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2016/02/11

菊の花の美しさを真に味わうのは

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この菊の花を子供と置き換えれば、まさに教師のことを言っているのだと思える。
その上で、さらに言えば、教師は美しく「咲いた」瞬間の子どもたちを見ることは出来ないかもしれない。菊は多くの場合一年草だ。一年手間をかけていけば答えが出る。しかし、子どもたちは一年草ではない。
一年間で咲く場合も当然ある。しかし、咲かない場合もある。人間とは悲しいものでその人間である教師は、この一年の間になんとか、自分で「咲かせたい」と思ってあれこれやったりもする。しかし、その結果花をダメにしてしまうこともあるのだ。

一年間は、学校の単位。社会の単位。
しかし、子供にとっては人生の一部であって、一年ごとの結果を出す時間ではない。出てもいいのだが、出なければならないというものではない。

三学期。
無理に出す必要はない。
その子が、成長していれば自然に花は咲くし、咲かないようであれば、それは咲くための手入れの時期なのだと思って、手入れをする。あとは、来年度以降の先生にお任せすればいいのだ。

そして、その花が見事に咲いた姿は、心の中で愛でるのがよい。
花は、無理矢理咲かせてはダメだ。花は咲く力を持っている。
その手入れをし、咲くのを待ちたい。

ポール・ポッツ

https://www.youtube.com/watch?v=PQ6HTz-PcpM

時々思い出したように見る。

逆転の人生なんてそうそうあるものではない。

意識して下積み、修行ならまだわかる。

しかし、思うようにならない人生の中で、これだけはとやっていたんだろうなあ。

そこの部分の情念を感じさせず、ただ、歌う。

声ってのは、凄い力だなあと思う。

ちなみに、決勝はこちら。

https://www.youtube.com/watch?v=QrqUUcGAZyE

2016/02/10

(これは走れるかなあ)

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今日は娘の学校のマラソン大会。インフルエンザ明けの娘。マラソンの練習がほとんどできなく体調も万全ではなかった。朝から咳も出て

(これは走れるかなあ)

と思ったのだが、本人が頑張ると言うので応援してみた。

結果は、残念ながら去年の成績よりも悪く本人はゴールした後、泣いていた。10番位悪かったかなあ。でも、いいんだよそれで。体調が悪い中頑張ったんだから。人生は大変なこともある。全部が全部思う通りにうまくはいかない。それを体験することも大事なことだ。

最後まで歩かないで走り切れたと言うだけで、とても素晴らしい。来年は、まずは体調整えて、さらに練習をして取り組みましょう。ご苦労様でした。

追いかけるな

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中学生の頃。ラジカセが我が家にやって来た頃。いわゆるエアチェックをしていた。学校で友人とテープを交換すると、恐ろしいことに、録音してある音楽とその順番が同じであることはけっこうあった。

聞いている番組が同じだから音源も順番も同じ。いまのようにあちこちに音源があるわけではない。だからそうなっていた。

「電リク75」なんて番組があって熱中して、聞いていたなあ。新しい曲が出ると、いち早く覚え、いち早くギターコードを探し、弾けるようになろうとしていた。

が、いまではほとんどそういうのは無くなったなあと思う。勿論、教育、研究関係の動向は一応気にするけど、それよりも自分の興味を追いかける方が圧倒的に面白い。

追いかけるな。

でも、追いかけるのであれば、自分の興味や引っかかりに就いてであろう。

自分はなんでこんなものに興味があるのか。それが分かるのもの面白いし、その追いかけていたものの正体が分かるのも面白い。

その自分の興味に従って動いている時に、出会う仲間はとても楽しい。強制もなれ合いも押しつけもない。楽しみだけがある。これが人生の楽しみだなあと思える。

2016/02/08

美術館に来ると

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美術館というのは、良いなあ。当たり前だが非日常に自分を置いてくれる。

だけど、これを作り続ける人というのは、いつも非日常に身を置くわけで、大丈夫か?と思ってしまう。

生活ができるかどうかわからないものに、自分を自分の人生。投げ出してしまうわけで、それはすごいなあと思う。

美術館に来ると、

(私は何かとんでもない間違いを犯しているのではないか?)

とか

(まだ気がついていない、重大な真実がゴロゴロあるんだろうなあ)

とか思ってしまう。

それを感じると辛いんだけど、一方で気持ちがいい。いい時間だ。

私のような人間には、これからの大学受験は厳しいなあ

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私のような人間には、これからの大学受験は厳しいなあと思うのだ。goal orientedであることを求められるのだ。

私は自分が興味のあることに向かってあれこれやって行きて来た。マンガ、料理、音楽、書道、剣道、写真、能楽、オフロードバイク、スキューバダイビングなどなど。
仕事は教師をしているが、さて、これが教師になるためのキャリアの積み方かと言えば、疑問である。うーんと結果的に言えば、教師になるためのキャリアの積み方であったと思うが、問題はそれを意図的にはしていないということだ。
野口芳宏先生は、経験は意図的に積み上げよと言われる。言われる意味は分かるのだが、私にはできないなあと思うのだ。
私はcuriosity drivenで生きて来た。好奇心に振り回されながら行きて来た。統一性を考えてやってきたわけではない。ただ、教師になったのであれこれの好奇心は、意味を持ったのだ。
「修、音楽なんてやったって、何か将来意味があるのかねえ」
と母親に言われたことがあるが、それを言われたとき
(本当に、そうだよなあ)
と思ったのだが、教師になったらギターが弾けて歌が歌えるってのは意味があるようになる。また、子供の頃からさせられたいた料理はいま、大学のゼミで親睦を図るのにはいいし、ステージを撮るために増感現像とかを覚えて自分で焼き付けまでやっていた写真は、子供の様子を撮影するのにとても役になっている。
結果的に何かに役に立っていたということは沢山ある。
しかし、それは自分の中に溜め込まれていたものを、(あれ、これ使えるんじゃないか?)と取り出して加工して使っていったのだ。
しかし、計画的ではない。
だが、これからは計画的に青春時代を過ごさなければダメだとうい。
(ああ、私にはダメだろうなあ)
と思うのだ。
しかし、私のようなcuriosity drivenで行きていく子どもたちはこれからも居るだろう。さて、そういう子どもたちにはどういう進路指導をしたらいいのだろうか?
一つは、やりたいことをやりきって、その先にセカンドキャリアを考えるような準備をさせるであろう。スポーツ選手のイメージだ。プレーヤーとしてやった後に、指導者になるかまた別の仕事をするのかを考えさせておくと言うものだ。Jリーグはこの指導をしているはずだ。
考えてみれば、相撲界はこれだ。協会に残れるのはほんの一握り。だから、残れないことを前提にして考えなければならない。おそらく、ちゃんこ屋はそのソリューションだろう。若手に料理を作らせるのは、引退後にちゃんこ屋を開くための技術を身につけさせてもいるのだろう。
もう一つは、自分のキャリアをまとめあげる力を育てるであろう。あれこれやってきたのは、実はこういう理由があったのだということをメタで見つめて、それをストーリーに繋げる力を育てると言うものだ。
スティーブジョブズの「点を繋げ」というあのスピーチである。
自分がいまなぜこれをしているのかなんて分からないことが多い。後になって、ああ、あれはこんなことを迎えるためにやっていたのかあと振り返る時に、やっていたことの意味は分かるんだと思う。
計画的に人生を組立てていく、経験を重ねて行くというのは、それはそうなんだろうけど、できない人にとって、辛いなあと言う思いだ。
もう少し考えよう。

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