さらに、教師という仕事は、自分で自分を育てることが必要になる仕事である。教室に行けば、自分が一番になる。だから、その授業をダメだししてくれる人はいない。教室の後ろに恩師が立って見てくれるわけではないのだ。授業が上手く行かなかったとき、子どものせいにして終わらせることも出来る。そうやって自分を甘やかして行きていくことも可能だ。だから、自分で自分を律して、自分で自分に突っ込みを入れて育てることが出来ないと、成長しない。

で、これがなかなか難しいから身銭を切ってサークルや研究会に出掛けていって、自分を鍛えようとするのだけれど、その基盤として、実践の記録を書いているかどうかが大きい。書くことによって、自分を客観的に見ることが出来る。足りなかったところが分かるようになる。振り返りが出来るのだ。

教育のネタも技術も必要だ。

だけど、それが教育の目的になるのは、おかしい。

それは実践に生かされてこそのものである。

そして、その実践の記録が残されて、教師の力量は高まっていく。

読むことが少なくなった教師。

書くことはもっと少ないかもしれない。

しかし、書かねば力は付かない。

読む → 実践する → 書く → 批判される → 読む

この流れに自分の身を置いて、渦巻き上に力量を高めていく。

これが教師になって三年以内にできれば、あとはこれが良い習慣になって10年目が楽しみ荷の先生になる。

いい実践記録があったら、教えて欲しい。

2016/02/03

富山行きの一泊二日

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門島さんにお呼ばれしての富山行きの一泊二日であった。

学力向上に関する研究集会の講師としてお話をしてきた。

年齢のせいか性格のせいか、人前で上がるということは今の私にはほとんどない。今の自分以上のものを無理矢理見せて、格好をつけようという気持ちがないから、上がりようがない。

ただ、人に呼ばれた時は、やや緊張する。

もし、うまくいかなかったら私を呼んでくれた人の顔をつぶすことになる。顔をつぶすなんて言い方は、いかにも日本人的だなあなんて子供の頃は思っていたが、今になってみると確かに顔をつぶすだなあと思う。

だから、最低限呼んでくれた人の顔をつぶさないようにしなければと思い、やや緊張してやることになる。幸いにして、笑いも多く出たしタスクは果たせたかなあと思う。

夜は懇親会で魚料理を楽しむ。

いいなあ。

こういう魚が食べられるところに住むってのは。

市場に行って、雑魚の魚を手に入れてあれこれ作るだろうなあ(^^)。

ゆったりしたお風呂のある宿に泊めていただき、翌日は楽しみにしていたイタリアンのランチである。本当は、落合シェフのラベットラの富山があるので、そこに行く予定であったが、なんとこの日が特別の休日。悲しい。

だが、その落合シェフと一緒に仕事をすることのあるシェフがいるお店があって、そこに行くことになった。門島さんの知り合いのお店。これが抜群であった。私は日頃、明るいうちはアルコールは飲まない。また、ワインも滅多に飲まない。だが、一品目を見たときに

(あ、これはワインが欲しい)

と思ってしまった。

そこからは美味しいワインを楽しみながら、料理を堪能した。

一品、一品が実に美味しいのだ。

特に塩加減。

(ん、少し足らないのでは?)

と思える塩加減なのだが、すべて食べきるとちょうどいい塩加減になっているのだ。素晴らしい。

で、食事の最後にシェフがテーブルに来てくれてあれこれ話した。衝撃的だったことが一つ。嬉しかったことが一つ。

衝撃的だったこと。

なんと、シェフはどこぞのお店に入って修行したことがないというのだ。イタリアの旅と食べ歩きとYouTubeをもとに自分で勉強したというのだ。すごい。

友人の若手マジシャンである彼もYouTubeでマジックを勉強し、マジックの師匠はいないというのを聞いて驚いたが、イタリアン料理でもそうなのかと思った。

教育もそうなる人が出てくるんだろうなあという予感がした。リアルで誰に習うというのはなしで、YouTubeやインターネットで勉強をして実力を身につけるという人が出てくるのだろうなあと。

衝撃的ではあるが、実はこれは王道なんだということも知っている。要は、YouTubeに私淑しているわけだ。確か、中野孝次先生もおっしゃっていたと思うが、勉強は、最終的には独学に至ると私は考えている。自分で考える人だけが、人生を創造していけるとおもっている。

そしてそのシェフが私の料理の写真を見て、きちんと評価してくれたのが嬉しいのだ。

「プロ並みですね。特に照明」

と。

嬉しいなあ。iPhone6で撮影しているのだが、実は照明はかなり気を使って工夫している。その工夫をきちんと理解してくれたのが、実に嬉しかった。プロにそれが伝わったのが嬉しい。

構図、照明、シャッターチャンス。静物を撮影するときも、この三つはとても大事になる。それが伝わったのが嬉しいなあ。

思わず、

『ここに日本酒をおいてください。オススメは、○○です』とプロに対してお願いしてしまった。シェフは、すぐにネットで調べて「これですか?」と確認してきた。さすがだなあと思う。

門島さんによれば、今年、また何か講座を企画して富山に呼んでもらえるようなので、その時は、ぜひ、ディナーも堪能してみたい(^^)。

なんだか、私が提供する講座よりも、たくさんのものを頂いた富山への一泊二日であった。ありがとうございました。

2016/02/01

一番いい根拠

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子供は10歳を過ぎると、人間は行動の理由を求めるようになります。「いいからやりなさい」が通用するのは10歳前後ということです。ですから、中学生以上は、指示をする根拠が子供達に届かないと、納得して動かないということなのです。なぜやるのか、何のためにやるのかがわからないと動かないってことです。

しかし、一つ一つの行動の根拠を説明するのは大変でめんどく臭い。また、説明したところで、子供の経験では理解できないこともたくさんある。

だから、一番いい根拠は

(あの先生が言うんだから、何か理由があるに違いない)

と子供達が思うようになることです。つまり、その先生の人間としての信頼が根拠になるわけです。

そうだとしたら、教師は人間性を磨き続けなければならないのです。子供は、言語化することなく、直感的に

(この人は大丈夫だ)

と見抜きます。また、

(この人はダメだ)

とも。

人間性を磨く。とても大変で面倒くさいことではありますが、ここができていれば教師の仕事はとてもスムーズに進むことになります。大変ですが、ここは避けて通ることのできないところだと思います。

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