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2016/03/04

そんな色々な顔が

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物いわぬ四方のけだものすらだにも哀れなるかなや親の子を思う 

源実朝の歌を出すまでもなく、親は子を思う。色々な事情でそれが厳しい親もいなくはないが、多くの親はそれを思う。内田樹先生がおっしゃった「子どものためになら死ねる」「子どものためには死ねない」という不条理の中にいながら、親はこのことを思う。

教師も子どものことを理解しようと思う。中には、親以上に子どものことを理解していると思う若い教師もいるだろう。しかし、それは違うと思ったほうがいい。子どものことを思う気持ちを親と競ってもしょうがないのだ。役割が違うのだから。

親は、生まれる前から子どものことを知っている。母親の胎内に抱かれている時間から、いやその前の授かりたいと願っている時から知っている。教師が知れるのは今とその前後数年だろう。だから、そこで競っても仕方がない。

ただ、教師が親よりも子どものこと知ることがある。それは、集団の中にいる子どもの姿。特に、学校の集団の中にいるときの姿だ。これは、親にはわからない。または、とてもわかりにくい。教師はこの情報を集め、親に提供したい。

子どもは、親の前と教師の前と仲間の前では見せる顔が違う。それが当たり前。状況に応じて振る舞い方が違うのは当たり前だし、そのように育てるものだ。「お家と外では違うの」と。だから、学校の顔ができる。その顔を、親に知らせてあげるのだ。

もちろん、学校と言ったって、好みの教科かどうかで例えば、体育と算数の時の顔は違うし、活動の掃除と給食の時の顔も違う。好きであろうクラブ活動と休み時間の顔も違うだろう。

そんな色々な顔が、通信簿の所見欄に書かれてると親は嬉しいものだ。一年の締めくくりの通信簿作成の時期の先生方へのお願いだ。

2016/03/01

文章は待てど暮らせど、一文字も増えない。

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今日はいい日だった。
間に合うかどうかギリギリでダメかもしれないと何回か思ったことが間に合った。

当たり前だけど、一足飛びにできるものなんてのはないんだよなあ。とにかくやって、それを見てもらって意見をもらって、修正しての繰り返し。

この中で「とにかくやって」というのが一番難しい。
(こんなレベルでいいのか。いいはずがない)
と思いながらも、でもドラフトで、6割の完成度でいいから最後まで書き上げる。そして、そこから磨き上げていく。

最初に書き上げた時は、その出来の酷さに涙するのだが、そこを耐えて磨き上げに向かう。その時
(間に合うのか?)
と思うのだが、思っていたところで、それは完成しない。

相手が子供であれば、待っているうちに勝手に成長してくれることもあるが、文章は待てど暮らせど、一文字も増えない。頭の中でイメージはあるのだが、それが文字となって出てくることはない。

ただ、ひたすら書き、それを推敲し続けていく。

この作業が本日の締め切りを持って、ひとまず終わったのが嬉しい1日でありました。締め切りに間に合って本当に良かった。

各方面に助けていただきました。ありがとうございました。

たぶんそれが、勉強から学びへのシフトになるのだと思います

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塾の講師をしていましたから、分かるには分かるのですが、ダメだなあと思うのが、現行の入試の解法のテクニックです。

曰く、
「みんなができるところから解き、できないところは後回し。みんなができるところを落とさず、できないところを少しでも頑張って、満点ではなく、合格点を目指すこと」
というものです。

受験テクニックとしてはまさにその通りです。
しかし、ここには大きな問題が潜んでいると思うのです。

人生は、みんなができるところをやっても意味がないということです。コモディ化が激しく進む今の世の中で、みんながやれるところはコンピュータが取って代わる仕事になるでしょう。

一部の人類は、やってもやってもダメなことをやり続けてきました。おそらく、それをやり続けてきた時に、運が味方して結果が出たのだと思います。

空を飛ぶまでに、何人の人が死んだのでしょうか。
でも、飛びたいと思い挑戦してきた結果、人類は月にまで行けたと思うのです。

だから、せめて大学受験が終わったら、合格点を取る人生ではなく、他の人がやっていなくて、なおかつ自分に興味があるものを見つけ出し、そこに自分を投げ入れることを勧めたいと思うのです。

他の人がやっていることは、コンピュータでもできるようになる。ここがポイントだと思っています。

でも「せめて大学受験が終わったら」というのは、今の高校生ぐらいまででしょうねえ。その下の世代は、今からそれを始めるべきだと思います。

たぶんそれが、勉強から学びへのシフトになるのだと思います。

2016/02/29

利き酒

Kiki

先日生まれて初めて「利き酒」というのをやってみた。
私は、「キキザケ」と発音していたが、講師の先生は「キキシュ」と発音していたのが気になったが、まあ、それよりも何よりも面白かったので書いておく。

今回の方法は、手前に置いたイロハのお猪口に、それぞれ違う日本酒を入れて味わい、その後、奥にあるABCに入っている日本酒とどれが同じかを当てるというものである。これが基本的なルールである。

今回は、イが純米酒、ロが普通酒、ハが大吟醸酒と事前に知らされてのものであった。飲んでみるとその通りの味で納得。最初から大きなヒントをもらっているので、わかりやすい。
「それぞれの味の特徴を言葉でメモしておいてください」
と講師に言われたので、その通りにする。

また、
「それぞれがどんな味なのかは、口にして離さないでください。周りの人の先入観になってしまいますから」
と注意があったのだが、対面に座っていたおばさんが、これが話すこと話すこと(^^)。隣のおばさんに「話しちゃダメよ」と言われても全く効き目がなかった(^^)。ま、仕方がない。
水を含み、口をさっぱりさせながら味わって味を覚える。

次に、ABCの酒を飲みながら比べることに。
ここで講師から突然

「今日のみなさんは結構飲めそうなので、イロハにお酒が残っていたら、一つのお猪口に一緒にしてください」

との指示。これで後で確認することができなくなった。難易度が上がった。
やや緊張しながら利き酒をしたが、まあ、大丈夫であった。日頃の訓練の成果が出たのであろう、まず間違いないと思われる判断ができた。

他の方がまだ悩んでいる間に、講師の先生に利き酒の歴史などを聞く。お酒の比較などは日本酒の種類が揃わないとできないので、江戸の末期ぐらいからではないかと教えてもらったが、後で調べてみたら、なんと『日本書紀』に利き酒の記録があるという。
はあ、すごいね。ディベートも日本書紀にあるし、利き酒もあるか。恐るべし、『日本書紀』。

で、さらにここで講師の先生から提案。

「今日は、皆さん和気藹々とされていますので、答えを発表する前に、グループの中でどれがなんのお酒かを語ってみてください」

とのこと。

をを、まるで「たほいや」ではないか。さらに、「ゴチバトル」「芸能人格付けランキング」「食わず嫌い王選手権」に通じる。いや待て、「たほいや」以外は日本の食べ物に関するゲーム。これは逆で、利き酒がルーツになって、「ゴチバトル」「芸能人格付けランキング」「食わず嫌い王選手権」が開発されたと言ってもいいのかもしれない。

で、発表。
お陰様でフルマークでした。
利き酒は、「ゴチバトル」「芸能人格付けランキング」「食わず嫌い王選手権」などのゲームのルーツかもしれなくて、大人の遊びとしてはとても面白いものでした。難易度の調整などが結構できるのも、ゲーム性を高める工夫があるなあと思いました。

ちなみに、利き酒の時にどんどん飲んでいた人は外れた人が多く、話してしまっていたおばさんも外れていました。ここはやはり少量をじっくりと利くのが大事なんだということがわかりました。

明日の教室の懇親会などでやっても面白いなあ。
大人の遊び。いいねえ。

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