ヒドゥントレーニング
ヒドゥントレーニングって言葉はあるのだろうか? 気がついたらトレーニングしていた、されていたというもの。グーグルで検索する限りでは無いようだが、実態としてはあるように思える。
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朝風呂で髭を剃ろうと思ったら、鏡が曇っている。
手に残ったシェービングクリームで鏡を磨いて、手桶で鏡にお湯をかける。
ま、たったこれだけのことなんだけど、私はちょっと工夫する。鏡の下に桶を置くのだ。そうすると、鏡を伝わって来たお湯が、桶に溜まる。その溜まったお湯で髭を剃った後のシェーバーを洗うのだ。
そうるすと無駄がない。
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「いや、そんなこと節制しても大したコストダウンにはならないでしょう」
ということを言われるかもしれない。
確かに、大した節約にはならない。
だけど、本質はそういうことではないと思っている。
大事な点は、こういうところに工夫する点はないか?と考えることだと思っている。そういう考える癖を身につけいくこと。そして、それを実行すること。小さなものでいいからこれを繰り返しやることだと思っている。
つまり、問題発見、解決プラン作成、実施、評価である。日常生活でこういうことをしているかどうかってのが、大きな事案に対してのトレーニングになると思うのだ。
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目に見えるコストが大したことがないからとやらないのは、ヒドゥントレーニングをやっていないことなんだと思うのだ。
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