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2017/05/30

小学校一年生の子どもの書いた詩を読解した

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2013年5月30日 ·

(長文注意。ま、いつものことですがf(^^;)

今日の二回生ゼミは、下記の小学校一年生の子どもの書いた詩を読解した。
発表者は三番手。三人でこの詩を読み込んで、ゼミ生相手に読解の授業に挑戦であった。

ともだちってすごい 
          一馬

1. きょう ともだちから でんわがあった
2. 「しゅくだいしてから いくし まっててや」
3. とゆわはった。
4. 「ふん。」
5. とゆった。
6. ともだちって すごいなあ。
7. ぼくはダメダメ、
8. ぼくはぜったいダメダメです。
9. ぼくは
10. おかあさんがしゅくだいしいやとゆったけど
11. ぼくは しなかった。
12. ともだちはえらいねえ、
13. ぼくも がんばろっと。
14. おかあさんが
15. 「ぜったいダメな人間なんていない。」
16. とゆった。
17. ぼくもがんばる。

目的は、「この詩を通し、一馬くんの変化や成長を意識し考えるように指示する」である。勿論、これは授業の後に指導。「この詩を通し、一馬くんの変化や成長を理解し、説明できるようになる」に変更。そうでなければ、授業が成功したのかどうなのかが判断できない。

発表者たちの最初の発問は、4.行目にある「ふん」である。

「一馬くんの「ふん」と言う言葉の裏について、そのままの位置でまずは自分の意見を考える」その後グループディスカッションへとというものであった。ここでいう「裏」とは、真意のことであろう。ファシリテーションの本を紹介してあげたのだが、自分たちで買って勉強をして挑戦していた。それはよし。

だが、発問の後、ゼミ生の発表を聞き取りながら説明するその言葉が、自分の考えの巧妙な押しつけであり、本文そのものに根拠を求めた言い方ではなかった。私はそこでストップを掛けて、

『で、本文のどこにその根拠があるの? 言ってないでしょ? 敢えて言えば、根拠は私でしょ。それだったら、子どもが、「ぼくはこう思う」と言われたら、どっちも根拠が本文に求められていないと言うことで、同一の次元になってしまう。そう言うとき、多くの先生は「ま、◯◯くんの考えもいいと思うけど、これは先生の考えが良くない?」と他のクラスの子どもたちに同意を求めて、根拠なしのままで先生の意見を押し付けるという授業になってしまいがちなのだよ。本文に根拠を求めよ』

何回もこれを言う。

『私が授業者なら、この「ふん」は次の4つのうちのどれでしょうか? 1)怒り 2)驚き 3)ねたみ 4)尊敬として、選ばせたな。先ほどの君たちの発問は、どうでしょうか?というもので、これはオープンエンドと言う質問の仕方。簡単に言えばどうでも答えられてしまう。私のはクローズドエンド。ま、ハイとイイエで答えられるもの、答えが限定されるものだ。こうすると、議論がしやすくなるでしょ』

と解説を加える。

発表者による二つ目の発問は「13.「がんばろっと」が、17.「がんばる」の気持ちの変化について、自分の意見を考える」であった。これも発問になっていないf(^^;。「なぜ、このように変化したのか?」とすべきであると指摘。また、発表者が考えたこたえは、ややどうなのよ?というものであった。

でもまあ、いい所に目がいき始めている。
ファシリテートを意識しているので、一時一事の原則が守られている。その結果、ゼミでの議論も活発になり、発表者の解釈に対して、異論が唱えられるなど面白くなってきた。

全部が終わって残りの13分で私の解説の時間となる。
私の最初の発問は、
『この詩が連絡帳に書いてありました。あなたは担任の先生です。赤ペンでコメントをします。さて、なんて書きますか?』
である。学生たちに書かせて、私ならこう書くという例を示す。私なら、

『いいところがみっつあるね。いいともだちだね。いいおかあさんだね。がんばるってきめた一馬くんもいいね、だ。さて、ではどうしてそういえるのか。この詩の中に入って行く。私の読みがおかしければ、質問や反論は多いに受け付ける。ただ、10分しかないので、時間切れになったら、掲示板に書くこと。いくぞ』

と言って始める。

『この詩に描かれている一馬君の真意、つまり「裏」に入って行くのに「ふん」というところに着目したのは、いい。では、君たちは1)怒り 2)驚き 3)ねたみ 4)尊敬のうちのどれだと思うか? (全員に手を挙げさせる)。私は4)があると読んだ。なぜか?』
「3.にゆわはったとあります」
『そうだ。これは尊敬の表現では?』
「でも先生、京都では普通にいいませんか?」
『それもある。しかし、saidの意味で使われている言葉をこの詩の中に見ると、5.ゆった 10.ゆった 16.ゆったとあり、ゆわはったは他には無い。だとすれば、ここは尊敬の意味を込めて行っていると考えることが出来るだろう』
「なるほど」

『その作品の中に入って行くには、その作品の中に入って行く扉を見つけ、その扉を開ける鍵を手に入れることが大事だ』
「……」
『この作品はその扉と鍵がはっきりと書かれている作品である。分かるか?』
「……」
『扉は、何回も繰り返される言葉であることが多い。また、鍵はその繰り返される言葉で一部分が違っている言葉であることが多い。今の例でもそうだ。ゆったが繰り返されているが、ゆわはっただけ違っている。ゆったが扉で、ゆわはったが鍵だ』

『さ、そうだとしたら、他にある扉と、鍵はなんだ? 捜せ』
と指示を出す。
もちろん、ぼくが扉で、ぼくは、と、ぼくも の違い鍵として読むのである。
また、7.ダメダメ 8.ダメダメですを扉として、15.の「ダメな人間なんていない」を鍵として読むのである。

12.でともだちはえらいねえ、と思えたから、13.でぼく「も」がんばろっと。となれた。そして、15.でおかあさんから「ダメな人間なんていない」言われたことで、ダメダメのぼくは、17.で「ぼくも がんばる」と決意できたと読める』

と私の分析を紹介した。
『そう読んだので、「いいところがみっつあるね。いいともだちだね。いいおかあさんだね。がんばるってきめた一馬くんもいいね」とコメントするだろうと言ったのだ』

子どものを理解する為の「扉」と「鍵」。
二回生ゼミは、子どもの詩を使ってこの「扉」と「鍵」を発見するレッスンを行っている。
勿論、話し言葉、身振り、癖、服装、表情などさまざまなところに、この「扉」と「鍵」があり、それを見つけ出し、使えるようになることが大事になってくる。

その為にフィールドワークを行い、経験を積むのだし、
こうしてレッスンを行うのである。
身につけなければならないことは、たっっっくさんある。
勉強しましょう。

佐藤琢磨さん。おめでとうございます。
2年前に聞いた話を思い出しました。

佐藤琢磨さん。おめでとうございます。
2年前に聞いた話を思い出しました。
以下私の記憶に従って書きます。間違っていたら、私に責任があります。

彼は、東京の人間でありながら、あるとき鈴鹿サーキットのあの「交響曲」を聞いてしまい、この道に行こうと決心したそうです。

しかし、自転車乗りの中学生。車なんて乗れない。カートなんてできない。
そこで彼は自転車で勝手に自分で最速のコーナリングはどうしようかなんてやっていたそうです。

その後、鈴鹿サーキットの練習生の公募があって、それに申し込んだそうです。
そのとき、彼よりもできる練習生候補者がいたそうで、その人が採用されるところだったのですが、琢磨さんは、履歴書の他に勝手に自分の想いを伝える手紙を書いたそうです。

その手紙を
「これは面白い。この子を取ろう」
という話になって練習生になれたそうです。

その後、彼は早稲田大学に進学します。
そのとき、イギリスでトレーニングを受けるチャンスに恵まれます。
彼は、そこで早稲田を中退してイギリスに飛びます。そして修行を重ねて、F1パイロット。2012年のあと一歩のインディ500となり、2015年に娘とツーショットを撮り(^^)、2017年、見事にインディ500で優勝となります。

今日の授業ではこのあたりの話をしました。
履歴書の他に手紙を書いてこいとは言われていないのに、書いて送ってきた。それは、やはり熱意の表現なんでしょうねえ。そして、早稲田を休学ではなく退学してイギリスに飛ぶ。これは退路を断つということでしょう。

たまたまいた4回生に聞きました。
『あなたは、教師になりたいと思いますか?』
「はい、なりたいと思います」
うーん。
『私は、それでは甘いと受け止めますね。なりたいと思いますか?と聞かれて、なりたいと思います、ではないのです。なります!で答えないとね。なりたいと思いますは、まだ逃げ道を作っているように見えます。俺が受からなくて、誰が受かるんだぐらいの思いを持って勉強してほしいし、試験に臨んでほしいのです。

ま、慌てて付け加えると私が大学四年生の時は、なりたいと思いますでした。そして落ちました。五年生の時には、なる。なってやる。俺が受からなくて誰が受かるでした』

単に事実を見て、事実を伝えればいいと思うのだが、ついつい、教訓を言ってしまう。説教をしてしまう。これが私のダメなところなんだよなあと思いつつ、熱く語ってしまった。

動画は、3位から残りの5周でトップに躍り出て、そのままフィニッシュした琢磨選手。日本語の中継。今日、何回見たことか。

https://www.youtube.com/watch?v=B6wZVnS7I6E&spfreload=10

2017/05/25

『落語家直伝 うまい! 授業のつくりかた』(立川談慶著 玉置崇監修 誠文堂新光社)を読み終えた

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『落語家直伝 うまい! 授業のつくりかた』(立川談慶著 玉置崇監修 誠文堂新光社)を読み終えた。

立川談慶師匠の本は、前にも読んだことがある。
今回も楽しみにした。
すごかった。
(え、この人どこかで教師をやっていたっけ?)
と思わず履歴を確認してしまったぐらいだ。
この本は、教育界の名著というか、怪著というか、快著というか、とにかくすごい本であった。
落語がわからないと、ややわかりにくいかもしれない。談志師匠のことを少しぐらいは知っていた方がいいかもしれない。しかし、まあ、慌てて前言を翻すけれども、すっぴんで読んでもまったく問題ない本だと思う。

これは、教育者には書けない教育書だと思う。類書は存在しないでしょう。そういう類書のない本というのは、読んでいて実に楽しい。

落語家と教師がどう似ているかを色々な例えを使って談慶師匠が説明する。玉置先生がさらにそれに輪をかける。
落語家と教師のどこが違うかと談慶師匠が説明する。玉置先生がさらにそれに輪をかける。
このやり取りがまた面白い。

落語とは、人間の業の肯定である、とは立川談志師匠。
落語とは、人間の弱点を描いた「取扱説明書」とも言えるのです、とは立川談慶師匠。
落語も道徳も想像力、とは玉置崇先生。

もう、落語好きの教育者にはたまらない一冊です。
あ、落語が好きだけでも、教育を仕事にしているだけでも問題ありません。
上半期ベスト3に入る本になると思います。いい本をありがとうございました。

2017/05/16

越前屋俵太さんの『想定外を楽しむ方法』(KADOKAWA)を読み終えた。

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越前屋俵太さんの『想定外を楽しむ方法』(KADOKAWA)を読み終えた。

越前屋俵太さんといえば、私たちの世代にとっては非常に印象深い「芸人さん」である。街中で通行人に突然シャンプーをしたり、突撃インタビューをしたり、書道家になったりとあれこれあれこれしているハチャメチャな「芸人さん」のイメージである。
そして、そんなことからテレビ業界に干されてしまったのかなあと思っていたのが、彼である。

しかし、この本を読むとそれは違っていたことがわかる。
彼は芸人さんではないし、笑いについて戦い続けている企画者、演出家、演者であることがわかる。
そして、何より、今、大学で教鞭をとっているというのには驚いた。また、その授業がいい。授業のためのシラバスがいい。

笑いに興味があり、教育に興味のある人にはオススメの本である。
私も、もう少し働こうと思う。
戦おうと思う。
そんな思いを新たにした。

2017/05/14

酔睡亭開店へ その7

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新入生キャンプを終えて、前日を迎えた。
昨日まで東京に戻っていた奥さんと娘が帰って来た。
お土産は、暖簾である。

暖簾は、どうしても作りたかった。
発注すると結構な値段がする。
だったら自分で作れば良いと思ったのだ。
下見に行った時に、177cmが入り口の幅だとわかった。
それに合わせて生地を用意すれば良いということがわかった。

ユザワヤに出かけて行って、生地を買い込んだ。
これまでに、同じように生地を買って来て風呂敷も作っていた。

で、同じように加工をして、その加工したものを暖簾に作れば良いと思っていた。文字を書くところまでは、割と前にやっていた。

が、布がほつれないように処理するのは結構面倒臭い。
『ミシン出してくれないかなあ。処理するんだけど』
と言ったら、東京に戻っている間にやってくれるという。
す、すまん。そして、ありがとう、だ。

そこで、文字を書くところまでやった布を渡しておいたのだが、それが完成して帰って来た。
素晴らしい。
お母さんと、義母さんで作ってくれたとのこと。
二人で、呆れながら作っている姿が目に浮かんだ(^^)。
「全く何やってるんだかねえ(^^)」
という声まで聞こえた。

しかし、素晴らしいのができた。
想像している路線で、それ以上にいいのができた。
嬉しいなあ。
ありがたいなあ。

本当は、コックコートも新調しようと思っていた。店の名前「酔睡亭」を胸に刺繍して、とは思っていたのだが、時間があっという間に過ぎてしまい、刺繍の仕上がりが間に合わなくなってしまった。同じくドリンクでも、ぜひにと思って注文しようと思っていたイタリアンワインが間に合わなくなってしまった。

まあ、100%は無理。それは次回のお楽しみということで、先に進むのが賢明と判断した。

店は、お昼ぐらいから下準備をするためにも空けてくれている。食材も集まっているので、下拵えをしようと思っていたら、Y君が
「先生、やっておきますよ」
と言ってくれた。
彼の出す料理は、当日に火を入れるものはない。
事前に時間をかけて作っておいたアンチョビやサーロなので事前準備はほとんどない。そこで、やってくれるというのだ。
ちょっと考えたのだが、下拵えを頼んでみた。

これで、溜まっていた大学の仕事を片付けることができる。ありがたい。午前中からお昼にかけて一気に進める。

夕方からは、京都市内へ。
前日から京都入りしている後輩のご主人さんと、北野をどりに行くことになっていたのだ。上七軒まで出かけていく。なんでもこの日は第65回の北野をどりの千秋楽だとか。すごい。

京都に来てもう12年目になるが、実はなかなかこういうところに来ることはない。東京に住んでいる人が、東京タワー、六本木ヒルズ、スカイツリーに行かないのと同じだ。場所は知っているし、ビアガーデンもいいんだろうなあというのも知っているが、なかなか行かない。だが、お誘いを受けたので、これはチャンスと思い、前夜祭を兼ねて出かけて行った。

第一部 劇。第二部 踊り。第三部 フィナーレ。
とまあ書くと簡単だが、二時間ぐらいのステージは、それは面白くて美しかった。

びっくりしたのは、第一部の劇。時々、吉本の新喜劇ではないかと思うような、くっだらないギャグが入る。あの絢爛豪華な出で立ちで、吉本の新喜劇をやる。もう爆笑。第二部は、踊りのいい場面を次から次へと見せてくれる。

そして、第三部。これは、まさに絢爛豪華の一言。
総勢28人の舞妓さんに芸妓さんが舞う。歌とお三味線と太鼓の音に合わせて、艶やかに舞う。
(春の波とは、このことかもしれないなあ)
と思ってしまった。艶やかに、嫋やかに、華やかに、ああ、はんなりとかもしれない。
そんな春の波を客席で浴びることができた。

あれは、機会があったら観るべきだなあと思う。

その後、一度店に顔を出して、明日はよろしくお願いいたしますと挨拶を済ませ、うなぎ懐石の夕ご飯をいただき、アルコールで喉を潤し、気合を入れての帰宅でした。

さ、いよいよ、明日、開店だ。

つづく

酔睡亭開店へ その6

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メニューは決まった。次は、食材の調達だ。食材と調味料はお願いすれば、お店の方で注文してくれる。ドリンクも特に選ばないのであれば、注文してくれる。これはとてもありがたい。今回は、ドリンクは自分で、あとはお願いした。

いつも家で作っているときは、スーパーで値引きしてあるものを買ってきて、冷蔵庫に残っているものを加えて作る。特に量を考えて買ってくることはない。魚は一匹だし、肉は一枚ってな感じ。だけれどもこれでは発注できない。大体の一人前の分量を想定して、それを40人分にしていく。食材と材料と両方とも。

出来上がったものを、お店のスタッフのところに送る。
ところが、
「イカのサイズは一杯で、何グラムですか?」
「魚のサイズは何センチですか?」
のように確認される。
そんなこと、考えたこともない。半額だから買うのであって、その大きさで買うなんてことはしていない。
だけど、それじゃあ注文にならないので、聞かれた単位で考えて答える。でもなんだか、プロっぽくて面白い(^^)。

ドリンクの方は、これは私のゼミ生のY君に頼んでしまった。
『これを、ここで買って』
とネットのアドレスを教えて買わせて、店の方に届くようにしてもらっておいた。また、Y君が作るカクテルに関しては、一緒にやったO君が勤めている居酒屋で買うと安く買えるというので、それで買ったりもしていた。

まあ、学生たちは、あれこれ考えてやるものだよ。
意欲があるのなら、明確なゴール地点を示しておけば、大概は大丈夫。
実際、大きな問題は何もなかった。

4/1(土) 入学式
4/3(月) 新入生ガイダンス、会議会議会議

新年度は動き始めた。そして、本番の4/8(土)も近づいてきた。
まだやらなければならないことがある。
最大のものは、予行演習だ。
実際に厨房に入って、作って見る必要がある。

今回料理するものは、家で、それこそ何回も作っているものばかり。
新作はない。
だから、大丈夫といえば大丈夫なのだが、最大の問題は火力が違うということだ。
家で、一人前を作る時の弱火と、プロ用のコンロで5人前をいっぺんに作る時の火力は全く違う。だから、火力の体験をしておきたいと思ったのだ。

これが行えたのが、4/4(火)であった。
午後三時からお店の方に伺って行った。
店の方は、4/27のグランドオープンに向けて、内装の最後の調整や食器の搬入などが行われていた。
プロ仕様の調理場での料理ってのは、そうですねえ、ずーっと前に喫茶店でアルバイトをしていた時に、したぐらいですねえ。記憶にない。一緒にやるY君はサイゼリアでアルバイトをしているので経験があるかなと思うのですが、実はサイゼリアには包丁はないのです。だから、二人とも初心者と言って良い。身震い、武者震いです。

お店のスタッフに確認。
『あの、包丁びらきというか、厨房の神様に「これから使いますよ」というような儀式はしなくて良いのでしょうか?』
と聞く。
「あ〜、良いです。あまり気にしません」
ということ。
まあ、そうなのだが、とりあえずお酒をかけたりしたほうがいいんじゃないかなあと思って、持ってきたお酒を厨房に撒いて、
『事故なく、美味しい料理ができますように、よろしくお願いいたします』
と簡単に神事を行った。
多分、こういうのは気持ちの問題なのだと思うが、やらないよりはやったほうがいいなというのが、私の考え。

それから、当日に振る舞う料理を3品作った。
鯛のグリル、牡蠣のアヒージョ、スパゲティ。
いやあ、なんというか、魚焼きグリルの遠赤外線のすごさに、牡蠣のアヒージョをするコンロの五徳の重さ、スパゲティを茹でる時のコンロの火力の凄さに興奮。特に魚焼きグリルは、強火の遠火ができるのがいい。また、当日はコンベックも使えるとのこと。嬉しいねえ。

出来上がった試作品を持って、店の前や二階のテラスで写真を撮る。いやあ、嬉しい。また、開店の準備をしていたスタッフや、女将、若女将にも試食してもらい、OKを貰った。
「先生、美味しいです!」
お世辞であっても嬉しい(^^)。

食材の最終打ち合わせを終えて、店の外を二階の窓から眺めると、いい感じに暮れていく。
「先生、この桜(こ)、目の前の桜が、当日は満開ですね」
と言われる。
祇園、白川にはたくさんの桜が植えられているが、今年は桜が遅れたお陰で花見の当日に楽しむことができる。そして、店の、二階の窓から見える桜がその中でもさらに遅れているので、当日満開になるだろうと思われた。

持参したビールを飲みながら、
(幸せってのは、このことだなあ)
(急激な体調の変化のないように、慎重にこの後の三日間を過ごさねばなあ)
と思う私でした。

そうなんです。
明日明後日は、児童教育学科の一泊二日の新入生キャンプなんです。
怪我しないように、筋肉痛が酷くならないようにせねばとビールを飲みながら誓う私でした。

づづく

酔睡亭開店へ その5

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メニューをどうするかであった。

せっかくなら、作りたい=食べたいになるようにしたい。
そこで、メニュー案を作って事前にどれが食べたいかを確認して見た。

で、iBooks authorでメニュー本を作って、事前に学生たちにアンケートをとった。
そうして、作る料理を決めて行った。
また、この写真をサポートスタッフに見せて、イメージを作ってもらった。

作る側も、宴会する側も楽しくなるようにしたいと思ったのだ。

で、宴会を支えるスタッフのこと。

祇園で花見が決まった時、三回生に連絡した。新四回生になる三回生にだ。
なぜかといえば、私のゼミには宴会係がいるからだ。
イベントというか、行事を企画して運営するというのは、学校教育現場に入った時に行事をつくるためにも重要なことだと考えている。特別活動だ。だから、宴会係の承認を得ないとまずいと思ったのだ。

今回の"祇園 酔睡亭"は、母体は私の3、4回生ゼミの花見である。
この花見というのは、私のゼミのスタートなのだ。
どういうスタートかといえば、新4回生が、新三回生をご招待するという趣向なのである。
「ようこそ、池田ゼミへ」
「がっかりしたかもしれないけど、まあ、頑張って、池田ゼミでね」
このどちらかはわからないが、とにかく池田ゼミに来ることになった新三回生を、新四回生がご接待するのが、この花見なのだ。

専門ゼミに来ることになって、不安になっている新三回生を温かく受け入れて、一緒にやっていこうねということを示すのが、この花見なのだ。厳しくやるのは私の担当なので、温かくは先輩に任せている。

私は年齢が一つ、二つ上というだけで偉そうにする「先輩」が大嫌いだった。それは生徒の時代も、学生の時代も、教師になってもである。先輩は、力があるから先輩。その力を後輩のために使える時、本当の先輩になると考えている。だから、私の学生には本当の先輩になってほしいと思っている。

そう、昔見たテレビ番組に、京都大学アメリカンフットボール部を取材したものがあった。
ここでは、4回生がグランド整備や洗濯をする。
なぜか?
1回生にやらせると、倒れてしまうからなのだ。

受験勉強で体を動かしていなかった、一回生。
授業の後の練習でギリギリになる。そこにグランド整備や選択では倒れるのだ。
だから、体力的に余裕のある先輩がやる。
私は、この考え方がいいと思っている。だから、ゼミではこれを目指している。

去年の四回生が、今年の四回生に対して花見ですごくウエルカムであった。その記憶がとてもあって、今年の四回生も三回生にとにかくウエルカムでありたいと思ってくれているようなので、いいなあと思いながら準備を進めていた。当日私は、厨房にこもる。だから、花見の席で何があるのかはよく分からないことになる。

もう、お任せ。
それができるのが嬉しいと思うのだ。

しかし、今年の春休みは実に動き回ったのでありました。
それもこの花見があると思えばこそだったことがあるかもしれない。

何があったのか。
二月の途中から、大学の会議を除いて、項目だけ書き抜いてみれば、

・東京に行き、編集会議を行う。
・東京に行き、甲斐崎さんの小学校で授業をさせてもらう。
・滋賀県の教育委員会で打ち合わせ。
・播州赤穂に家族でお出かけ。
・ことわざを写真にする授業を見届けるために小学校へ。
・第五回教育と笑いの会のために小樽へ。
・滋賀県の小学校で研究のための授業を実施を二回。
・入試。
・卒業式予行。
・卒業式。
・明日の教室。
・東京に行き、編集会。
・台湾に二泊三日。
・ゼミ合宿、一泊二日。卒論目次案検討。
・学会発表。
・学会ワークショップ実施。
・出版打ち合わせ。
・春休み家族旅行。

よく動いたものだ(^^)。
春休み家族旅行から新年度が始まる。
そして、その翌週の土曜日「祇園 酔睡亭」が本番。

道楽がエネルギーになって、仕事を乗り越えていたんだなあと、つくづくわかります(^^)。

続く。

2017/05/12

字をうまく書くためには

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今年も授業では字書き方を教えている。黒板に字を書くときに、自分の字が下手ではしょうがない。黒板に書く自分の名前の字を元にして、指導をしている。

字をうまく書くためには、結構、点画、運筆というこの3つが大事である。結構というのは、字の外形。点画というのは止めや払いの部分の工夫。運筆というのは筆や鉛筆の動かし方である。

しかし、この三つをいきなりやってもダメ。というか、三つを同時に身に付けることは初学者には難しすぎる。そこで、私が特に指導しているのが、別の三つだ。これで見やすい字になる。結構と字の中心の意識と文字の大きさを揃えることである。

1)漢字は、例外はあるが、原則として篇と旁があったら、旁の方が大きい。漢字の上の部分は右側が高くなり、下の部分も、右側が低くなる。この形の中に入れて書くだけでかなり違う。

2)編と旁があったら、旁の方が大きいということは、漢字は旁のところにその漢字の中心線が来ることがある。木のようなシンメトリーの字であれば、縦線のところに中心が来るが、池のような文字は篇と旁の間に中心線は来ない。その文字の中心線がどこにあるのかを確認して、その中心線を重ねるようにして書いていくと文字を書き続けても曲がらない。また、曲がったとしても修正できる。

どこに中心線があるのかを確認したい時、根本的にやるのであれば、『角川書道辞典』でその文字をコピーしてきて半分に折って、その折れた線で確認する。しかし、通常は教科書体で打ち出した縦書きのワープロの文字を半分に折れば、その中心線はわかる。そうやって確認しながら書いていく。

3)また、粒を揃えるということも大事。一文字一文字の大きさを同じにするのだ。そうすると美しくはないが見やすくなる。美しくするには、文字の大きさを変えていく必要がある。漢字が10だとすると、ひらがなは8ぐらいの大きさにする。

実を言うと、大きく書く漢字、小さく書く漢字。さらに大きく書くひらがな、小さく書くひらがなというのもある。例えば、ひらがなで言えば、「い、こ、る」なんてのは、小さく書くひらがなである。これを理解するには、蘇孝慈墓誌銘や粘葉本和漢朗詠集などを元に勉強するしかない。私はこれを大学二年生、三年生の時にやった。

まあ、そこまでやらなくても、1)~3)をやれば結構見やすい字になると思います。必要な方は、ぜひやって見てください。

「あなたは何回説明したら分かるんですか?」

Img_0613 「あなたは何回説明したら分かるんですか?」 という教師の質問には、なんと答えるのがいいのだろうか?  インストラクショナルデザイン的に正解の生徒の答えとしては、 「先生、一回で分かるように説明してください」 だと思う。

2017/05/09

お祈りメールをもらって就職活動で凹んでいる4回生にキャンパスで話したこと。

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好きなことを仕事にしよう。
やりたいことを仕事にしよう。
このメッセージが伝えていることは、
好きなことが見つからなければ、仕事はしなくてもいい。
やりたいことが見つからなければ、仕事はしなくていい。
そんなことになっていないか。

親の仕事を継ぐのが当たり前だった時代、いやいや継いだ人もいるだろう。しかし、いやいやのままで終わった人は意外と少ないのではないかと思う。それはなぜか。好きな仕事に就いたのではなく、就いた仕事を好きになったからであろう。

好きを目指すのではなく、どうしてもダメを取り除いて、チャンスがあったらそれに挑んで見る。そういうことなんだと思う。採用されなかったのは、あなたに実力がなかったこともあるかもしれない。しかし、一方で実力があったとしても、相手が望んでいるストライクゾーンの中に入る人でないと採用はされないものだ。

ブラックでないところで働きたい。それはわかる。それは回避する努力をするべきだ。
しかし、縁がありそうだと思ったら関わって見るのもいいのではないかと思う。本当にあなたに実力があれば、ヘッドハンティングで声をかけられるはずだ。まずは、縁のある仕事を好きになるまでやってみるのはどうだろうか。

お祈りメールをもらって就職活動で凹んでいる4回生にキャンパスで話したこと。

「消極的」進路選択

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フェイスブックで無藤隆先生が消極的進路選択という話をされていた。私も思い当たることがある。

私が中学校で進路指導主任をしていた最後の時には、「消極的」進路選択を勧めていました。やりたいことを目指す。好きなことを仕事にしろ。という『14歳のハローワーク』が出ていた頃のことです。

やりたいこと、好きなことを仕事にするというのは、世の中に大学卒業なら5500種類あると言われている仕事の種類の中で1/5500を狙えと言っているようなもので、それは限りなく難しい。

しかし、『5500あるうちで、どうしても嫌なものを取り除け』とさせると、例えば、嫌なものが1000種類あったとしても、まあなってもいいかなという仕事は4500種類あるわけです。そして、そのように構えた上で、基礎的な勉強をしつつ、自分の特性や出会いや運を取り入れながら、一つの仕事にたどり着くってのがいいのではないかと思って、そう指導していました。

ちょうどインターネットが急激に普及してきた頃のことです。
この先どうなるかわからない時代に、一つの仕事に絞ってしまうのは危険だと考えていました。

好きなことを仕事にする。好きな仕事に就く。
これではないと考えていました。
縁のあったことを仕事にする。就いた仕事を好きになる。
こっちだと思ったのです。

だから、そのようなことを中学生に話していました。

ただ、これからの大学選択は自分の人生の設計の上に、この大学が必要だという流れを示していくことが求められていくと思います。今の時代に、私が中高生だったら、こんなセレンディピティの人生は過ごせなかったのかもなあと思うわけです。

2017/05/07

フェイスブックの友達

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フェイスブックの友達というのは、やっぱり変な関係だと
思う。

フェイスブックでは友達を選べる。実際の人間関係の中では、友達はなることから始まると思う。なった上で深まるかフェードアウトかカットオフかとなるのだと思うのだ。

が、フェイスブックでは最初に選ぶことから始まる。ここが違うのに、使われている名称は「友達」。ここに違和感が残るんだろうなあ。いや、もちろん「フェイスブックの友達」と概念規定をして使えばいいというのも分かっている。

だけど、友達だよなあ。違う。友達だから、フェイスブックでも友達になるんだよなあと思う。だから、リアルで知らない人は、友達にはならない。

だから、私は教え子からの申請は基本的に受け付けない。
友達じゃないもの。教え子だもの。

教え子っていうジャンルがあれば、私はそのカテゴリーに入れて申請を受けるけれども、友達じゃないものなあ。

古い人間です(^^)。

2017/05/04

酔睡亭開店へ その4

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この話が動き出した後の3回生ゼミで、事情を話した。
すると、もう、学生たちも大興奮。
そりゃあ、そうだ(^^)。

そこでちょっと考えていたことをある学生を呼んで話した。
それは、趣味が料理という男子学生。
『せっかくなので一緒にやるか?』
と聞いてみた。
すると、
「ぜひ!」
とのこと。よし。

また、こういうイベントを企画することを仕事にしたいと考えていたこともあった女子学生にも連絡。
すると、
「企画などやりたい」
とのこと。よし。

さらにまた、カメラマンになるか教師になるか悩んでいる学生にも声をかけた。
『参加費いらないから当日の写真を撮ってくれないかなあ?』
と。これも
「やらせて欲しい」
とのこと。よし。

よし。
こういうのはみんなで楽しんでしまうのがいい。
そして、ゼミの宴会係が全体を見渡しながら進めることで動き出す体制が取れた。

その数日後、このお店の社長さんに会い、また、改装をしている現場に出向いて、スタッフにご挨拶などをして本格的に、" 料理と酒の店 祇園 酔睡亭 ”が動き出したのでありました。

この文章を書きながら思い出したのだが、実は、自分の料理を振る舞うというのは、やっていないこともなかった。

例えば、学年旅行で
http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/…/2016/12/post-c72f.html
例えば、花火大会で
http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/…/2009/08/2009-50db.html
例えば、調理実習で
http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/…/…/ibooksstore-783.html

これはまあ、やればできること。
だけど、本丸は店だ。大学の教員をやりながら店を持つことはできないかと考えないこともなかった。
しかし、現実的ではない。
体が足りない。一日や二日ならなんとかなるが、ずーっと店を持つってのは現実的ではない。公務員ではないから兼業届けを出せば大丈夫だとは思うが、現実的ではない。そもそもそんな資金はない。

だけど、店を持ちたいなあとは思うのだ。
(どこか古い家でも借りて、キッチンスタジオだけきちんと拵えて、学生たちがゼミ合宿をしている間、私が料理を作って、できたら食わせる。時には、研究会をやる。教育オーベルジュとかできないかなあ)
とずっと思ってはいた。

いや、一回はやっている。プレなんだけどね。
http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/…/2016/02/post-bd3e.html

そして、恐れ多くもその店が祇園で叶うことになったんだから、驚き以外の何物でもない。
ありがたいことだ。

ただ、文章を書いてみて思ったけど、計画的にやっていたわけではないけど、やっていたんだなあと思いました。
そして、それを外側から見ると、店でやるってことは、今までやってきたことの延長線上にあるように見えますね。

これを計画的に、着実に行えるならカッコいいんだけど、私の場合はそういうのではないので、とにかくやりたいなあでやり続けてきた結果、偶然と幸運に恵まれて、今回の" 料理と酒の店 祇園 酔睡亭 ”に繋がったんだなあと思った次第です。

続く

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